エピローグ
最終回です! ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました!
空を見あげる。雲一つない青空だ。快晴、と言えばいいのだろうか――清々しい、良い天気。手を伸ばしても到底届きそうにないほどに、空が高い。
シュウは、育成学園の一区画、少しだけ小高い丘になっている部分に腰を掛けて、何とはなしに時間をつぶしていた。少し肌寒いが、極東大陸の冬と比べれば大したことは無い。何せこちらは雪が降らないのだ――いや、別の地域に行けば振るのかもしれないが、育成学園のある地区では、どちらかと言えば乾燥した日々が続く。
マグナス・ハーキュリーとの激戦から数週間が経過し、育成学園は冬期休暇に入っていた。アリアと出会った11の月の頭が、もう相当前の事の様に思えて仕方がない。それほどに、濃密な二か月。
様々なことが変わった。
教会本部は、特級法術師の一覧から、マグナス・ハーキュリーを削除。彼は平の法術師に落とされ、第二席は欠番となった。その座に座るべき強大な法術師が居ないことが理由とされた。
そのマグナス本人は、イスラーフィールのとりなしもあって、今はなんと育成学園の教員として働いている。最初は警戒したのだが、まるで憑き物が落ちたように、アリアを見てもかつてのような殺意を出すことは無かった。シュウが最初に感じたような、寡黙な武人――外道の業を捨てた、真の意味での『英雄』がそこには居た。
どういう心境の変化なのかは知らないが、アルケイデス・ミュケーナイの名を名乗っていた。そちらが本名なのだ、と言う。
アリアは、冬期休暇明けから特殊な枠の生徒として、育成学園の授業にも参加することが決まっている。勿論、魔族であることを明かすのは、今の段階では早計だ。だからこれから少しずつ、人間と魔族の間の垣根を壊し、善と悪の融和を図る――そんな授業を増やしていくらしい。
善と悪の垣根を壊す、と言えば、マグナスとの一件以来、シュウは法力や魔力に干渉する、あの異常に強力な呪術を操ることは不可能になっていた。
自分の役割が終わったのだろう、と思う。きっとこれからは、態々あのような力を使わずとも、善と悪は一つになっていくのだろう。
どれだけ長い時間がかかるのかは分からない。一瞬かもしれないし、膨大な時間を要するのかもしれない。もしかしたら明日にでも起こりうるのかもしれないし、シュウが生きている間には見ることが叶わないのかもしれない。
それでも――約束されただけ、良しと言える。
願わくば、その瞬間をこの目で見たいと思うが。大切な人たちと共に。
「――先輩!」
「マイ」
ふと、自分を呼ぶ声に振り替えると、丘の向こうから見慣れた青い髪が見えた。小走りでマイヤが近づいてくる。授業期間外だからか。白い法衣ではなく、ブラウスとロングスカートの上にカーディガンを羽織った私服姿だった。もっとも、こちらも色は白いので、雰囲気は余り変わらなかったが。
少し、プライベートな面を見せてくれている気がして、ドキッとする。
「もう。こんなところにいらしたんですか……探しましたよ」
「ああ、すまない……日の光が気持ちよくてな……」
実際、このままだと昼寝でもしていた所だろう。
マイヤが来たお蔭で、色々な意味で眠気は吹っ飛んでしまったが。やはり少し心臓の鼓動が早くなる。互いに互いの好意を自覚するだけで、こうも違う物なのだ、とシュウは驚いた。
ふと、白い服の上で揺れる、髪の毛に目が行く。
「……髪、伸びてきたな」
「あ……はい。元の長さになるまでには、ちょっと時間がかかりそうですけど」
あの戦いで、マグナスに切り落とされてしまったマイヤの髪。膝裏ほどまでもあったそれは、一度肩口まで短くなってしまった。
今は、肩甲骨の下あたりまで戻っている。女の子の髪の毛が伸びるのは、思ったよりも速いのだ、と驚いた。いつもの様に首筋で一つ結びにしているせいか、本来の長さよりも少し短く見えるのが残念だ。
いや、短い髪と長い髪のどちらが好きかと言われれば長い髪が好きなだけで、これと言って長くないとダメ、という理由も無いのだが。
――そもそも、それがマイヤ・フィルドゥシーという女の子のものならば、どんな髪型でも好きだろう。
ああ、きっと、告げるべきは今なのだ。
これまでの世界とは違う、新しい世界への一歩を、誰も彼もが歩み出すのと、同じように。
シュウもマイヤと、今までよりも一歩踏み込んだ関係に、なりたい。
「マイ」
何気ない風を装って、マイヤを呼ぶ。シュウは嘘や演技が下手だ。それ故に、声が震えないか心配だったのだが――思いのほか、冷静な声が出た。
「はい」
「少し、こっちに来てくれないか」
疑問の表情を浮かべながら、マイヤが足を進める。しゃり、しゃり、と足元の芝生が踏まれる、小さな音だけが響いた。
そうして、腕の届く距離に、彼女が来た途端に――
――シュウは、マイヤを強く抱き寄せると、両手で彼女を抱きしめて、その唇に自分のそれを重ねた。
「――――っ!?!?」
マイヤの体が硬直する。一瞬で彼女の体温が上がったのが分かる。密着した肌から、心臓の鼓動が聞こえそうだ。同時に、自分の体も熱を持つ。ばくばくと音を立てる脈動が、彼女に聞こえはしないかと、少しだけ心配になる。
マイヤとキスをするのは、これが二回目だ。けれども一回目は、ほんの一瞬だった。それも、悲しい口づけだった。今生の別れとなるかもしれない、そんな局面での愛の告白だった。
今度は違う。彼女の存在を確かめるように。自分自身に刻み付け、同時に彼女にシュウ自身を刻み込むように、長く、永く、念入りに、キスをする。
ふっ、とマイヤの体から力が抜けた。ゆっくりと動いた細い腕が、シュウの背中を抱きしめ返す。
無音。風の音さえもしない、シュウとマイヤ二人だけの時間。
それは、二人の肺が限界を迎えるまで、長く続いた。
「……ぷはっ……!? せ、せんぱい、いまの、は……」
「マイ。君のことが、好きだ」
ぎゅっ、と。
彼女の細い体を抱きしめる腕に、力を込める。
「君が俺のために身を犠牲にすると言った時、とても悲しかった。俺自身を呪い殺しそうになるほどに」
さよなら、と告げて、命を投げ出しに行ったマイヤの姿を、まだ忘れることができない。きっと一生、それは不可能だ。
だから今、目の前で彼女が生きている、という、そのこと自体に感謝と歓喜を抱かざるを得ないのだ。
そして失って初めて気づいた事もある。否――本当は、ずっと前から気が付いていたのだ。ただ、自分には関係の無い事だ、と、意図的に気づくのを避けていただけで。
マイヤへの愛情を、押し殺してきた。自分ごときに好意を寄せられたところで、彼女にとっては嬉しくもなんともないだろう、と、決めつけて。
けれどマイヤは、自分のことが好きだと言ってくれた。その想いに、応えたい。使命感や義務感からではない。本心として――シュウは、抱え続けていた想いを告げる。
「君の事が大切だ。願わくば、これからも、ずっと一緒に居てくれると、嬉しい」
だから、と、言葉を一度、切って。少しだけ体を離して、マイヤの蒼い瞳をしっかりと見る。美しい目。青い髪と同じ、海の色に似た瞳。シュウの愛して止まない、綺麗な色。
「俺の……その……恋人、というやつに、なってはくれないか。できればそのまま、学園を卒業した後も、一緒に居られるような関係に至れれば、嬉しいと思う」
耳まで真っ赤になって、呆然とシュウを見つめるマイヤの姿に、少しだけ不安がよぎる。
もしかしたら、幻滅されてしまっただろうか、と。あまり若いうちから将来のことを語りすぎると長続きしない、と聞いた。もしかしたら、早速問題を踏んでしまったのかもしれない。シュウは恋愛関係という物にはひどく疎いのだ。
「……迷惑だったか?」
問う声は、意識したよりも不安げで。
けれどマイヤは、ふるふると首を左右に動かす。
「……そんなっ……そんなこと、ありません……っ」
青い瞳から、一筋の涙が落ちる。それを皮切りに、ぽろぽろ、ぽろぽろと、次から次へと雫が零れだし始めた。
両手を使って拭おうとするマイヤだが、一向に止まらない様で、遂には服の裾を目に押し当てて泣き出してしまった。
「す、すまない。何か、君を傷つけるようなことを言っただろうか」
「違います……違いますっ! もう、先輩のばか! 鈍感!」
痛烈な言葉を叫ぶと、しかし、マイヤは一転して笑顔になった。涙の浮かぶ目を細めて、
「嬉しいです……あの時、一度言ってもらった言葉でも……改めて、言ってもらえると、こんなに、こんなに嬉しいんですね……」
呟くように、言葉を紡ぐ。
マイヤはそのまま、シュウの懐に入ると、身長差の分だけ背伸びをして、三度めとなるキス。彼女からは二回目だ。けれど、一回目とは比べ物にならない程、甘く、優しい、キスだった。
「私も好きです、先輩。ずっと、ずっと、貴方のことを愛していました」
続く言葉も、あの時と良く似ている。今度は、未来に捧げる、愛の言葉。
「私……私、先輩の事、幸せにして見せますから……ずっと、私のことを大切にしてくださいね、先輩」
「勿論だ」
頷く。
当然だ。ジンクスなんて無視して、一生を彼女に捧げよう。マイヤがいれば、間違う事など何もあるまい。
「おーい、イチャイチャしてるのもいいが、そろそろ戻ってこーい!」
「しゅうー! まいやー!」
少し離れたところにある学園長棟、そのバルコニーから、イスラーフィールとアリアが姿を見せていた。元気よく手を振るアリアとは対照的に、イスラーフィールは意地悪気なニヤニヤ笑いを浮かべている。先程のやり取りと観られていたのだ、と気づくと、急に少し恥ずかしくなって、マイヤと二人で俯いてしまった。
ふと、彼女の手が目に入る。シュウは、自然な調子を装って、その手をきゅっ、と握った。
「……行こう。俺たちの未来が待ってる」
「はい、先輩」
イスラーフィールとアリアの待つ塔へ足を進める。
踏み出す一歩は、未来に向けて。
見上げた空は、どこまでも澄んでいて――
やがて訪れる救いを、約束しているようだった。




