第十一話『ヴェーダ』
「……どうしたんだ、マイ、アリア」
「あっ……先輩!」
「ぅ……しゅう、いそいで」
客間を訪れたシュウは、あわただしく荷物を纏めるマイヤとアリアの様子に、思わず立ちどまってしまった。
マイヤはいつもの法衣姿だが、戦闘時にのみ装着している、クスティやダガーナイフをつるしたベルトなど、明らかに迷宮行きの格好をしている。お世辞にも可憐とは言い難い、この学園の正装。それを着ていてもなお可愛らしく見えるあたりが、マイヤの美少女たる所以を導き出しているようで、シュウは少しだけどきり、としてしまう。
アリアの方も、イスラーフィールが渡して以後ずっと着ていたフリルドレスではなく、動きやすいカジュアルな服装になっていた。角を隠すためなのだろうか。被っているベールが少しだけその容姿から浮いていて、彼女の現実離れした風貌を、より際立たせている様に思えた。
そんな二人の姿に、心ここにあらずと言った様子で立ちすくむシュウを、マイヤが叱る。
「先輩、先輩も早く必要なものを纏めてください。樹海に行きます」
「……樹海に? アリアも一緒にか?」
「はい、その通りです」
どういう事だろうか、とシュウは純粋な疑問を抱く。
アリアは魔族だ。この世界にとっては滅ぼすべき存在。特に現在は、甲種指名手配の魔族が逃げている状況に於いて、アリアは最もその正体であると狙われやすい立場にある。
ならばこそ、この部屋にいた方が安全だと思うのだが。
というより、その考えに基づいて、これまでアリアを外に連れ出すことは殆ど許されていなかったはずだ。
しかし、マイヤは焦りを帯びた表情で叫んだ。
「今はこの建物の方が危険なんです!」
「……なんだって?」
それはどういう事だ、とシュウが問う前に、彼女は答えをくれた。しかし今だけは、いつものように感心している場合では無かった。
なぜならば――その回答とは、純粋に『恐ろしい』ものだったからだ。
「――マグナス・ハーキュリーが来ます。学園長先生が、先ほどこの学園の敷地内に入ったことを察知しました」
「なっ……」
マグナス。
マグナス・ハーキュリー。
近接戦闘に於いて、世界最強の称号を持つ法術師。『英雄』の二つ名で呼ばれる、特級法術師第二席。この世界で、恐らくは最も多くの悪性存在を屠ってきた、魔族の天敵。
シュウの知っている情報では、十体を超える超大型悪性存在を、ものの数秒で、すべて物理法術を以て殺害した、と聞く。武装型法術の極致である『ウルスラグナ』は、法術の光を纏わずとも、ただ切り裂いただけで悪性存在を絶命させる。
そんな化け物じみた存在が、この学園に――?
ぞっ、と、背筋が泡立つのを感じた。
「何故、このタイミングで……!?」
「分かりません。学園長先生が、法術による情報操作で私たちの姿を隠してくれています。今のうちに樹海に向かいましょう」
本来ならば――本来ならば、最強の法術師が存在する、この建物が最も安全だろう。
だが、マグナスは近接戦闘最強の法術師。恐らくは、イスラーフィールを以てしても敵わない。
そんな存在に対してとれる手段は、『逃げること』、ただそれだけだ。
「まいや、しゅう、じゅんびできたよ」
「はい。ありがとうございます、アリアちゃん」
マイヤがアリアに微笑む。最初に出会ったときは敵対していた二人も、この一か月で随分と仲が良くなった。マイヤのアリアへの呼び方も変わっている。
この友情を、守らなければ――
シュウはそう心に決めると、己の術具を纏めるために、今現在それらを置いている、部屋の箪笥を開けた。
***
マイヤの言った通り、学園の敷地を抜けて、樹海へと足を踏み入れるまでは安全だった。教会の関係者やマグナス本人に出会わなかっただけではなく、そもそも道行く生徒たちが、シュウたちに気が付かなかったのだ。
情報操作――『顕現型スラオシャ』の持つ能力の一つで。シュウ、マイヤ、アリアの三人を、お互い、および術者以外から気づくことが不可能になるように、イスラーフィールが配慮してくれているのだ。
二時間後、シュウたちは最寄りの樹海の中を進んでいた。久方ぶりに足を踏みいれた樹海は、ある意味ではシュウたちを歓迎するかのように、じめじめとした雰囲気を醸し出していた。おどろおどろしい、と言えばいいのか。悪性存在達の巣窟へとつながるこの森は、一応は善性存在であるシュウたちには少しきつい。
対して、特に何も感じていない――どころか、少し調子がよさそうにさえ見えるのはアリアだ。興味深そうに樹海の植物や、小さな動物、虫たちを眺めては首を傾げ、名を問い、微笑む。
「楽しそうですね、アリアちゃん」
「ああ」
こうしてみると、彼女は樹海で活発になる存在――悪性存在なのだ、と思うと同時に、とてもではないがそうは見えない、という二つのことを再認識する。
けれど。
「楽しんでいる暇はなさそうだな」
「ええ――来ますね」
がさり、と、音。
『ぐるるるる……』
『ぎ、ぎぎぃ……』
茂みを掻き分けて姿を見せたのは、二体の魔物。どちらも屍鬼だ。片方はイノシシ、もう片方は猿のような容姿をしている。
「我が正義に光をくべよ――『光輝女神の眼差し』」
マイヤが式を唱えて、指を振る。どこからともなく顕現した光の刃が伸びる。一直線に飛翔して、屍鬼たちを切り裂いた。
砂となって消えていく屍鬼たち。法術で退治された悪性存在の消滅現象だ。
『ぐぐぐいいいい!!!』
『おぉぉおおおお!!!』
木の上から、また別の屍鬼が二体、落下してくる。身をかがめて勢いをつけながら、大地を蹴る。そのまま軸足を固定。左手で、聖火の入ったプリズムを握ったシュウは、屍鬼に向けて正拳突きを繰り出した。
勿論、ただの打撃ではない。これは――
「『光ある者よ。悪意を祓い給え、清め給え』――!」
『輝ける拳撃』。聖火を媒介として行う疑似法術。『正義の火種』と同じく、シュウの呪術だ。
『がっ!』
屍鬼がひるむ。勢いよく左手を伸ばしてその首を掴むと、反動を利用して背負い投げ。大地に大きく音を立てて激突した屍鬼を、シュウは貫手の形に変えた右手で貫く。
ぐしゃり、という嫌な感触。何度やっても、慣れない感覚。これが嫌だから『正義の火種』を多用する、という側面がシュウにはあるほどだった。
悲鳴を上げて、屍鬼はこと切れた。その様子を見て、少し寂しい気持ちになる。
本当にこれで正しいのか――その不安を、今の戦いでは感じなかった。
自分はなんと都合のいい存在なのだろう、と、悲しくなる。
一方のマイヤは、短剣を媒体として現出させた光の長剣で、即座に屍鬼を焼き尽くしていたらしい。流石だ、と言わざるを得ない。
「今日も多いですね」
マイヤの言葉に頷く。
「そうだな……すまないな、あまり役に立てなくて」
「とんでもありません。お任せください」
そうは言ってもな……と、少しだけ後ろめたい感情を吐露すると、「では、私の応援でもしていてください」と返された。
「分かった。……よろしく頼むよ、マイ。がんばれ」
「……はい!」
マイヤの嬉しそうな表情に、少しだけ薄れる罪悪感。
――笑顔の理由は、分からなかったが。
***
『それ』に出会ったのは、その日最大の不運であったと言えよう。
ざん、という音が、唐突にした。反射的に、シュウはその場から弾かれるように動いた。そのすぐ横の空間――今さっきまで自分がいた場所が、真っ二つに引き裂かれる。
正しくは、そのような錯覚だったのだが――そう思わせるほどに、ぱっくりと、地面に傷ができたのだ。
「これは……」
「先輩!」
「っ!」
また、あの音。
今度はマイヤの声があったから、より気づきやすかった。枯れ葉に覆われた樹海の大地を、転がるように回避したシュウを、再びの見えない斬撃が襲う。紙一重の場所が引き裂かれ、冷や汗が流れ落ちた。
「我が正義に光をくべよ――『光輝女神の怒り』!!」
閃光。
直後、極光の奔流が、シュウの近くを通り過ぎた。それは背後にいる『なにか』に激突すると、大きな悲鳴を上げさせる。
『武装型アールマティ』の奥義の一つ、『光輝女神の怒り』。普段マイヤが使用する奥義、『光輝女神の眼差し』は、無数の光の剣を光線の様に撃ち出して、狙った獲物を引き裂く術だ。
対する『怒り』は、一筋の巨大な光の刃を伸ばし、対象を真っ二つにする一撃。
威力も種別もまるで異なる二つの奥義の所持――十六歳の少女が行うには極めて難しい所業を、この後輩は見事にやってのける。
そのマイヤが、焦燥感のある表情を浮かべて、こちらに駆け寄ってくる。
「先輩、お怪我はありませんか!?」
「あ、ああ……」
シュウの視線は、自然と『怒り』が引き裂いた先へと向けられた。
今まさに砂となって消えようとしているのは、極めて大型の魔物だった。大型の熊の三倍はあるだろうか。その両腕が、まるで極東大陸の都市部で使われているという『カタナ』に良く似た爪を備えている。あれが、あの斬撃を生み出していのだろう。
「サーベルグリズリー……追跡者系最上位の魔物か……どうしてこんなところに?」
「分かりません……」
先ほどまで、このような大型の悪性存在の気配は無かった。そもそも、そんなわかり易いものがあるのであれば、マイヤがすぐに気づいている。
だが、彼女は気が付かなかった。では、唐突に現れたとでもいうのか? それは無いだろう。転移能力を持っている魔物の存在は、これまでに聞いたことも無い。もしもそんなものがいるならば、流石の学園も結界を貼るはずだ。
では、気配を消していた、ということなのだろうか。
それも考えづらい。上位悪性存在の気配という物は極めて察知しやすい。中には隠蔽能力をもっている者や、魔族の様に気配が薄いものもいるが、サーベルグリズリーや、シュウが以前戦った猿型の下級種を始めとしたチェイサー種には、そこまで高い気配遮断能力は無い。
だとすれば、つまり――
「……誰かが、意図的に……?」
「そんな……あり得ません、どうしてそんなことを……」
マイヤは顎に指を当てて考え込んでしまう。
シュウも、別の答えを探そうとするが、全くその回答は見つけられない。
「兎に角、この場を離れよう。他にも大型がいたら厄介だ」
「分かりました。私、少し先行して様子を見てきますね」
「頼む」
マイヤは光の翼を広げると、樹海の奥へと消えた。
「……本当に、何だったんだ……?」
シュウは、最早完全に砂となってしまった、追跡熊の倒れた場所を見る。
しかしそこには何のヒントも存在しなかった。
「……」
奇怪な状況に、思わず押し黙ってしまう。
――その時だった。
「わ、ぁぁぁぁっ!?」
「――ッ!? アリア!」
アリアの悲鳴が聞こえたのは。
いつの間にか、自分たちよりも後を進んでいたのだろう。シュウはアリアを探して引き返す。
そこで見たのは、数頭のサーベルグリズリーに囲まれた、アリアの姿だった。
「アリア!」
「しゅう……! このこたち、なに……!?」
シュウの姿を認めたアリアは、泣き出しそうな表情で声を上げた。
「くっ……!」
歯噛みする。シュウの呪術では、サーベルグリズリーレベルの上位悪性存在には、傷をつけることさえ難しい。
不味い、やはりマイヤを引き留めるべきだったか――
――そう、シュウが思った時だった。
『グォォォォオオオオオ!!!!!』
サーベルグリズリーが、その刃のような爪を振りかざした。狙うは獲物――アリアだ。
「アリア……ッ!」
こうなったら一か八か。全力で『正義の火種』を――
「कोनाइदे!」
その時。
アリアの口から、ダエーワ語が飛び出した。
「कारुमादोराइबु!!!」
同時だった。突き出したアリアの手に、暗い、暗い闇が集まったのは。
瞬きの間に、それは収縮を終え――――次の瞬間、周囲を巻き込んでさく裂した。
「ぐ、うぉ……っ!?」
吹き飛ばされない様に注意するので精いっぱいで、一体何が起こったのかを全く把握できない。
ただ一つだけ、分かることがある。
それは――今の一撃は、アリアの周囲に居た魔物たちを、全滅させるには十分だった、ということだ。
ずずん、と音を立てて、刃熊たちはその場に崩れ落ちた。皆一様に、上半身はまるで切り取られたかのように無くなっている。
次の瞬間、彼らはまるで煙になるかのように消滅した。法術による死とも、物理的な死とも異なるそれは、恐らく――
「……魔術……」
魔族にのみ許された、魔力を用いて世界に干渉する技。
初めて見たため、確証は持てないが、あれこそが魔術なのだろう。
そして――
「その通りだ」
それを肯定する声が、一つ。
「……ッ!?」
シュウは半ば本能に導かれるように、アリアの前に立った。この声の主に、彼女を会わせてはいけない。ひりひりと凍てつくような重圧が、それを示していた。
まるで、その答え合わせをするかのように。
「ようやく見つけたぞ、魔族の娘」
声の主が、姿を見せる。
その外見に、シュウは見覚えがあった。
見覚えがある、どころではない。つい二時間前に、見たばかりではないか。
「……アルケイデスさん?」
アルケイデス・ミュケーナイ……銀髪に褐色肌の、氷の色の目をした偉丈夫。白銀の大剣を背負い、彼がそこに立っていた。
「……やはり、そうだったのだな、少年」
「……どういう、ことです」
恐ろしい。
純粋にそう思った。この男は、恐ろしい。
「そのままの意味だ。君からは魔族の気配がした――故に私は、君を追ってきた。イスラーフィールの情報操作は私には効かない。あの学園長棟でイスラーフィールと再会した時、気づいたよ。すぐに部屋を出て君を追った」
――邪悪だ。それは、シュウにとっての邪悪。世界にとっての『正義』。
イスラーフィールが言っていた。その男は、正義の権化である、と。
己の正義のためならば、どんな手段も使う男だ、と。
「……名前」
「む?」
「貴方の名前を教えてください。貴方は……アルケイデス・ミュケーナイなどという名前では無い筈だ」
最早、分かり切ったことではあるが。
「ふむ……良かろう。では、名乗ろうか」
そして銀褐色の『英雄』は、答える。
「特級法術師第二席、マグナス・ハーキュリー。その魔族の娘……甲種指名手配魔族、『ザッハーク』を殺しに来た」
本日もお読みいただきありがとうございます。ブックマーク一件増えた……!? 嬉しい……。
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