第十二話『ロザリア』
法術師育成学園は広い。流石に町一個――とまでは行かないが、大規模な村だと言われても頷けてしまう程度には敷地がある。シュウたちが普段授業を受ける高等部の教室が、その中央棟を始めとして四つ。中等部の建物が同じく四つ。アリアやイスラーフィール、アルケイデスの暮らす学園長棟に、現在は使われていない建物と、その残骸たち。敷地全体を通して六つの演習場を備えたその学園を、巨大な城壁が囲っている――そんな円形の敷地の両端に、合計すればこれまで列挙したエリア全てを合わせたものの三分の一にも迫る規模の寮エリアは構えられていた。
高等部の男子生徒寮が三つ、女子生徒寮が同じく三つ、そして教員寮が一つ。同様の構築で学園の敷地内に於ける真反対に、中等部用の寮が構えられている。
かつては各所に『一軒家』が点在している形式だったというが、現在はどの寮も集合住宅型に纏められている。これによって使われなくなった『一軒家』の多くは、現在既に取り壊されている。唯一残った、教員寮の一つとして使われていた建物は、現在シュウとマイヤが使っているものだ。故に一般の生徒は遠方から態々毎朝実家通いをしている者でない限りは、全員がアパート型寮に暮らしていることになる。
ロザリアとの集合場所に指定されたのは、そんなアパートが立ち並ぶ、寮エリアの中心に位置する噴水広場の近くだった。シュウとマイヤの家は寮から少し離れているため、ロザリアは気を効かせて、どの建物からもある程度均一の距離を持つ広場を指定してくれたのだろう。
マイヤと連れ立って広場へと向かう。道中、余り人とすれ違うことは無かった。長期休暇はあと数日残っている。そのため、普段は自身の参加する授業が行われる研究棟へと向かう生徒達の姿も、今日は無い。学園内で一日を過ごすことにしたらしい生徒達がぱらぱらと見受けられるだけだ。
そしてそれは噴水広場の状況とも一致した。数名のカップルが睦み合っていたり、読書をしている生徒、跳んできた野鳥に餌をやっている生徒がいる程度。
そんな中で、ロザリアの深緑色の髪と、中性的な、凛とした佇まいは良く目立った。改めて遠目から見ると、素人目にも非常に姿勢が良いのが分かる。育ちが良いのだろう、と推測できる以外にも、あれだけ体幹が確りしているならば、格闘戦も相当強い事が窺える。
噴水の縁に腰かけて、やって来た小鳥と戯れていた彼女は、近づくシュウ達に気付くと優雅に立ち上がる。
「おはようございます、先輩、フィルドゥシー」
「おはようございます、ロザリアさん」
「おはよう。待たせてしまってすまない」
時刻としては約束の時間よりも早い位なのだが、ロザリアはそれよりもさらに早く到着していたらしい。シュウは手持無沙汰な時間を作らせてしまった事を詫びる。
するとロザリアは、もしも育成学園が女子学校であったならば、絵物語などでよく見る『王子様キャラ』なるポジションに納まったであろうことが容易に想像できる笑顔で首を振った。
「いえ。ボクも先程来たところです――おや?」
と、そこで。
彼女はシュウとマイヤを交互に見ると、存外に可愛らしく目をぱちくり瞬かせた。直後、どこぞの学園長を彷彿とさせる悪い笑みが、その顔に浮かぶ。桜色の眼鏡や凛々しい姿に反して、思ったよりも悪戯っぽい性格なのかもしれない。
「何やら昨日よりも距離が近いような……これは……ほほーう……」
にまにまと笑う彼女に、隣でマイヤが嫌な予感がする、と言わんばかりに顔をしかめた。
「旧時代文明の構文だそうだが、あえて言わせてもらおう。『昨晩はお楽しみでしたね』と――」
「ち・が・い・ま・す!!」
即答、という言葉が良く似あう。マイヤは耳を真っ赤にしながら、ロザリアが台詞を言いきらないうちに叫んだ。彼女の声に吃驚したのか、広場の端で生徒から餌をもらっていた鳩たちが何処へと飛び去った。
「違うのかい? 恋人同士、かつ同棲までしている男女の距離が縮まったら、ヤったことと言えば一つだ、って聞いたけど」
「そんなわけないじゃないですか、全くもう」
ため息と共にそっぽを向くマイヤ。実際の所、二人の距離が縮まったのは、昨日の医務室での一件によるものだと思うが――正直当事者としてはそこまで距離感の変化のようなものは感じていなかったので、「第三者から見ると意外と違って見えるものなのだな」、などと考えながら、シュウは恋人とそのクラスメイトの会話をぼんやり眺める。
「学園長先生を尊敬しているのは分かりますけど、そういうところまで似せないでください」
「いや、失敬。やっぱりからかいがいがあるね、フィルドゥシーは」
そういえばロザリアの法術は情報を扱う事に関してプラスになる機能を兼ね備えたものだ、とアルケイデスが言っていた。情報系のカテゴリに位置づけられる法術の頂点に立つのは、イスラーフィールの『顕現型スラオシャ』だ。ありとあらゆる情報を解析・管理し、時に操作さえ可能とするあの力に総合的に勝る情報系法術はこの世界には存在しない。
であるならば、ロザリアがイスラーフィールに憧れていてもなんら不思議ではないのだが……何故イスラーフィールなのだろうか。別の誰かでは駄目だったのか。
というより、ズルワーンは何故よりにもよって彼女に『スラオシャ』を託したのか。もう少し人格的にマトモな人に託してほしかった、と思わざるを得ない。いや、イスラーフィールが人格的によろしくないかと言えばそういう話ではないし、彼女ほど頼りになり、かつあの法術を扱うことに適した人間もそうそういないとは思うが――こう、普段から弄られている立場にある者としては、そういった合理的な判断を抜きにして、少し苦情を呈したくなってしまうのだ。
「さて、茶番はここまでにして、と……」
「茶番? 茶番と言いましたか今」
「言ってないよ。聞き間違いじゃないかい?」
「どうしてこの人はこんな細かい所まで学園長を再現してしまうんでしょうか……」
じと、っとでも形容すべき目で自分をにらみつけるマイヤに対して、ロザリアは朗らかに笑う。
「まぁその辺はほら、才能とか、経験とか、あとは法術とか。色々ね」
そして彼女は一歩を踏み出すと、くるり、とこちらに向き直った。どこか役者めいたその挙動は、彼女の『経験』という言葉から、もしかしたら演劇でもやっていたのだろうか、とシュウに予感させる。
広場に敷かれた石畳を擦る、ロザリアの履いたブーツの音。ふわりと靡く緑の髪の下にあったのは、先ほどまでの悪戯好きな少女の顔ではなく、親友を襲った災厄の謎を、必ずや解き明かす、という決意に彩られた法術師のそれだった。
「行きましょう。リズが襲われた女子寮の前まで案内します。場所が整っている方が、ボクの法術は良く働く」
ロザリアの後ろに着いて、学生寮のアパルトメントが立ち並ぶエリアへと向かう。互いに日陰にならない様に、という配慮なのか、五階建て前後の巨大な学生寮群は、かなりの間隔を取って建てられていた。以前マイヤに聞いたところによると、一階はフロントになっているらしく、窓を見受けることはできない。が、二階から上は無数の窓やベランダが設けられており、幾人かの生徒が洗濯物を干したり、不思議そうにこちらを覗き込んだりしてくる。
そういえば、ここに足を踏み入れるのは極めて久しぶりか、あるいは初めてかもしれない――そんな事を思う。シュウは育成学園に編入してする直前、即ち中央大陸に渡ってからすぐのころは、先日マイヤとのデートでも訪れた最寄りの街で宿を長期間借りて暮らしていた。編入してからの数日間は学園長棟の客間の一つを。そしてマイヤとパーティを組んでからは、ずっと今の家で生活している。
要するに、シュウは一般の学生寮で暮らした経験がないのだ。マイヤと出会わなかったら、今この建物で思い思いの行動をとっている生徒達の様に、自分も寮生活を送っていたのだろうか——
もしもの事を考えていてもどうしようもない。それに、マイヤと出会わなければきっと、編入からそう遠くないうちに、シュウは育成学園に居られなくなっていた気がする。マイヤはシュウと出会わなければ、育成学園での日々に耐えられなかったかもしれない、という話を、シュウが自分の存在意義を見出せなくなるたびにしてくれるが、もしかしたら自分も同じで、マイヤがいなければ押しつぶされていたのではないか。そう思わずには居られなかった。
何度目、何十度目、あるいは何百度目かにもなる感謝を、隣を歩く青い少女に抱く。何度感謝してもしたりないだけのものを、シュウはきっと、彼女に貰ったのだ。
気が付けば、シュウはマイヤの手を握っていた。柔らかく、軽い。けれど確かな重さと温かさを持つ、最愛の後輩の手。こんな状況で取る行動ではない気がするが、本能の様なものが働いてしまった。
「……先輩?」
「あ、ああ……ごめん。少し呆けていたみたいだ」
「いえ、構いませんけど……」
離れようとするシュウの手を、マイヤの細い指が、シュウの指の間に入り込む形で繋ぎとめる。体感温度がわずかに上がる。それはシュウ自身の体が発する熱なのか。或いは二人の肌が触れ合う面積が増えたからなのか。それとも、マイヤの肌の発する熱なのか。
「君と出逢わなかったら、俺はどうなってしまっていたのだろうな、と、考えていてな」
「私と、出逢わなかったら?」
「ああ。あの家に住むことも無かっただろうし、今学生を続けていられる保証もないし、もしかしたらあの邑に帰っていたかもしれない」
そうしたら、船出の時に感じた海の美しさは、帰りの船ではどこかやるせないものに見えてしまっていただろう。今まだあの風景を『美しい』と思えるのは、同じ色の髪を持つ少女が、隣を歩んでくれているからなのだ、と強く思う。
「人間の……パルスの、という意味ではなくて、人の一生というものは、違う『可能性』を差し込むだけで、大きく変わってしまうのかもしれませんね」
マイヤは繋いだ手に力を込めて、どこか寂し気に呟いた。
「今この時だって、先輩と私が出逢った、という『可能性』が、現実として選択されたからあるものですから。きっと一つ、何かが違っていただけで、今見ている風景も、それを認識する心も、少しずつ違うものになっていたのかもしれません」
初めて海を見たときの想い出が、今も煌びやかに輝いている様に。
空に昇った太陽の明るさも。
足裏に感じる、石畳の細かな凹凸も。
どこからか漂う、誰か寮に暮らす生徒が作っているのであろう、料理の匂いも――
違う意味を持って認識していたのかもしれない。
「まぁ私は、今で十分満足ですけれど」
「同感だな」
ふふ、と笑うマイヤに、シュウも思わず破顔する。
そんな二人の雰囲気を感じ取ったのか。前を歩くロザリアが、苦笑しながら振り返る。
「いちゃつくのも良いですけど――そろそろ、現場です」
「……っ」
空気が、緊迫する。名残惜しいが、流石にこの場面で手を繋いでいるわけにはいかないと、シュウはマイヤと繋いだ手を解く。代わりに、というのはおかしいかもしれないが、彼女が一歩、シュウに近づいてきた。感じる温かさは、変わらない。惨劇の場であっても、シュウに確かな勇気をくれる。
――そこは、アルケイデスによるものなのか、シュウの腕ほどの幅の柵と、黄色と黒の縞模様のテープで、簡易的に封鎖されていた。
学生寮のアパルトメントは、一か所ごとに、正しくは一軒とは言い切れない構成をしている。中心に小規模な中庭の様なものを設ける形で、三方向に住居があるのだ。テープで封鎖されていたのは、住居の内二か所の間に空いた、成人男性が三人ほど入れそうな横幅の裏道。
真っ先に抱いた感想は、「周囲への被害が異常に少ないな」というものだった。
傷ついたリズベットの姿を見る限り、強力な魔術によるエネルギー波のようなものを全身に受けたように見えたからだ。
魔術というものは、法術と比べて『破壊力』や『殲滅力』といった方向に異常に特化している場合が多い。言ってしまえば過剰火力なのだ、魔術というのは。
以前アリアが、マグナスの嗾けたサーベルグリズリー達から己の身を護るため、反射的に魔術を発動した際のことだ。彼女があの時使った技は恐らく、魔力を組み上げ、何の形も与えずに解放するだけ、という至極簡単なギミックであったはずだ。にも拘らず、その魔術は周囲一帯を吹き飛ばし、シュウでさえ立ってはいられなくなった。それだけの破壊力を持つのが魔術だ。
故に、リズベットを襲った魔術がエネルギー系のものであるならば、アリアの行った破壊とほぼ同様の惨状を引き起こしていても何ら不思議ではないのである。
にも拘らず――
現場には、若干の焦げ跡のようなものが残っているだけで、全くと言って良いほど破壊の後が見られないのだ。
「出力を制限できる、という線は?」
シュウの話を聞いたロザリアが、白い指を口元に当てながらそう問いを上げる。
「どうでしょうか……アリアちゃんが魔術を使う場面を何度か見たことがありますけど、破壊を制御すればするほど、魔術が引き起こす本来の破壊も小さくなっていくように見えました。魔力焼けを引き起こしてしまうほどの熱線、と、使われた魔術を仮定すれば、焦げ跡どころかこの裏路地が融解している可能性もあります」
「しかし実際の所は、パンを焼きすぎてしまった程度と比喩できそうな、小さな焦げ目がついている程度、か……ふぅーむ、これはなかなか難しいね」
ロザリアは腕を組んで考え込み始めてしまう。その様子を見ながら、シュウはかつてアリアと共に発動させようと試みていたオリジナルの魔術、『灼毒たるは汝の魔刃』について考えていた。
周辺環境を腐滅させる炎を操る、という内容の魔術として完成された『タルウィ』だが、炎を触媒たる魔力結晶短剣に纏わせる段階では、さした破壊を引き起こさなかった。恐らくはあの段階でも、触れた大気を腐らせていたのだろうが――そう考えれば、魔術というのは常に『破壊』と不可分であると推測できる。
であれば、今この状況は、想像以上に『不自然』なのだ。
「たとえこの身に鎧が無くとも。たとえこの手に剣が無くとも。栄光こそが我が具足――我が正義に光をくべよ」
と、その時。
ロザリアが、祝詞を口ずさむ。ぼう、と彼女を中心に、水面を思わせる淡い光が浮かび上がった。法術だ。彼女が十七年の人生の中で培ってきた、『信じる』力。
「親愛……? この度合いだと、親しい、というほどでもないけど仲が悪いわけでもない、といったところか……?」
ぽつり、と、ロザリアが呟く。その言葉から、シュウは彼女の法術が、どういう機能を以て『情報系の側面を持つ』と言われるのかを理解した。
「残留思念を読み取れるのか……?」
「はい。正確には、『意思』です。誰かが持っている、あるいは持っていた感情を把握する能力――ルーズヴェルトさんの法術、『展開型ランスロット』が持つそれは、本来は戦闘に於いて殺気を読む程度の役割だそうですが、そちらの側面を強調することで、こうやって使えるそうです」
「意思を読む、法術……」
そういえば初対面の時、ロザリアはシュウの印象に着目した評価を下してきた。あれはシュウの『意思』を、薄ぼんやりと把握していたからなのだろう。
捜査に向く、というのも納得だ。今ある意思だけでなく、残留思念まで把握できるともなれば、事件に介在する感情から、何かしらヒントを得ることが可能になる。
シュウとマイヤが見守る中、数瞬の間、思案顔を浮かべるロザリア。光が消える頃、彼女は妙なしかめ面をしていた。
「これは……」
「何か分かったのか?」
「ええ、まぁ……しかしなんと形容したらいいものか……」
ロザリアは眉根を潜めて考え込む。凛々しいようにも可愛らしいようにも見えるその表情が妙に様になっていた。
「――敵意が無いんです」
「敵意?」
「はい。それも、リズの方にも、相手の方にも」
かなり重要な手がかりだ。リズベットが下手人に対して敵意を抱かなかった、ということは、彼女にとって知人、あるいはその姿を模した存在だった、ということになる。
そして問題はもう片方――下手人の方にも、敵意が無かったということだ。これから殺害、あるいは限りになくそれに近いレベルの傷を負わせる相手に、一切の敵意を持たないというのは、どういうことなのだろうか?
その疑問は、直後のロザリアの言葉で余計に深まることとなる。
「下手人の方も異常です。無感情……というよりは、見えないと申しますか。『ない』のです、本来ならそこにあったであろう意思が、丸ごと廃棄されてしまったかのように」




