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やがて天則の救世主  作者: 八代明日華
第一章:邪竜の巫女は唄う
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第十三話『先輩』

「ぐっ……うぅぅうっ……!」 

 

 全力。全力を出して飛ぶ。傷ついたシュウと、怯えるアリアを抱えて、飛ぶ。

 己の法術に赦される、最大の出力を以て光の翼を広げる。最早バランスなどあったものではない。完全に、速度だけを重視した飛行。同時に、自分よりも背の高い男性と、同じくらいの体格の少女を抱えるための筋力を維持するべく、腕にも法術を回す。バランスは余計に崩れるが、しかしそれを成し遂げることができてこその自分、という、シュウの役に立ちたいという想いが、今のマイヤを動かしている。


「先輩、アリアちゃん、あと……あと少しですからね……っ!」


 ぐったりとしているシュウに、マイヤは震える声で呼びかけた。うっすらと彼の瞳が開き、その口から、かすれた声が零れ落ちる。


「ま、い……すま、ない……」

 

 その言葉を聞いて、マイヤは涙をこらえることにも全力を注がなければならなくなった。


「いいえ……いいえ! 先輩が謝る事なんて、何も……何も無いんです……!」


 そうとも。シュウには、落ち度など何もない。

 悪いのは自分だ。あの時、あの場所を離れていた自分なのだ。大型悪性存在が近くに居ないか確認する、などと言って、あの場を離れた自分が悪かったのだ。


 時間にして、数分だっただろう。だが、その数分でマグナス・ハーキュリーは、最強の法術師は自分たちに気が付き、自分たちの下へと現れ、そしてシュウをずたずたに切り裂いた。マイヤの誰よりも大切な人が、傷つけられたのだ。今や大事な友人となった、銀色の魔族の少女に恐怖を刻み込んだのだ。


 だから今――今は、自分が頑張るしかない。

 それが、当然の償いだ。


「……見えた!」


 育成学園の門が見える。

 マイヤは高度を上げると、窓を破壊するほどの勢いで学園長棟の一室に転がり込んだ。ずぅん、という重々しい音がする。着弾の負担が二人にかからないよう、全力で結界法術を展開し、抑える。


 どうやら、使っていない客室の様だった。あつらえたようにベッドがある。マイヤはそこに、傷ついたシュウを寝かせた。


「う、ぐ……」


 まだ痛みがあるのか、シュウが苦悶の呻き声を上げる。また、泣きそうになってしまう。同時に、自分への怒りも。


「……しゅう、しゅう、しっかりして……!」


 悲痛な声を上げるアリアの姿に、言いようのない悔しさを覚える。彼女にこんな表情を取らせてしまったのは、自分なんだ、という責任感。シュウとの約束を――『人を傷つけてはいけない』という約束を、破ってしまった。


 ――なら。


 ――私は、その約束を、全部捨て去ってでも、償いをしなくては。


 マイヤの中で、何か一つ、覚悟が決まった。


「……先輩」


 マイヤはシュウの耳元に顔を寄せると、決意と共に口を開いた。




 ***




 マイヤの声が聞こえる。

 それに反応して目を開けると、泣きそうな顔をした彼女が、自分を覗き込んでいた。


 シュウは痛む体に鞭打って、身を起そうとする。が、力が入らない。骨が折れているわけでも、筋肉を損傷しているわけでもないのに、動かない。法術による斬撃とは、かくも己の動きを封じるモノなのか、と、今更ながらに戦慄してしまう。


「駄目ですよ、先輩。無理をしたら」


 妙に優しい口調で、マイヤがたしなめてくる。

 嫌な予感がした。なんとも言えない、悪寒。今ここで、彼女の言葉を聞かずに、無理をしてでも動かないと――

 

 マイヤが、どこか遠くへ行ってしまう。そんな直感。大切な、たった一人の後輩を、永遠に喪うことになる。


「ま、い……」

「はい、先輩」


 名を呼べば、彼女は普段と変わらぬ様子で、答える。その様子に、後から後から、様々な感情が溢れ出てきて、無数の言葉が口からこぼれようと溢れては、消える。流れては、戻る。

 渦巻く言葉たちの中から、きちんとした形を以て現れたのは、結局、何の変哲もない、


「いかないで、くれ……」


 それだけだった。

 それだけなのに。


「……っ!」


 マイヤの表情が、くしゃり、と歪む。青い瞳に、涙が貯まる。

 けれど彼女は、それをこぼすことなく、拭って、笑顔を見せた。


「ごめんなさい」


 返ってきたのは、謝罪の言葉だった。


「私も、先輩の傍に居たいです。ずっとずっと、一緒にいたいです。でも、私――私、行かなくちゃ。先輩との約束を守るために、行かなくちゃ」


 マイヤの白い手が、シュウの手に伸びる。ぎゅっ、と自分を包む、その意外なまでの柔らかさに、シュウは心から困惑した。

 マイヤは、こんなに柔らかかったのか。こんなに、細かったのか。こんなに――こんなに、壊れそうなくらいに、繊細だったのか、と。


 硝子片のような少女だ、という印象は、今も昔も変わっていない。けれどその意味は、今きっと、大きく変わった。

 こんな――こんなか細い女の子に、自分は、何を背負わせようと言うのか。それはきっと、到底許されることではない。


「だめ、だ、マイ……俺が……おれ、が、いかなくては……」


 あの時、アリアを奪われる寸前まで追い込まれてしまったのは、弱い自分の責任なのだ。マグナスを連れてきてしまった自分の責任なのだ。それを、マイヤに肩代わりしてもらうなど、絶対にできない。

 死ぬべきは自分だ。身を犠牲にするべきは自分だ。今この場で、喪われていい命は、自分のそれしかない。


 けれど――けれど、マイヤは、首をふって、また微笑むだけ。


「先輩、私に言ってくれましたよね。私に、人殺しの真似事はさせたくない、って」


 ああ、それは。

 それは、アリアと初めて会ったあの日に、彼女を殺そうとしたマイヤに向かって言ってしまった言葉だ。シュウの誇り。シュウのエゴ。シュウとの約束。呪術師(シュウ)の、法術師(マイヤ)にかけてしまった『呪い』。


「私も、先輩の気持ちに応えたいです。私――私、先輩を()()()にしたくない。だから、代わりに、私が行きます。私が時間を稼ぎます。その間に、先輩たちは、学園長先生と一緒に、対策を講じてください」


 執ったシュウの手を、きゅっ、と己の胸に抱いて、マイヤはじっとシュウを見つめた。柔らかそうな唇を、笑みの形に結んで。


 彼女は今、どれだけの無理をしているのだろうか? それを思えば、シュウは「頼む」などとは言えない。言えるはずがない。


 けれども。


「大丈夫。私は死にません。知ってますよね? 私は、先輩の何倍も強いんです。私、卒業したら特級法術師になるんですよ? こんなところで、他の特級法術師に負けてなんていられません。絶対に勝ちます」


 嘘だ。

 マイヤは、嘘をついた。

 

 勝てるわけがないのだ。マグナスとマイヤでは、力が、経験が、あらゆる全てが違う。マイヤは強い。卒業したらすぐにアスラワンになる事が、なるほど可能であろうと思えるほどには、強い。いずれは、もしかしたらマグナスを超えるのかもしれない。

 だが、それは今ではない。今のマイヤは、マグナスには勝てない。


 それでも――それでも、マイヤは行くと言う。

 戦えば、恐らく――死ぬ。それでも、戦うと。


「ああ、でも……やっぱり、少し、怖いかもしれません」


 震えてきちゃいました、と、彼女は苦笑いをする。シュウの手を握る白い両手は、明らかに恐怖で震えていた。

 当然だ。己の死を前にして、恐怖しない人間などいるわけもない。


 けれど――


「だから、先輩」


 それを、乗り越える人間は、居るのだ。


「ちょっとだけ、私に勇気をください」


 




 ――ふわり、と。


 唇に、突然の柔らかい感触。

 シュウの視界が、一瞬途切れる。

 意識も、まるで何かがさく裂したかのように、白く光る。


 口づけ。

 キス。

 マイヤが、シュウに。


 短い――それはそれは、短い、けれど、体感では何十秒ものキスだった。

 マイヤの唇の感触が、シュウのそれにはっきりと残ってしまうほどには。



「――先輩。好きです」



 マイヤは、何か吹っ切れたような、晴れやかな表情で、そう言った。



「先輩。大好きです」



 彼女の表情にあるのは、もう何の後悔も無い、と言わんばかりの、覚悟。



「先輩、愛してます」



 告白。

 マイヤからの、告白。

 何の? 勿論――愛の。



「先輩――ずっと、ずっと、貴方のことが好きでした。きっと、初めて会った、あの日から」



 ああ――ああ、どうして。どうして、気づいてやれなかったんだろう。

 どうして、こんな形で彼女の想いを知る事になってしまったんだろう。

 もっと早く――もっと早く、彼女の想いを、悟ってやるべきだった。だって、そのタイミングは何回もあったはずだ。


「私、先輩にずっと救われてきました。壊れそうになっていた私を、助けてくれたのは先輩です。先輩がいたから、私、これまで生きてこれたんです」


 シュウの脳裏で、マイヤとのこれまでの想い出が、すべて再生される。

 初めて出会った時の、冷たい反応。

 最初に一緒に樹海に繰り出して、油断をした彼女を、力及ばぬと知っていながら助けたこと。

 無理をする自分を、助けてもらったこと。

 何度も怒られたこと。


 イスラーフィールが言っていた。「馬鹿め、あれは照れ隠しだよ」、と。

 その意味を、どうして分かることができなかったんだろうか?


 優しい言葉も。

 厳しい言葉も。

 可憐な笑顔も。

 伸ばした青い髪も。

 人参がたくさん入った、シュウの好きなシチューも。


 全部。全部。そのために。



「何回でも、言います。先輩――好きです。愛してます」



 マイヤは――マイヤは、ずっと。

 ずっと、自分(シュウ)に、自分(マイヤ)の恋心を、気づいて欲しいだけだったのに。


「私、先輩のお陰で、幸せでした」

「マイ……マイ、待ってくれ、マイ……!」


 ざっ、と音を立てて、彼女の背中に光の翼が伸びる。三対六枚の翼。凄まじい出力を持ち、これまで何度もシュウを救うために駆け付けてくれた彼女が、備えていた翼。ふわり、と舞い上がった彼女は、バルコニーへと飛んでいく。


 今更気づいても遅い。大好きな人を助けるために、彼女がずっと法術を磨いていたことを。

 彼女が強いのは、自分を想ってくれていたからなのだと。


 伸ばした手は届かない。追いかけるべき体は動かない。


「マイ……!」


 喉から、ひび割れた声が出るだけ。


 その姿に、シュウの、誰よりも大切な、たった一人の後輩は、微笑んで。




「きっと、幸せになってくださいね。先輩──さよなら」





 次の瞬間。


 ばぁん! という凄まじい音と共に、樹海へと向けて飛翔した。さく裂の際の突風が、部屋の中を滅茶苦茶にかき回す。


「う、うううう……! まいや、まいや……!」


 これまで、シュウとマイヤの会話を黙って見ていたアリアが、涙をぽろぽろ流し出す。赤い瞳から、陶磁器の様な白い肌を伝って、透明な雫が床へと落ちる。


 その様子は、まるで、想い出の終わりを告げているようで。


「やめろ……やめろ……やめてくれ……!」


 自分のモノとは思えない声が、シュウの口からこぼれ出た。


 追いかけよう。今なら、まだ間に合うかもしれない。呪術をもう一度全力で発動させれば、マイヤと同じくらいの速度なら出るかもしれない――


「だめっ!」


 そんなシュウを、アリアが引き留める。震える声で、アリアが叫ぶ。


「まいやは、まいやはしゅうのためにいったの! しゅうがいまうごいたら、まいやのしたことはむだになっちゃう! しゅう、おねがい、しゅう……!」

「……っ……!」


 ああ――


 俺は、今、どうすれば良い。



 シュウはその場に、がくり、と膝をついた。


 今ほど、己の無力を呪ったことは、それまでの生涯に存在しなかったから。


 そして――これからも、ないのだろうから。

 本日もお読みいただき、ありがとうございます。

 ストックが切れてしまったため、明日更新できるかは分かりませんが、早めに続きを上げたいと思います。よろしければ、次回もお読みください。

 お気づきの点、問題点等ございましたら、よろしくお願いします。

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