第四話 炎魔と魔王と、闇、光
ジジィとエルフの連合軍は攻略開始から数分でデルクラン城塞に阿鼻叫喚をもたらした。
「ヒイィイイッ、ジジィだぁー! ジジィが攻めてきたぁー!」
「噂の虐殺ジジィがウサモスに乗って現れたぁー!」
「イヤだぁー! 老いぼれに射殺されるなんて不名誉な死に方はヤだぁー!」
城壁を撃ち壊し、逃げ惑う魔族を掃射する俺は、輝くほどに絶好調。
厳密に言うと輝いているのは俺でなく、俺用にあつらえられたフルプレートアーマーだけど。
魔法銀と呼ばれるミスリル製なので、見た目に反して羽根のように軽い。
俺を乗せたウサモスは軽快に砦へと突入する。
「この輝きを恐れよ、魔族ども! 逃げるのはいいけどこっちくんな! 綺麗な鎧だから返り血で汚さないでほしい!」
「御使いにつづけ、わが愛し子たちよ!
エルフたちも後続して雪崩れこんできた。
先頭はエルドベリア。精霊王を引き連れ、浮遊しながらスライドしてくる。
洗脳されたエルフを見つけると、俺の矢から風をはぎ取って、光の衝撃で意識のみを奪う。
「この連携も慣れてきたものだな、ノクトよ」
「俺はただブッ放すだけだし楽ちんでありがたい」
「なあに、これも助けあいだ。防御もわれに任せるがよい」
反撃の矢なり魔法なりがあっても、精霊王が出現して防いでくれる。
逆にこちらの攻撃は敵側の防衛をたやすくを凌駕した。魔族側はろくに防戦もできない。
「ダ、ダメだ、エルフどもにチビ祖神までいやがる!」
「ガキみたいな外見のくせになんて精霊使いだ……!」
「チビのくせに……!」
「無乳のくせに!」
「寸胴のくせに!」
「イカ腹のくせに!」
「……やかましい」
エルドベリアが腕をスッと横に振るえば、精霊王たちが次々に荒れ狂った。
竜巻やら巨岩やら木の根やらウォーターカッターやらが城塞ごと魔族を蹴散らす。
「ドルカーンも言っていたな……ジャリガキもどきが盟主を気取る馴れあい集団など反吐が出ると」
彼女はそう語りながら、永久凍土も真っ青の冷たい目をしていた。
「エルドベリアさんマジギレしてらっしゃる?」
「はは、マジギレとな? ははは、はは、はっはっは、ははっ――そんな言葉で収まるものか」
「なんかごめん、変なこと聞いてごめんなさい」
「この姿を嘲るならば嘲ればいい。見下したくば見下せばいい。われへの背信ならば、寝首をかけばそれでよかろうに。だが、きゃつはこの姿が気に入らぬからと、多くの仲間を裏切り、愛し子たちを騙し討ちして、魔王の贄とした……許せるわけがあるものか」
彼女は自分の姿を恥じているのではない。
つるぺたすっとんな体型が物足りないといじけているわけでもない。
その姿が原因となって生じた理不尽な悲劇を憎んでいるのだろう。
「あー、俺はちっこいエルドベリアが好きだぞ?」
「それは知っている。われの素肌を見る目がたびたび熱を帯びていた」
「……なんのことじゃ? ワシはただのジジィじゃからのう。あー、ユニはかわいいのうよしよし」
「むきゅ、むきゅ」
「誤魔化さんでもよかろうに。われらは一夜をすごした仲だろう?」
振り向いたエルドベリアの顔は一転、たおやかな笑みを浮かべていた。
そんなこんなで城塞の制圧はトントン拍子に進んでいく。
敵はすでに残党と呼ぶべき小規模勢力となっていた。
「将軍だ、将軍を呼べ!」
「でもあの将軍、熱すぎてちょっと……」
「言ってる場合か! つーかなんでこの後に及んで寝過ごしてんだ、あの火だるま!」
見渡すかぎり魔族たちはほうほうの体である。
こんなに手応えのない砦攻めははじめてだ。
俺とエルフがそろった時点で怖い物なしではあるけど、そもそも組織だった動きが見当たらない。
洗脳されたエルフを解放するという目的がある以上、こちらにも隙はあるはずなのに。
「まあいいか。さっさと終わらせてお茶でも飲みたいし」
なんとも幸せな老後である。
冷たいけれど美人なエルフに囲まれて、可愛らしい祖神やモフモフな相棒とひとつ屋根の下。
彼女らと飲みかわすあたたかいお茶を思えば、それだけで胸がほっこりした。
ほっこり生活のため、逃げ惑う魔族たちに狙いを定める。
苦しめる趣味はないので、一発で爆散させてやろう。
と、思った瞬間。
業火が魔族たちを包みこんだ。
球状に凝縮した紅蓮色は悲鳴をあげる暇も与えずに彼らを炭にする。
エルドベリアの仕業ではない。炎の精霊王は別口で魔族をバーベキューにしている。
「――逃亡者ハ燃ヤシテイイト陛下ハ言ッタ」
その炎は片言の声を発しながら変形していく。
五つの角を持つ星型になったかと思えば、黒い鎧が飛んできて炎の揺らぎを内側に収納する。
仕上がったのは二本の足で大地に立つ炎人だ。
顔に相当する部分には獣の頭蓋骨のような影が浮かぶ。
「イグニスか……!」
エルドベリアが声を高くした。
「知ってるのか、エルドベリア」
「わが《十二の初子》の末子ニーシェの契約精霊だ! 神代の戦争で軍神の乗馬を務めたほどの神格! あやつだけは精霊王でも抑えきれぬ!」
危険な存在ということは見ればわかる。
足下の土は赤熱して沸騰しているし、周囲の気温がぐんぐん上昇していく。
「陛下ノ命ニ従イ――御使イヲ殺ス」
イグニスの下肢がまた変化した。
二本足が四本足の馬状に。ケンタウロスというやつか。
俺はすぐさま弓を構えた。
動くまえに撃ち抜かなければこちらがやられそうな予感が――
タンッ。
やつの姿を見失った。
速い。踏み出す瞬間すら見えなかった。
熱源はいつの間にか背後にある。
いや、もう一箇所あるか。
俺の腹にすさまじい熱が生じている。
「がッ、あがぁああ……!」
槍状に窄められた炎が鎧のわずかな隙間から俺の腹を貫通していた。
内臓が一瞬で炭化して、すぐに全身の皮膚が炎上する。
間一髪でユニから飛び降りた途端に、俺は火だるまになった。
「むきゅううううぅー!」
「ノ、ノクト!」
一匹とひとりが俺に駆けよろうとする。
しかし俺は手の平を突き出して制止した。
喉を焼かれて激痛に喘ぎながら、懸命に声をかける。
に
げ
ろ
ジジィにしても情けないかすれ声だった。
最後に力を振り絞って矢を放つ。
狙いはイグニス、その足下。
着弾とともに爆発した。
もうもうと立ちのぼる土煙がイグニスの視界を塞ぐ。
「アア……煩ワシイ」
爆炎が土煙を晴らすころ、エルフたちは風に乗って城塞から脱出していた。
ユニも一緒に運ばれながら、必死で俺のほうに前肢を伸ばしている。
「むきゅ! むきゅうううう!」
「もはやノクトは手遅れだ! 生きのびることを考えよ、ユニ!」
ありがとうエルドベリア。
これで俺は安心して目を閉じられる。
老いさらばえた肉体は骨まで焼きつくされ、灰になった。
ノクト爺さんは、ここに死んだのだ。
デルクラン城塞は停止した。
動くものはただひとつ、燃えさかる炎魔イグニスのみ。
「ダレモ……イナイ……」
ゆっくりとあたりを見まわす。
兵も騎士もいない。敵もいない。
城塞は跡形もなく撃ち壊され、どこもかしこも瓦礫だらけだ。
イグニスが暴れたせいであちこち火までついている。
キラキラと火の光を照り返すものがあった。
人間だった灰のうえで銀色に輝くのはミスリルの鎧と兜。そして木製の弓。
「キレイ……スゴイ……宝物……」
イグニスは恐る恐るそれらを持ちあげた。
ミスリルはもちろん、木の弓にも火が燃え移ることはない。
「オレノ炎デモ、平気ナ、宝物……」
炎の魔人はかすかに声を震わせていた。
そんな感動もすぐに萎れていく。
「陛下ニ献上スル……オレノモノジャナイ……陛下ニ、褒メテモラウ……」
イグニスは爆炎で一部の瓦礫を吹っ飛ばした。
晒された石畳には半径十メートルほどの巨大な魔法陣が描かれている。
彼は宝物をその中心に据え、たどたどしく独りごちた。
「陛下ニ貢ギモノ――送ル――」
魔法陣の隅に手を置いて魔力を流しこめば、陣がまばゆく光りだす。
光は鎧兜と弓を飲みこみ、徐々に薄れていく。
「アア……キレイダッタナァ……」
人型の炎は消えた宝物を想って空を仰いだ。
召喚先では神官風のローブを着た魔族が待ち構えていた。
顔には鼻も口も耳もない。
バレーボール大の眼球で貢ぎ物を検分する。
炎魔の高熱に耐えうるミスリル銀の鎧兜。
おなじく炎を凌駕した神の武器たる木製の弓。
じきに魔族は納得したらしく、触手状の両腕を伸ばしてそれらを盆に据えた。
盆は頭に乗せてすり足で城を進んでいく。
階段を登り、天井の高い大広間に入ると、その場で膝をついた。
「八魔将《鬼炎のイグニス》より献上品にございます」
百メートルほど前方、突き当たりの壁の手前に玉座があった。
厳かに座するは、漆黒の鎧に紅色のマントを羽織った巨体。
ただそこにいるだけで地響きが聞こえてくるような存在感がある。
魔王。
世界を狂わせる因果のねじれがそこにあった。
「――痴れ者」
その、一言。
魔王の吐き出した、ただの一言。
それが聞こえた瞬間、一つ目の魔族は爆発して消滅した。
ただの音が魔王の口を介した瞬間、万雷に等しい呪詛となるのだろう。
盆が音を立てて床に落ち、鎧と弓が散らばった。
「いつまで、おどけている――御使いよ」
魔王はフルフェイスの兜の下で眼光をぎらつかせた。
それは文字通り稲妻となって大広間を走り、ミスリルの鎧兜を撃ち据える。
「いってぇ!」
鎧兜が跳ね、そのまま透明な人体を包みこむように浮遊する。
だが、そこにはけっして透明人間なんていない。
肉や内臓はひとかけらもなく、あるのは鎧と兜と弓しかない。
それでも俺は、ここにいる。
魔王のまえに立ち、神弓ケイローンを構える。
ミスリル製のリビングアーマーとして、俺は存在していた。
「――死を介して魂魄を鎧に移したか」
「献上品って形でなら城に潜りこめると思ってな。そしたらドンピシャだ」
神精郷に保管されてた最高級のミスリルで作らせた逸品である。
ガタのきた老体よりはずっと頑丈だ。一石二鳥と言っていい。
あとはどうやって殺されるかが問題だったのだけど。
……イグニスにはわりと素で負けた。
あらかじめ鎧の裏地に憑依転写用の魔法陣を描いていなければ危なかった。
でも、いまの俺ならイグニスにも負けない。
エルドベリアみずから丹精こめて魔法を練りこんでくれたボディだ。
ケイローンを引けばかつてない力強さに弦がきしむ。
光風の収束率が段違いに向上している手応えがあった。
魔王の威圧感は息苦しいほどだけど、あいにくいまの体に呼吸は必要ない。
やれる。
撃ち抜ける。
目の前の宿敵を。
「なるほど……奇しきは縁。いや、鏡あわせか」
「どうゆうこと?」
「貴様は光の神々の御使いであり、この私は破壊神の御使い。変わらぬ、なにも変わらぬ」
魔王が腰をあげる。
ゆっくりと、鎧の膝をきしませながら。
やつの周囲が暗くなっていく。陽炎のように城の形が歪んで見えてくる。
ただ立ちあがるだけで闇と歪曲をもたらすのが、魔王という存在なのだろう。
「わが父――《世界を試す神》はこの私に悦びと恐れを授けた」
「なんの話?」
「世界を壊す至上の悦び。ねじれが広がるたびに細胞ひとつひとつが法悦の極みに達する。性的絶頂を万に億に積み重ねるがごとく、那由多に無量に果てしなく。ああ、やめられぬ。とめられぬ。ゆえにこそ――恐ろしい」
「いや、だからさ、そういう個人的な性的嗜好を語られても、敵対関係にある俺としては困るっつーか」
「ああ、恐ろしい……この悦びを止めようとするものたちが、こわくてたまらない」
この魔王、ひとの話を聞く気配がない。
「エルフどもが。人間どもが。ドワーフどもが。なにより御使いが、とてもこわい」
漆黒の鎧はカタカタと小刻みに音を鳴らしている。
震え。それも恐怖からくる律動。
そう理解したとき、三メートルはあろうという魔王の巨躯がやけに小さく見えた。
「おまえ、きらいだ」
それは子どもの声だった。
直後、大広間が闇に包まれた。
「な、なんだなんだ……! うわっ、黒っ!」
一面の、黒。
壁や天井はおろか足場も見えない。感じられない。
宇宙空間に放り出されたみたいな浮遊感に、上下感覚も削ぎ落とされてしまう。
ただひとつ、正面に浮かぶ魔王の存在感だけははっきりと感じ取れた。
「けしてやる」
魔王が両拳を打ち合わせると、衝突部に渦状の空間歪曲が生じた。
両手を開けばねじれが伸びあがって矢となる。
半身になって尖端をこちらに向けてきた。
俺とおなじく弓で矢を射出する構え。
「なるほどな……鏡あわせだ」
暗黒の世界で白銀の鎧と漆黒の鎧が対峙していた。
勝負はおそらく一撃で決まる。
いや、確実に決まる。
俺のすべてを注いで決めてやる。
エルフにとって住みよい世界を造りだすために。
エルフたちがのんびりとユニの世話をしてくれる未来を守るために。
生まれ変わるならそんな優しい世界がいいから。
「きえろ、光の御使い!」
「お望みどおり消えてやるッ!」
双方が矢を放つ瞬間、俺は最後の手段を解放した。
「トランスフォーム!」
叫んで変形開始。
正確には俺が憑依している鎧がガキョンガキョンと組み変わる。
ミスリル製の自分アロー完成!
「えっ、ちょっ、なんだそれは!」
「いくぞ必殺! 《あまねく世界を照らす光、すなわち祝福――なれど汝に光なく、光なくば闇なく、還る場所は虚無なり、あと俺が矢です》!」
「名前が長すぎるのだが!」
放つ。
対象を因果律から消し飛ばす必殺の一撃を。
「さ、させるか!」
慌てて魔王の放った歪曲の矢と衝突した。
弾け散る余波が闇を切り裂く。
闇の裂け目から通常空間がのぞけたかと思えば、魔王の城まで引き裂かれた。
まばゆい外の光が大広間に差しこんだとき、運命の一矢が歪曲の矢と相殺する。
日の光に照らし出された黒い鎧の胸部に、ミスリルの矢が直撃した。
分厚い魔力の防護膜に押し留められたのも一瞬のこと。
刻々と矢尻が食いこんでいく。
「おのれ、おのれおのれおのれ、いやだいやだ、いやだ! しにたくない、ちちうえ、ちちうえ、こわい、こわい、たすけて、ちちうえ!」
魔王は子どもの声で泣きじゃくっていた。
良心の呵責を感じないでもないが、もはや俺は一本の矢。貫き殺すまで止まるはずがない。
「道連れになってやるからガマンしろぉおおおおッ!」
パンッ!
破裂した。
ミスリルの矢も、暗黒の鎧も。
白銀と漆黒の破片は砲弾のごとく飛び散って、魔王の城を大穴だらけにした。
壁も天井も吹っ飛んで、青空と白い雲と、緑の樹冠が露わになる。
白い太陽は中天にある。
清々しいほどに真昼だった。
「おお……洗濯日和だ……」
そういえば前世で死ぬとき、洗濯物を干しっぱなしだったような気がする。
天気予報によると夕立が降るかもしれないから、家に帰ったら急いで取りこまないと。
ゴムのへたったトランクスは雑巾にしよう。
でもついついタンスに放りこんじゃうんだよなぁ。んで、また穿いて洗濯して雑巾にするの忘れて穿いて、いつだって俺はゆるゆるパンツを穿いてばっかりで。
ええと、なんだっけ。
なんだか妙に偏った走馬燈が脳裏をよぎる。
思考がまとまらなくて、眠いわけでもないのに意識が薄らいでいく。
こりゃ成仏だわ。
「むきゅうぅー!」
「ノクト!」
ユニとエルドベリアの声が聞こえてくる。
都合のいい幻聴かと思ったが、ひょい、と俺は拾いあげられた。
「おお……ノクトよ、このような姿になってしまって」
「むきゅ、むきゅー」
小さなエルフ祖と茶色いウサモスが俺を見つめて瞳を濡らしている。
小指程度のミスリル片に俺の魂が宿っていることを見抜いてくれたらしい。
「どう……やって、この、城、に?」
「魔王の城は神精郷の神樹内に築かれていたらしい……もっと早くに気づくべきであった。そうであれば、汝をこんな姿にせずとも済んだのに……」
「むきゅ……」
「いや……まあ、寿命だし、来世、も……ある……それ、より……」
俺は壊れた玉座のほうに気を向けた。
状態が状態だから指で示すこともできないけど、意志はちゃんと伝わったらしい。
エルドベリアはそこに倒れている白い裸身に気づいた。
漆黒の鎧を打ち砕いたとき、ぽろりとこぼれたものがそこにいる。
「ニーシェ……? ニーシェではないか!」
「たぶん……魔王、の、依り代に……され、てた……」
名前からすればイグニスと契約したという《十二の初子》だろう。
炎のように赤い髪に長い耳の、幼げなエルフだった。
祖神にくらべると一、二学年ほどは年長の体型か。
ぺたんこの胸が静かに動いているから命に別状はない。
「ああ、よかった……! ノクトよ、なんと礼を言っても足りぬが、それでも、ありがとう……!」
エルドベリアはわが子を抱きしめて涙を流した。
ニーシェも含めてエルフたちの洗脳は解かれているころだろう。
魔王はすでに討ち倒されたのだ。彼女たちを脅かすものはもういない。
「これで……来世……ハーレム……」
白い光が俺の魂を包みこむ。
意識がミスリル片から離れ、日差しに導かれるように上昇していく。
「ノクト……? ノクト、おお、逝くのか、ノクト……!」
「むきゅ、むきゅ、むきゅうううー!」
彼女らの声も遠のいていく。
俺はこれから、静寂とともに天上の世界へと向かうのだろう。
思い残すことは、もう、なにもない。
――しにたくない。
声が聞こえた。
子どもがすすりなくような弱々しい声。
カタン、カタン、と玉座近くに転がった黒い金属片が跳ね動く。
突如、凄まじい勢いで闇が迸った。
「魔王か……!」
エルドベリアが精霊王に命じるよりも早く、闇の奔流は昇天中の俺をに迫る。
飲みこまれたら、たぶんまずい。魂を穢されたらくに転生もできないかもしれない。
そんな直感を得ながら、魂だけでは満足に動くこともできない。
ああ、ハーレムの夢が打ち砕かれてしまう……!
「むきゅうううぅううー!」
ユニが跳びあがった。
俺と奔流のあいだに割りこみ、めいっぱい四肢を広げる。
闇がユニにぶつかり、貫いた。
奔流の勢いはやまない。
俺の魂は暗黒に包みこまれた。
(ユニ……!)
声にならない。なったとしても、おそらくは届かない。
俺が最後に闇の隙間からのぞいた結末は、けっして受け入れがたいものだった。
ユニは床に落ちると、すこし痙攣して、動かなくなる。
寒い夜に俺を暖めてくれたモフモフが、ただの毛皮になった。
俺がはじめて出会ったエルフ(仮)の命が尽きた。
そんな絶望的な光景を意識に刻みこまれたまま、俺の意識は闇に飲まれた――
いったいどれほどの時を、闇のなかで過ごしただろう。
なにも見通せない闇は無とおなじだ。
なにも感じられない。光も風も、緑の匂いも。
ぬくもりも、優しさも、希望も、なにもない。
ただ、ユニが目の前で殺される記憶ばかりが再生される。
後悔と無力感に擦り切れていく。
何百年とも、ほんの数秒とも思える時間、ただただ自己嫌悪に悶え苦しんだ。
もっとほかに手段はなかったのか。
ユニが、俺が、エルドベリアが、みんなが、そろって幸せになれるような選択肢は。
もしかすると、安易にチートを選んだのが悪かったのかもしれない。
人間、地道に生きろという教訓?
だとしても、そんな教訓をどう活かせというのだ。
なにもない闇のなかでは無意味だし、だれかに伝えることもできない。
せめて弓が手元にあれば、神性弓術で闇を祓えるのに。
光がほしい。
あの日、魔王の城を破壊したときに浴びた日差しのような。
ぬくもりがほしい。
寂しい夜に抱きあって眠ったユニのような。
柔らかさがほしい。
乳もないくせに全身ほのかにぷにっとしてたエルドベリアみたいな。
ハーレムがほしい。
長くて尖った耳のエルフにもみくちゃにされるような。
「だれか……頼む、お願いだ! ユニのモフモフ感なんて贅沢は言わない! 五人程度のエルフハーレムをデリバリーしてくれ!」
苦し紛れに絶叫した。
パリン、と闇が割れた。
「え、そんなんで割れるの」
あっさりすぎて困惑したのも一時のこと。
闇の割れ目が光を差しこみ、ほのかなぬくもりで俺を癒す。
――ぁ……ょ……ッ!
光とともにかすかな声が聞こえてきた。
――……手……ばし……さ……!
懐かしい声。どこかで聞いた声。
すこしずつ聞き取りやすくなっていく。
「……ふたた……転生……!」
断片的な言葉だが、必死に声を振り絞っていることはわかる。
「……魔王が……ます……ルフ……いします……! ……ら……手……!」
手、というフレーズがやけに大きく聞こえる。
俺は自分の手の形をなんとか意識して、光の方向に伸ばしてみた。
指先に割れ目が触れた途端、「彼女」の声が明瞭な響きで頭を走る。
「あなたに世界の祝福と未来の可能性を託します……! どうかふたたび、その力を――!」
闇が光に塗りかえられた。
光は螺旋状に渦巻いて俺を一方向に加速させる。
魂の隅々にまで光が浸透し、自分という存在が作り替えられていくのを感じた。
俺はふたたび生まれ変わった。




