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第三話 無乳と毛皮とジジィの決意

 その日、絶対不可侵の謳い文句で知られる《神精郷》が魔王軍の侵攻に屈した。


 巨大な神樹のふもとに佇むエルフの隠れ里を、魔族たちが我が物顔で踏み荒らす。

 生き残ったエルフたちは広場に集められた。

 縛られ、

 見下され、

 嘲笑され、

 敗北の屈辱に歯を食いしばり、天の恵みたる白皙の美貌を苦渋に歪める。


「祖神さまがいらっしゃれば、外道どもに遅れを取ることなどありえぬものを……!」

「このような醜態、偉大なる母君に見せられるものか……!」

「エルドベリアさまに申し訳が立たぬ……お留守のあいだ郷を守りきることもできぬとは……」


 卓絶した弓術と強大な精霊魔法の使い手をもってしても、覆しえない物量だった。

 文字通り桁が違う。

 繁殖力に乏しく数の少ないエルフに対し、魔族は邪神の洗礼で異種すら同化していく。

 それでもなお、物量以上に決定的だったのは、軍を率いる魔将の異能である。


「クハハハハハハハハッ! 魔王軍八魔将《魔鏡のドルカーン》の名において宣言する! いまこのときより《神精郷》は偉大なる魔王陛下の領地だ!」


 魔将はオーガもかくやの巨体を刺々しい鎧に包み、這いつくばった長耳たちを睥睨した。

 幼竜の頭骨を加工した兜の下、赤い双眸がマグマのように赤熱している。

 いわゆる邪視。その熱は視線を介してエルフたちの魂をあぶりつける。

 端麗なる妖精種が身動きもできずに苦悶する姿は、危ういほどに美しかった。


「あがぁあッ、ぐふッ、お、おのれ、魔族めッ……!」

「ぎひッ、あぁああッ……! ド、ドルカーン、貴様だけは絶対に許さぬ……!」

「光の同盟を裏切り、魔王に忠誠を誓ったばかりか、この神精郷を踏み荒らすなど……!」


 消えることのないエルフたちの反抗心を、ドルカーンは鼻で笑った。


「クハッ、裏切りにあらず。真の正義に目覚めたのだ。滅亡の果てに新たなる世界を作り出そうという陛下の大義にくらべれば、不完全な世界に執着する貴様らは旧弊の権化、いや害虫だ!」

「なんと恥知らずな……! 低俗な人間あがりの魔族風情が……!」


 魔将ドルカーンは邪神の洗礼を受けた人間である。

 魔王軍に対抗して結成された光の同盟の大幹部にして、武名を馳せる軍国の王でもあった。

 彼を信じて同盟に参加した国も少なくない。

 その大半はドルカーンの一声で離反した。

 盟主たるエルフの祖神エルドベリアを騙し討ちし、魔王への手土産として。


「やはり人間など信用すべきでなかったのだ……!」

「人間やドワーフごときと同盟を組んだからこうなったのだ……!」

「最初からわれらエルフだけで戦っていれば、こんなことには……!」

「それよ、その異種を見下す貴様らの傲慢な性根! それを陛下に更生してもらうのだ! この忠実なる騎士どものようにな!」


 ドルカーンが手を振ると、まわりの近衛騎士が兜を脱ぐ。

 神精郷のエルフたちは息を飲んだ。

 兜の下から現れたのは、端麗な相貌と長く尖った耳。

 その顔にはなんの表情も浮かんでいない。宝石のように輝く双眸は何物も見ていない。


「われらの同胞を洗脳したという噂は事実であったか……!」

「強きは陛下の騎士となり、弱きは慰み者となる。貴様らは剣槍であり、娼婦である。それ以上でも以下でもない。それが貴様らにふさわしい生き様だ」


 ドルカーンの命令を受け、エルフがエルフを引っ立てる。

 長耳に呪い紐をかけられて精霊への干渉を封じられているので、逆らうことはできない。

 魔王の城で洗脳されるのを待つばかりだ。


 ……などという展開を、最後まで見守るほど俺たちはのん気じゃない。


「待てぇーい、悪漢ども!」

「むきゅーう!」


 相棒が森を突き抜けて神精郷に着地した。

 背中には俺がまたがっている。

 大型犬ほどのサイズがあるとはいえ、人ひとりを乗せて走れるとは思わなかった。

 頭を撫でてやりたいところだが、いまは弓を構えるのが先決。


「これ以上の悪事、とくにエルフを虐げることは絶対に許さぬ! このワシが神の威を借りて貴様らを殲滅する!」


 俺はエルフを求めて転生した。

 そしていま、目の前でエルフが危機に瀕している。

 ここで老体に鞭打たずして、いったいいつ打つというのか。


 魔族どもは静まり返っている。

 俺と相棒の勇姿に圧倒されているのだろう。


「くっ」

 ドルカーンが低くうめいた。


「恐れをなしたなら撤退せよ、魔将ドルカーン。背中は狙わないでおいてやる」

「く、ぐく、く……」


 魔将軍は肩を震わせたかと思えば、


「くくっ、クッ、クハハハハハハハハハハハハハハハ!」


 腹を抱えて爆笑した。

 まわりの魔族も堰を切ったように笑いだす。


「クハハッ、クハハハハハハッ! わ、われらを、ぐふっ、殲滅?」

「ヨボヨボの老いぼれがわれわれを殺す? くははははッ、それは恐ろしい話だ!」

「ひひっ、ひぃ、ひぃ、死ぬっ、笑い死にするッ!」

「魔族の腹筋を破壊する気か……! なんと脅威的な戦術だ!」

「ふひひひッ、こんなすさまじい冗談、生まれてはじめて聞いた!」

「し、しかも、ウサモスに乗って飛んできて、はひひっ、ひひッ、いひひひひひッ」


 ウケた。

 こんなにウケたの前世から通して初めて。

 中学校のころ嫌々やらされたキャンプファイヤーの司会で一発ギャグが滑ったときと正反対だなぁ。

 ははは、いやなこと思い出させやがって。


「殺そう」

 俺の手元に光と風が密集して、通常の数倍の太さに膨張していく。


「魔力矢か? なるほど、良い弓だ。陛下への献上品にふさわしかろう」

「うるさいのう、黙れ」

「残念ながらジジィよ、わが《魔鏡》はすべての魔力を反射する。そう、あらゆる魔力をだ。精霊王の攻撃すらも跳ね返し、半神たるエルフ祖を見事この手で討ち倒したァ!」


 自慢げに話してるけど、俺はほっといて矢を風に乗せた。


「愚かなり!」


 ドルカーンの周囲に黒光りする鏡面が出現した。

 そりゃまあ、そう来るよね。エルドベリアを倒した自慢の必殺技だもんね。


 刹那、俺の放った矢は花火のように爆ぜた。


「なに……!」

 光風の散弾はドルカーンでなく、それ以外の魔族に襲いかかる。

 油断しきった魔族たちは反応できない。したところで避けられる速度じゃないけど。

 洗脳されたエルフまで一緒くたに撃ち抜かれようとした矢先、


「風よ――わが同胞を守れ」


 森に潜んだエルドベリアが精霊に命じ、エルフに迫る光風の矢から風をはぎ取った。

 洗脳エルフは光に打ち据えられて昏倒する。

 ほかの魔族は貫通爆散。

 そして魔将ドルカーンは、


「ぐ、くく、ぐ、ぐ……ぐあ」


 うめき声をあげて、その場に倒れる。

 魔鏡が霧のように晴れると、首から上が兜ごと消し飛んでいた。


「やはり魔鏡で跳ね返せるのは魔力を帯びたものだけのようじゃのう」


 魔鏡についてはエルドベリアと相談して対策を立てた。

 あらかじめ通常の物質矢を光と風でコーティングして隠蔽。

 魔鏡にぶつかる寸前に光風を分散させれば、物質矢だけがドルカーンを捉えるという寸法。

 狙いはドンピシャ。一撃必殺だった。


 兵はまだ半分ぐらい残ってるけど、頭目と洗脳エルフ部隊を失えば烏合の衆だ。


「信じられん……あんなジジイに将軍が負けるなんて……!」

「ひッ、ヒィッ、殺される……! ジジィに殺されちまう……!」

「冗談じゃないッ、逃げるぞ! ジジィに殺られるなんて不名誉どころの話じゃねぇ!」

「いまにもポックリいきそうなジジィにだけは殺されたくねぇ!」


 逃げ惑う残党の背に狙いをつけた。

 生まれ変わったら敬老精神を身につけるがよい。


「残りはわれらに任せよ、御使いノクトよ」


 森からエルドベリアと配下のエルフたちが進み出てきた。

 美しい相貌に空恐ろしい感情をこめて、彼女たちは精霊に呼びかける。


 憤怒の精霊魔法が嵐となって魔族残党を襲った。


 弾け散る血しぶき。

 巻き起こる悲鳴。

 すさまじい戦場のリアルが俺を打ち据える。


「なまじ自分でやらないほうが戦場の凄みを感じるのう……」

「むきゅうぅ……」


 俺と相棒は抱きあってスプラッタ会場にドン引きした。





 神精郷の神樹は緑のピラミッドというべき堂々たる威容を誇る。

 高さは二百メートルほどか。

 枝葉が角錐状に広がっているので、遠目にはちょっとした山にしか見えない。


 エルフたちは地面に張り出した巨大な根をくり抜いて住居としている。

 地位の高い年長者の住まいほど幹に近い。


「御使い殿はこちらをお使いください」


 俺に仮住まいとして与えられたのは、幹の間近に設営されたテントだった。

 テントと言っても粗末で狭苦しいものではない。

 頑丈な柱と骨組みで堅固に造りあげられた、モンゴルのゲルに近いものだ。

 天井が高いから直立しても頭上に余裕がある。

 広さは五メートル四方といったところ。


「御使い殿、お食事をお持ちしました」


 運ばれてくる料理は果物ベースのソースで甘く味付けた肉が多い。

 なんとなくエルフと言えばベジタリアンだと思っていたのですこし面食らった。

 だが実態は自慢の弓で獣を射止める狩猟民族である。


 農業をしていないわけではないらしいが、魔王軍によって畑の大半を焼かれたらしい。

 となれば、なおのこと肉食中心にならざるをえない。


「この歳になると肉が腹にもたれるのう……」


 俺はあぐらをかいて食膳にぼちぼちと箸を伸ばした。

 肉と炭水化物をたらふく食えるのは若いうちだけだ。

 いまは付け合わせの山菜がありがたい。


「口に合わぬか、御使いよ」

 向かいのエルドベリアは完食済み。小さなお腹のどこに入ったのか不思議だ。


「いや、味は悪くない。適当に焼いた肉を味付けもクソもなく食べておったころにくらべれば天国じゃよ……ただのう、胃腸が弱っておってのう……」

「人間とは弱々しいものだな。年齢的な衰えが如実に肉体を蝕んでいく……表も内もな」

「エルフは歳を取ってもこんな姿にはならんのか?」

「よほど血が薄まらぬかぎりはな」


 実際、これまで見てきたエルフは総じて若々しい。

 成人であろうとも十代から二十代程度で肉体的な成長が止まっている。

 どう見積もってもアラサーが上限。

 十代に届いているかもわからない成人は、目の前の祖神を含めて十人程度しか見てないけど。


 エルフ祖、エルドベリア。

 神々により生み出された最初のエルフ。

 半神にしてエルフの女王であり、光の同盟の元盟主。

 見た目に反して、エルフみんなのおっかさんポジションだとかなんとか。


「ふう……ごちそうさま」


 俺がなんとか食事を平らげると、脇に控えていた女エルフが恭しげに膳を下げる。

 彼女にかぎらず、エルフの顔に安易な笑顔はない。

 テントの外を守護する衛兵たちも、女だてらに凛々しく無表情。


 女が多いのは俺へのサービス、というわけではもちろんない。

 種族的に女性の比率が高く、繁殖もあまりしないから産休の必要もなく、バリバリ社会進出できるのだ。

 そんな彼女たちが淡々と仕事をこなす姿は、清々しいほどにプロフェッショナル。

 尖った耳の鋭さは魂の高潔さを表すかのよう。


「ああ……ワシはいま、エルフに囲まれておるんじゃな……」


 どこを向いてもクール美人がずらり勢揃い。

 目の前にはとびきり可愛いちびっこおばあちゃん。

 いいんじゃない? おじいちゃんそういうの好きじゃよ?

 幸せすぎて魂が抜けそう。


「まえから気になっていたのだが……御使いはエルフになんの執着があるのだ?」

「そりゃあおまえさん、だれしも美しいものは好きじゃろう? 見ているだけで目の保養になるわい」


 若さを失ったのがかえってよかった。

 余計な肉欲に惑わされることなく、静かな気持ちでエルフ鑑賞に浸れる。


「そこまでしみじみ喜ばれると複雑な気分ではあるが……」

「ん? なにがじゃ?」

「それはまあ、その、なんだ。若い衆はまだ心の整理がついておらんからな」


 エルドベリアは気まずそうに目を逸らしていたが、すぐにその場で頭を下げた。


「種族を代表して謝罪しよう。わが愛し子らの非礼を許したまえ、御使いよ」

「いや、頭など下げずとも……つーか非礼とはなんじゃ?」

「こんな中途半端な場所に押しこんだり、敵意丸出しの視線を飛ばしたり」

「あの冷たい目ってそういうアレじゃったの!?」


 てっきり種族的特徴なのだと思っていたのだが。

 M属性の持ちあわせはないから、正直ちょっとつらい。


「うう、ユニよ……やはりワシにはおぬししかおらぬようじゃ……」

「むきゅーぅ」


 俺は相棒のウサモスに抱きついて頬ずりする。

 ウサモスとは、このやたらと大きなウサギたちの総称らしい。

 そして「ユニ」とは、唯一無二の最初の相棒という意味をこめてつけた名前だ。

 こいつさえいてくれれば、全エルフに嫌われていても耐えられる。

 ちょっと涙ぐむかもしれないけど、だいじょうぶ、俺は強いジジィだ。


「いやいや、泣くな泣くな泣くでない。べつに御使い個人がどうこうという話ではないぞ? もともとエルフと人間は仲がよろしくないのだ」

「たしかにエルフと言ったら人間と疎遠な印象はあるがのう……」

「とくに最近はドルカーンの派閥に裏切られたこともあってな。若い衆が人間不信に陥るのもやむなきこと」

「それはまあ理解できるが……おぬしはどうなんじゃ?」


 エルドベリアはほんのり柔らかな笑みを浮かべた。


「人間という群れは信用に足らぬが、個々人はまた別だろう」

「おお、大人じゃ……大人の対応じゃ……ちびっこい大人がここにおる……」


 さすがはエルフの祖。

 広い視野を持ち、偏見に囚われない精神性は、大人と子どものいいとこどりだ。


「そもそもわれが信用していなければ、畜舎で寝泊まりさせているところだ。食事も人間の味覚には絶対に合わない竜醤漬けを出しておったろうな」

「なにそれ……」

「子持ちの鮎と潰したイチゴをドラゴンの腸内で発酵させるのだがな、人間的には甘みのある毒沼といった味がするらしい」

「想像もできんが心臓が止まりかねないことは理解した」

「われはイチゴが入っていれば大抵のものは食えるのだがな」


 エルドベリアはくすりと小さく笑う。

 あどけなくも達観したほほ笑みに視線が吸いこまれていく。

 ただひとりの友好的なエルフはうっすらと輝いて見えた。

 実際、ミルク色の肌が灯火を照り返すと輪郭がひどく曖昧になる。

 神秘的な色を帯びながら、姿形は童女のように愛くるしい。


 そう、可愛らしい。


「のう、エルドベリアよ……」

「なんだ、御使いよ」


 俺は佇まいを直して背筋を伸ばし、心に湧き出した欲求を吐き出した。


「わしをおじいちゃんと呼んでくれんかのう」

「孫か。孫がほしいのか、御使いよ」

「じゃってのう、ワシぐらいになればのう、孫に小遣いをねだられてついつい年金を放出してしまうものじゃからのう」

「ねんきんというのは、よくわからんが……」


 エルドベリアは呆れたようにため息をつき、こほんと咳払いする。


「……おじーちゃん」

「ほおぅ……! 胸がぬくくなった……!」

「おじーちゃん」

「おお……! 体が心地よく脱力していく……!」

「おじーちゃん?」

「ぬおぉう……! 魂が抜けていくようじゃ」

「おい御使い」

「も、もう一度……! もう一度、ワシをおじーちゃんと!」

「いや、その、な?」


 彼女は言いにくそうにしていたが、意を決して俺を見あげる。


「マジで魂が抜けかけているようだが」


 ……はて。


 いつの間にやら俺は妙に高い場所からエルドベリアを見下ろしていた。

 真下を見ると、くたりと倒れたジジィがひとり。

 相棒がむきゅむきゅと揺さぶっている。


「こ、これが世に言う幽体離脱というものか……!」

「はぁ……戻れ」


 エルドベリアは小さな指で俺(魂)を指さし、素早く真下に滑らせた。

 目線が急降下して床すれすれの高さになる。どうやらボディに戻れたらしい。

 俺は体を起こして白髪頭を掻いた。


「情けないおじいちゃんですまんのう」

「たわけたことを言う。見てくれはどうあれ、御使いはまだまだ若いだろう」

「そりゃあエルフにくらべれば寿命も短いじゃろうが……」

「そういう話ではない。見たところ魂にはさほど年輪が刻まれていなかった」


 そういえば俺、二十代で死んだあとすぐ意識を保って転生したんだっけ。


「肉体に精神が引っ張られたということかのう」

「心など若くあろうとすれば、いつまでも若きものだろう。われはいまだ三百歳のやんぐぎゃる気分だぞ?」

「言ってることがすでにヤングでないような気がするんじゃが」

「ええい、うるさい。まずはできるかぎり今風の若者言葉を意識せよ。このわれのようにな」

「むう、たしかに言葉が精神に影響を与えることはありそうじゃのう。エルドベリアの口調が若者言葉かはともかく……」


 俺は意識して口調を直すことにした。

 短い寿命をすこしでも長く保つ効果があると信じて。


「よし、わかった。ワシ、いや俺は今日からスペシャルヤングマンだ」

「よろしい。やんぐ・やんぎー・やんげすと!」

「やっぱりおまえ若さの欠片もなくね?」

「そ、そうか? それはショックだな……やんぐ・がっかり」

 

 俺たちは苦笑を交わした。

 かわいいエルフと気安く談笑できるなんて、いまの俺はやっぱり幸せだ。

 かたわらのユニを撫でればモフモフ感に心が癒されていく。

 油断すると魂が抜けるような死に損ないだけど、逝くなら使命を果たしてからだ。


「じゃあヤング同士、そろそろエルフ解放と魔王討伐の算段を立てるか」


 俺たちは表情を引き締めて作戦会議を開いた。




 洗脳されたエルフを解放する手段はふたつある。

 ひとつは呪いの武装の破壊。

 もうひとつは、呪いをかけた魔王当人を倒すこと。

 手っ取り早いのは後者だし、俺本来の目的からしても一石二鳥だ。


「問題は、魔王の城の所在地が八魔将にも知らされていないことだ」


 城への出入りは大規模魔法陣を用いた召喚術によって行われる。

 洗脳されたエルドベリアが城の窓から見たものは、ただひたすらの闇だったという。

 魔力障壁によって精霊の声すら届かないので、場所の特定はまず不可能。


「当然ながら召喚権限は城側にある。あちらからの招待がなければ、魔王を倒すどころか対面もできん」

「重度の引きこもりなんだな、魔王って」

「慎重にして狡猾。それがあやつだ」


 俺は腕組みで考えこむ。


「うーん……エルドベリアが城に入ったときは、どんな用件で入れてもらえたんだ?」

「ドルカーンの不意打ちで囚われたときのことだ」


 エルドベリアはむっつりと顔をしかめた。


「半神たるわれを洗脳するには呪装を着せるだけでは事足りぬ。魔王みずから手をかけるしかない」

「あ、じゃあもう一回捕まったふりをして内側から俺を召喚するとか」

「難しいな。われが解放された時点で魔王もその侵入経路を想定しているはずだ。捕まったふりをしても、召喚されて即殺されるやもしれぬ」

「となると手詰まりだなぁ」


 なんだか息苦しい。腕組みをしていると気が急いてしまう。

 俺は手を開いてユニを撫でた。気分がすこし楽になる。

 ふわーと浮遊感に包まれる。


「また魂が抜けかけておるぞ、御使い」


 エルドベリアが指先で俺の魂を誘導してボディに放りこんでくれた。


「御使いよ、なんかもうガチで肉体の寿命が尽きかけておらぬか」

「正直けっこうヤバい。油断すると超抜ける、魂が」

「むきゅうぅ……」


 ユニは寂しげに鼻を擦りつけてくる。

 手の平から伝わるモフ感が、一秒ごとに遠のいていく気がした。

 俺の神経がいまこの瞬間も刻々と衰えている。


 俺が死ぬのはいい。

 でも、できればこの子はひとり(一匹)にしたくない。

 エルドベリアに託すしかないけど、やりきれない気持ちは残る。


「……ん?」

「どうした、御使いよ」

「いや、いまなんか……思いつきそうな気が……」


 老いさらばえた脳細胞をフル稼動し、浮かびかけた閃きをすくいとる。

 意識を集中して、淡い可能性を紡ぎあげ、慎重に縁取っていく。

 しかしそれにも限度がある。

 精密な作戦など望むべくもなく、曖昧模糊としたアイデアがたゆたうばかりだ。


「なあ、エルドベリア。これは思いつきなんだけど……」


 頼るべきところは頼るべし。

 自分ひとりですべてを救おうなんて思えるほど、俺は傲慢じゃない。

 チート弓術を持っていても知恵者ではないし、ミリタリーマニアでもない。

 所詮は死にかけのジジィ。寒い夜はユニにすがりつかないと眠ることもできない。


「なるほど……そういうことか。だが、それなら――」


 エルドベリアは難しい顔をしながらも、一定の解答くれた。

 俺はさらに考えを発展させ、彼女に意見を求め、また考えを発展させていく。

 そうして行きついた作戦案に、エルドベリアは正気を疑うように目を瞬いた。


「……本気なのか、御使いノクトよ」

「それはつまり、できるってことだな」

「できるが、しかし……」

「できるならやろう。準備だって必要だし、迷ってるうちに俺の寿命が尽きたらどうしようもない」


 魔王退治は俺の魂に課せられた使命だ。死んでもまた生まれ変わってやらされる可能性がある。

 かと言って、ノータイムで転生できるとはかぎらない。

 そのタイムラグでユニやエルドベリアが犠牲になったら、たぶん俺は耐えられない。

 戦乱うずまく中世風ファンタジー世界の苛酷な現実に押し潰されてしまう。


 だって、血とか悲鳴とか生々しいってレベルじゃないよ?

 内臓の生臭さも鼻を突く。

 浴びせかけられる殺意、生きのびようとあがく敵兵の気迫。

 すべてが終わったあとの静寂。

 エトセトラ、エトセトラ――


 いままで平然としていられたのは、神性弓術というチートがあったからだ。

 老体のハンデに精いっぱいで気が回らなかったからでもある。


 でもいまの俺はエルフとの対面を果たし、暖かいテントで安穏とすごしているせいで、正直ちょっと気が抜けてしまっている。

 これまで意識してこなかった衝動が押し寄せてくる。


 こわい。


 仕事で発注の桁数を間違えていたことに、納品寸前で気づいたような気分。

 芽生えた恐怖に飲みこまれるまえに事を終わらせたい。

 それになにより、この場を乗りこえることさえできれば、明るい来世が待っているはずだから。


「頼む、エルドベリア」

「……ノクトよ、じっとしておれ」


 エルドベリアが膝ですり寄ってきた。

 膝が触れあう距離で腰をあげ、俺の両耳をやさしくつまむ。


「なに? なんかのまじない?」

「左様。ノクトもおなじようにせよ」

「こうか?」


 エルフ特有の長い耳をつまんでみると、彼女はくすぐったそうに身じろぎした。


「エルフ祖エルドベリアの名においてここに誓う――われ、御使いノクトの目となり手足となり、一心同体として目的を果たすものである」

「そういう話なら、まえに約束しなかったっけ?」

「形式の問題もあるのだ。ほら、おなじように唱えよ」

「あー、俺も誓う誓う、一緒に魔王をブッ倒してエルフを救います」


 少々投げやりな言い方になってしまったが、エルドベリアは満足げに「うむうむ」とうなずいた。


「さて、これで誓いは済んだ。作戦開始は明日からにして、ご老体はそろそろ寝る時間ではないか?」

「ジジィは早寝早起きするものだからな」

「むきゅう」


 ユニが俺に抱きついてきた。

 いとしいいとしい抱き枕兼湯たんぽである。


 くわえてこのときは、背中にまで予想外のぬくもりがのしかかってきた。


「今宵は特別だ、ノクトよ――」


 赤子のようにスベスベでプニプニなエルフ祖は、俺の耳元でそっとささやく。


「ユニとわれのふたりがかりで芯まで暖めてやろう」




 俺とエルドベリアの名誉のために明言しておくけど、その夜はとくになにもなかった。

 ポリ案件とは無縁のクリーンきわまりないジジィであった。

 立つものも立たないし体力もないから当然のことだけど。


 ただ、ぬくもりにサンドイッチされるだけの夜。

 モフモフ感とスベぷに感に包まれた至福の時間。

 俺はこの日、生まれ変わってはじめて熟睡の喜びを享受した。


 思い残すことはもう、ない。




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