第十二話『魔族殺しの英雄』
「さて……漸く見つけたぞ、”ザッハーク”」
ざり、と音を立てて、その偉丈夫が前へと進む。
自然体だ。未だ剣を抜いてすらいない。法術の発動の気配すらない。ただ、そこに立って、歩みを進めているだけ。
アルケイデス・ミュケーナイ――本来の名を、マグナス・ハーキュリーは、ただそれだけで、空間の全てを凍り付かせていた。ただそれだけで、シュウに自らの死を覚悟させていた。
重圧。とてもではないが、人間の出せるモノとは思えない、濃密に過ぎる殺気。ある程度死線をくぐってきた自覚のある自分でさえこうなのだから、アリアの感じている恐怖はどれほどのものなのだろうか?
「貴様には手こずらされた。まさか魔術で周囲一帯ごと我々を吹き飛ばすとはな……おかげで私の部下たちにも甚大な被害が出た」
「う、うううう……!」
魔物たちに囲まれていたその場所から動けぬアリア。見れば震えているではないか。当然だろう、と言わざるを得ない。この殺気、マイヤですら耐えられるかどうか。
アリアを助けなくては。シュウは竦む体を無理やり動かし、恐怖で震える、かすれた声を、何とか喉から絞り出した。
「待ってください、アルケイデスさん……いえ、マグナスさん……! 彼女は……アリアは、ザッハークなどでは……」
「いいや。ザッハークだ。なぜならば、私は一度この目で見ている」
しかし、マグナスから返ってきたのは無慈悲な事実。
「ザッハークが出現したのは一か月前だ。中央大陸の教会本部にほど近い位置に、『門』を通って現れた。暫くの間は街に潜伏していたようだが……我々は即座にそれを感知すると、捕縛、あるいは討滅のために動き出した。だが」
一歩、一歩、マグナスはアリアへと近づく。ゆっくりと。ゆっくりと。しかし、確実に。踏み出すごとに殺気は高まり、それは重圧となってシュウとアリアを縛り付ける。
「この魔族は近隣の樹海へと逃げ込んだ。この森だ。学園近くの樹海。私の率いる討滅部隊はそこで、ザッハークを追い詰めた。が――あと一歩のところで、発動された魔術によって、部隊は壊滅。ザッハークには逃げられた」
それは真実。
アリアが、シュウたちと出会う前の事。
彼女がどうして、樹海でマイヤに発見されたとき、ボロボロだったのか。
彼女がどうして、シュウたちと出会う以前にスプンタ語を聞いたことがあったのか。
それらは全て、彼女こそがザッハークだったから。
ボロボロだったのは、魔術の反動だろう。多くの上位悪性存在をかき消すような凄まじい力だ。イスラーフィールによれば結界法術すら破壊するその一撃。特級法術師第二席の率いる討滅部隊など、恐らく現在の法術師たちの中では最強の部類だ。それを全滅させる、とは相当の領域。反動も生半可なものではないのだろう。
スプンタ語を知っていたのは、門を通って現れた街で、ずっと聞いていたからだろう。あるいは、マグナスたちと遭遇する度に、その言葉を覚えたのかもしれない。
アリアの持つ、極度に高い性能は――彼女が、甲種指名手配魔族たる所以だったのだろう。
それらの事実を示し終えたマグナスは、冷たい、氷のような青い目で、震える白銀の少女を見下ろす。シュウの体は動かない。まだ動かない。まだ動けない。
「此度は逃がさん。ここで貴様を殺す。――我が正義に光をくべよ」
――ズン。
轟音が響いたと、錯覚した。
しかし、それはある意味では錯覚ですらなかった。もっと、もっと強烈な――物理現象。
ばきり、と音を立てて、大地に亀裂が入る。鋭く尖った杭の様に、苔や落ち葉を食い破り、地面そのものが隆起する。
「がっ……!?」
それは半径数メートルにも及び、シュウをも巻き込み吹き飛ばす。
マグナスが、剣を抜いていた。白銀の巨剣。純白の光を纏うあれこそが、恐らくは――彼の法術。すべての武装型法術の中でも最強の力を誇るとされ、一説には顕現型の領域に足を踏み入れているとさえ噂される、無敵の刃。
『武装型ウルスラグナ』。鋼の英雄が用いる、絶命の聖剣。
「うぁぁああああああ……ッ! कारुमादोराइबु!!」
アリアが恐怖に満ちた悲鳴と共に、再び魔術を発動させる。今度は先ほどの比ではない。大人の顔ほどもある大きさまで闇が集い、さく裂した。
爆発。突風と吹き荒れる闇の炎で、シュウの視界は奪われる。
なんという火力なのだろうか。このような状況でありながら、シュウは改めて驚愕せざるを得なかった。
魔術というのは、法術よりもより破壊に特化している力だとされる。荒れ狂う魔力の暴発、それをコントロールする術こそが魔術だと考えれば、それは当然ともいえる。
だがこれほどとは予想外だった。複数体のサーベルグリズリーを全滅させた時もそうだったが、恐らく直撃を受ければ命はあるまい、と思うほどの一撃。
――されど。
「……『ネメアズ・マージ』」
そのたった一言で。
「同じ技が二度と通用すると思うなよ、魔族の娘」
マグナスは。人類最強の法術師は。その暴威を、すべて無効化してしまったのだ。
無傷。完璧なまでの無傷。コートめいた、裾の長い改造法衣にも、それに包まれた褐色の肌にも傷は一つとしてなく、白銀の髪も、当然だが携えた銀の剣にも、一切の変化が見られない。
唯一の変化と言えば、マグナスの体から白い波動が溢れ出ていることだが、それもすぐに消える。
「そんな、馬鹿な……」
思わず喉から、驚くほどひび割れた声が漏れる。今のアリアの一撃。マイヤが全力を以てしても、防げるかどうか怪しい領域に思えたのに。
シュウが推定したよりも、アリアの攻撃が弱かった? 否。
マグナスには、何か魔術を無効化する体質でもあるのか? それも、否。
単純明快。
強いのだ、マグナスは。その法術、『ウルスラグナ』は。
ネメアズ・マージ。恐らく、ウルスラグナの奥義なのだろう。絶対防御の業にも思えるが、恐らく――単純に、自身の肉体硬度を上げるだけの法術。あの白い波動は、マイヤが良く使う、筋力強化系の法術と極めて似ている。
完全防御。そんな言葉が、ふとシュウの脳裏に浮かんだ。純粋に、ただ純粋に、己の力を高めた極致――人間が生み出せる。『最硬』の防御。
「これで分かっただろう、少年。この魔族は、極めて危険性の高い存在だと。故に処刑する。すべては教会の正義の下に」
『正義』。
教会の、正義。
天則。
シュウには、信じることのできないもの。
そしてきっと――マグナスの、強さの根源。
マグナスは言った。強くなるためには、意思を強く持つことだと。
マグナスにとって、その意思の拠所とは、きっと天則なのだ。彼が信じる、教会の『正義』なのだ。
正義のためには、手段を選らばない――イスラーフィールがそう評した男。マグナスとはそういう人間なのだ。
それは、直後に証明された。
「態々魔物を集め、けしかけた甲斐があったな。あれほどの大技、何度も放つことができるわけではあるまい――何せ、以前は撃った直後に倒れたのを『見た』のだからな。私があの術を防げていれば、その場で切り捨てることも可能であった」
だが、今がその時だ。
マグナスは、そう続けると、巨剣を構えた右腕を、ゆるゆると持ち上げていく。同時に、純白の極光は強くなる。どこまでも、輝きを増していく。
まるで、『正義』を、『善』を、象徴するかのように。
魔物を。
人類にとって危険な存在である魔物を、態々操ってまで。ともすれば、関係ない法術師がその罠にかかり、殺されていたかもしれないのに。
それほどの手段を取ってまで、マグナスはアリアを殺したいのだ。
「う、ぁ、ぁあ、あああ……」
「終わりだ。死ね」
白銀の刃が、上段へと構えられる。今あの場所は断頭台――『善』が、『悪』を断罪するための、正義の柱。
動けない。これほどまでアリアが危機的な状況にあるのに、シュウは動けない。目の前で行われている
アリアは動かない。動けないのだ。目の前に立つ魔族殺しの英雄、彼の放つ剣気が、アリアの動きを封じている。あれだけの力を持つとはいえ、彼女はまだ年若い、ただの女の子。
――そうだ。
――ただの女の子じゃないか。
アリアは、邪悪な存在でも、危険な化け物でも、何でもない。
ただ、生まれた世界が違うというだけの。それでさえ、根本的なところをたどれば問題にならない、ただの、普通の、女の子。
それを、今ここで殺すなどというのは――
「断じて、正義ではない……ッ!」
動いた。
ようやく、シュウの足が、シュウ自身のいう事を聞くようになる。
無詠唱で、無理やり身体強化系の呪術を発動させる。同系統の法術とは比べ物にならない程効果が低いが、動きを素早くし、悪い足場を乗り越えるには充分だ。
シュウは一秒ほどでアリアのもとまでたどり着くと、半ば体当たりをするように彼女を抱きかかえ、跳躍。マグナスから離れる。
「……ほう?」
マグナスが眦を上げる。
がちゃり、と音がして、白銀の大剣が降ろされた。
「弁明を聞こう。何のつもりだ、少年」
「この娘を救うためだ」
偽らざる本心を告げる。
「アリアは――魔族は、世界に危険を齎すような存在ではない。断じて、だ。俺はそれを信じる」
「愚かな」
その言葉を、しかしマグナスは嘲笑と共に切り捨てた。
「ならば比べて見せよう――貴様の『正義』と、私の『正義』。どちらが強いのか――」
次の瞬間。
シュウは、遥か後方へと、吹き飛ばされていた。
「……がっ!?」
「勝負しようじゃないか」
続いて、背中に衝撃。昏い声と共に、マグナスの拳撃と思しき感触が、シュウを襲う。大地に激突すると同時に、彼の肺から大量の空気が吐き出される。
「ぐふっ……」
「どうした? 自分の正義を信じるのではないのか?」
蹴り。マグナスの足が、霞むような速度で、されど小さく動いてシュウを打つ。弧を描くことすらない最低限の動き。
されど。そうとも、たったそれだけなのに。
シュウの身は、再び吹き飛ばされる。
激突。シュウが着弾した巨木が揺れる。直後、ミシリ、という音と共に、その木は倒れてしまった。
見えない。
一撃が、見えない。
あまりにも速い。
あまりにも工程が少ない。
あまりにも――一撃の威力が高い。
マグナス・ハーキュリーの戦闘に、シュウ・フェリドゥーンはついていけない。
敵わない、絶対に。
「……くっ……!」
――その思いを何とか振り切って、シュウは自身の体に命令を下す。
無理やり右腕を動かして、腰の木簡を抜き放つ。ばらり、と一定の間隔をあけて開いたそれを、可能な限りの全力で投げつけた。
「『我が敵に災禍あれ――』!」
『光の木剣』の呪術が発動し、一斉にマグナスへと襲い掛かる。
しかしその速度。その威力。下位の魔族にすら及ばぬ程度。
最上位の法術師に、通用するわけなどなく。
「この程度か。つまらん」
木剣たちは、マグナスに当たる事すらなく、途中で力を失い、墜ちた。呪術は世界の干渉力を利用する技。世界が、『術者には干渉不可能』と判断した存在に対しては、効果を発揮しづらいのだ。
勢いを失うどころか、そもそも発揮が無効化される――それは、シュウがどれほどの力を尽くしても、マグナスには一切打撃を与えられないことを示していた。
「なるほど……育成学園に、法術の使えない生徒がいると聞いたが……貴様の事だったか」
ふと、何かを悟った様にマグナスが口を開く。
それはシュウの事だった。教会の重鎮にすら自らのことが知れ渡っているという、極めて不名誉な事態。されど今感じるのは、そのことへの羞恥ではなく、自らの弱点を知られていることへの、怖れ。
「愚か者め」
紡がれた声は低く、暗く、冷たかった。
マグナスは氷の目で、折れた巨木に寄りかかるシュウをじっと見つめた。
「その程度の力で。その程度の覚悟で。何が正義だ? 何を信じるだ? 下らぬ。正義とは力。力なき正義は悪だ。よって貴様はここで殺す」
吐き捨てるように宣言するマグナス。
彼はそのまま白銀の大剣を構えると、ぼう、とその刀身に光をともした。法術、『武装型ウルスラグナ』。その奥義が、発動する。今度は、先ほどとは違う、灼熱の色。
「とはいえ、まずは魔族の娘を殺すのが先決か――そこで見ているが良い。我が正義に光をくべよ――『赤熱束縛、鋼の英雄の裁きあれ』」
劫。
音を顕すなら、ただその一言。
灼熱の火炎を帯びた斬撃が、シュウと、その背後の大樹の躯を焼き尽くす。
「が、ぁ、ぐがぁあぁあああああ……ッ!」
熱い。
熱い、熱い、熱い。
自身の体そのものが赤熱するのを感じる。法術が、体から『自由』という概念を奪っていく。死、とは、少し違う。これは、己と己の肉体を、切り離すような――そんな術だ。
ある意味では、死ぬよりもずっと残酷な事態を引き起こす。
最強の法術師が、正道ではなく外道の業をも修めることを、シュウは身をもって知った。
「ぐ、ふ……」
「何、命に別状はない――殺すのは後だ」
倒れ伏したシュウに、冷たい声が降りかかる。
マグナスが踵を返す。距離が離れてしまったアリアの下へ、戻るつもりなのだ。
「ま、て……まぐ、なす……ッ!」
「何故その必要がある? ああ――そうか。即座に殺されたいのだな?」
じゃきり。
マグナスが『ウルスラグナ』を構え直す。今度は、白い光。別の法術。
「良いだろう。ならば死ね――」
恐らく、その一撃はシュウの命を刈り取る。
――ここ、までか……。
救えなかった。アリアを。
果たせなかった。自分の正義を。
何より――遺していくことになる。マイヤを。たった一人の、大切な後輩を。
「くっ……」
ダメだ。
まだ、死んではいけない。
「――ライトアップ、アナヒット……!」
「むっ!?」
シュウは殆ど動かない左腕で、プリズムの蓋を開けた。
そのままプリズムを放り投げる。中の聖火が、マグナスに降りかかった。
「灰と化せ!」
「愚かな。法術まがいの術式が、この私に効くとでも――」
マグナスの体表に、白い光。『正義の種火』は唯の呪術ではない。そのため、マグナスにも恐らくは効果を及ぼす。それを遮断するための、一瞬の隙。
それだけで、充分だった。
「先輩!」
聞こえた。自分を呼ぶ声が。
マグナスの後方。森の奥から、一筋の流星。
青い流星だ。それは、アリアを抱きかかえたマイヤ。光の翼を広げて、全速力で飛行している。
マイヤの翼が光る。法術、『武装型アールマティ』の操る、光の刃を利用した奥義が、マグナスを撃った。
「くぉっ……!?」
行動を阻害する系統の術――『光輝女神の威光』だ。マイヤが、時折魔物を捕縛するのに使っている。
動きの止まったマグナスの、すぐそばを通り抜け、シュウの下へと飛来したマイヤ。彼女はそのままシュウを抱きかかえると、一気に高度を上げた。
「ま、い……」
「先輩、しっかりしてください!」
シュウの視界は、彼女のその言葉を受けても、霞むばかりだった。
背後で、大気を切り裂く音がする。マグナスが拘束を引きちぎったのだろうか。
「こわい……こわいよ……」
反対の腕に抱えられたアリアが、恐怖に震えて涙を流す。
背後の絶望を思えば、その感情は、文字通り痛いほど良く分かった。
本日もお読みいただきありがとうございます。
続きは明日更新できそうです。
お気づきの点、問題点等ありましたらよろしくお願いします。