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やがて天則の救世主  作者: 八代明日華
第二章:禁忌十字に愛を
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第十五話『暖かな夜』

 その晩は、ロザリアも招いて三人で食事を取った。単純に彼女と親睦を深めておきたかったのと、いざという時、固まっていた方が行動がとり易いだろう、という判断によるものだった。マイヤが腕によりをかけて振るってくれた料理は、いつにもまして美味だった。蕩ける様な、とか、天にも昇る様な、とか、そういう方向の美味さとは異なる。きっとマイヤの料理の神髄は、その温かさ――料理の温度という意味ではなく、込められた心の温もりにあるんだろうな、と、シュウは改めて感じた。その理由が、自分が手伝った部分が見事に美味しくないことに起因したのには少々複雑な面持ちをせざるを得なかったが。決して料理が下手なわけではないのだが……。


 会話も弾んだ。ロザリアはシュウの知らない、中等部時代のマイヤの事を沢山教えてくれた。常に気を張っていて不愛想だったとか、外見に無頓着でおおざっぱな性格をしていたとか――今のマイヤからすれば意外な一面も知ることができた。シュウとしては嬉しかったのだが、マイヤ本人は恥ずかしかったらしく、ロザリアが何か言う度に大声でそれを遮ろうとする、という光景がお約束になっていた。

 最も、ロザリアの口から語られる、マイヤが徐々に髪の毛に気を使い出した時期の話や、授業中、急に上の空になる事が増えた話――つまり、彼女がシュウに恋をし出した頃の初々しい様子は、流石のシュウも対象が自分なだけあってところどころむずがゆくなることがあったが。


 やがて日が暮れ、夜の帳が落ちる。代わりに、金剛を思わせる真白の月が、中央大陸の、どこか紫紺の宝石箱にさえ見える、星の多い天に上った頃——一つの問題が浮上した。

 以前教員寮だっただけあって、シュウとマイヤの家は複数の寝室を持つ――のだが、生憎今は、シュウとマイヤが普段使っている部屋以外は物置として使ってしまっていた。普段から来客がある様な生活をしていれば話は別なのだろうが、シュウたちはそういった環境とは無縁だし、アリアの遊び相手として夜を明かすときも、学園長棟にシュウ達が出向くことの方が多かった。

 そのためロザリアには、彼女たち自身の了承も得た上で、マイヤの寝室を使ってもらうことになった。

 

 では、寝室を貸したマイヤが、どこで寝るのかというと。


「え、えっと……半年ぶり、くらい、ですか?」

「あ、ああ……そ、そうだな……」


 ベッドに腰を下ろして、薄いピンク色の寝間着に身を包んだマイヤが、蚊の鳴く様な細く震える声で問うてくる。抱き締めた枕に顔をうずめ、ちらりと見える顔と耳を朱色に上気させたその姿が、露出など何もないというのに妙に扇情的で、シュウは激しく動揺する。


 マイヤが寝室に選んだのは、シュウの部屋だった。というより、「ではマイが俺の部屋を使ってくれ」とシュウ自身が打診したのだ。シュウ本人としては自分はリビングで寝るつもりだったのだが、マイヤが反対したためこの形となった。


 二人で同じベッドに入るのは、先ほどマイヤが口にした通りほぼ半年ぶりだ。去年の十二の月に一度失敗して以来である。

 あの時より多少は慣れたかと思っていたが……同じベッドの上に恋人が座っているというだけで、正体不明の感情が次から次へと湧いて来る。


 ぽふり、という、柔らかいモノが同じく柔らかいものの上に落下した音。見ればマイヤがいそいそと枕を設置し、シュウのベッドに倒れ込んでいた。彼女の普段は首筋でまとめている青く長い髪が、リボンの様にふわりと舞う。髪用石鹸の甘い香りが鼻腔を掠め、余計にシュウを刺激した。


 ベッドの臭いが落ち着くのか。彼女は二、三度息を大きく吸い込むと、満足げな表情で目を閉じた。シュウは何だかんだと眠れない事があるが、マイヤは意外とすぐ寝付くタイプらしい。

 それとも──シュウが傍にいるから、なのだろうか。だとしたら少し気恥ずかしい。


 部屋を照らすプリズムの灯りを消す。普段シュウ達が緊急時の呪術——シュウの場合は対悪性存在のための切り札だが――の触媒として使っている、聖火を納めたそれとは別だ。一般販売している、ランプの形に加工されたもので、子供でも使える簡単な生活呪術で点灯/消灯と、光の調節ができるようになっている。

 明かりが消えれば、部屋を照らすのはカーテンの隙間から入ってくる月光だけだ。白い光がマイヤの頬を撫で、絹の様な肌と、海を思わせる蒼い髪を、まるで濡らすように映し出す。シュウもまた、ベッドに身を横たえる。マイヤが瞼を上げ、こちらを見つめてくる。また少し、胸の鼓動が早くなる。


 シュウの部屋は奥側に大きな窓を設け、その前に本棚やテーブルも兼ねる棚を置いている。棚とドアまでのスペースが事実上、『シュウの部屋』と呼べる領域だ。そしてベッドは、その左半分を占領している。

 マイヤが落ちてしまわない様に、彼女を奥に寝かせて、シュウは縁側に横になる。真正面からマイヤの可憐な顔と、月光に照らされことさら瑠璃(ラピスラズリ)の様に見える瞳の輝きを受け止める形となったシュウ。動悸が、止まらない。それどころか、秒を追うごとに鼓動は早くなっていく――


 数瞬の迷いの後、問うた。このままでは我慢が効きそうになくなる自分の中の情動を、誤魔化す目的もあった。


「……髪、触っても、良いか」


 我ながら、随分と思い切ったというか、破廉恥な問いだと思う。髪は女性の命、というのは良く聞く話だ。そうでなくても他人の体に触れる許可を求めるというのは、一種相手への支配欲や情欲と言ったものを顕現させている様で、どうにも気分がよろしくない。

 けれど今は、そうでもしていなければ、もっと拙い事をしてしまいそうで――


 もしかしたらシュウ自身、自分では気づいていないだけで不安だったのかも知れない。この先、央都の法術師達やリズベットを襲った犯人と戦うことになったとき。本当にマイヤのパートナーとして、彼女の隣で戦うことはできるのか。彼女を護り切ることはできるのか。ただ足手まといになっていた頃と、何も変わらないのではないか……そう言った怖れが、シュウを奇抜な行動に走らせたのかもしれない。


 それを見抜いたのか。マイヤは一度驚いたように目を見開いてから、すぐに慈母の様な笑みを浮かべ、シュウの、体の下になっていない方の手――つまり左手を執ると、自分の、絹糸の様な髪の上に、そっと乗せた。


「はい……どうそ。あなたのために、伸ばした髪ですから」


 ああ、そういえば、そうだったな――そんな事を想いながら、シュウは小さく指をたてた。ぴくり、とマイヤの体が震える。

 髪の奥にある、彼女の頭皮から伝わる淡い温かさが、どこか冷たくもある月光の中で、シュウの心を落ち着かせる。ゆっくり、ゆっくりと、マイヤの青い髪を梳る。


 出会ってから、暫くした頃の話だ。

 マイヤがある日、「先輩は、女の子の髪型としては、短い髪と長い髪、どちらの方が好みですか?」と聞いてきた。あまりにも唐突だったことと、普段はいかにも不機嫌な顔、といった表情の事が多かった、当時の彼女にしては随分と不安そうな顔に焦ってしまい、数秒ほどぐるぐるぐるぐると頭の中で考えた末、「ご、後日回答するということで構わないだろうか……っ!」と妙な調子で答えてしまったのを覚えている。

 結局三日ほどかけてどうやら自分は長い髪の毛がふわりと舞っている様子をみるのが好きらしいぞ、という己の変態性と向き合った結果、「長い方が好きだ」という回答を出したのだが。


 あの日からマイヤが髪の毛を伸ばし始めた事には、ずっと気が付かないふりをしていた。偶然だろうと。高等部に上がったのだから、『いめちぇん』とやらでもしたかったのだろう、と。年頃の少女とはそういうモノだと、故郷の同年代の女の子たちの格好が変わるたびに、師匠に教えてもらったものだったから。


 けれど、彼女と愛の告白を交わし合った以上、認めざるを得なかった。

 マイヤの伸ばした、青く、海の色をした髪は、自分(シュウ)のためにあるのだと。


 何度も、何度も、梳る。

 髪に温度が通っているのかどうか、人体に詳しくないシュウでは分からない。

 けれどそこには、体温とはまた別の――心の温かさとでも言うべきものが、ある様に思えた。


「……あったかい……」


 目を閉じ、されるがままにしていたマイヤが、ふと、その桜色の唇から、ぽつりと声を漏らした。もう半ば眠っているのだろうか。どこか夢心地というか、舌足らずな口調で、彼女は続ける。


「せんぱい……好きです……だいすきです……ずっと、そばに……」


 はっ、と。

 シュウは、胸を締め付けられるような感覚と共に、息を飲む。


 きっとそれは、本心なのだ。最愛の恋人の、確かな本心。

 マイヤは常に、「シュウを護る」と言ってくれる。時には、自分の身を犠牲にしてでも、護ると。マグナス・ハーキュリーとの戦いは、まさにその良い例だ。彼女は己の命を投げうってでも、シュウの命を救おうとした。


 けれど、それはきっと、彼女にとっても下策中の下策だったのだろう。本当は、そんなことはしたくなかったはずなのだ。シュウの身を護ることが嫌だった、というワケではない。嬉しいことに、と言って良いのかは分からないが、それもまた彼女の願いだ。

 嫌だったのは、そこではない。


 自分の命を、喪う事だ。


 あの時。

 シュウに初めて愛を告白して、彼方へと飛び立つ直前に。マイヤは、何と言った?


『でも、やっぱり少し怖いので――ちょっとだけ、勇気をください』


 直後の甘い感触を覚えている。彼女の小さな唇と、自分の乾いた唇が重なった際の、かすかな痺れを今でも思い出せる。

 怖かったはずなのだ。マイヤだって。本当は、命なんて投げ出したくなかったはずなのだ。


 ずっと、一緒にいたいから。

 シュウといつまでもいつまでも、幸せに暮らして行きたいから。

 

「ああ……一緒だ。ずっと、ずっと」


 己の声が、強く震えるのを感じる。もしかしたら、今自分は泣いているのかも知れない。

 この子を、護らなければならない。そして、自分も生き残らなければならない。できるかできないかではない。やるのだ。何としてでも。

 シュウは強く、心の中で決意する。


 ずっとそのままマイヤの髪を撫でていると、折角収まったはずの情動がまた湧き出してしまった。それにしても、本当に綺麗な髪だ――と、慌てて思考を切り替える。

 

 海の色だ、と、以前彼女の髪を表現したことがある。シュウにとって海というのは、18年間の生涯の中で見た、『最も綺麗なモノ』だ。イスラーフィールに連れられて、極東大陸から中央大陸に渡る船で、甲板から見渡した、陽光に反射して煌く海の青と銀を、今も忘れることができない。

 マイヤは、海を見たことがないのだという。彼女だけではない。この世界の人間の多くは、海を見たことがないだろう。それには、様々な理由がある。


 一つは、技術がないからだ。

 善性存在の世界は、旧時代文明のそれと比べると大きく文明レベルが劣っていると聞く。数少ない当時の資料や、極々稀に発見される遺産は、現在の技術や知識では再現・理解ができないものが多い。例えば自動的に時間を計測し、刻む『時計』であるとか。例えば、法力でも魔力でもなく、蒸気機関とも違う方法でモノを動かす『発電機』であるとか。最たる例では『飛行機』だ。なんと空を飛ぶための鉄の塊らしい。空を飛ぶ動物や魔物には良く遭遇するが、鋼の箱が空を飛ぶのは少々想像しづらい。 

 時計の仕組みは近年大幅に解明が進んだらしく、大きな街や権威ある建物にはこの自動時計を設置した時計塔が置かれている。しかしそれも、権威のある建物のみだ。ここから分かる通り、いまだにこの世界においては『技術の普及』という点で大きな欠陥を抱えている。これは転じて『交通手段の弱さ』という面にも表れており、交通手段が少ないがゆえに技術の伝播も遅い――という悪循環を生み出していた。


 現在南方都市を始めとした中央大陸の主要な産業都市と央都を結ぶ鉄道を敷く計画が進行中だというが、魔物の処理に悩まされ、なかなか進んでいないという。

 もう一つの理由は、実はこれと少しだけ関連してくる。


 海洋に生息する魔物の問題だ。南方都市の発展はこの海洋性悪性存在との戦闘のための前線基地としての役割を担っているからだとされるほど、海には強力な悪性存在が棲む。地上のモノと比べて数が多いわけではないのだが、個体としての強さが高いのだ。そのため迂闊に海路を使おうものなら簡単に轟沈させられてしまう。

 現状、強力な法術師は多くが中央大陸に集中している。そのため上級の魔物から船を護り、大陸間を移動する戦士も足りない状況だ。シュウが中央大陸に渡ることができたのは、特級法術師として財力・権力・実力の全てを備えたイスラーフィールがいたからだ。彼女は時たま、中央大陸東端に持つもう一つの活動拠点に置いている私財の船で、他の大陸へと優秀な人材を探して放浪する。シュウはそうやって見いだされ、学園へと招かれたのだ。……優秀な人材というわけではなかったが。


 何故海中に強力な個体が集中しているのかはいまだ謎に包まれているというが――いつか、技術も、魔物の問題も解決して、マイヤと色々な大陸を見に行けたらな、と思う。


 そういえば夏季の長期休暇の際に、イスラーフィールが東端の別荘に何人か生徒を連れて行こうと思っている等々と、以前九日していたな――


 そんな事を思い出しているうちに。

 シュウの意識は、暗い眠りの深淵へと落ちていった。




 ふと、違和感を感じて目を覚ます。窓の外から薄っすらと光を差し込んでくる、月の位置が変わっている。就寝から数時間が経過していたらしい。今のは一体、と、違和感の正体を考察せんとするシュウ。だがその前に、彼をさらなる異常が襲う。

 ぱちり、と、マイヤの目が開く。がばり、と、ばねの様に素早く、彼女が起き上がった。置いていた手が弾かれる。


「お、おい、どうしたんだマイ……マイ?」


 覗き込んだ彼女の顔は、真っ青だった。見れば震えている様にも思える。シュウは彼女の肩を強くつかむ。小さな振動――確かに震えているのだ。この感覚は、恐怖、だろうか?

 マイヤの瞳を確り見て、シュウは強い口調で呼びかける。


「マイ! 大丈夫か!」

「あ――せん、ぱい……?」


 はっ、としたように。焦点の合っていなかった彼女の瞳に光が戻る。何か張り詰めていた糸が切れてしまったのか。マイヤはシュウの胸に寄りかかってきた。こんな状況でもやたらとドキドキしてしまう自分に内心で悪態をつきながら、何があったのかと問いただそうと口を開く。


 その直前、部屋のドアがガンガン、ガンガン、と、大きな音を立てた。


「フィルドゥシー! フェリドゥーン先輩!」


 マイヤをゆっくりとベッドに横たえ、落ち着かせるようにその頭を一度撫でると、シュウはドアに近づいていく。

 開けば、焦った表情のロザリアが飛び込んできた。さっきの音は、彼女のノックが立てたものだったようだ。大分力を込めていたらしく、彼女の腕が少し赤くなってしまっている。


「ロザリアか! マイの様子がおかしい、何か――」


 シュウ自身では分からない事でも、同じ女性で法術師のロザリアなら、マイヤの変化の原因が分かるかもしれない――そう考えてロザリアに問うた彼は、直後、ロザリアもまた顔を真っ青にしていることに気付く。


「まさか……君もか!?」

「むしろボクとしてはどうして先輩が平気なのかの方が気になりますよ! まさかこんなに強い反応がするだなんて……!」


 舌打ち混じりに言葉を漏らすロザリアに、何が起こったのか分からず困惑するシュウ。そんな彼に答えを与えたのは、まだ苦し気な表情をしつつも大分落ち着いてきたらしいマイヤだった。

 ベッドの上に上体を起こした彼女は、吐くようにその言葉を口にした。


「――魔族です、学園の領域内に、突然……!」

「なっ……!?」


 それは戦いの狼煙。

 連なる事件の真実を、幻想の内から汲み興す、第一の夜。

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