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第二話 エルフとモフモフ

 ゲーム的な発想で恐縮だけど、魔王退治と言えば頼れる仲間が付きものだ。

 オーソドックスな構成は勇者と戦士と魔法使いと僧侶の四人パーティか。


 本音で言えば、職業はなんでもいいからエルフ(♀)に囲まれたい。


「どこじゃあ、エルフはどこじゃあ……!」


 血眼のジジィであるところ俺はエルフを求めて森をさまよった。

 関節痛に悩まされ、足を引きずりながらでも、歩みを止めることはない。


 魔族の砦を見つければ、弓を引いて背筋を伸ばす。


「ワシにエルフを寄越せぇ!」


 まずは《鉤撃ち》。光風の矢を明後日の方向に放つ。

 矢は森の木々をたくみにかわしながら大きくカーブして、砦の側面に吸いこまれていく。

 一撃で丸太の防壁を吹っ飛ばし、勢い余って櫓を倒壊させた。


「な、なんだ、どこからの襲撃だ!」

「なにかの魔法か……! 周囲に敵影は!」

「探していますが、周囲二百ミトレーには気配もありません!」


 魔族は慌てて警戒体勢を敷くけど、まあムダなことだ。

 視界の悪い森のなかで鉤撃ちの軌道を把握できるはずがない。

 逆に俺は目で見なくても、全感覚をもって数百メートルの距離感を正確に把握できる。

 やつらの注意は水平方向に向かっていて、垂直方向はガラ空きだ。


「ほりゃッ」

 光風の矢を上空に飛ばす。矢は森を突き抜け、虹のように弧を描く。

 砦の直上で無数に分裂して雨のように降り注いだ。

 奥義《光の虹雨》。

 魔法で障壁が張っていたようだが、一発でかき消し、二発目以降は素通りだ。


「空だ! 空から光の矢が降ってくる!」

「鎧も防壁も役に立たんぞ! はやく射手を見つけ出プオッ」

「ひゃ、百人長どのが貫かれて爆散したぁー!」


 砦は阿鼻叫喚の地獄と化した。

 神からパクッたスキルでもって一方的な蹂躙、しかして殲滅。


「エルフを、エルフを寄越せぇ」


 砦をおおむね壊滅させてからヨボヨボと乗りこみ、捕虜がいないか捜索する。

 これまでおなじようなことを五回はくり返してきたけど、成果はいまだにゼロ。

 今回も同様らしく、エルフはおろか人間の捕虜も見当たらない。

 あるのはただただ、拷問跡の刻まれた白骨死体ばかり。


「なんたること……許せん、許さぬぞ魔族」

 俺は怒りに震えた。


 ちなみに魔族というのは特定の種族を指す呼称ではない。

 邪神を奉じ魔王に仕える知性種の総称らしく、ゴブリンやオーク、オーガなどが含まれる。

 息を潜めて背後に迫る男もそうだろう。


「止まれ、小僧」

「ぐぬ、気づいていたか、ジジィ……!」


 俺はゆっくりと振り向いた。

 貴族風の出で立ちに身を包んだ痩身の男が、武器もなく二本の牙を尖らせている。

 目尻は切れあがり、双眸はぬめつくような赤い光を宿す。

 いわゆる吸血鬼、ヴァンパイアだろう。建物の陰で日差しを避けてるし。


「問うが……この骨は貴様が殺したのか」

「死んでも寝返らぬと言われたのでな、すこしばかりいたぶって血をちょうだいした。肉はオーガが食らい、内臓はオークが煮こんでスープにした」

「惨い……あまりに惨すぎる……」


 俺はプルプルと震える手で頭蓋骨を撫でた。


「ふん、くだらぬ感傷だ。情愛や義心に囚われるがゆえに貴様らは滅びゆくのだ」

「黙らっしゃい! 貴様らはワシを、このワシを孤独死させるつもりか……!」

「は? 孤独死……?」

「あんまりじゃ、あまりにもあんまりじゃあ……! この老いぼれにひとり寂しい老後をすごせと言うのか!」


 俺は怒りと悲しみをこめて弦を引いた。

 指先がプルプルして止まらない。

 というか全身プルプルする。

 年を取るといろいろガタがきて、ガタガタするものだ。


「ははッ、震えているぞジジィ! 先ほどの強襲は貴様でなく仲間の仕業だな? 老いぼれがあれほどの攻撃を放てるはずもない。とすると、そうかそうか、貴様は使い捨ての囮か?」

 ヴァンパイアは姿勢を低くして狼のように牙を剥き出した。

「だとすれば、存外貴様らも冷酷なる魔の矜持を解しているではないか! 捨てたものではないな、光の同盟も!」


 パチン、とヴァンパイアが指を鳴す。

 茂みから蒼白な顔の人間たちが二十人ほど現れた。

 日差しを浴びれば肌がしゅうしゅうと焦げていく。

 血を吸われて従僕にされた者たちだろう。


「ジジィを吸い殺せ!」

「がぁああああッ!」


 従僕たちが飛びかかってくる。日に焼ける痛みに顔を歪めながら。

 魔に縛められた者たちを解放する手段なんて、俺はひとつしか知らない。

 震える手で弓を引く。


「愚かな! そんな手で矢など満足に撃てるものか!」


 ヴァンパイアの嘲笑なんて気にする必要ない。

 俺は指の震えを光風の矢に乗せて、静かに解き放った。


 ぶわ、と矢が敵の人数分に分裂する。


「な、なななな、なんだこれはあああッ!」


 ヴァンパイアたちは主従まとめて同時に射貫かれた。

 破裂。死亡。

 さらば、哀れな奴隷たち。


「量子論というやつじゃ……振動が量子的な揺らぎとなり、おまえらに命中したという可能性をすべて同時に現出させた」


 通常の分裂矢とは違い、一本一本の威力が減衰しないのが利点である。

 デフォで身につけていた奥義ではない。

 体の震えから連想して、試しにやってみたら、なんかできた。

 ジジィなれども進歩は止まらない。老いてなお俺は強くなる。


「じゃが……強いからといって、なんじゃと言うんじゃ……」


 もう敵影はどこにも残ってない。

 とぼとぼ、よぼよぼ、と歩きだす。

 戦う相手まで失って、俺はただただ孤独だった。


「うぐぐ、人肌が恋しい」

 老いさらばえた身に森のひとり旅はあまりにつらい。

 歩きにくいし、前がよく見えないし、油断するとつまずくし。

 夜は暗いし寒いし体の節々が痛む。


 もう女の子とキャッキャウフフしたいなんて贅沢言わない。

 ただ話相手がほしい。

 夜、焚き火を囲んで獣肉のスープを分けあう仲間がほしい。


「いつもすまないねぇ」と俺が言ったら、

「それは言わない約束でしょクソジジィ」

 と返してくれる気の利いた仲間が、ほしい。


「だれか……だれかワシのそばにいておくれぇ……」


 涙で視界が歪んだ。

 すべてが曖昧な世界のなか、


 ひょこ。


 瓦礫の陰から、菖蒲の葉のように尖ったものが二本、飛び出してきた。

 ひくひくんと動いている。


「耳……!」


 尖った耳。

 長い耳。

 若き日の俺が求めていたものが目の前にある。

 俺は衰えた体に鞭を打って、小走りにそちらへ向かい――


 彼女と出会ったのだ。





 慣れてくれば森の旅も案外悪くない。


 どこを目指すでもなくぶらりと歩き、獣がいれば神性弓術で狩る。

 奥義《剥ぎの一射》があれば、獲物は一発で皮と肉と骨と内臓に解体できる。

 肉を焼いて食って、暗くなれば相棒と身を寄せあって眠りにつく。


「あたたかいのう、おまえは……」

 俺は相棒の毛並みを撫でてうっとりした。

「むきゅきゅ-」

 相棒も長い耳を垂らしてうっとりする。

 モフモフしてるし暖かいし、ああ、なんていとおしいやつだ。


「この長くて尖った耳は、ある意味エルフのようなものじゃ……つまりこれはエルフじゃ、ワシはついに念願のエルフと出会ったのじゃあ、ぐふふ……!」


 わかってる。世迷い言だということは自分でも理解している。

 実際のところは、茶色いウサギ――と言っていいのだろうか。

 長い耳も出張った前歯も完璧にウサギなのだけど、サイズが大型犬ぐらいある。

 噛まれたら俺の細腕なんて簡単に千切れそうだ。


 さいわいにも性格は従順で、すぐに懐いてくれた。

 体のあちこちに傷跡があるのは、たぶん魔族にいたぶられていたからだろう。


「もう怖がらんでもよい……ワシが守ってやるからのう」

「むきゅー」

「ほほほ、くすぐったいわい、喉をくすぐるでない」

「むきゅ……」

「これこれ、ふざけておると眠れんぞい?」


 こんなふうにエルフ(仮)と戯れて余生をすごすのも悪くない。

 命尽きるまで癒し癒され生きていくのだ。


「むきゅー!」


 エルフ(仮)が襟に噛みついてぐいぐいと引っ張った。

 じゃれついているわけではなさそうだ。


「なんじゃい、なんぞあるのか?」

 俺は老体に鞭打って弓を構えた。

 鋭敏化した神経がエルフ(仮)の導く方向に研ぎ澄まされていく。


 森を踏み荒らすように群れ集い進行する無数の足音。

 きしみをあげて回転する重厚な車輪。


「魔王軍か……?」


 俺は焚き火を消して息を潜めた。

 鳴り響く上機嫌な行軍歌が俺の予想を裏付ける。


 ――われら真なる力の権化! 欺瞞の群れを蹴散らしゆかん!

 ――おお、真王よ! 魔性の威光で世界をあまねく照らしたまえ!

 ――魔とはすなわち真理なり!

 ――真理の光に浴したわれら、すなわち地上の覇者なれば!

 ――欺瞞蹴散らし血の河流せ!

 ――万里の果てまで轟きたまえ、われらが王の輝ける御名!


 とりあえず潰そう。就寝中にちょっかい出されても困るし。


 俺は光と風を集束させて矢を生み出した。

 この距離ならまず《鉤撃ち》で大将を落とし、軍を混乱させてから《光の虹雨》で殲滅するのがいい。

 こちらの位置を特定する時間など与えない。

 ジジィの身で近接戦は避けたいし、エルフ(仮)を守りながら戦うのも不安がある。


「どこじゃ……大将首はどこじゃ……」


 探知の指針は魔力量。

 魔族というのはわかりやすいもので、おおむね他より魔力の大きい者がボスを務める。

 数百人規模の軍勢には肌のヒリつくような魔力保持者が多数含まれている。結構な精鋭ぞろいだ。

 ひときわ大きい魔力は、行軍のやや後方寄りに位置していた。


 ナウマンゾウほどの獣にまたがっている。

 手綱を握った手のほかに、空気を掻く気配が四つ――六本腕。

 息遣いの高さからして、およそ身長三メートル。

 鋼の鎧に身を包んだ巨人。

 魔力の大きさはほかとくらべて軽く数十倍――いや、ヘタしたら百倍にもなる。


「おいおい、なんじゃそりゃ」

 いくらなんでも桁が違いすぎる。

 まわりの精鋭からして、先日の砦には見当たらなかったレベルの魔力量だというのに。


 あるいは――魔王そのひとじゃなかろうか。


「そういえばそうじゃった……神さまから魔王退治を命じられておった……」


 エルフ(仮)との触れあいでちょっと忘れてたけど、討ち倒せば来世の幸せが約束される。

 やるなら一発。でないとどんな反撃が来るかわからない。

 出し惜しみは不要だ。


「離れておれ、わが友よ」

「むきゅう」

 エルフ(仮)が距離を取るのを待って、俺は射出準備に入る。


 光風の矢を媒介にして紡ぎあげるのは、因果の糸。

 運命そのものを集束させて、相手を世界という枠から弾き飛ばす一矢。


《あまねく世界を照らす光、すなわち祝福――なれど汝に光なく、光なくば闇なく、還る場所は虚無なり》


 この無闇に名前が長すぎる奥義ならば魔王を殺しうる。

 掌中に集束する運命の重みが必滅を予感させた。


「ゆくぞ、魔王(仮)……! わが魂とガタついた腰を賭けた一撃を食らえい!」


 俺の解き放った一撃必殺が、森の障害物を透過して一直線に突き進んでいう。

 着弾まで瞬きほどの時間も必要なかった。


 ぱぎゅお、とかつて聞いたことのない命中音。


 足下が揺らいだような錯覚が起きる。

 地震ではない。世界そのものが揺らいだのだろう。

 その震動も間もなく停止した。


 命中対象はもう完全に「なかったこと」になったのだ。


 そう、もう「ない」――はずなのに。


「なぜじゃ、なぜまだそこにおる」


 鎧の戦士は依然として巨獣にまたがっている。

 それどころか、ゆっくりとこちらに顔を向けてきた。

 距離も遮蔽物もあるのに、その双眸はたしかに俺の存在を捉えている。


「陛下よりたまわった多重因果装を一撃ではぎ取ったか」


 声は低く落ちついている。言葉から察するに魔王ではなくその配下だろう。

 こちらの攻撃は多重因果装とやらに止められたらしい。身代わりになったと言うべきか。

 よくよく気配を感じてみれば、3メートルほどはあった身長が2メートル程度に縮んでいる。

 なおも身につけているのは分厚い鎧。まるでマトリョーシカ。


「運命を操り存在そのものを消し去る力――神の御使いがようやく姿を見せたようだな」


 巨獣がこちらに方向転換をする。

 まわりの魔族も状況に気づいたらしく、にわかに森が騒がしくなった。


「将軍閣下、いますぐ刺客を……!」

「不要だ。貴様らでは足止めにもならん。そうだろう、御使いよ」


 位置も素性も把握されては呑気に構えていられない。

 俺はふたたびクソ長い名前の必殺技を準備した。


「やめておけ。貴様の体の衰えからして、これ以上は因果の乱れの余波に耐えきれぬぞ」


 たしかに、俺の存在が根底から震えているような感がある。

 老い先短いジジィの寿命が端っこから崩れ去るような不快感がある。

 俺はクソ長技を解除した。


「魔王ではないらしいが……そこらの魔族とはモノが違うようじゃのう」

「われは魔王軍八魔将《天変のフラグム》――名乗れ、御使いよ」

「ワシは……」


 名乗ろうとして、思いとどまる。

 せっかく生まれ変わったんだし、心機一転して「いかにも」な名前を名乗ろう。

 一夜と書いてカズヤだったんだから、夜にちなんだネーミングがいい。


「――ノクト。ワシの名はノクトじゃ」

「ノクトよ、貴様を陛下にあだなすモノとして排除する」


 臨戦態勢。距離はおよそ五百メートル。

 多重因果装とかいう厄介な装甲もすでにない。

 残る鎧は貫通力特化の《綺羅星の螺旋》で穿ち抜いてやればいい。

 こちらが有利だから、覚える必要はない。


「――舞い踊れ、風の精霊王ドゥクスヴェント」


 フラグムの声が聞こえた直後、俺のまわりで暴風が渦巻いた。

 風のなかには精霊らしき壮健な美青年が垣間見える。

 吹きすさぶ風が聴覚を乱し、巻きあげられた土埃が視界を塞いだ。

 嗅覚も味覚も触覚も、すべて風によって阻害されている。


「ぬう、敵が見えぬ……が、それでワシを封じたというなら甘い考えじゃ!」


 こんな風は吹き飛ばしてやろう、と思ったそのとき。

 相棒が風にさらわれて舞いあがった。


「むきゅううぅうううーっ」

「あ、相棒ぉー!」


 俺が思わず伸ばした手を、相棒ではなく精霊王が握り返してくる。

 にっこりと爽やかな笑みを投げかけられて、俺は真上に投げ捨てられた。


「お、おおぉおおおッ、飛んだぁー!」


 風に巻きあげられるまま樹冠を越え、天高く宙を舞う。

 見下ろすと森が遠くにある。だいたい五十メートルぐらいの高さだけど、墜落したらまず死ぬ。

 それでも神性弓術さえあれば落下の衝撃も相殺できるはず。


「――奪いつくせ、風の精霊王ドゥクスベント、光の精霊王ルクスレオ」


 青年の姿をした風と翼ある光の獅子が俺のまわりで踊り狂った。

 俺の手元で集束していた光風の矢が、ほどけていく。

 ただの光と風になって、精霊王たちに吸いこまれていく。

 残されたものは虚空ばかりだ。


「……参った」


 こうなると神性弓術も宝の持ち腐れである。

 砦で物質的な矢を一本も拾ってこなかった俺の不覚だ。


 来世にすべてを託すつもりで、そっと目を閉じる。


「むきゅううううっ!」


 がば、とエルフ(仮)がしがみついてきた。

 おなじ高さまで飛ばされてきたらしい。


「おお、おぬしがおったか……すまんのう、こればかりは助けてやれん」


 俺がこの世界で得たものは唯一、この相棒だけだ。

 ああ、どうか神様、このあったかくてモフモフなエルフ(仮)だけは助けてやってください。

 それが無理なら、せめて幸せな来世を。


「むきゅ、むきゅ!」

 相棒が神弓ケイローンに鼻面を擦りつけてくる。

 見るからに必死だった。俺と違って諦観なんてしていない。


 なんとなくだが意図はわかった。


「おぬし……あまりに危険じゃぞ」

「むきゅう!」

「やってくれるのか……!」

「むっきゅ!」

「おお、相棒、おぬしこそわが魂の友じゃあ……!」


 相棒は前肢で弓にしがみついた。

 俺は馬手で尻尾を引っ張り、弦にケツを引っかける。

 

「必殺エルフアロー(仮)!」


 サイズ的にも重量的にも無理はあるが、努力と友情とチートの力でなんとか矢っぽくなった。

 狙いは真下。

 奥義《爆裂一矢》で爆風を起こせば、落下速度を緩和できるかもしれない。

 通常の物質矢なら破損なしに爆発を引き起こせるのだが、生物を矢とした場合は未知数である。


「どうか無事でいてくれ、相棒……!」


 俺はまた神に祈って矢を放った。


「むっきゅううううううううううううううううう!」


 真下に飛んでいくエルフ(仮)。


 そのとき、はじめて気づいた。

 俺がなにげなく狙った地表に、黒くおぞましい鎧姿が待ち受けている。


「そう来るだろうと思っていた」


 巨獣の影はない。

 単身のフラグムが急降下してくるエルフ(仮)に手の平を向ける。


「――首をもたげよ、緑の精霊王タキトゥスコロナ」


 周囲の樹木が砲弾じみた勢いで伸びあがった。エルフ(仮)迎撃の槍衾だ。

 相棒が捉えられたら、その時点で俺の墜落死は確定する。


「相棒ぉおおおおお!」

「むきゅきゅうううううぅうううう!」


 相棒は空中で身をよじった。

 降下軌道が螺旋状にうねり、緑の弾幕を紙一重でかわしていく。


「な、なんと!」


 驚愕するフラグム。

 その黒き鎧に相棒が直撃する。


 そして爆発が起きた。


 爆風が俺の体を押しあげて落下速度を軽減させる。

 それでもまだ速い。

 このまま叩きつけられたら、老人の細い体では耐えられないだろう。


「ここまでか……すまぬ、相棒よ」


 あまつさえ、爆心地の土煙から詠唱が聞こえてくる。


「風よ……」


 風がふわりと俺にまとわりつく。

 このまま地面に叩きつけるのか、それともカマイタチで引き裂くのか。

 もう覚悟はできてるから、ひと思いにやってほしい。


 なのに風はやけに暖かくて、ふわふわしていて。


 俺は浮遊感に包まれたまま、ぺたん、と地面にへたりこんだ。


「……む? 軟着陸?」

「勝者に死なれては後味が悪いのでな」


 土煙の向こうから鎧の魔人が歩いてくる。

 亀裂の入った装甲が、一歩ごとに剥がれ落ちていく。

 素肌が剥き出されるまで十歩も必要なかった。


「フラグム、おまえ……」

「それは魔王に刷りこまれた呪いの名だ。わが真の名は……エルドベリア」


 俺は魔将の意外な素顔に息を飲む。


「すさまじき弓技があったものよ……最初の一矢で鎧も体もガタガタだったのだがな、強がってどうにか踏ん張った結果、魔王の呪いを打ち砕かれて自由の身だ」

「魔王の呪い?」

「わが種族は邪神の洗礼に強い耐性がある。魔族化は困難ゆえ、魔王にしてみれば洗脳して操るほかないのだ……ゆえにこの敗北は悪夢からの解放である」


 彼女、エルドベリアは細足で俺のまえに立ち、端麗な相貌にほのかな笑みを浮かべた。

 高潔で矜持に満ちた表情。

 風になびく長い髪はミルクにメロンソーダを垂らしたような白緑色。

 肌もまた透けるように白くて、光を帯びているようにすら見える。


 なにより目を引くのは、菖蒲の葉のように長く尖った耳。




「エルフ、なのか」

「しかり――神の血を受け継ぎし森の民、エルフである」




 いた。

 王道ファンタジーの代名詞、美しき妖精がそこにいた。

 ……うん、いる。

 紛れもなくいることはいるんだけど。


「ずいぶんと……その、ランドセルが似合いそうじゃな……」

「らん・どせる?」

「いや、こっちの話じゃ」


 エルドベリアの頬は柔らかな曲面で構成されていて、見るからにぷにっぷにだった。

 太っているわけでもないのに、ぷにっぷに。

 そして頭頂は俺の鳩尾に届くかどうかの高さ。

 背が低いだけでなく、胸はぺったんこで、腰から尻への角度はゼロ。


 100%、子ども顔に幼児体型。


 身につけているのが胸と股を隠すばかりの襞布なので、寸胴ぶりもぽっこりお腹も一目瞭然だ。

 白い肌に魔術的な紋様が刻まれてるから、印象的には下着や水着よりも原始宗教の儀式礼装に近い。


 事実がどうあれ、前世なら連れてるだけでポリスが飛んでくる事案です。


「まさか念願の初エルフが幼女になるとは……」

「はぁ? 幼女?」


 エルドベリアはつるりと綺麗な額に拳を当て、物憂げにため息をつく。


「御使いと言えども所詮は人間か……目で見えるものに囚われてしまう」

「まあ実際、チートをいただいただけの人間じゃからのう」

「エルフはドラゴンと時おなじくして神々に生み出された完全なる存在。戦う力でも生きのびる力でもドラゴンに匹敵する。そこには背丈も筋の厚みも必要ない」

「でも乳尻は子どもを産んだり育てるのに必要じゃろ?」

「それこそ浅慮だ、御使いよ」


 気のせいか、だんだん口調が横柄になってきている。

 俺を見あげる目も険しくなってきたし、子ども扱いが嫌なのかもしれない。


「われはこの身で十二人の子を産み出し、その子らもまた子をなし、子々孫々と増えつづけている。それでもなおこの体躯が幼いと?」

「たしかにそれなら大人じゃな、うんうんわかるわかる、ワシそういうのわかっちゃう」

「微妙に引っかかる言い方だな……子持ちの身で子どもあつかいされるのは、結構、こう、アレだ。複雑な気分なのだぞ?」

「超わかるー」


 俺は彼女の意思を尊重して、うむうむとうなずき。

 ピタリ、と停止。

 ぎぎぎーっと、壊れたオモチャのような動きで彼女を見下ろす。


「……子持ち?」

「孫もいるが」

「産んだのか? その体で? え、マジで? ボテ腹? ポリ飛んでこない?」

「いやいや、ボテってはおらん。腹で胎児を育てるまでもなく、分身を生み出せば事足りる。魔力の精髄を抽出して精霊に注ぐのだ」

「それは……そうか、なるほど」


 男とアレしてボテ腹になって分娩するわけではないらしい。

 ポリ案件はなかった。そういうことにしておく。


「まあ、人間と交わり子をなした物好きもおるがのう。人間の血が混じると、なぜか背が伸び、乳尻が膨らんでいきおる」

「つまり普通に成長するエルフもおるんじゃな。バリエーションはあるんじゃな? 盛りだくさんなんじゃな?」

「われにとってはこの姿が普通だが、そういうエルフをお望みならば……」


 エルドベリアが指をくるりと回せば、五百メートルほど先で竜巻が無数に発生する。

 魔族の軍勢が待機している場所だ。

 悲鳴が飛び交い、あっという間に軍が壊滅していく。

 

 空から鎧姿の魔族が二十人ほど降ってきた。竜巻に飛ばされてきたのだろう。

 俺のときとおなじく風の力で軟着陸。

 全員死んだように動かないが、かすかに呼吸の音が聞こえる。


「これ、このとおり」


 エルドベリアは手近な魔族の兜を剥ぎ取った。

 そこに容姿端麗な耳長種がいた。

 顔立ちや体型からして、しっかり育った大人である。


「おお、これは……さきほど言うておった、魔王に洗脳されたエルフたちかのう」

「しかり。すでに十氏族の三割、そして《十二の初子》の四名までがやつらの手に落ちた――御使いよ、どうか愛し子たちを救うために力をかしてほしい」


 彼女はひざまづいた。

 地面に預けた小さな小さな握り拳が押し殺した怒りに震えている。


 みなまで言わせる必要はない。俺は膝をついて彼女の手を握りつつんだ。


「ともに魔王を倒し、エルフたちを救おうぞ、エルドベリア」


 老いた体を使い潰して使命を果たせば、そこに求めた世界がある。

 若々しく美しいエルフたちを解放し、来世のハーレムに希望を託すのだ。


「そうじゃ……! 魔王を討ち倒して、ワシはエルフたちとキャッキャウフフを……」

「……むきゅう」


 足下から寂しげな声が聞こえた。

 茶色い尖り耳がヒクンヒクンと心細げに震えている。

 生きていた。相棒はまだ死んでいなかった。


 嗚呼、と俺はうめきを漏らす。


「いかがなされた、御使いよ」

 エルドベリアがいぶかしげに見あげてきた。

 俺は彼女でなく、モフモフした相棒に視線を注ぐ。


「……エルフは美しい。きらめくような美貌、瑞々しい肌、すらりと長い手足――エルドベリアもちびっこいが、それはそれで非常に可愛らしいので、問題はとくにない。いやもう、念願のエルフに出会えて感涙に溺れそうな心地ではある――」


 静かな情熱を吐き出して、俺はぐっと拳を握り締めた。


「が!」


 俺はエルドベリアから手を離し、足下のエルフ(仮)をひしっと抱きしめた


「おぬしを蔑ろになど絶対にせん!」

「むきゅ……!」

「寂しい夜にワシを暖めてくれたおぬしのモフモフ、けっして忘れはせん……! モフって癒された日々を忘れるものか……!」

「むきゅきゅう……!」

「ともにゆこう! おぬしはワシの大切なファースト・エルフじゃ……!」

「むきゅう、むきゅーう……!」


 俺たちは顔を擦りつけあって親愛の念を確かめた。

 一時とはいえ真エルフにかまけてしまった俺を、どうか許してほしい……!


「なるほど……昨日の友を裏切るような輩ではないということか」

 エルドベリアがくくっと喉を鳴らす。

 幼い顔に浮かぶ表情は、ほのかに柔らかくなっていたかもしれない。


「ならば、エルフ祖エルドベリアの名において、御使いノクトと栗毛のウサモスをわが魂の盟友とす――これからは一蓮托生だな、はっはっは」




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