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やがて天則の救世主  作者: 八代明日華
第一章:邪竜の巫女は唄う
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第九話『力在る者』

「アリアが法術を使った?」

「はい。経典の一節を読み上げさせたら、突然……」


 学園長室で資料を纏めていたイスラーフィールは、シュウの報告に顔を上げた。その黒い瞳が細められ、シュウの視線とぶつかる。これは――これは、特級法術師の目だ。シュウは直感的にそう悟った。悪戯好きの学園長ではない。最強の法術師の一人、アスラワン第四席としての目つき。


 イスラーフィールは細い指を顎に当てると、考え込む素振りを見せる。


「……ふむ……原因は?」

「分かりません。アリアは魔族です。法術を使用することはできないと推測されますが……」


 見栄を張る必要も、嘘を吐く必要もない。考えていることを正直に答える。基本的に、法術(ティスティ)人間パルスに、魔術(ヴェーダ)魔族トゥランにしか扱えない。法術の方はともかくとして、魔術に関しての説明は簡単だ。魔術は、体内の魔力(プラーナ)を引き出して使用する。人間は体内に魔力を有さないため、当然魔術を使用することもできない。


 勿論、魔力がこの世界に存在しないならば……そして、体内の魔力だけでしか魔術を使うことができないならば、という話だが。

 同様の理由で、魔族が法術を使う事も不可能なはずだった。


 だが――法術がなぜ発動するのかに関しては、いまだに謎が多い。そのプロセスは教会のファザー・スピターマならば知りえるのかもしれないが、アスラワンを含むすべての法術師に、その情報が開示されたことは無い。


 故に今回の原因も不明なのだ。アリアが法術を使えた理由が。そもそも理由を探るための前提が存在しないのだから。


 イスラーフィールも原因の追究は不毛だ、という結論を出したのだろう。椅子を引いて立ち上がると、厳し気な表情で口を開いた。


「兎も角様子を見よう」

「お願いします」


 シュウとイスラーフィールは、若干の駆け足で学園長室を出た。




 ***




「あ──先輩! 学園長先生!」


 客間が見えるほどの距離へと到達した二人を出迎えたのは、心配そうな表情をしたマイヤだった。彼女はシュウとイスラーフィールの姿をその目に捉えると、見るからにほっとした表情を浮かべる。


 今、自分はマイヤに必要とされているのだろうか――そう思うと、不謹慎ではあるが、少しだけ、嬉しい。

 その感情を振り切って、シュウはマイヤに問う。


「マイ、アリアの様子はどうだ?」

「今は落ち着いています。けど、傷つけてしまう可能性があるので、回復系の法術を使うこともできず……」


 悔し気な表情で俯くマイヤ。しかし、シュウは彼女の言葉を嬉しく思った。反射的に手が動く。シュウは、マイヤの青い髪の頭を、くしゃり、と撫でていた。


「あ……あの、せ、先輩? こ、ここここれは……」


 真っ赤になって動揺するマイヤ。断りもなく女性の頭を撫でるなどという無礼に怒っているのだろうか? 普段ならば、すぐにシュウは「すまない」と謝り、手をどけていただろう。


 けれども――今回ばかりは、溢れ出る喜びに、シュウはその行いを止めることができなかった。

 

「……ありがとう。約束、守ってくれたんだな」


 人を傷つけるために、法術を使わないでくれ――その願いを、マイヤは受け入れてくれたのだ。

 それが、シュウに計り知れない喜びを感じさせていた。


「え……い、いえ……当然の行いです。人命を救うのは、大切なことなので」


 いいや、確かにマイヤは変わった。アリアと出会う前のマイヤなら、ここで魔族に対して「傷つけてしまう可能性」を回避する、などという行動は取らなかった筈だ。

 初めて出会ったころの彼女ならなおのこと。寧ろ、これが好機とばかりに殺害に及んでいた未来まで見える。

 あの頃のマイヤはやけに刺々しく、魔族や悪性存在どころか、同じ人間すらも傷つけるようなところがあった。


 それが――そんな彼女が、半年たった今では、悪性存在を護ろうとしてくれている。


(やはり、マイは良い子だ)


 面と向かって言うと、また機嫌を損ねてしまうかもしれない。そう考慮して、内心で呟くに留めたシュウだが、頬が緩むのを隠すことはできなかった。


 と、その時。


「あー……二人とも、いちゃついているところ悪いんだが、アリアの容態を診せてくれないか?」


 イスラーフィールが、ニヤつきながら苦笑するという器用なことをしつつ、二人を諫めた。彼女の言い方が何か琴線に触れたのか、マイヤはまた真っ赤になって動揺する。


「い……いちゃ……っ!? な、何を言っているんですか!」

「っ、と。すみません」


 マイヤにももう一度謝ると、シュウは彼女から手を離した。


「あっ……」


 一瞬、マイヤが寂しそうな、名残惜しそうな表情を見せた気がしたのだが――きっと気のせいだろう、と思うことにした。そもそも、自分の手が頭から離れたくらいで残念そうな顔をする女性などこの世にはおるまい。寧ろ喜ばれるくらいのはずだ。


 次は自制するようにしないとな――シュウは心の奥で、硬く決意するのであった。



 ***



 マイヤに案内されて、ベッドで眠るアリアの元へとやってきたイスラーフィールが、まず最初に取ったのは法術を発動させることだった。

 

 マイヤのものとも、シュウの呪術のそれとも比べ物にならない程の、濃密な気配と共に、法術を使うための詠唱式がくみ上げられる。


我が正義に(ダエーナー・)光をくべよ(ウェイクアップ)――光輝なる者、暗愚たる者、その一切合切を裁き、繋ぎ、管理する。雄弁なる伝令を以て、汝に判決を言い渡す――これは審判である。『汝の罪状を述べよ。(マリア・マグダラ・)汝の善行を述べよ(アムネジア)』」


 ずん、と。

 シュウは、世界が重くなったのを感じた。


 ――()()。 


 アリアを覗き込むように佇むイスラーフィールの後ろに、何かが、()()


「……先輩。感じますか」

「ああ……法術が使えない俺でもわかる。これは――」


 これは、()()()()()()()()


 ガブリエラ・イスラーフィールという人間の操る法術。他の法術師とは、明らかに一線を画す、極めて特殊な力。


 ――法術、『顕現型(アヴァターラ)スラオシャ』。

 展開型(ディスチャージ)武装型(ブレイヴ)のさらに上に立つ、法術の究極形。

 同一の名称を持つ聖霊、スラオシャの権能を借り受け、現身としてこの世界に降臨させる技。


 テスタメントテラーの異名の通りに、審判に基づいた制約を司る事――それこそが、その本来の能力であると聞く。

 だが、審判を下すためには、無数の情報が必要だ。正しく、公平で、曇りのない、リアルタイムな情報が。

 それ故に、『顕現型スラオシャ』は、常時発動型の能力として、情報のコントロールという力を持つ。相手の情報を覗き見たり、人々の意識を誘導したり、果てには、世界の表層情報(テクスチャ)を書き換えたり――


 情報戦に於いて常に上に立つことができる。イスラーフィールが、『最強である』ことが加入条件の一つである特級法術師(アスラワン)の座に至れたのも、そのおかげだ。


 最も、彼女の力をもってしても分からないことは多々ある。例えば、シュウの両親は何者なのか、とか。この世界に法力は存在するのか、とか。その辺りの制約というものもまた多いと言うが、はるか下に位置するシュウにとって、彼女の(わざ)は、どこまでも万能の力に見える。


 その『顕現型スラオシャ』――奥義を発動させたイスラーフィールの周囲に、無数のホログラムウィンドウが出現する。映し出されていく文字は高速で移り変わるため、シュウの目では追いきれない。しかしイスラーフィールは、そのすべてを把握しているようだった。


 改めて見えた、学園長の凄まじさ。マイヤでさえも言葉を喪うその時間は数分ほど続き、ある時を境にふと途切れた。

 ウィンドウの全てが消滅し、イスラーフィールの背後に『いた』はずの重厚な気配も掻き消えたのだ。


「……はっ……」

 

 そこでシュウは、自分が息を止めてその光景を見ていたことに気が付いた。肺が酸素を求めて動く。流れ落ちる冷や汗は、強大な悪性存在と対峙した時とはまた別種の緊迫感によるものだ。


 ――凄まじい。


 その一言に尽きた。


 これが、特級法術師。

 これが、法術師の頂点に立つ七人の一人。

 これが、新時代の法術師を育成する学園、その長に任じられるものの力。


 何一つとして破壊も、暴威も、奇跡も齎していないのにも関わらず、それだけがただただ再確認できる――奇妙で、異常な数分間。


「……凄まじいな……」


 諧謔的、とでも言えばいいのか。イスラーフィールもまた、シュウのそれと良く似た言葉を漏らしたのだ。最も、その対象は、シュウとイスラーフィールでは全く異なったのだが。


 シュウはイスラーフィールの法術の凄まじさに感服したが、イスラーフィールは解析したアリアの情報に困惑しているのだろう。


「フェリドゥーン、お前、アリアは自分で発動させた法術の反動で苦しんでいた、と言っていたな?」

「はい」


 アリアが発動させた結界法術。悪性存在を退けるその力に、アリアは苦悶の叫びを上げていた。あの様子はシュウの頭から、恐らくは暫く離れない。苦しみもがくアリアの姿は、シュウの中にずっと巣食っている、『本当に自分たちは正しいのか』『悪性存在を滅ぼすことは間違っているのではないか』という疑念を余計に強くさせた。

 天則から、即ちは法術から、シュウ自信を遠ざける疑念だ。


 その回答に、イスラーフィールは、彼女にしては珍しく、張り詰めた表情で答える。


「あの瞬間……どうやらアリアは、ぼぼ同威力の魔術(ヴェーダ)を発動させて、結界を破壊しようとした様だ。それも、反射的に。瞬間的に、だ」

「それは……それは、高位の魔術を無詠唱で発動させたということあれですか!? あり得ません、『正義の聖神(ホーリー・オブ・)我に守護あれ(アヴェスター)』の魔術封印効果は、あれが共通法術だとは思えないほど高いのに……!」


 マイヤが悲鳴に近い声を上げる。


 シュウも呪術の役に立つのではないか、と、共通法術(サーサーン)と呼ばれる、法術師なら原則として誰でも使える、特殊な展開型法術の事は頻繁に調べている。その中には、上位の法術師でも扱う、強力な法術も含まれているのだ。

 『ホーリー・オブ・アヴェスター』は正にその一種である。極めて強固な、対悪性存在の結界を周囲に展開するこの法術は、魔術に対して非常に高い耐性を持つ。

 外部からの魔術的干渉を九割近く弾く上に、内部で魔術を使う事はほぼ不可能。おまけに、内部/外部問わずに、悪性存在にダメージを蓄積させていくという代物なのだ。

 重要な都市や建造物の周囲には大体貼られているほどの、極めて利便性の高い法術なのである。


 ――ちなみに、学園には貼られていない。侵入した悪性存在への対処を実習として行うことがあるからだ。


「何にせよ――アリアには極めて強力な魔術師の素質がある、という事だろう。恐らくは、法術さえもコントロールできるほどの。だが同時に、それを制御することが難しい、という事も分かった。このままでは、魔術も法術も、いずれ暴走するだろう。何とかして制御させてやりたいものだが……」


 イスラーフィールが、暗い表情で俯く。

 

 単純な話だ。

 アリアの力は強大で、言い方は悪いが『危険』なのだ。アリア本人が、無垢で純粋な、可憐な女の子であっても、その力は人間を脅かす。

 

 彼女を普通の女の子として生活させてやりたい――その思いは、ここにいる三人全員にあるはずだ。人間の世界で生きるのであれば、法術への耐性も必要だろう。法術をコントロールできるようになれば、耐性を付けることも可能なのだろうが……。


「……せめて俺に、それだけの力があれば……」


 歯噛みせざるを得ない。

 シュウに法術は使えない。それ故に、アリアに言葉を教えることはできても、法術を教えることはできない。

 己の力不足――常日頃から感じている悔しさが、ここに来てまた一つ、募る。


「私がやります」


 そんなシュウを救ったのは、やはり、マイヤだった。

 彼女の澄んだ声が、客間にしっかりと響く。


「私が、アリアさんに法術の使い方を教えます」


 真剣な表情の彼女に、イスラーフィールは「ほう?」と眉を上げた。


「今のままのアリアさんでは、法術を発動した時に効果がダイレクトに自分に反映されているんです。だから魔術を反射的に使ってしまい、両者ともに暴走の危険性があるのだと思います。切り離す方法はあります。先輩がスプンタ語を教えるのと並行して、私がアリアさんにそれを伝授します」


 マイヤの青い瞳に映っているのは、決意だ。きっ、と引き結ばれた口からは、必ずアリアの暴走を止めて見せる、という強い意思が感じられた。


 嗚呼――彼女は今、種族の垣根を越えて、人を助けようとしているのだ。

 そのことに気が付いて、シュウは言いようのない感情に駆られる。


 喜び。感動。それから――感謝。何度でも感じる、この感覚。マイヤ・フィルドゥシーという少女への感謝。


 同じように思ったのか。それとも、別のことを想ったのか。

 イスラーフィールは、ふっ、と笑った。


「面白い。フェリドゥーン、お前も習ってみろ」

「え?」

「呪術を使うときのヒントになるやもしれんからな」


 法術を早く使えるようになれ、とは、イスラーフィールは絶対に言わない。

 シュウが天則に従わないこと。それは、彼女にとっては『悪』ではない。


 そのことが、少しだけ。

 シュウの中で、救いになっていた。

 今回もお読みいただきありがとうございます。

 長い間お待たせしました! 八月中に結局更新することができず、大変申し訳ございませんでした。

 十話・十一話は、明日・明後日と続けて更新できそうです。

 

 何かお気づきの点などございましたらよろしくお願いします。

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