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やがて天則の救世主  作者: 八代明日華
第一章:邪竜の巫女は唄う
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第十四話『こちら側』

「マグナス……ッ!! 奴め……外道に堕ちたか……!」


 シュウとアリアは、悔し気に壁を殴るイスラーフィールの姿を、声を出すこともできずに眺めていた。

 

 マイヤがマグナスと戦うために、学園長棟を飛び出したすぐ後。轟音を聞きつけたイスラーフィールが、部屋に駆け付けた。

 二人を急いで治療すると、彼女は法術を使い、起こったことの全てを把握。そして今、怒りに震えている、という状態である。


「確かに……確かに、目的のためなら手段を択ばぬ男ではあった。だがそれは、無関係の他人すら巻き込む邪道では無かったはずだ!」


 怒りに我を忘れているのか。歪めた顔に怯えるアリアを見ることも無く、イスラーフィールは叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。


 マグナスが言っていた。自分とイスラーフィールは旧知の仲だ、と。イスラーフィールは言っていた。マグナス・ハーキュリーは、正義のためには手段を選ばぬ男に『なってしまった』と。

 つまりイスラーフィールは、教会の剣となる以前のマグナスの姿を、知っているのではないか?


 ――シュウの感じた通りに、誇り高い武人であったころの、彼を。


「そこまで……そこまで己の『正義』が恋しいか、マグナス……ッ!」


 だがマグナスは正義に『憑かれた』。何故だかは知らない。シュウには知る術もない。イスラーフィールは過去を語らないため、これまで知っていたこともほぼ無い。


 分かるのは、一つ。

 あの絶対的なまでの「正義への妄執」とでも言うべきものが、あの強さを支えているのだ、ということ。


 シュウを見下ろし、「愚か者」と口にしたあの形相が、まだ彼の脳裏に残って離れない。

 己の、教会の正義だけを良しとし、それ以外を踏みにじり、叩き潰し、抹消する、鋼の英雄。


「……せんせい……わたしたちは、どうすればいいの?」

「……」


 アリアの涙声に、イスラーフィールはようやく落ち着きを取り戻したのか。どっかりと執務椅子に座ると、非常に疲れた様子で天を仰いだ。


「……どうすることも叶わん……残念だが、マグナスはこの世界で最強の人間と言っても過言ではない。常道の戦いを挑んで勝てるような存在ではないからな……」

「……っ!」


 ――それは、死刑宣告だ。

 マイヤの。シュウのたった一人のパートナーの。

 彼女を取り戻すことは不可能に近いと。彼女が生き残ることは絶望的だと。


 今この場で、誰よりもマグナスの事を知っているはずの人物が、告げる。


 シュウの手足の先が痺れ出す。背筋の感覚がなくなる。全身が、心が、凍り付いていく。


 気が付けば、シュウは立ち上がっていた。


「……やはりマイを連れ戻してきます!」

「馬鹿を言え! 今の自分の状態を考えてみろ!」


 荒げた声に、さらに荒んだ怒声が返された。間髪入れずに反応したイスラーフィールは、きっ、とシュウを睨んでいた。


 シュウの体は、マグナスの法術を受けてズタボロだった。幸いなことに、やはり骨や神経への影響は無かったが、絶大な威力の法術を受けたショックで、全身が巧く動かない状態だったのだ。

 イスラーフィールの法術によって影響は抜けたが、感覚というのは恐ろしいもので、一度失われると、それがどれだけ短い時間であったとしても、復活するまでに相当の時間を必要とする。


 もともと、シュウとマグナスの差は絶望的だ。シュウが再びマグナスに立ち向かったところで、同じようなワンサイドゲームが繰り広げられ――そして、今度こそ、殺されるだろう。

 それだけでなく、必死で戦っているマイヤの邪魔になるかもしれない。


 それでも。


「それでも……!」

「アリアから言われたことを忘れたか、フェリドゥーン!」

「……!!」


 ぴしゃり、とシュウを叱るイスラーフィール。シュウの体は、その声に固まってしまった。


 そうだ。アリアは、なんと言った? マイヤが行ったのは、自分(シュウ)のためだと。シュウが今ここでマイヤを追いかけたら、その思いは無駄になると。


「……そもそも、フィルドゥシーは、お前との約束を守るために戦っているんだぞ? ……お前が……お前がそれを破ってどうする……」

「……」

「フィルドゥシーが言ったというように、彼女が時間を稼いでいる間に対策を練ろう。大丈夫、奴にも破れないほどの結界を貼るくらいなら、私にだってできるよ」


 イスラーフィールが余裕のない表情を見せるのを、ここ数日でよく見るな、と、今更ながらにシュウは思う。

 そう思ってしまうほどに、今、イスラーフィールは力のない表情を浮かべていた。


「……俺は……」


 シュウのなかで、何もかもが渦を巻く。


 マイヤを助けたい、という思い。

 マイヤの願いを無駄にしたくはない、という感情。

 アリアを護らなければならない、という、使命感。


 ああ、今ほど力不足を悔やんだことが、これまでにあっただろうか――ここ最近で、同じことを何度も何度も思っている気がするが、今また、その記録が更新されてしまった。

 どの道を選ぶのが、誰もが幸福になる未来につながるのか? それを考えるための前提すら、シュウには存在しないのだ――――


 

 ――ふと、そこまで考えたときに。

 まるで、天啓の様に、シュウの脳裏に、一つの言葉が閃いた。


 ――幸福。

 約束。

 マイヤとの、約束。

 マイヤの、願い。

 

 幸せになってください、と、彼女は言った。


「だとしても、俺は……マイを、見殺しにできません……」


 なのだとすれば。


「俺は、マイに救われました。何度も、何度も、救われました。だから少しでも恩返しを、と、ずっと思ってきました」


 シュウは、その願いを、叶えなければならないだろう。

 力及ばぬ自分であるから、可能な限りでマイヤの願いを叶えてあげたい――ずっと、そう思っていたはずではないか?


「けれどマイは、マイヤは、俺にずっと救われてきた、と言ったんです。俺がいるだけで救われた、と」


 今、シュウにとっての幸福とは、何か。

 決まっている。


「俺は――俺は、マイを、今度こそきちんと救いたい。マイの力になりたいんです」


 確りと口に出すたびに、その意思は高まっていく。

 そうだ。救うのだ。


魔族(アリア)を救うだけじゃいけない。人間(マイヤ)も救いたい。もしかしたら、(マグナス)さえも救いたのかもしれません、俺は」


 善も、悪も。正義も、邪悪も。

 何一つとして関係ない。シュウが望む、全ての『人類』を救いたい。


「それが――それが、俺の正義です。天則とは違う、俺の正義。マグナスさんの正義とは別の、正義」


 力が及ばないなどとは分かっている。

 そのための力がないから、今ここで立ち止まっているのだと理解している。

 ただ決意を口にしただけでは、その力は手に入らないと知っている。


 知っていても、シュウはそれを、言葉として紡がなければ、気が済まなかった。


 ああ、あとは、もう一つ――


「……それに」


 こんなことを言うのは、少し気恥しいけれども。


「自分のことを、好きだと言ってくれる女の子を見捨てる様ではいけないと、故郷の師匠に教わりましたので」


 極東大陸の、辺境の邑。

 シュウの故郷。正しくは、生まれた場所ではないから、故郷とは言えないのかもしれないけど――故郷の定義を、『心のよりどころ』だとするのならば、それは間違いなくあの場所だ。


 あそこで学んだことを、シュウは活かしたい。

 第二の故郷を――『マイヤの居る日常』を、取り戻すために。


 その言葉を告げる、シュウの真面目腐った表情が可笑しかったのか。あるいは、シュウの言葉そのものがツボにはまったのか。


「……ふっ、ふふふっ……あっははははは!!!」


 イスラーフィールは、いつものように大笑いし始めた。隣で、ずっと不安そうな表情をしていたアリアも、だんだんと笑顔になっていく。


 二十秒ほど笑い続けた後、イスラーフィールは笑顔になって、呟いた。


「やはり……お前は、私が見込んだ通りの男だよ、フェリドゥーン。世界の正義ではなく、自分の正義に従う……ああ、そうだ。そういうのを、求めていた」


 何の前触れもなく。

 イスラーフィールを中心として、重圧が発生する。既に体験した感覚だ。彼女がアリアの様子を見るために、その法術を使用した時と、同じ気配。

 

 ――いる。

 イスラーフィールの背後に、彼女の法術の顕現――聖霊スラオシャの分御霊が。


 だが気配は、以前よりも強い。いや、これは――強く、なっている。今もなお、スラオシャの存在圧が、一秒立つごとに徐々に徐々に、強くなっていく。

 アリアが苦しんでいない様子を見て、自分とマイヤの行いは無駄ではなかったのだ、と安心すると同時に、まだまだ、これからなのだ、という思いが、強くなっていく。


「……む?」

「気が付いたか? 今、お前の中の『意思』は、お前の意思にかかわらずに増幅されている」

「え……」


 意思の、増幅。

 感情操作――特級法術師の中に、そのような術を持つ人間がいる、と聞いたことならあるが、それを使うのはイスラーフィールではない。という事は、これはそれとは関係ないのだ。


 どころか、恐らくはきっと、法術ですらない。

 これは、純粋に――あの聖霊の姿に、反応しているのだ。


 越えなければならないと。

 示さなければならないと。


 善性存在の導たる聖霊の意思よりも。悪性存在の王たる悪魔の憎悪よりも。

 

 己の意思が、正義が、上であると。


「共鳴させているんだよ、私が――というよりは、スラオシャが。お前が、自分の意思を強く持ちやすいように、意図的にな」


 そう告げたイスラーフィールは、口もとを引き締め、その黒い目でシュウを見据えると、頭を下げた。


「一つだけ、お前に謝らなければならないことがある、フェリドゥーン」

「……謝らなくては、いけないこと?」

「そうだ。以前お前は、私が意味もなく情報を隠すようなことはしない、と言ったな……あれは間違いだ。私はお前に、お前が探し求めているであろう答えを、自分の都合で隠していた」


 それは、ある意味では衝撃的な告白だった。

 イスラーフィールは情報を司る特級法術師だ。あらゆる情報を管理し、時には書き換えることすら可能な力。それ故に彼女は、真実も嘘も、必ず口に出す。彼女が物事を隠すときは、必ず他者に利益があるときだ。


 彼女は、それは間違いだというのだ。自分のためだけに、隠し事をしていた、と。


 ――それをこのタイミングで話すのだから。

 きっと、それはとても重要なことで。


「……やはり、意味のある秘匿だったのではないかと、俺は思います」

「……そうか。お前は、そう言ってくれるか……ならば、気兼ねなくここで開示しよう――」


 頭を上げたイスラーフィールは、少しだけ拍を置くと、シュウにとって、それどころか、この世界そのものにとって重大な『情報』を、打ち明けた。


「――法力(ガーサー)は実在する」

「……!?」

「この世界には、魔力(プラーナ)のみならず、確かに法力(ガーサー)が存在する。呪術、法術、魔術の違いは、お前の予想通り、媒体に何を使用するのか、というただそれだけだ」


 それはシュウの仮説が、真実であると裏付ける事実。

 これまで誰も観測していなかった法力(ガーサー)は、すでに、この情報の女王(テスタメントテラー)の手によって、確かに存在すると証明されていたのだ。


「その例で以て考えるのであれば――私は、法術師などでは決してない」


 続く言葉は、さらなる衝撃をシュウにもたらす。アリアでさえ、困惑気味に首をひねるほどだ。


「私はお前と同じなんだよ、フェリドゥーン。私には、法術は使えない。当然だな、法術とは、世界を動かす『意思』の中でも『信仰心』のみに反応して動く法力を触媒とするのだから」


 法力を動かす意思。

 それは信仰だと、イスラーフィールは言う。

 なるほど、それならば確かにつく。教会に、天則に、疑いを持つシュウが、法術を使えない理由に、説明が。

 

 ならばマイヤはどうなのか?


 ここ最近の彼女は、とてもではないが天則に忠実とは言えない。そもそも、出会ったばかりの彼女でさえ、実は忠実とは言い難かったのだ。

 

 今思えば、彼女が魔族や悪性存在を敵視していたのは、シュウに危険が及ぶからだったのだろう。彼女には、善も悪も、もう長い間ずっと関係なかったのだ。

 それだけ想われていたのだ、という事実が、シュウを苛む。同じだけの想いを返してやらなければ、という願いが、募っていく。

 

「マイヤ・フィルドゥシーは特異な存在だよ。あいつは、天則ではなくてお前を信仰していた。面白い話だ。信仰するものが変わっただけで、あれほどまでに強くなるとはな……お前なら知っているだろう、出会ったばかりのフィルドゥシーは、今ほど強くは無かったはずだ。天才ではあったがな」


 その通りだ。

 四月に初めて出会ったとき、マイヤは確かに恐ろしい強さを持っていた。中位の悪性存在を、奥義ですらない法術一つで抹消する――そんな力を持っていた。

 それでも――それでもどこか、危うかったのは確かだ。恐らくあの頃のマイヤでは、大型の悪性存在に対応できなかった可能性がある。実際、シュウとマイヤが急速に距離を縮めたある事件では、マイヤは油断から複数の悪性存在に後れを取っている。


 信仰の対象が――愛慕の想いをシュウに抱いたことで変わった。

 それだけで、法術は変わる。


 ――信じること。

 それが、法術の使用条件。


 そしてきっと魔術は逆だ。憎悪。怒り。生存本能――アリアが法術師や悪性存在に囲まれたときに、反射的に魔術を使ったのはそういう事なのだ。そう考えれば、マグナスの法術とは、最早魔術にすら近い存在なのかもしれない。


 さて――このどちらにも、スラオシャは当てはまらない。イスラーフィールは天則を信じていない。誰かを憎んでいるわけでもない。マグナスへの怒りは、憎しみからくるものではない。


「では……では、先生の、『顕現型スラオシャ』は、一体なんだというのですか。先生は、どうしてこれまで、ずっとそれを、秘密に……」

「これは後付けの力さ。世界が、異郷(ノド)と一つとなり、あるべき姿に帰らんとするために、私に遣わした力――いわば、『世界が使う呪術』だ」


 返ってきた答えは、得てして簡単なものだった。

 同時に、極めて『当然』の回答でもある。


 呪術は、触媒として自然を使う。信仰が世界を動かす法術とも、憎悪が世界を揺るがす魔術でもなく、純粋な願いが、世界を動かす。


 その世界が、己の願いを媒介として、呪術を使わないなどと、誰が証明できる?

 むしろ世界こそが、最大の呪術師なのではないか?


 ――世界『が』動かす呪術。

 その結果こそが、スラオシャをイスラーフィールに託すことであった、という。


 そしてイスラーフィールは続ける。


「お前も同じだよ、フェリドゥーン。お前は、善性存在の信仰でも、悪性存在の罪過でもない、自分だけの正義を導き出した。ずっと、ずっと――この世界が待ち望んでいた、新たな秩序を。『こちら側』に立つ証を」


 シュウもまた、世界が呪術を使う――即ち、何かを託されるに値する存在となった、という事実を。


「私が情報を秘匿した理由はそれだ。お前が、善にも悪にも心を寄せる、『正しい人類』であるか、見極めたかった」


 だが今、それは証明された――。


 イスラーフィールはそう告げる。

 その姿は、確かなる告知天使(スラオシャ)。教会の聖典によれば、かつて人類が一つであった時に、人類の下へと聖霊の契約(テスタメント)を運んできた、伝令の聖霊。


「目を瞑れ。心を強く持て。お前の信じる、『お前の正義』を願え。マグナスのような、借り物の正義ではないぞ? ()()()()()()()()()()()()()()。そうすれば、お前は――」


 彼女はそう呟くと、笑う。悪戯っぽい、あの表情で。


「――なれるよ、きっと。お前が願うすべてを救える、救世主(サオシュヤント)に」


 直後。シュウの視界は、これまで感じたことも無いような、純白に染まった。

 お読みいただきありがとうございます。

 お待たせしました。急いで書き上げたので変なところがいつもより多いかもしれません(

 次回で『転』編は終わりです。その後はストック貯蓄のために少しお休みしたいと思います。

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