第十八話『我が正義に』
白銀の刃が大気を切り裂く。剛、と言う重々しい、世界が破れる音がする。
『ウルスラグナ』の繰り出す暴威を足下に、シュウは飛ぶ。黒い翼を振るわせて、逆立ちをするように、彼はひらりと舞い上がった。
眼下のマグナスに向けて、槍を構える。穂先のすぐ下を右手で握り、柄の中央を左手で支えたシュウは、そのまま加速。落下の運動エネルギーさえも利用して、強力な刺突を放った。
マグナスの剣が翻る。『スラエオータナ』と『ウルスラグナ』が激突し、互い互いをはじき返した。
シュウが羽を動かしマグナスの背後に回れば、彼は大剣を分裂させて二刀流になる。片方の大剣を盾、もう片方の大剣を矛として扱う変幻自在の戦いは、シュウに攻撃の隙を与えない。
しかしシュウの方でも、マグナスからの致命的な一撃は一つももらっていない。それどころか、マグナスの攻撃はシュウに掠る事さえ無かった。全て回避、或いは迎撃という形で、シュウの肉体に斬撃を中てることはできていない。
滞空するシュウと、地に足を付けるマグナス。その構図は、極めて三次元的・立体的な戦闘を導き出す。目まぐるしく変わる戦場も、しかし範囲は決して広くなく、非常にコンパクト――マグナスと、その周囲という、小さな領域で行われていた。
「ふっ――」
「――むん!」
シュウが一瞬の溜めを経て、高速で槍を突き出す。マグナスの大剣が霞むような速さで翻り、それを弾く。
自由な方のマグナスの大剣が閃くと、シュウは翼を震わせマグナスの頭上を越える。そしてまたスラエオータナの一撃。マグナスは大剣で防御――
回避と防御。柔と剛。『落ちこぼれ』だった少年と、『最強』であった男。
対照的でありながら、しかしどちらも、性質は極めて良く似ている。
シュウも、マグナスも。
己の信じる、正義のために戦っているのだから。
真っ白な火花が散る。極限まで熱せられた法力のスパーク。互いの攻撃が、お互いの武器を打つたびに発生するその衝撃が、大地を、樹海の木々を、即ちは世界そのものを揺るがしていく。
「――ぜぁぁっ!」
「――甘いッ!!」
シュウの一撃でバランスを崩したか、マグナスの足が上がる。しかしそこで倒れるような男ではない。すぐさま大地を割る震脚。その足を基軸として、強烈な回し蹴りが放たれた。槍を構えてその一撃を受けるシュウ。代償として、彼我の距離は大きく開いてしまった。
蹴りを放った足が地面に付くと同時に、爆発的な踏込でマグナスがシュウを追う。圧倒的な揚力が、白銀の巨剣を恐るべき速度で振り上げる。
されどシュウは空中で、黒翼を広げて急停止。大剣の刀身に己の槍を滑らせ、その勢いでマグナスを飛び越える。背後に回ったシュウは、飛行だけでなく腕の力も使った、強烈な刺突を繰り出した。今度は、マグナスが弾き飛ばされる番だ。
互いに体勢を立て直す。
戦闘技術では、マグナスが上だ。法術を持たずとも、マグナスは圧倒的な戦闘センスと鍛え上げられた肉体を持つ。それは、戦うことに不慣れなシュウには無いものだ。
だが、今のシュウには、法力と魔力をコントロールするほど強力になった呪術がある。
それを使えば――例えば、こんなこともできた。
「――虚ろなる者に導き在れ。『光輝女神の眼差し』!」
スラエオータナが輝く。
マグナスから『捕食した』法力を消費して、シュウを取り巻くように無数の方陣が展開する。その内からは放たれたのは、紛れもない光の剣。マグナスを狙って、一直線に延長する、輝ける女神の御業。
法術、『武装型アールマティ』奥義、『光輝女神の眼差し』。ほかならぬマイヤの法術であり、彼女が最も得意とする奥義。延長する光の剣を無数に形成し、敵を貫く術。
纏う輝きは、少しだけ、本来の使い手のそれに劣っていた。半透明の刃は、ある程度非力に感じられる。
当然だ。どれだけ良く似ていても、それはあくまでも呪術なのだから。
本来ならばデメリットだろう。このことは、本物と同じだけの力を発揮できないという事の証であり、同時に悪性存在への効力が薄いことを意味する。
だが今だけは――法術師を相手取る今だけは、『シュウの呪術である』という事が極めて重要となる。
何故ならば――
「ぐっ……がっ……おのれッ」
マグナスの法術の守りを食い破り、彼に傷をつけることが可能だ、という事を意味するからだ。
絶対防御の法術が発動しなければ、いくら鍛え上げられているとはいえその『硬さ』は人並だ。勿論、この状態でも並の一撃では傷を負わせることは叶うまい。だが――今のシュウならば、それが可能だ。可能なのだ。
強く、強く、願えば願うほど。
呪術師は、強くなる。
それは法術師も、魔術師も同じだ。されど呪術師は、己の意思を世界に認められることこそが、力を引き出すための必須条件なのだ。
示す。光も、闇も、善も悪も、どちらも担い、垣根を壊し、救うだけの意思があると。
覚悟があるかは分からない。力がないのは理解できる。結局のところ、シュウにあるのはあくまでも愛する人を救いたいという気持ちだけであり、全人類の救済など、できるとも思っていない。
それでも。
それでも、今だけは――どうか。
マイヤを、アリアを、そして目の前のマグナスを。自分たちを待つイスラーフィールも。
手の届く場所に居る誰も彼もを、救うことができたなら、と思うのだ。
「う、ぉ、ぁぁああアアアアアッッ!!!」
マグナスが咆哮する。ズン、と。明らかに、大剣の質量が増えた。柄が伸び、槍の様に長くなる。これまでマグナスの筋力が、片手で支えていた大剣は、それを以てしても両手で構えなければならなくなった。
剣全体の体積が膨張し、刀身が伸びる。より肉厚になった刃は、掠っただけでもこちらの肉をそぎ落としてくるだろう。
高々と掲げられた『ウルスラグナ』を中心として、重力が集っていく。法術はシュウには意味をなさない――されど、一撃を強化するだけならば、何ら問題は無い。
何故ならば――シュウが受け切れない程の攻撃力で、即座に殺害してしまえばいいのだから。
「私は、負けぬ……教会の正義を果たすために……逃れられぬ滅びを、回避するために……ッ!」
マグナスが絞り出すように言葉を紡ぐ。
滅び。それは『天則』にある、『絶対悪』の顕現の事だろう。天則によれば、それこそが全ての悪性存在の王にして、悪性存在がある限り、必ず降臨する善性存在の宿命の敵。
教会はその覚醒を阻止するために、悪性存在の絶滅を望んでいた。
恐らくマグナスは、その未来を回避する手段が、天則に従う事意外に無いと結論付けたのだろう。シュウの事を、滅びを齎すギンヌンガガップと呼んだのにも、きっと理由があるはずだ。考えるに、善と悪の融和を望むものが存在すれば、悪性存在が絶滅せず、やがて絶対悪の降臨を許してしまうから――そういう事なのだろう。
マグナスの意思は、きっと極限だ。
彼の思う善を、最大まで突き詰めた姿なのだ。
マグナス・ハーキュリーにとって、救いたい者とは、全ての善性存在。
そういう面では――シュウとマグナスは、同じ存在だと言える。
ただ、救いたいものが、何なのか、というだけで。
大義のために我欲を切り捨てるか。
それとも――ただ、我欲のために、大義を斬るか。
マグナスは前者だ。己の成すべき使命のために、全てを捨てた。外道の業にさえ手を伸ばした。
シュウは後者だ。愛する人を護りたくて、今、ここにいる。世界そのものへと手を伸ばした。
本当なら、シュウは、マグナスに勝てるわけがない存在だった。法術も、魔術も使えず、呪術でさえマグナスに傷をつけることは叶わない。そんな人間であったはずだ。
それでも今、シュウがマグナスと戦えているのは――ひとえに、世界の意思が、シュウの回答を。自分にとって大切な人たちを救いたい、という願いを、マグナスの大義よりも『良し』としたからなのだろう。
だからこれは。
借り物の正義と、自分のためだけの正義という、互いの正義のぶつかり合い。
どちらもが正しいのだろう。同時に、どちらもが間違っているのだろう。なんという矛盾。なんという背反。
でもきっとそれは、世界そのものの真実。たった一つの正義などなく、たった一つの悪も無い。
混ざり合う事。融和する事。それがきっと、『絶対の悪』なんていうものを、抹消することにつながる第一歩。
それが、シュウの答え。
ずっと天則に従ってこなかった、一人の人類の、回答。
彼の、正義だ。
「「――我が正義に――」」
その言葉が紡がれたのは、両者同時。
マグナスの大剣が、白銀の威光を灯す。増していく重力が、周囲の大地を破壊する。
シュウの黒い翼が振動し、光を纏う水晶の槍へと、闇の粒子を送り込む。
「――光をくべよッ!! ――『覇道絶進、鋼の神の創世神話』!!」
シュウには預かり知らぬことだが――
その技は、マグナス・ハーキュリーの持つ十の奥義、そのどれにも当てはまらない、十一番目の奥義だった。
シュウとの激突の間に開花した、新たな力。周囲の重力と共に、大気中に漂う法力さえも己へと集約させるスキル、『アトラス・マージ』――それが生み出す膨大な法力を、敵を断ち切る超遠距離斬撃攻撃として放つのではなく、己の強化に全て振り分ける、全身全霊、文字通り必殺の一撃。
法術の通用しないシュウを乗り越え、己の正義こそが正しいと。そう示すために、たった今マグナスが開発した、最強の一撃だった。
爆風が巻き起こる。それはマグナスの、全力の踏み込みが引き起こした現象だった。彼の背後――樹海の木々が、悉くなぎ倒されていく。地面はめくれ、大気は割れる。紫電さえもが発生する、まさに神威のごとき斬撃。
「――我が意思を告げるッ!!」
――それを、超える。
マイヤを救い、アリアを護り、目の前の敵をも呪縛から解き放つには、必ず通らなければならない道だ。
シュウの『スラエオータナ』が、光の粒子を放出する。翼から吸収した闇の粒子と混じり合い、それらはやがて弾けて、モノトーンの炎を創り出した。
「灯を燈せ、我が未来!」
黒白の焔は、マグナスの行く手を阻む。その肌を焼き、剣を溶かし、足を止める。
その様子は、シュウがマグナスの法術を受けたときと、良く似ていた。
「ぬ……ぐぉぉおおおおおおおッ!!!!」
されど鋼の英雄は、己に燃え移る火炎など意に介さない。止まらない。止まれない。こんなところで終われない――
正義を果たすまで、斃れることは許されない。
その意思が、ひたすらに、マグナスを動かしていた。
――その妄執を、浄化する。
光と闇の劫火が、マグナスを焼き尽くす。その体ではなく――悪意を。教会の正義に拘る、心を。
「燃え上がれ、燃え盛れ、どこまでも!」
増幅していく。
呪術で――世界へと、働きかける。この正義の執行者を救い給え、と。己と同じ、大切な正義に準じた、されどどこかで足を踏み外した英雄を、もう一度、常道へと戻し給え、と。
「救い、あれ……ッ!!!」
黒白の聖火が、ひと際高く燃え上がった。
「ぐ、あ、ぁ、がぁぁああああああああ―――――……」
マグナスの絶叫が響き渡る。しかしその声からは、徐々に苦しみが、抜けていく。悪意が焼却されているのだ。使命に準じなければならないという、焦燥感が。
どさり、と音を立てて崩れ落ちたマグナス。その手から、白銀の大剣が掻き消えた。
呪術、『正義の種火』。プリズムに込められた聖火……正しくはそこに付与されている法力を媒体として、悪性存在に効果のある炎を発生させる呪術。シュウの持つ、最も効果の高い術。
今シュウがマグナスに使ったのは、その発展形――正しくは、この世界に於いて、シュウ以外の誰もが使ったことの無い、触媒として法力と魔力、どちらもを使用した、新たな呪術だった。
名づけるならば、『救いの業火』。相手を傷つけるのではなく、悪意を抹消することで無力化する力。
一種の精神干渉呪術だ。それは、世界そのものからのバックアップがなければ、成し遂げられないような奇跡――
もう二度と、使う事は叶わないだろうな、と、シュウは本能的に悟っていた。手の中の『スラエオータナ』が、音を立てて砕け散ったのを、今、見たからだ。
背中の翼も力を失った。今の一撃で、恐らく――シュウは、役目を果たしたのだ。
戦いは、終わった。
「……少、年……」
マグナスが、掠れた声を上げる。
「何です」
対するシュウの声は、これまでになく落ち着いていた。やり切ったのだ、という感覚が、彼を妙に落ち着かせていた。
「一つ、問おう――君は、なぜ、私を救おうとした……」
マグナスが、かすれた声で問う。
それに──シュウは、それだけは自信をもって言える、と、はっきり答えた。
「――俺が、救いたかったので」
マグナスは、苦しんでいるように見えた。自身が定めた、借り物の正義に。
思うがままに救う。
それを己の基盤としたシュウにとって、そんなマグナスを救おう、と考えるのは、ごく自然な事だった。
それを聞いて――
「そう、か……」
マグナスは、少しだけ、笑った。
「……お前のような者が、救世主になるのかも、しれない、な――」
満ち足りた。答えは見つかった――そんな表情で。
マグナス・ハーキュリーは、意識を手放した。
「……」
奇妙な静寂が、場を支配する。
強敵を倒したのだ、という実感が、今更ながらにシュウの手足に震えを齎す。
「……先、輩……っ!」
がさり、と背後の木々を掻き分けて、マイヤが近づいてくる。歩くのはまだ難しいのだろう。光の翼を振るわせて。
「マイ……俺は……俺達は、勝った、のか?」
彼女に聞けば、実感が湧くかもしれない。
そう、どうしてか思って、問う。
その問いに、マイヤはくしゃり、と、泣き笑いのような表情を浮かべて。
「――はい、先輩」
シュウの手を、握ってくれた。
「帰りましょう。学園長先生も、アリアちゃんも、きっと待ってます」
その手を、確りと握り返して。
「――ああ」
シュウは、強く頷いたのだった。
かくして、一人の魔族を巡る、シュウ・フェリドゥーンとマグナス・ハーキュリーの戦いは終わりを告げる。
落ちこぼれの法術師は、この日、たった一度だけではあれど――最強の呪術師であった。
その事実は、この先、この世界そのものを巻き込む重大な渦を創り上げていくが――それはまた、きっと、別の話。
本日もお読みいただきありがとうございました。本話を以て、結編が無事終了です! 長かったような、短かったような。
明日の、19話とエピローグ、以上二話の更新を持ちまして、本作は完結となります。あと一日、どうかよろしくお願いします。
それでは、また明日お会いしましょう。