第五話 ダークとハーフと新たなはじまり
ぼくのお父さんは矢というもので殺されました。
矢というのは、遠くから飛んできて、ずぶっと刺さって、血がいっぱい出るものです。
血がいっぱい出て、お父さんは動かなくなりました。
ぼくのお母さんは罠というもので捕まりました。
草が足に引っかかって、動けなくなったところを、アイツらが連れて行きました。
たぶん食べられたんだと、いまならわかります。
ぼくが草や木の実を食べるのとおなじように、アイツらはぼくらを食べます。
アイツらは二本足で歩いて、頭が高いところにある、毛がうすい生き物です。
とてもこわい生き物です。
ぼくはアイツらが、きらいです。
ぼくはアイツらに見つからないよう、いつも息を潜めていました。
今日は、いつもよりもっとずっと、息を潜めています。
すぐ近くにたくさんのアイツらが、います。
足音がたくさん聞こえます。
重たい足音は、ギラギラした硬い殻を身につけているからだと思います。
先頭の足音はちょっと小さいです。
硬い殻でなくて、柔らかいふわふわをつけてるんだと思います。
アイツらは柔らかい皮や硬い殻を付け替える、へんな生き物なんです。
小さな足音の主は、息づかいが荒いです。
すごく怯えているような音をたてています。
どうやらアイツらはアイツら同士で喧嘩をしているみたいです。
先頭のやつを大勢で追いかけて、矢を飛ばしたり、風を起こしたり、火を投げたり、地面を揺らしたりして、ものすごく怖いです。
「ごめんなさい……ゆるして……ごめんなさい……」
先頭のやつは泣いてました。
泣いてるのに、追いかけてくるやつらに許してもらえなくて、可哀想だと思います。
アイツらとおなじ、二本足で走る生き物だけど、ぼくに似てると思いました。
いつもアイツらに追われて怯えてる同士、しんきんかんがわきます。
だからかなぁ。
ぼくはついつい、茂みから飛び出して、その子のまえを横切ってしまいました。
その子をちらりと見て、誘いかけます。
「むきゅう」
ついてこい、と言ったつもりです。
二本足たちは頭が悪いから、ぼくらの言葉がわからないけど、その子はなんとなくわかったみたいです。頭がよくてえらいです。
その子を連れて、ひみつの巣穴に入ります。ぼくが掘った穴です。
地面にななめに掘った穴で、入り口に草がいっぱい生えてて、外からは見えないです。
その子はしゃがんで入ってきました。
二本足だと頭が高くて、いろんなところに引っかかるだろうに、なんで四本足じゃないんでしょう。頭が悪いと思います。
ぼくはアイツらがきらいです。
父さんと母さんをころして食べたアイツらが、こわくて大きらいです。
でも、その子はきらいになれません。
びくびく震える姿が、ぼくにちょっと似てるから。
「むきゅ、むきゅ」
ぼくはその子のほっぺを鼻ですりすりしました。
毛が生えてないツルツルのへんな顔。でも、不思議と気持ち悪くない。
茶色くてスベスベで、なんだか気持ちいい。
胸のあたりは、例の取り替えできるふわふわ皮に包まれているんだけど、そこに手を置くと、ぷにゅんぷにゅんって柔らかくへこんで、なんだか、なんだかもう、ものすごく、もうなんだか、たのしいです。
ぷにゅんぷにゅんしながら、すりすり。
お股のあたりにえもいわれぬ熱さがふつふつとわいてきます。
すごく、力強い。
ぼくはオスとしてひとつ上の存在になろうとしているようです。
「……ぐすっ、ううぅ」
その子は急に鼻を鳴らして、ぎゅっとぼくを抱きしめました。
「うえぇ、ごめんなさい、ごめんなさいぃ……あうぅう、うぐっ、ふえぇえぇ……」
「むきゅ、むきゅうぅうう」
押し潰されて苦しいけど、ぷにゅんぷにゅんに埋もれていく感覚、すごくイイ。
ああ、イイ……あまりにもイイすぎる……
このままぷにゅんぷにゅんに溺れて、死ぬのも、イイかもしれない。
オスのほんかいってやつ? ぐふふ。
それからしばらくして、たくさんの足音は遠のいていきました。
一安心です。
ぞんぶんに、ぷにゅってやろう。かくごしろ。
「たすかった……?」
ふっと、その子はぼくを離しました。
えー?
なんでさ。
なんでそういうことするの?
ぜんぜんぷにゅり足りないんだけど。
きみ、他人のきもちわからない子?
「よかった……なんとか、お告げどおりに持ち出せた……」
その子はぼくでなく、持ってきた長細いものを抱きしめました。
ちくしょう。ふわふわ皮でグルグル巻きにされた、長細いやつめ。
よくもぼくを差しおいてぷにゅぷにゅに埋もれやがって。
おまえは絶対にゆるさないぞ。
「あとは……御使いさまにこれを渡さないと……」
その子はぽつぽつと、ひとり言をはじめました。
自分がいまどういうアレなのか、整理しようとしてるみたいです。
話によると、まず、その子は奴隷らしいです。
奴隷というのは、二本足たちのしたっぱで、コキ使われるものです。
その子は、むのーで、きたなくて、みにくいから、たくさん叱られたそうです。
けられたり、なぐられたり、したそうです。
すごくかわいそうです。
一番かわいそうなのは、そういった仕打ちを、受けいれてることです。
「わたしみたいな、けがれた半端者を養ってくださった方々を、裏切ってしまった……ああ、ごめんなさい、ごめんなさい……」
その子が謝っている相手は、じぶんをなぐったりけったりした連中みたいです。
しんじられないです。
怒って、にくんで、ああああってなるのが当然なのに。
そういうふうに思うことじたいが、悪いことだと思ってるみたいです。
「でも……お告げが……祖神エルドベリアさまのお声に従わないと……世界が滅びてしまう……」
よくわからないけど、えるどべりあ、というひとがやらせたみたいです。
長細いグルグル巻きは、二本足たちの宝物だけど、えるどべりあが、ぬすませたんだって。
みつかい、というやつにグルグル巻きを届けるのが、その子のやるべきことみたいです。
「世界を救うために……わたしの命を、使わないと……」
その子の声を聞いてると、なんだか悲しくなります。
なにかをしてあげたいって思います。
だから、ぷにゅんぷにゅんを諦めて、横からしがみついて、すりすりしました。
その子は、ふふ、と息を吹いて、口のはしっこをほんのすこし持ちあげます。
「ありがとう……ウサモスさん」
ぼくを見つめる目は黒くてキラキラしてました。
なんてキレイなんだろう。
こんなにキラキラなもの、お日様の光でキラキラの川しかしりません。
ぷにゅんぷにゅんでキラキラなその子のことが、ぼくは、だいすきになりました。
「わたしなんかが、だれかの役に立てるなんて、ほかにないから……わたし、がんばります。ありがとうございます、ウサモスさん」
その子はぼくの頭を撫でて、隠れ穴から頭を出しました。
ぴたりと止まります。
ひっ、と息を飲む音が聞こえました。
「貴様ごとき半端者がなんの役に立つと言うのだ?」
穴のすぐ外から、怒ったみたいな怖い声が聞こえます。
たちまち、重たくてかたい殻の擦れる音がいっぱいに増えました。
ああ、そうだった。
アイツらは風と友達になって、足音や息づかいを消してもらえるんだった。
「あっ、ああぁ……!」
その子は穴の外に引きずり出されて、ガクガク震えてましたが、
ごすっと痛い音が聞こえて、倒れました。
血の匂いがします。その子の鼻と口から、赤いものが流れ落ちてます。
叩かれたんだと思う。硬い殻につつまれた前足で。
ぼくは、なにも考えられなくなって、穴から飛び出しました。
「むきゅうぅううッ!」
「むっ、なんだこのウサモス!」
その子をなぐったやつに飛びかかって、噛みつきました。
でもその殻は木の皮なんかよりずっと硬くて、ぼくの自慢の前歯は滑るばかりです。
「ええい、わずらわしい!」
いたいっ。
顔なぐられたっ。
べちゃって地面に落ちたら、今度はお腹が痛くなった。けられたんだ。
転がって、その子にぶつかって、止まった。
ぼくたちは身を寄せあって、震えます。
「欠け耳の半端者が畜生と傷のなめあいか?」
わはは、わはは、と殻つきの連中が変な音を口から出します。
なんとなく、ぼくたちをバカにしているんだと思いました。
その子はぼくを抱きしめました。
さっきと違ってすがりつく感じじゃなくて、むしろ、かばうみたいに。
「こ、このウサモスは……たまたま、ここにいた、だけなんです……! だから、どうかお許しください、騎士さま……!」
「違うだろう……貴様が第一にすべきことは命乞いでなく、われらが至宝を返すことではないのか!」
「こ、これは……エルドベリアさまのお告げを受けて……!」
「笑わせるな! 祖神がなぜ卑しい半端者にお声をくださるというのだ!」
そいつは長くて硬いものをブンッて振り付けてきました。
ぼくはとっさに、その子の手を振り払って、身を投げ出します。
いたいっ。
横っ腹がすごく痛くて、ふっとばされて、頭を打ちました。
あと、手を振り払ったひょうしに、その子の手からグルグル巻きがこぼれ落ちて、グルグルがほどけて、変なものがこぼれてきました。
三日月みたいなかたちの木の枝に、蔓のようなものを張った、なにか。
お父さんを殺した、矢というものを、飛ばす、弓というもの。
「貴様、至宝を……! 祖神が御使いより受け継いだ神弓ケイローンを土で汚したか!」
けいろーん。
御使いの、神弓。
頭がガンガンする。痛い。割れそう。
「その命をもって償え、奴隷風情が!」
「あぁ、あ、あぁ……!」
その子は、こわがっていたけど、ふいに、
ふう。
と、息をつきました。
そして、その体から力が抜けていきます。
まるで、しかたない、と諦めるみたいでした。
ぜんぶじぶんが悪いんだ、というみたいでした。
違う。
そんなのぜったいに、違う!
「むきゅうううううぅううううううう!」
ぼくはなぜかケイローンに飛びついていました。
ほんのー的な行動ってやつ?
そしたら、前足でケイローンに触れたら、頭がもっとガンガンして、ぶわーって、ぐわーって、
ものすごいなにかが、なんか、ええと、なんていったらいいのかな。
ええと、そうだ。
記憶だ。
記憶の奔流が頭のなかを駆けめぐる。
過去、なにがあったか。
かつて、ぼくがなにをしたのか。
ぼく――俺がいったい何者であり、なんのために転生したのか。
いまなら理解できる。
ケイローンの使い方も、鎧で武装したモノたちが何者であるのかも。
褐色の肌に長い耳の容姿端麗な妖精種をなんと呼べばいいのかも。
「剣を引け、ダークエルフたちよ!」
俺が怒鳴りつけると、剣の腹で俺を殴りつけたダークエルフが硬直する。
あたりをキョロキョロと見まわす。
後ろの連中も一緒になってキョロキョロと。
「これ以上の暴挙は神の御使いノクトの名において禁じる!」
前足で弓をつかもうとしたけど、残念ながら四足獣の指はそんなに器用じゃない。
そこで閃き。
耳でつかんでみる。
できた。
マジで? って自分で思ったけど、なんとなかった。
ウサモスの耳、器用すぎる。
問答無用で光風の矢を射出する。
ダークエルフたちが反応するより先に矢が分裂し、彼女たちの得物を粉砕した。
「ここは退け、ダークエルフたち! 個人的には褐色も好きだから爆散させたくないです!」
ぴょんぴょこ跳ねてアピールすると、ようやく視線が俺に集まってきた。
ダークエルフたちはぽかーんと口を丸くする。
全員、女である。
褐色肌の美しい美女部隊だ。
愛くるしいモフモフ獣が凛々しく弓を構えているんだから、目を奪われるのも当然のこと。
女の子って可愛いものが好きだからね。
キュンとくるだろう。モフりたくなるだろう。
同時に、圧倒的な戦力によって理解せざるをえないだろう。
俺こそが神弓の正当な所有者、御使いノクトであると。
間もなく彼女たちは我に返り、衝撃に声を張った。
「ウ、ウサモスがしゃべった……! 気持ち悪ッ!」
なんですと。
「な、なんで畜生が神弓を引けるのよ! キモッ!」
「よくわかんないけど胡散臭くてキモーイ!」
「顔もよく見るとドヤッてしててキモーイ!」
「逃げたほうがいいぞ、みんな! キモいから!」
キモキモ言いながら逃走するダークエルフ美人小隊。
取り残された、俺。
弦を緩めて光風の矢をほどき、力なく背後の少女に振り返る。
「……俺、キモいの?」
肯定だけはしないでほしかったけど、さいわいその心配は杞憂に終わった。
彼女はひれ伏し、地面に額を擦りつけている。
「御使いさま……ああ、御使いさま……! わたしなんかを助けるためにぶたれて、剣で叩かれて、ああ、申し訳ございません、ごめんなさい……!」
どうやら彼女にとって、俺はキモいUMAどころか崇拝対象のようだ。
安心していいのか悪いのか。
俺は前肢でちょいちょいと彼女の肩を叩いた。
「顔をあげてくれ。多少殴られたけど、ウサモスは案外丈夫なんだ。そっちこそだいじょうぶか? さっき血が出てたけど」
「ご、ごめんなさい……! わたしなんかの血で、御使いさまのお庭を汚してしまって……」
「いや、そんなことは言ってないけど」
少女は額をすこし浮かせ、血のしたたる鼻と口を手で覆った。
顔をこちらに向けることはない。
土下座スタイルが様になっているのは慣れているからだろう。
見るからに不遇な少女だった。
身につけているのは服とも言えないボロ布。
晒された褐色の肌にはいくつもいくつも傷跡がある。
肩の薄さや下半身の細さからして、せいぜい中学生程度だろうに。
ごく一部分、ぷにゅんぷにゅんの豊かなものがあったけれど、それはともかく。
注目すべきはボサボサの黒髪から飛び出した耳だろう。
さきほどのダークエルフたちにくらべると、やや短いように見える。
「ハーフエルフか?」
「はい……お見苦しくて、申し訳ございません」
異なる血の混ざりあった者が忌避されることは珍しくない。
彼女は産まれてからずっと半端者と嘲られ、嫌われ、殴られてきたのだろう。
迫害の数々に尊厳を削ぎ落とされていった結果が、この土下座だ。
文化レベルで根付いた差別をまえに、俺ができることなんてあまり多くない。
「――モフれ」
たぶんそれが、いま現在の俺にできる最高の励ましだ。
「もふ……?」
「命じる。俺を抱きしめて、モフモフっともみくちゃにしろ」
「そ、そんな無礼なことは……御使いさまが汚れてしまいますし……」
「しーてーくーれー! むしろ俺がしてほしいのー! してくれないとやーだー! モフモフもみもみくちゃくちゃキュッキュッって! しーてーよー!」
子どもになったつもりで両耳をびゅいびゅいと振りまわす。
さしもの自虐少女もだだっ子には根負けした。
「で、では、失礼して……」
彼女はそっと上体を起こした。
恐る恐る伸ばす手がか細い。俺のほうが抱きしめてやりたいぐらいだ。
きゅっ。
最初はソフトに抱きあげてくる。
俺の後頭部がちょうど柔らか玉(ダブル)に埋もれる体勢。
「ほふうぅ」
「い、痛かったでしょうか……? お嫌でしょうか……?」
「いや、イイ! すごくイイから、この調子でモフってくださいお願いします!」
うん、キモいわ俺。
そらダークエルフも逃げるわ。
「では……もうすこしだけ……」
彼女の手つきからほんのすこし遠慮が消えた。
毛繕いをするように優しく俺を撫でる。
モフり感が足りないけど、それはそれで心地よい。
あと後頭部のぷにゅぷにゅ感は至上の快楽です。ぐへへ。
「御使いさま……あったかい……」
「そうだろうそうだろう、寒い夜もウサモスが一匹いればしのげるからな」
「伝説によると、御使いさまのお供がウサモスという話でしたが……本当はウサモスこそが御使いさまだったのですね」
「いや、それは、うん、転生時の手違いというか」
前世で魔王を倒したあと、いろいろ異変があったから、そのせいだろうけど。
差し当たっては、彼女の口にした「伝説」という単語が気になるところ。
どうやらジジィだったころから結構な時間が経っているようだ。
さすがにユニはもう生きていないだろう。
エルドベリアはどうだろうか。長命種だからいてもおかしくはないが……
それに、この世界におけるダークエルフというのは、いったいどういう存在なのか。
すくなくとも前世では見聞きしなかった名前だ。
御使いやエルドベリアを敬っている以上、エルフの敵対者ではなさそうだけど。
「いろいろと情報整理しないとダメだな……ええと、キミ、名前は?」
「イヌです……」
予想外のネーミングきた。
「個性的な名前なんだね、うん」
「みなさまがそう名乗れと……」
カチンときた。
ダークエルフというのは邪悪な種族なのかもしれない。
「親のくれた名前はべつなんじゃないのか? できればそっちを教えてくれ」
「でも……それを名乗ったら、わたしを敵性存在と見なすと……」
「御使いが許す。名乗りたまえ」
できるだけ偉そうに言う。ウサモスの姿じゃ様にならないけど。
御使いの免罪符という形式なら、彼女も多少は安心して名乗れるだろうから。
彼女は手を震わせ、喉を震わせ、ぼそりと名を漏らす。
「……ユ、ニ」
震えが満身に広がっていく。
たぶん、その一言で長年の鬱屈が解放されたのだろう。
一度口にしてしまえばもう止まらない。
「わたしは、ユニです……ユニ、なんです……!」
ユニはとうとう涙まで流した。
俺を抱きしめる手にも力がこもる。
力がこもっても、なお、ひどく弱々しい。栄養状態があまりよくないのだろう。
「今後ともよろしくな、ユニ」
俺は耳で彼女の涙をぬぐってやった。
なんて幸先がいいんだろう。
彼女の名前が、ユニ、ときた。
俺はまたユニとふたりで旅をはじめるんだ。
しかしひとつ、問題がある。
ウサモスとして転生したことに文句のひとつも言いたいが、それは置いといて。
そもそも俺、今度はなにすりゃいいの?