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やがて天則の救世主  作者: 八代明日華
第二章:禁忌十字に愛を
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第二話『掴み取ったもの』

 この章のテーマとは関わりますが、本筋とはあまり関係のない日常話です。苦手な人は読み飛ばしてください。

 学生寮エリアは、学園の敷地内の中でも外れの方にある。巨大な城壁で円形に囲まれた中央大陸法術師育成学園の、樹海とは面していない方の最奥だ。シュウとアリアが実験をしていた演習場とは、徒歩で十分ほどの時間を要するだけの距離がある。

 育成学園の内部にある、いくつもの建物を通り抜けた先が、生徒たちの帰る場所。中には実家通いをしている生徒もいるとは聞くが、付近に樹海を含むいくつもの迷宮が存在する上、最寄りの街からは片道にして一時間近い距離がある。そのため、殆どの生徒が寮暮らしであった。


 学生寮の建造物群が見えてくる頃には、空はますますオレンジ色を増していた。東へ延びていく自分の影に、春とは言えども、意外にも日が暮れるのはまだまだ早いのだ、と、シュウは少しだけ驚いた。五の月ともなると、昼が相当長い印象があったのだが。


 ふと、その鼻梁を、温かい香りが撫でる。

 顔をあげれば、いつの間にか『家』についていた。少しだけ開いた窓から、うっすらと立ち上る湯気が、その正体のようだ。どうにも、もう一人の住人はもう帰っていて、今まさに料理をしているところらしい。流石に包丁や鍋の音は聞こえないが、窓が明るくなっていることから、中の灯火が点いていることが分かる。そしてそれは、彼女がもう帰っていることの証明にもなる。前述の通りの料理の匂いと相まって、それはシュウに確かな安息感を与えた。


 今日の夕食は何だろうか──等と考えながら、シュウは鍵を取り出し、玄関のドアを開ける。最初は共用の鍵にしていたのだが、やはり学年が違うというのはいつでも一緒に行動するわけにはいかない、という事で。

 二人の帰宅時間が大幅にずれることもあったので、すぐに合鍵を作ったのだ。

 

 あの頃は、彼女とこんな風な関係になるとは、想像してすらいなかったな――と、シュウは一年前のことを思い返しながら苦笑した。


 シュウがドアを開ける音に気がついたのか。閉める頃には、ぱたぱたと言う足音と共に、彼女は姿を表していた。


 にこり、という、温かい笑顔と共に、


「先輩、お帰りなさい」

「ただいま、マイ」


 マイヤ・フィルドゥシーは――シュウのたった一人の相棒であり、大切な後輩であり、そして今は恋人でもある少女は、シュウの帰宅を労ってくれた。


 アイボリーホワイトのエプロンに、青く美しい髪が映える。マグナスに切られてしまったそれも、今は元通りの長さに伸びた。料理の邪魔になるからだろう、普段よりも若干乱雑にまとめられている。そのせいか白いうなじが普段より目立ち、それが少しだけシュウの心拍数を早くした。


 エプロンの下は、法衣ではなく部屋着だ。真っ白いブラウスと、紺色のロングスカート。どうやら、シュウが想像していたのよりもずっと早く、彼女は帰宅していたらしい。


 可憐な容貌は、プライベートな格好をしているせいで余計に際立つ。シュウが知る中で、最も美しい少女。シュウは時々、彼女が自分を異性として好いてくれているという事実は、幻想か何かなのではないかと疑ってしまうほどだ。


 今から一年前、法術師育成学園に途中入学したシュウは、法術が使えないためにペアを組む生徒が居なかった。そこで学園長のイスラーフィールが引き合わせたのが、一歳年下の彼女だったのだ。

 

 紆余曲折の末に、半年前のマグナスとの戦いを経て想いを伝えあった二人の関係は、以前と同じ建物で、以前と同じように暮らす、ということ一つをとっても、大きく意味と内容を変えていた。イスラーフィールがそこまで見越して、事実上の一軒家に自分たちを住まわせたのかは分からないが、少なくとも一つ屋根の下に暮らしているせいで、普通の寮に住むカップルたちと比べれば、明らかに両者の距離が近い、というのは分かる。


 マイヤはシュウから鞄を受け取ると、近くに立てかけてあった靴ベラを手渡してくる。以前はもう少しそっけなかったのだが、最近はこの行動一つをとっても微笑んでくれるようになったので、ある意味でシュウの心臓に悪い。いかな『枯れている』『生殖本能が存在しない可能性が高い』と酷評されることの多いシュウではあれど、好意を抱いている少女の笑顔というものには、何というか、こう、精神を揺さぶられるのだ。


「お疲れ様です。晩御飯、今作っているので、もう少し待っていてくださいね」

「ありがとう。俺も何か手伝えることは無いか?」

「大丈夫です――あ、テーブルを拭いておいてくださると助かります」

「分かった、任せてくれ」


 かつて教員寮だった頃の名残なのだとすれば、物好きな教員が居たのだろう。この家は、極東大陸によくみられる、玄関で靴を脱ぐ形式を取っている。室内用のスリッパに履き替えたシュウは、洗面所で念入りに手洗い・うがいをした後、台所へ向かう。


 マイヤが調理をしているキッチンエリアの左隣が水回りだ。シュウは吊るされていた台拭きを取り、洗い始めた。


 ふとマイヤの方を見れば、片手鍋で何かを煮込んでいる。芋や人参、蒟蒻を切っていたようなので、そこから推測できるメニューは、極東大陸で一般的な家庭料理だった。


「そうか、昨日購買で買っていた材料はそれだったんだな」

「はい。先輩が以前、食べたいと仰っていたので」

「覚えていてくれたのか……ありがとう。マイは良いお嫁さんになるな」


 料理を続けるマイヤの隣で、シュウは台拭きを絞りながら彼女に答えた。するとうっすらと彼女の耳が赤くなる。昔は怒らせてしまったのか、と思ったものだが、今では照れているだけなのだ、と理解できるようになった。大きな進歩である。


「もう。変な事言わないでください」

「悪い」


 お互い笑顔だった。少し前までなら、相手の考えていることが分からずに、的外れな対応をしていた所だろう。

 一年。それを長いと取るか短いと取るか、それは人それぞれだろう。けれど、確かに一年という年月は、二人を強く、強く結びつけた。シュウにはそれが、とても喜ばしいことだと思える。

 ずっと――ずっと、シュウには居なかった。こうやって、自分のことを何でも分かってくれる、大切な人というものが。故郷の師匠や、同年代の若者がそうではないのか、と言えばそうなのだが、少し、方向性が違うというか。

 

 ――愛する人、というのは。『家族』というのは、こういう事なのだろう、と、そう思う。


 家族。そう、家族だ。シュウは、マイヤと家族になりたい。マイヤは俗にいう良妻、というものになるだろう。それが、自分のなのであれば――と。

 勿論、それを強制するつもりはない。マイヤがどこかの段階でシュウを嫌いになってしまうかもしれない。その時シュウは、彼女を引き留めてはならないだろう。


 できることなら——そんな未来は無く、ずっと傍に居てほしいし、傍に居たいと思う。そしてそのためには、きっと、様々な努力が必要だ。家族とは――苦楽を共にするとは、きっとそういう事だ。きっと、一緒に乗り越えていかなくてはならない苦しみの方が、楽しさや幸せよりもずっと多いのだろう。


 シュウはそれを苦痛に思ったりはしない。マイヤが居てくれる、というただそれだけで、シュウはそれを乗り越えていける。

 けれど——マイヤは? 彼女は、シュウと共に歩むことを、苦痛に思ったりはしないだろうか?


 そんな煩悶とした気持ちを抱えながらも、ダイニングに置かれたテーブルを拭く。調度品も教員寮時代のお下がりだ。教員寮はここだけではなく、その一軒一軒に、大抵の場合四から六人ほどの教師たちが暮らしていたらしい。今はシュウとマイヤの二人だけが住んでいるので、少しだけ大きく思える。


 シュウが台拭きをキッチンに戻そうとした頃に、マイヤが料理を運んできた。美味しそうな匂いが、シュウの空腹を誘う。シュウもマイヤも、あまり多く食べる方ではないが――これは存外に沢山胃に入りそうだぞ、と直感する。

 

 台所に向かい、料理と食器を運ぶのを手伝う。全てがテーブルに並んだときが、ようやくシュウが着席する時だ。マイヤは待っていてくれていい、というのだが、どうにも彼女だけに任せっぱなしにはできない。

 彼女はシュウの代わりに、毎日料理をしてくれているのだから、それ以外の部分では役に立ちたかった。


 極東大陸式の簡易礼拝を行ってから、食事に手を付ける。


「わざわざ白米を用意してくれたのか」

「はい。合う、と聞いたものですから。極東大陸産のものを買ってみたのですが――」

「懐かしい味だ……だが、マイは大丈夫なのか? 極東米(ジャーポーニー)は、他の大陸の人間にとっては余り美味しく感じられないと聞いたが」

「そうなのですか? 私は好きですけど……」

「なら良いんだが……個人差があるのかもしれないな」


 故郷の味を気に入ってもらえたことが嬉しい。


 中央大陸と極東大陸では、食の文化という物がそれなりに違う。特に箸を使わない、というのは、シュウとってはかなり衝撃的だった。最初はフォークとスプーン、種類によってはナイフ、の文化に慣れることができず、食事に凄まじく時間がかかった。

 ただ、マイヤはそんなシュウに合わせて、極東大陸風のテーブルマナーを覚えてくれたのだ。勤勉な彼女は数日で箸の使い方をマスターすると、今はもうシュウよりも上手く扱うようになっている。外国人がその土地の人々よりもよっぽど土着民らしい格好をする、という現象を聞いたことがあるが、マイヤの上達はそれと似たようなところを感じる。成長の過程で自然に覚えたものではないからこそ、丁寧に、かつ迅速に扱えるだけの技術を養えたのだろう。たかが箸の一つに何を大げさな、と人は言うかもしれないが、シュウは素直に感心していた。


 同時に、感謝も。

 ――急に、彼女にその感情を伝えなくては、という想いが、溢れ出した。


「マイ、ありがとう」

「……どうしたんですか? 急に」


 箸で芋を食べやすいサイズに割いていたマイヤが、ふい、とこちらに顔を向ける。


「いや……俺のために、ここまでしてくれたのが、嬉しくてな」


 思わず、箸を机に置いてしまった。何故だか、急に心が苦しくなってきて、手を動かすことができなくなってしまったのだ。


 彼女と出会ってから一年。沢山の想いを受け取って来た。それは唯のパーティメンバーだった時期からずっとそうだし、恋人になってからはもっともっと色々なことをしてもらった。

 その献身に、シュウは何かを返せているだろうか?

 ただ甘んじて、彼女の想いを受け取っているだけでなのではないか?

 

 シュウの存在は、マイヤに負担を強いているのではないか——そう、どこかで思わずにはいられないのだ。

 つい先ほどまで感じていたあの煩悶が、急激に噴出した形だ。


「なんだか、迷惑をかけているのではないか、と不安になってしまうよ」


 苦笑と共にこぼれ出た声は、自分でもどうかと思うほど掠れていた。

 マイヤの言葉一つで、もしかしたら自分は立ち直れなくなってしまうかもしれないな、と思うと同時に、そんな風に思えるように自分がなったのだ、という事に驚く。


 ――すぐに、マイヤはことり、と箸を置いた。その青い瞳に確かな親愛の情をのぞかせながら、マイヤはふわり、と優しく笑った。

 そして小さく首を横に振る。それは否定であり、肯定だ。


「そんなことはありません。私がやりたいからやっているんですから」


 マイヤの白い手が、するりと伸びる。彼女は身を乗り出すと、机の上に置かれたままのシュウの手を、小さな両手で包み込んだ。こうやって自分の手と比べてみると、本当に淡く、華奢だ。この両手に、自分がどれだけの重圧をかけているのかを思うと、胸が痛くなる。


「先輩、私は先輩から、沢山幸せを貰っています。前にも言いましたよね。私、先輩に救われたんです。先輩が私と出会ってくれた、という事だけで。先輩が今、私の傍に居てくれる、というただそれだけで、私は救われていますし、幸せなんです」


 けれどもマイヤは、シュウの存在がその重圧を取り除いてくれる、と言う。シュウは居るだけで、彼女を救っているのだと、そう言うのだ。シュウがマイヤに与える負担よりも、シュウの存在が行う彼女への救いが、ずっとずっと上回ると。


「だから、私もたくさんの幸せを先輩にあげたい。どんなことも、乗り越えていけるくらい、いっぱい」


 ああ――その言葉を言うのは、自分自身の方だ、と、シュウは心の奥底で強く思う。


「きっとこの先、いっぱい大変なことがあります。人間の――パルスという意味ではなく、人類の一生は、本当に、本当に凄く長いです。そう言う過程で、折れてしまう人たちも、沢山いるのでしょう」


 早いうちから永遠を誓う二人は、上手く行かないことが多い、と、世間一般ではよく言うと聞く。そう言う人々はきっと、身も心も焦がすような恋に溺れているのだ、とシュウは思う。愛情の甘く優しい部分ばかりに触れて、いざ困難が立ちはだかった時に、それに耐え切れずにつぶれてしまうのだ、と。

 それが悪いことだとは言わないし、思わない。けれども――


「でも私は、そういう苦難も、先輩と一緒に超えていきたいです」


 ――きっと、それ自体が一種の困難なのだ。最初に立ちはだかる壁なのだ。

 それを乗り越えて初めて、『家族』という物に、なれるのだろう。


 そういうものに、成れれば、と思う。

 そういうものに、成りたい、と思う。

 

「だから、先輩が私に負担を強いている、と思うなら、それは丁度いい試練です。それを乗り越えて、沢山、沢山、先輩を幸せにしますから」


 にこり、と。

 花が咲くような――あるいは、陽だまりのような。極東大陸から中央大陸に向かう船の中見た、海面に輝く朝日の様に。


 マイヤは、微笑んで。シュウの手を、確りと握る。

 

「ここまでは全部、そのほんの一端です。だからまだまだ沢山、先輩にご奉仕しますから——覚悟しておいてくださいね」


 ああ――この娘なら、きっと、大丈夫だ。

 シュウは、心のどこかで、そう確信した。

 彼が想像していたのよりもずっとずっと、マイヤの決心は固かった。もしかしたら、シュウよりもずっとずっと、この先待っているであろう困難が与える苦痛に、耐えるだけの強さを持っているのかもしれない。


 では自分も。彼女と、同じことがいえるくらいに強くなろう――同時に、そう決心する。


「……ああ。肝に銘じておくよ」


 病めるときも、健やかなるときも、共に歩んでいくならば。

 自分も彼女の苦難を背負い、同じ分だけの幸せを返していこう。


「悪かったな、箸を止めてしまって」

「いえ。冷めないうちに召し上がってください」

「いただこう。折角のマイの料理が、冷たくなってしまっては勿体ない」


 まずは今、この小さな幸せから、貰っていこうと思う。

 同時に、マイヤが自分と居られる時間を幸せに感じてくれるなら——それは、釣り合うかは別として、できる限り、傍に居たいと。


 そう思うのだ。


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