第十五話『思うがままに』
視界に色が戻った時、そこは光と同じ、真っ白な空間だった。
だが、分かる。ここには、色がある。先程までの様に、光で埋め尽くされた視界ではない。その証拠に、見下ろせば自分の体が見える。
――半透明に薄れた、奇妙な状態で、ではあったが。
「……ここは……? それに、これは一体……」
シュウは自分の手を掲げて視たり、体を触ってみたりしながら、現状を確認する。感触はある。どうやら実体は持っているようだ。が――手を通して向こう側が見える、というのは、いささか気持ちが悪い。それも、体の内部が見えるのではなく、そのまま向こう岸が見えるのだから余計にだ。具体的にいえば、右手と左手を重ねれば、右手を通して左手が見える。
体験したことの無い現状に、少し興味が湧かなくもないが、それよりも困惑が勝った。
誰かが答える、と期待したわけではないが、思わず言葉がこぼれ出たのが、先ほどの呟きであった、という事なのだ。
――その言葉に、答える者がいた。
『ここは世界の狭間。パルスの世界でも、トゥランの世界でもない、されどどちらでもある場所』
涼やかな声だった。極めて澄んだ声。言い方は悪いが、感情も、意思も、一切感じられない、無機質な音。
同時に、これは――善でも、悪でもない。そういう意味なのだ、と、半ば感覚的に、シュウは悟った。
白だけだった空間が、歪む。誰かが姿を現した。
――それは、少女の姿をしていた。
ワンピースタイプの、布のような白いドレスを纏う、少女。年のころは十二歳程だろうか。
驚くほどに白い。髪も、服も。肌だって、雪のような白さだった。わずかに肌色なのが見て取れる程度。
何よりも特徴的なのは、眼だ。
そこだけが、唯一、純白ではない。白と、黒――モノトーンの二色がグラデーションを奏でる、不思議な色の瞳。そこに感情は無く、ただ、無機質にシュウを眺めている。
背後には、眼と同じく白と黒のツートーンカラーを刻む、モノクロの極光が渦巻いていた。
「……君は?」
『私はズルワーン。時と空間を司る、この世界の裁定者――最後の神核種』
ズルワーン。確か、古い、極めて古い言葉で、『時空』を表す単語。
聞いたことがある。聖典の創世神話によると、かつて世界が一つであったころ、聖霊と悪魔、そのどちらもを創造した、偉大な超越性存在がいたと。
その哭こそが、ズルワーンであったはずだ。
だとするならば、この純白の少女こそが、その創世神だとでもいうのだろうか。とてもではないがそうは見えない。シュウやマイヤどころか、アリアよりも幼く見える。
それに神核種などという言葉は聞いたことがない。不思議な響きだ。これまでにシュウの知っていた、どの言葉とも異なる。
故に、にわかには信じ難かった。目の前の白い娘が、それほどまでに偉大な存在なのだ、と。
だが――なるほど、確かに、この少女こそがそうなのだ、と思わせる空気は、間違いなくそこにあった。拭う事の出来ぬ圧迫感。抗う事の赦されぬ、絶対的な超越存在の気配。
どちらも、目の前の少女から放たれたものだ。
『シュウ・フェリドゥーン。善と悪、人と魔の間に立つ子』
創世神ズルワーンを名乗る少女は、感情を宿さない瞳で、シュウをじっと見つめながら、小さな足で一歩を踏み出した。距離が縮まる。余計に、彼女の幼さというか、体格の小ささが分かって、放たれる威圧感とのギャップに困惑する。
ゆっくりと、彼女は両腕を上げた。広げて、天を向いた掌に、左右それぞれ、白い光と黒い闇が、渦を巻きながら集う。その中には、何かが映し出されているようだった。
『見なさい』
促されるままに、白い光を覗き込む。
――そこにあったのは、地獄だった。人間だ。人間が、魔族を嬲っている。複数人数の人間で、たった一人の魔族を。人間たちは法術師なのだろう。その手には、武装型の法術と思しき武器が握られていた。
人間たちの顔は、一様に笑顔だった。邪悪な存在を自らの正義で破壊することに、喜びを見出しているのだ。
――これは、人間の醜さだ。
自らの信仰に傲り高ぶり、それこそを唯一とする、人間ならば誰もが持っている邪悪。
きっと法術を使う人間なら、誰でも可能性はある。法術は使えずとも、シュウだって、己の『正義』だけを良しとすることが、気づいていないだけできっとある。実際、マイヤとの『約束』は、シュウの我儘だった。
今度は、黒い光を観る。
――そこにあったのは、悪夢だった。魔族だ。魔族が、人間を虐殺している。長大な角を持った魔族が、人間を村を襲っている。魔族が両腕に集う闇を放つと、逃げ遅れた老人や子供たちに着火し、彼ら彼女らは黒い炎を上げて、悲鳴と共に絶命した。
魔族は、嗤っていた。己の欲望のままにすべてを破壊することに、言いようのない快感を抱いているのだ。
――これは、魔族の罪業だ。
自らの本能に身を任せ、自制することを喪った、魔族ならばいつ起こってもおかしくはない現象。
アリアだって、どれだけ大人しくて、他人想いでも、あり得る事態なのだ。彼女の破壊衝動が暴発して、自分たちを殺すかもしれない。
『それは、貴方が進もうとする道に、必ずや立ちはだかるであろう事実です。貴方がすべてを救うのならば、貴方は正義だけでなく悪をも成す必要がある』
ズルワーンは、静かに問うた。
『それでも、貴方は、己の『正義』を、良しとしますか』
――シュウは、人間の罪から目を逸らさなかった。きっと目を逸らさぬ事が正しいと、直感的に思った。
――シュウは、魔族の真実という事実を受け止めた。それでもかまわないと、どうしてか思えた。
だから、答えは一つだ。
「関係ない――俺は、俺が救いたい人を救って、それを害する者がいるのなら、倒す。そしてできるならば、その敵も、呪縛から解き放つことができれば幸いだ」
罪に溺れた人間も。
真実に囚われた魔族も。
皆、皆、手を取り合って、一つになる――
シュウの救済の果てとは、きっとそれだ。
果てしなく長い道のりだろう。そもそも、シュウが救いたいのはマイヤとアリアの二人だ。実際の所、他はどうでもいいのかもしれないし、いざその局面に出会ったときに、悪辣な人類を呪縛から解き放つ、などという事ができるのかははなはだ疑問だ。
それでも。
そうだとしても。
シュウは、誰かの救いになれるのならば、と。
ただそう感じるのだ。
『……分かりました』
ズルワーンは、静かに頷く。
『ならば貴方に、私の力を授けます』
白の光と黒の闇は、彼女の両手からいつの間にか消え去っていた。
代わりに――そこには、透明な、何か。
姿は見えない。けれど確かに、あるのが理解できる。
似ている、と、そう思った。イスラーフィールのスラオシャに、似ていると。
あれこそが、世界が――この世界を創造した超越生存体が、自分に託すものなのだ、と。
促されるままに、手を伸ばす。何かを、掌にのせられた感触。ズルワーンの小さな手が、シュウの指を一本一本とじさせ、しっかりと、その『何か』を握らせた。
『シュウ・フェリドゥーン。救いなさい、貴方の思うままに。望みなさい、願う正義を』
ズルワーンは、最後に。
『それが――天則の救世主たる、貴方の役割なのだから』
ふわり、と、嬉しそうに笑った。
***
「しゅう?」
「……!?」
アリアの声で我に返る。シュウは弾かれた様に顔を上げた。そこは先ほどまでの白い空間ではなく、見慣れた学園長室。隣にマイヤはいない。代わりに、アリアが座っている。正面に座るイスラーフィールは、シュウの様子を見ると、ニヤリ、と笑った。
「い、いま、のは……?」
「会えたようだな、ズルワーンに」
答えたイスラーフィールに、シュウも頷く。
「え、ええ……先生、今のは一体」
「彼女は『神』だよ。一言で言ってしまえば。聖霊よりも、ずっと上の存在だ。言っただろう? 世界の意思がお前を選ぶ、と」
――神。
ではやはり、彼女こそが創世神ズルワーン。
世界の意思――この世界を形作った、いわば生きとし生けるもの全ての母。
そんなものから、シュウは、世界の意思そのものを託された、というのか。
今更ながらに、とんでもない体験をしたものだ、と、身が震え始める。
「気負う必要はない。フェリドゥーン、お前は、赦されたんだよ。自由に、思うがままに救う事を」
「思うがままに……救う……」
ああ、それは――それは、己の迷いに、与えられた答えだ。
たどり着いた答えに、赦された未来だ。
救いたい者を救い、倒したい者を倒す。
そこに、善も悪も無い。
あるのは、ただ、自分の意思だけ。
途端に、足元が崩れ落ちるような錯覚を覚えた。
自分の意思だけで、世界を動かす。
それは、きっと危険なことだ。一歩間違えば、マグナスの様に、己の正義に反するもの全てを、無慈悲に殺戮する正義の奴隷に成り果ててしまう。あの白い空間で見た人間たちの様に、正義を盾にして善良な存在を傷つけるかもしれない。黒い光の中の魔族のように、強大な力で他者を蹂躙してしまうかもしれない。
シュウには、それがとても恐ろしく感じられた。いつかきっと、何かを違えたときに、そうなってしまうという、確かな直感。すべての正義を受け入れられる、そんな正義を持つことはできないかもしれない、という不安。
それでも。
それでも、今は――
「行ってこい。好きな女が、待ってるんだろう?」
マイヤの事を想えば。
「……はい」
きっと、間違えることは無い。
だって彼女なら、いつだってシュウに答えをくれた。いつだって彼の悩みを、たった一言で打ち消してくれた。
この迷いも、彼女を救い、彼女に問えば――きっと、答えをくれる。
だから今は、戦う。
最愛の後輩を、救うために。その力を、今、与えられたのだから。
そう、決心したシュウに、ふと、アリアが声をかける。
「しゅう」
「アリア?」
その表情は、これまでに見たアリアのどの様子よりも、少し、大人びた、というか。
――確かに彼女は、魔族――異郷に於いて最上位の存在なのだと、悟らせるような、そんな超越者然としたものだった。
でも、結局は、優しい笑顔。純粋な微笑み。愛らしい、何の邪悪さも兼ね備えない、種族が違うだけの――もっと厳密にいえばそれさえ根本的には同じ、普通の女の子。
彼女のためにも頑張らねば――と、シュウはアリアが続ける言葉に耳を傾けた。
「いまのあなたなら、きっとつかえる。なんとなく、わかるの」
ぼぅ、と、音を立てて。
アリアの手に、闇が集まる。魔力――魔術を使うための、純粋な力。雲の様にうすぼんやりとした、けれど確かな闇。
使う、とは、どういう事だろうか。そう思った次の瞬間には、シュウは理解していた。
すっ、と、手を伸ばす。己の掌で、アリアの掌の上の闇を、包み込むように重ねる。
そして脳裏に閃いた一言の文言を、呟いた。
「――闇より出でよ我が罪業」
それはアリアの言葉と同じ、されど別の言語で紡がれた。
ダエーワ語の、スプンタ語音式による発音――それは、スプンタ語をダエーワ語の音式で発音するという、旧文明時代へと逆走するような方法ではなく。
新しい、光と闇、善と悪が一つになる時代を、再創造する、という事を、暗示しているかのようで。
そして同時に確信するのだ。
今の自分には――マイヤを救うだけの力がある、と。
「――先生」
「おう」
「――行ってきます」
***
「……行ってしまったな」
「うん」
シュウが出て行った、学園長室の窓を見ながら、イスラーフィールとアリアは笑った。情報を司る学園長は、どこか愉快気に。最強の邪竜の名を持つ、普通の少女は、そう言い切ってくれた大切な人に、心の中でエールを送りながら。
「……くくくっ、あいつも気づいてないんだろうな。『好きな女』って言葉、否定しなかったぞ」
「そうだね。でも、しゅう、いいかおしてた」
「ほう、難しい表現を知っているな」
アリアが、やはり言動に反して、実際にはとても頭の良い子なのだ、というのを、イスラーフィールは再確認すると同時に。
「ああ――本当に、良い顔をしていた」
どこか晴れやかに、そう繰り返すのだった。
お待たせしました。本日も無事投稿できました。
次回からは『結』編。戦闘描写(っぽい物)が多めになります。戦闘描写致命的に苦手なんですよね……。
本話もやはり急いで書き上げたので、どこかおかしい部分も多いと思います。そういった部分も含めて、アドバイス等をいただけると嬉しいです。
次回更新は少々先になると思います。本日もお読みいただきありがとうございました。




