第十七話『スラエオータナ』
シュウは闇の翼を動かすと、少し離れた、開けた場所に着地した。マイヤとマグナスの戦闘で切り開かれたとおぼしき樹海の裂け目は痛々しく、マイヤの様子とあいまって、余計にシュウを悲しませる。
腕の中のマイヤを、ゆっくりと地面に寝かせる。本当ならばシーツの一つでも敷いてやりたいのだが、生憎持ち合わせがない。ズルワーンとの邂逅の直後、アリアから魔力を授かったシュウは、そのままここに飛翔してきたからだ。
「マイ……」
「……先輩」
白い法衣もぼろぼろになって、身体中が傷だらけのマイヤ。青い髪も煤だらけで、おまけに肩口で切られている。
けれども、その瞳だけは変わらなかった。シュウを想ってくれる、青い目。彼女が自分のために、全力で戦ってくれたのだ、ということを改めて悟り、シュウの顔は自然と歪んだ。
きっとそうしないと、涙を抑えられないから。
シュウは、マイヤを抱き起こすと、ぎゅっ、とその体を抱き締めた。
「ひゃぁ……っ!? せ、せんぱい……っ」
マイヤが上擦った声を上げる。彼女の細い手が、暫く逡巡したように少しだけ動き、それからぎゅっ、とシュウの背中を抱きしめ返してくれる。
そのことが嬉しくて、けれど同時に、もっと早くこうして上げられれば、と、少しだけ自分自身を怨む。
「マイ、すまない。こんなに傷つくまで、助けに来れなくて」
その思いは謝罪となって口をついて出る。一度はマイヤを見捨てるような決断をしなければならなかった、という過去への贖罪。マイヤを救うか、アリアを救うか、などという事で、揺れ動くほどに、己の意思が弱かった事の謝罪。
もっと早くシュウが決断していれば、ズルワーンはずっと早く力を貸してくれたのかもしれない。そうしたら、マイヤを傷つけることは無かったのかもしれない。
けれどマイヤは、シュウの謝罪をすべて許した。笑みを浮かべた彼女は、シュウを抱きしめる腕に力を込めた。
「……全然、問題ありませんよ。先輩の為ですから。私、何でもできます」
ああ――やっぱり、この子は、素敵な子だ。
自分には勿体ない位の。
「……ありがとう」
その言葉は、様々な事への感謝を意味した。
自分のためにしてくれた全ての事。
アリアのために戦ってくれた事。
ここまで、生きていてくれた事。
自分と出会ってくれたこと。
自分を――好きでいてくれた事。
その全てへの、感謝。
まだまだ言葉は尽きない。次から次へと言いたいことが、伝えたい感謝が溢れてくる。
けれど、時間がそれを許さなかった。
ズガン、という音が響く。近づく威圧感。マグナス・ハーキュリーが、シュウとマイヤを追ってきているのだ。恐らく、樹海の木々が作る壁――それを一つ挟んだ向こうに、もう、あの鋼の英雄はいる。
シュウはマイヤをゆっくりと横たえると、その青い目をしっかりと見据えながら、手を握る。
「マイ、少しだけ、法力を貸してくれ」
「え……法、力……?」
「法術の光を出すだけでいい」
シュウの願いに困惑した表情を取りながらも、彼女はいつも光の刃を生み出すときの様に、指先に小さな光輝を灯した。
その指を、シュウはきゅっと握る。細い指だ。こんなに細い指で、これまで自分を護ってくれたのだ。
――今度は、俺が君を護る。
決意を込めて、シュウは唱える。
「──我が正義に光をくべよ」
「えっ……!?」
マイヤが驚愕に息を呑む。
当然だろう――シュウが告げたのは、法術の起句。それも、これまでのシュウならば、唱えたところで何の効果も発揮しなかった言葉だ。
しかし今回は違う。マイヤの指を起点として、周囲に解き放たれた純白の光が、渦を巻くようにシュウの右手に集約したのだ。
やがてそれは光の粒子を放ちながら――
水晶のような、半透明の槍を創り出した。
「せ、先輩、それ……」
まるで一種の武装型法術に見えるその槍に、マイヤが困惑の声を漏らす。シュウが法術を使った、と思ったのだろうか。
実際は違う。シュウは微笑してその間違いを正した。
「さっきも言ったが、これは呪術だよ。法術は俺には使えないからな。──法力を、呪術で直接コントロールすることならできるが」
そう――その槍は、呪術だ。
法力を呪術で固めて形成する、光の槍。
「けど、そうだな。そういう意味では、法術なのかもしれん」
呪術と法術の違いは、媒体が信仰心なのか物理的な触媒なのか、という違いだ。
この呪術は、触媒として法力を使っている。法術を、法力を触媒とする呪術、と定義づけるならば、確かにこの術は法術だ。
だとすればきっとこれは武装型の呪術。善と悪の境目を超越するべく、ズルワーンが託した力。
「──頼むぞ、『スラエオータナ』」
シュウが、聖典に登場する、善と悪の共存を目指したという英雄の名を持った、クリスタルの槍を強く握る。
同時に、木々がはじけた。砂塵の中から褐色の巨躯が姿を見せる。マグナスだ。
シュウに憎悪のこもった目を向け、彼は口を開いた。
「……貴様は危険な存在だ、少年。貴様を生かしていては、この世界は滅びる――!」
「どうだろうか。それだけの力が俺にあるとは思えない。が――」
瞬間。
シュウの姿がぶれる。黒い燐光を放ちながら、金色の影が疾駆する。
現れたのはマグナスの目の前。水晶の長槍をその胴に突き立て、マグナスが今来た道を逆走させていく。
「ぐっ……がぁッ!?」
マグナスの目が見開かれる。以前までのシュウに、これだけの力は無かった。恐らく同じことをしたとしても、マグナスの肉体を動かすことは愚か、近づくことさえ叶わなかったはずだ。
だが今、それは事実として顕現している。
『スラエオータナ』。法力を媒体として発動したシュウの呪術が、彼の他の呪術を拡張しているのだ。黒き翼の出力を増幅し、身体強化の呪術、その倍率を上げている。
「今ここで、貴方の間違いを正す力なら、ある」
「ほざけッ! 正しいのは私の――教会の『正義』だ! 『オルトロス・マージ』――我が正義に光をくべよ! 『因果断裂、噛み千切れ魔竜の顎門』!」
マグナスの大剣が二つに分かれる。双大剣を構えたマグナスはシュウを弾き飛ばすと、白銀の極光を纏わせた大剣を、軌道が交差する様に振るった。斬撃の圧力が世界を揺るがす。恐らくは、離れていてもそれだけで切り裂かれてしまうに違いない。その証左に、光の波動が刃から放たれたではないか。恐ろしい速度――並の人間では、眼で追う事すら叶うまい。
以前のシュウならば、成すすべもなく敗北していただろう――だが、今ならどうだ?
「――焔よ!」
シュウが祝詞を紡ぐと、彼の背に咲いた闇の翼が脈動する。六の羽は主を護る様にシュウを包む。同時に、着弾した光の刃が、まるで握りつぶされるように歪んだ。
光の弾へと姿を変えたマグナスの法術に、シュウは手を伸ばした。
「――我が敵に災禍あれ――『光の木剣』!」
直後、その法力は形を変える。短刀大の光の剣へと変貌したそれらは、マグナスの下へと還るかのように、標的を彼に定めて飛翔した。
マグナスが大剣を振るう、或いは光の波動を己の身からも発射して、それらを撃ち落していく間に、シュウはマグナスへと近づいた。
スラエオータナを振り上げる。丁度剣を引き戻せぬ体勢にあったマグナスは、己の法術の性質を変える、キーワードを叫んだ。
「『ネメアズ・マージ』!」
アリアの魔術、その暴威すら受け止めた、完全防御の身体強化。マイヤですらその力には敵うまい、と思える隔絶の光は、しかし水晶の槍によって、易々と引き裂かれてしまった。
「――ッ!?」
マグナスが驚愕に目を見開いて後ずさる。肌についた裂傷、そしてそこから流れる鮮血を、彼は信じられない物を見た、と言わんがばかりに顔を歪めて戦慄いた。
「……馬鹿な……私の、鎧を……貫いた、だと!?」
「呪術による干渉――貴方の、光の鎧を無効化させてもらった」
しかし本来ならば、その呪術はマグナスには効かないはずだ。
最初にマグナスと戦った時、マグナスには『光の木剣』は全く効果が無かった。それどころか、世界がシュウからマグナスへの干渉を不可能である、と断定し、発動そのものが無効化されてしまう、という事態に陥っている。
では何故今、シュウの呪術は、マグナスに通用したのか?
「呪術とは、世界の意思」
「……ッ!?」
「信仰を媒体とする法術でも、憎悪を媒体とする魔術でもない。ただ純粋な、願望」
答えは、至極単純な事なのだ。
「スラエオータナはその結晶だ。ズルワーンが俺に託した、俺の望みの顕現。この槍そのものが呪術――この槍は、相手の法術や魔術を無効化できる。槍そのものの触媒として取り込むことで」
今――シュウの願いは、不可能だったはずのマグナスへの干渉を可能である、と、世界に認めさせるほどの領域である、という、ただそれだけ。
マグナス自身がシュウに告げたことだ。強くなるためには、意思を強く持つことだ、と。マグナスはそれに準じて、教会の正義を至上とし、悪性存在に対する究極の殺戮者となった。『ネメアズ・マージ』が魔術を弾くのは、悪性存在からは決して傷つけられないという、彼自身の信仰のカタチ。
原理的にはそれと同じなのである。
「俺が願うのは救済だ。善性存在も、悪性存在も、そして敵さえも救う。『善』に……俺にとっての『悪』に取り憑かれた、マグナス・ハーキュリーという男を」
善と悪の共存。その出自を問わず、誰も彼もを救いたい、という、シュウの願い。
きっと力及ばぬ事なのだ。シュウ・フェリドゥーンという一人の人類が背負うには、全人類の救済などという事は重過ぎる。
それでも。否――だからこそ。
大切な人たちを護りたい。
手が届く場所に居る人を救いたい。
その力を、シュウは世界に願った。故に、この世界は――最強最大の呪術師は、それに答えたのだ。
救うための力を与える、という形で。
今のシュウは、法力や魔力に直接干渉して、それを自在に操ることができる。正確には、呪術の触媒として、物理的な触媒だけでなく、法力や魔力を選択できるのだ。
アリアの生み出した闇――膨大な魔力を呪術でコントロールすることで、今のシュウは闇の翼を展開していた。
先ほど、マグナスの攻撃を無効化したのも、それを転用して触媒無しで『光の木剣』を使用したのも、全てその力。
本当ならば――誰にでも、できることなのだ。世界に認められる程強い意思を持てば、誰にでも。
その領域に立てたのが、シュウ・フェリドゥーンという人間、ただ一人だけだった、というだけで。
純粋な願いだ。彼が願ったことは、元をただせば愛する少女を救いたいというそれだけ。善も悪も救いたい、という願いは、そこから派生したものなのだから。
それだけだからこそ、きっと、世界は彼に力を貸した。シュウは間違えないと、ズルワーンは信じたのだろう。
呪術とは、願いを以て世界の干渉力を借りること――元をたどれば、呪術を使うのは呪術師ではなく世界そのものなのかもしれない。
故に――今、シュウ・フェリドゥーンは、世界の意思の『執行者』なのだ。
善悪調和の妨げとなる存在を倒す――そのための力。
「この槍は、そのための触媒でもある。スラエオータナは、切り裂いた法術や魔術を、触媒として喰らい、強くなる。貴方はもう、法術を使えない」
スラエオータナ。善と悪の共存を願った英雄。
授けられた力が、その名を持っていたのも必然である。法力と魔力、どちらもを増幅し、自在に操り、時には混じり合わせることすら可能な、世界がシュウに与えた『干渉力強化』の具現化。
故に、相手の使った法術を『食う』ことが可能とされ得る。
善と悪を分断する力を、否定するかのように。
「――ふざけるなァァァァァッ!!!!」
血走った目を剥き、血を吐くような絶叫を上げるマグナス。防御は無意味と知ったからだろう。鎧も、光も消去して、その重量と全長を増した一本の大剣のみにすべてを集約する。
重力が集う――『アトラス・マージ』だ。
されどそこから放たれる、最強の奥義は意味をなさないだろう。シュウの呪術がそれを支配する。どんな法術も、魔術も、今のシュウには通用しない。
最強の法術師と、落ちこぼれの法術師。
その戦いは、法術を用いぬ領域で、今、始まる。
本日もお読みいただきありがとうございます。いよいよ本作も終わりが見えてきました。最終回までのストックが出来上がったので、予定通りスムーズに更新できそうです。
ではまた、明日の更新でお会いできると嬉しいです!