プロローグ
続きました。まさかの。
「時は近いですな」
天井が、見えない程高い。霞むような尖塔の、大聖堂。
白亜の城。陽光を受けて光り輝く、その聖なる神域で、私の父は、私の知らない人間と話をしていた。
それは中性的な外見をした、真っ白い服装の人間だ。長い髪と細い目からは、一体男なのか、女なのかすらも分からない。分厚い特別な法衣のせいで、体のラインすら見て取れない。
彼、或いは彼女は、超然とした雰囲気を纏っていた。私は、私が普通じゃない、という自信があるけれども、あの白い人は、もっともっと『普通じゃない』。それどころか、異常とさえいえるだろう。
そう、あれは、異常。
この世界に於いて、最も『正しく』、最も『間違っていて』、あらゆる意味で『住む世界を間違えた者』――
善と悪が分かたれたこの世界に於いて、善の、全の、その頂点に立つ者。
教会の支配者。全ての法術師達の総大将――
――三代目、ファザー・スピターマだ。
「思っていたよりも早かったね。まぁ、想定の範囲内ではあるけど」
白い、陶磁のような肌が割けて、赤い、果肉のような……あるいは、鮮血のような口が覗く。笑っているのだ、と察するには、彼——面倒なので便宜上彼とする――の表情は読み取り難かった。
感情がない、というわけではない。実際、声はとても楽しそうで、弾んでいて、私でも分かるくらいに、「この人は状況を楽しんでいるんだ」という事が理解できた。
そうではなく。何というか――前述の通り、『違う』のだ。生きている世界が。見えているものが、きっと、私とは違う。
「これも、猊下の尽力の賜物でございます」
そして——私の父も、同じ景色を見ているのだ、きっと。
本当の父親ではない。彼と私は、きっと祖父と孫か、或いは、もっとずっと離れた関係性に在るくらいには年齢が離れている。
身寄りのない私を拾い、他のきょうだい達と共に育ててくれた、養父。
私が今ここに居るのは、その父の付き添いであると同時に、ある役目を果たすため。
「よしてくれよ。問題は山積みだからねぇ。『天則』の成就に必要な条件のうち、達成されているのは救世主の顕現、ただそれ一つだ。そしてそれですら完全ではない――」
ファザー・スピターマが、また笑う。あの意味を読み取れぬ笑顔で笑う。その言葉からも意味は分からない。私には、サオシュヤントが何なのか、分からない。
「まぁ、君の策を信じることにするよ、ハレルヤザグナル。早々に君を失うのは残念だが、まぁ、ある程度は関係ないでしょ」
「勿体なきお言葉でございます、猊下。そして、ええ、何の問題もありますまい」
けれども、その疑問はきっと、必要ない。私には、その思考は与えられていない。与えられない様な環境で育ち、そうなる様に育てられたのだから。
そしてきっと、私は、そのことに一寸の疑問も抱いていない。意味として、言葉として、恐らくは間違っているのだろう、とは理解できていても、それを「間違っている」と思う事が出来ないのだ。
できない様に、できている。
「君の事だから、いくつも予防線は張ってあるだろうし。一体何年前から準備していた?」
「どうでしょうなぁ、もう忘れ申した。このおいぼれの身では長く記憶も持ちませぬ故……ざっと、二百年でしょうか」
だから、疑問も抱けない。
私の父が――最低でも、二百年は生きている存在である、という事に。
そんな永くを生きる者は、きっと人間でも、魔族でもないという事に。
なのであれば――
「いいね」
ふと、思考を止める。俯いていた顔を上げ、足下から、父と白い教祖の姿に視線を戻す。
笑っている。今度は、私にも分かるほど、はっきり。ファザー・スピターマが笑っている。
少し、怖い。あれはきっと、本当なら『悪』なのだ、と、そう思う。
でもそれが本当なのか、私には考える術がない。私にそれを教えてくれるような人はいない。きょうだい達は、私の様に、自分の在り方を少しでも深く考えてみたりはしない。
きょうだい達は、父が普通ではない、と思ったりはしないし。
「そうでなくちゃ。二百年の悲願――その方が、ずっと面白い。ボクの生きてきた短い時間よりも、ずっとずっと最高だ」
彼を。ファザー・スピターマを。
人間であることを超越した、何か別の存在なのではないか、と、疑ったりもしない。
「失敗は赦さないよ?」
「問題ありませぬ。猊下のお察しの通り、事前の準備は怠っておりませぬ故。それに――」
そこで、ちらり、と。
父は、初めて私の方を見た。
彼が私をその皺の深い顔に小さく光る、邪悪な瞳に捉えるのは久しぶりだ。いや、顔を合わせていない、というわけではない。目を合わせた事も何度もある。けれど——私を、その視界にとらえては、きっとない。私を見ている様に見えて、父はずっと、違う場所を見ている。
だから思うのだ。父もきっと、『普通じゃない』のだ、と。
「――此度の傀儡は優秀ですからな」
「へぇ。子供たちに厳しいパパが、そう言うとは。余程の物と見た」
「ええ。この任務に充てないのであれば、後継者にでもしようかと思っていた娘でしたが――なに、使い物に成らなくなるでしょうからなぁ」
「君なら、また使えるようにするのも簡単なんじゃない?」
「いえいえ。このおいぼれ、人の意思を操ることに一日の長はありますが、流石に魂を管理することはできませぬ」
そしてそれは、私も同じ。
これではまるで操り人形――文字通りの傀儡である。
それでも私は抱けない。おかしい、変だ、間違っている、私は人間、人形じゃない、という、反抗の感情を。
それが――それが、私にとっての『禁忌』だから。
幼いころから、今に至るまで、ずっと、ずっと、刻み付けられてきた、私の宿命。
「まぁ、そういう事にしておこうか」
つつつ、と、白い教祖は静かに笑う。
そして——突如として、その纏う雰囲気を激変させた。
うっすらと不気味な笑みを浮かべていたその顔は、完全なる無表情に。
白銀の瞳は、鏡か何かと見まがうほどの輝きを以て父を写し。
赤い口から、厳かにスプンタ語を紡ぎ出した。
「では、特級法術師ハレルヤザグナル・キュリオスハートに、星詠みが最後の生き残り、ファザー・スピターマが命ずる――必ずや、我が『天則』を成就させよ」
即座に父も答える。
「御意に」
私は――私は、動くことができなかった。きっと、息をすることさえも忘れていたのだと思う。
空気の重さに、耐えることが叶わなかった。私は。普通じゃないけど、けれどきっと、異常でもない、父やあの白い教祖のような『バケモノ』にはなれなかった私では。
きっと、彼らの見ている世界には、耐えられないのだ。
そういう、『宿命』の下に『私』はあるのだ。
──でもきっと、それではいけない。
「では、お先に失礼いたします」
「うん。次にその姿を見るのは――」
父とファザー・スピターマが、穏やかな空気で続きを口にした時に、やっと私の体は動き始めた。肺がようやく役割を果たす。空気を求めて喘ぎ出した。
「「あの橋の向こう側で」」
そう、私にとっては意味不明な挨拶を交わして。
父は、聖堂を出るべく、踵を返した。
私はそれに続く。
懐に忍ばせた、ナイフを強く握りながら。
──静かな決意を、胸に秘めて。
禁忌を破る、初めての反逆への決意を。




