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第十話 終末と、勝利と、ぼくのだいすきなエルフたち

 苦悶の声にも似た鳴動が森を震撼させていた。

 ただの地震ではなく、縦揺れと横揺れが多層的に絡まった複雑な揺れ方だ。


「なにこれ……森が怒ってる!」


 カリューシアはあどけない顔を青くして母にすがりついた。

 マドゥーシアは娘を抱き寄せながら、端麗な顔に大粒の汗を浮かべる。


「このおぞましい気配……魔王が森に取り憑いたという話、祖神の冗談ではないようですわね」


 おもむろに霊廟の壁が光を帯びた。

 光は多彩に色づいて、デジタル・サイネージのように外の風景を映し出す。


 一面の森が蠢いていた。

 木々は多頭蛇のごとくうねり、枝葉が殴りあうような擦過音を鳴らす。

 大地深くにねじこまれた根が身じろぎすれば、地面そのものが震動する。

 そこにエルフを育む優しい緑は存在しない。

 あるのはただ、邪悪な本性を剥き出しにした魔王の触手たちだ。


「わ、われわれは……魔王の分身を世界に植えつけてきたというのか」


 ヒルデガルトと騎士たちは呆然と崩れ落ちた。


「参ったね、ハハハ……弟の弔い合戦だなんて気張ってたのがバカみたいだ」

「ああ、愛しいセディル……あなたはこんなことのために死んでしまったというの」

「なんでもいいから逃げたほうがよくない?」

「大陸の七割が森なんだし、逃げる場所なんてなくない?」


 エルフにとって森は母であり、友であり、伴侶でもある。

 森とともに生きる意志は信仰と呼んでもいい。

 その想いが目くらましとなって魔王を隠蔽しつづけた。

 何千年ものあいだ、ヤツはエルフという種を間近から侵食しつづけたのだ。


「ああ……!」

「くう……!」


 声をあげて嘆くのは監視役AB。

 動揺のあまり言葉にならないのかと思いきや、その声はじきに異様な熱を帯びていく。


「ああああッ、がぁあああああああああああああッ!」

「ぎううぅううううううううううううううぅううッ!」


 ふたりは獣の形相で飛びかかってきた。

 俺は慌てず、低威力矢でふたりを撃つ。

 当然、命中。失神。浄化。肌が白くなっていく。


「魔王に洗脳されたのか……」

「おそらく……黒化した者すべてが魔王の意のままに操られているでしょう」


 マドゥーシアの暗い声に空気がますます重くなる。


 俺もさすがに戸惑っていた。

 森全体が敵となれば、神性弓術でも荷が重い。

 対軍奥義《ジジィ震えすぎ》別名《シュレディンガーの繚乱》でも倒しきれないだろう。


 あの奥義は命中確率が0%でさえなければ、標的が何体いようが可能性の矢をすべて同時に出現させる。

 ただし可能性がわずかでもあるのは、あくまで矢の届く範囲にすぎない。

 神性弓術の射程はおよそ二十キロ。まさに神の領域だが、相手の面積は大陸の七割に及ぶ。

 隅まで届く可能性のある超長距離用の奥義は、《シュレディンガー》との併用不可ときた。


「いや、でも核となる木がどっかにあるだろうから、それを狙えば……」

『ちなみに核のようなものはない。森の木はすべて魔王であり、一本残せば増殖をはじめるじゃろう』

「いきなり希望ぶち壊さないでくんないかな!」

『すまんのう、ノクトよ。たぶん今ごろ希望ぶち壊すなって気分じゃろうが――されど、希望はある』


 エルドベリアの声を受けて、ユニが映像の一箇所を指差す。


「神樹が……持ちこたえているようです」


 神精郷を含めて、神樹を中心とした地域においては森の蠢動がおとなしい。

 神樹の根が外部の木をせき止めているらしかった。

 この霊廟も神樹のふもとにあるので、魔樹の侵食を受けずに済んでいる。


『神樹は太古に朽ち果てた世界樹の落とし種。わしはそこに術式を練りこんで清浄なる要塞とした。かつて魔王の城とされたような過ちは二度とくり返させぬ』


 祖神とユニが指差す先で、壁面に隠し通路が開かれた。


『御使いノクトよ、神樹とおなじく世界樹の落とし種たる神弓を手に取り、鎧をまといて霊廟を抜けよ。そこに最後の希望がある』


 エルドベリアの姿が薄れていく。

 幼子めいた顔に浮かぶのは、遠い過去を想う老人の寂しげなほほ笑み。


『この命尽きることなくば……もう一度ともに戦いたかったのう』


 彼女との思い出に浸る時間を奪うように、霊廟を襲う震動が大きくなった。


 映像を確かめてみれば、すさまじい衝撃が神樹の根を地面ごとえぐり返している。

 更地になった大地で哄笑するのは、一匹のメス災害――大元帥ララプロト。

 彼女が剣を振るえば地面がめくれあがり、神樹の根がネギか大根のように切り刻まれていく。

 魔王に操られて《迷いの谺》もろとも霊廟を叩き壊そうとしているのだろう。


「もう一刻の猶予もないな……みんな、いくぞ! 力を貸してくれ」


 俺の号令が火種となってエルフたちをたぎらせる。


「風竜要塞司令、メディエム氏族長マドゥーシアの名において、われら一同、御使いとともに戦いましょう」

「メディエム氏族のカリューシア、がんばっちゃいまーす!」

「ヒルデガルト小隊隊長、スペイディル氏族のヒルデガルト! この剣と弓を真なる聖戦に捧ぐ!」

「スペイディル氏族、セルドリリィ! 亡き弟セディルの魂とともに戦おう!」

「ミスレスト氏族、トルルカ! すべては愛のために!」

「ピスケッティ氏族のナイア! 死にたくない!」

「おなじくネレイア、とにもかくにも死にたくない!」


 エルフは見目麗しいだけの種族ではない。世界を征服寸前まで戦い抜いた戦闘種族だ。

 そんな彼女たちが故郷たる森の危機に絶望ばかりしてられるはずがない。

 ハーフエルフのユニだって、声を張りあげることはなくとも拳を握り締めて決意を固めている。


「みんなの覚悟受け取った! われ、御使いとして汝らとともに戦えることを誇りに思う!」

「はい!」

「つーわけで、俺ひとりじゃ鎧着られないから着せてください!」


 みんなの熱い目が若干冷めた。




 そもそも、ウサモスの体型で人間用の鎧をきっちり着られるはずもなく。

 無理やり紐でくくりつけてみれば、アラ不思議。

 耳だけはみ出したミスリル達磨のできあがり。


「歩けないから転がしてくれ」

「は、はい、ご主人さま……失礼します」

「にへへ、御使いさまってこーゆーとこ面白いよね」


 ユニとカリューシアは雪だるまを作るように俺を転がしていく。

 どうにも締まらない雰囲気で俺たちは霊廟の穴をくぐり抜けた。


 登り階段ではヒルデガルト小隊が活躍する。


「総員、腰で持ちあげろ! 手の力に頼っているとぎっくり腰になるぞ!」

「えいえい、おー、えいえい、おー、ちょーしんどいんですけどー」

「えい、おー、えい、おー、御使いムダに重すぎなんですけどー」

「あ、あなたたち声ばっかりで手抜いてない? ね、セルドリリィ、こっちに負荷きてない?」

「こういう力仕事はララプロトさまにお願いしたいんだけどね、ハハ」


 メス災害の攻撃は続いているらしく、階段はたびたび激震していた。

 木の根が絡まりあってできた足場はしなやかに揺れを吸収するので、崩れ落ちる心配もない。

 やがてたどりついた部屋もまた、階段とおなじ天然素材製だった。

 根と枝が寄り集まってできた二十メートル四方の立方体。


「ここは……神樹の内部、なのでしょうか」

「たぶんそうだ、ユニ。魔王の玉座があったあたりじゃないかな」


 部屋の中心にはミスリル銀の敷石がある。

 そこに俺が乗せられるや、鎧と敷石が淡い白光を帯びた

 床と天井から枝根が伸びてきてケイローンに絡みつく。


 ――同調した。


「なるほど……ケイローンも神樹も世界樹の落とし種って言ってたか」


 同調した神弓と神樹を通して俺の力が増幅されていく。

 感覚が拡大していく。


 世界が広くなった。

 世界がつぶさになった。

 はるか遠方の集落や砦がすべて目の前にあるように感じられた。

 操られて蠢くエルフたちのまつげを一本一本あますことなく数えきれる。


 神樹を見あげたメス災害の、喜色満面という笑顔もまた。


「御使いィ! そこにいるんだな、御使いィ! いっちょ勝負しようやぁ!」


 ララプロトは野球のアンダースローじみた挙動で大地に深く剣を叩きこんだ。

 地面の粘り強さにもたつきながら、猛然と引っ張りあげる。


忿怒せよ、始原の獣王ブレイジング・ベヘモットォ!」


 振り抜いた剣先を追って大地が天高く隆起した。

 全体が赤熱したかと思えば、流動的なマグマと化す。

 ゾウともカバともつかない四足獣をかたどりながら、波濤のごとく雪崩れこんでくる。


「なんか来るよ! あッつそうなのが、うっわ来る来る来る! 来るよおかーさん!」

「ララプロト、まさか禁術に手を出すなんて……! 御使いさま、対応を!」

「ええい、ぶっつけ本番だ! 神樹よ、その身を弓となせ!」


 耳でケイローンを引き分ければ、神樹の正面に烈光と竜巻が集束する。

 俺は特大の矢をマグマの巨獣に放った。

 ガクン、と全身の力が抜けるけど、俺のことはまあいい。


 残光を引いて巨獣を貫く一線は、もはや矢というかレーザー。

 白雲をも穿ち、打ち消し、青々とした晴天を広げる。


 数瞬遅れて、巨獣は爆散した。


「っひゃああーッ! すンげぇなぁ御使いィ!」


 衝撃でララプロトが吹っ飛ばされていく。ただの余波だから魔力反射は通用しない。

 軽く一キロは飛んでいったけど、メス災害ならまず平気だろう。


 彼女の笑い声が聞こえなくなるころ、呪わしげな音が空に響きわたった。

 

『――やはりそこにいるのか、御使いよ』

「魔王か」


 俺の指摘に応じるように、世界が黒く揺らめいた。

 あたり一面に蠢く緑が一斉に黒変したのである。

 葉が、枝が、幹が、ことごとく闇色に染まっていく。

 エルフたちはおぞましい光景に声をなくし、俺にすがりついてくる。


『あのときのようには行かぬぞ、御使い』

「あのときは最後かなり泣き入ってたよな?」

『生まれたばかりの子どもであったころとは違うぞ、御使い。我は充分すぎるほどに成熟し、恐怖に立ち向かうすべを得た――今度はおまえが恐怖する番だ、御使い』


 魔王たる黒い森がその身をくねらせた。

 大地が蠢動し、世界が鳴動し、舞いあがる土煙が日差しを遮る。

 空を埋めつくした夜の色彩に憎悪の声が轟いた。


忿怒せよ、災厄の蛇王ブレイジング・テュポーエウス――』


 世界が赤く染まった。


 舞いあがった土煙が赤熱し、無数の紐状に集束して揺らめいている。

 まるで無限の首を持つ蛇の群れ。


 見渡しても見渡しても、炎蛇が揺らめく地獄絵図。


「どうやらララプロトの禁術を摸倣したようですわ、御使いさま」

「たぶんイグニスの力もパクってるよ」


 マドゥーシアとカリューシアが魔王の力を見極める。

 

「し、しかし御使いはまだすべてを出しきっていません! ……ですよね?」


 ヒルデガルトは騎士の面目も保てない半泣き顔だった。ほかの騎士も似たり寄ったり。

 カリューシアはもう笑うしかないという様子。

 マドゥーシアは娘の手前、どうにか冷静さを保っているけど、額を流れる汗は隠せない。

 ユニは背中に抱きついているから、どんな表情をしているかわからないけど。


 そんな顔をされたら、エルフ大好きモフモフ獣として奮起せずにはいられない。


「よーし、やってみる!」


 まずは最大限に知覚を広げて敵を観測。

 神樹補正のおかげで、通常時とはくらべものにならない遠距離まで把握できる。


 炎蛇ははるかかなたまで空を埋めつくしていた。

 森の生物はみな、エルフも捕虜も獣たちも、その足下でもがき苦しんでいる。

 酸素を燃焼されて窒息してるんだ。


「エルフはもう利用する必要がないってことか……!」

『そのとおり――ふたたび現れるであろう貴様を倒すために、我はエルフを使ってひそかに依り代を成長させた。いまこの瞬間のためにだ。貴様の魂魄さえ砕きつくしてしまえば、もはや恐れるものはない! 神々が次なる介入をするまえに世界を滅ぼしてみせよう――!』

「させるもんか! ここは俺の理想のエルフパラダイスだぞ!」

 

 俺は耳を震わせて必殺の矢を放った。


 ――《シュレディンガーの繚乱》!


 レーザー状の矢が一匹の炎蛇に直撃した刹那、

 パアッ!

 炎蛇と同数の矢が出現し、赤く染まった世界を白い閃光で塗りつぶす。


 半径数百キロの範囲で炎蛇が森の木ごと消え去った。


 晴天が戻ってくるなり歓声があがる。


「すっご……! 御使いさま、すごいすごい!」

「ええ、さすがは祖神とともに世界を守りし救世主ですわ……」

「まさしく神の御技……! このヒルデガルト、感服しました!」


 エルフたちは口々に俺を讃えてくれる。

 森の木々を消し飛ばされたことより、魔王の脅威を撃ち払えた喜びが上まわっているのだろう。

 ミスリル達磨の俺はなすがまま揺さぶられていた、が。


「……わるい、みんな。まだだ」


 ざわりと森が揺らめいた。

 ふたたび土煙が舞いあがり、世界が赤く燃えあがる。

 何事もなかったかのように炎蛇が天を覆いつくした。

 地面からは黒い木がニョキニョキと生えてきている。


『届くまい――かつての森ならいざしらず、わが化身たるいまの森はエルフの手により大陸の七割を埋めつくした。たとえ神樹の力を借りようとも、その矢は端まで届かない。わずかでも化身が残れば、我は根を伸ばし、枝葉を伸ばし、貴様の喉首に手を伸ばす』


 炎蛇が神樹の根に噛みついた。

 幹に食らいつき、炎で全体を包みこむ。

 エルフたちは悲鳴をあげた。


『万年だ……万年の時を越えて、我は力を育んできたのだ。死に体から泥をすする思いをして、エルフの足下に手を伸ばし、エルフの心に手を伸ばし、世界に手を伸ばし……そうして手に入れた《伸びゆく力》だ!』


 俺は何度も炎蛇を消し飛ばしたが、すぐに次の炎蛇が補充される。

 キリがない。いたちごっこだ。

 いや、こっちのほうが圧倒的に不利か。

 室内の温度が上昇し、酸素が少なくなって、ひどく息苦しい。


「風よ、われらの息吹を守りたまえ……!」


 マドゥーシアが精霊魔法を使えば、ふっと呼吸が楽になった。


「水よ、潤いを与えたまえ……!」

「おなじく水よ、潤いを……!」

「そして水よ、凍てつきて――」

「風とともに涼をなせ!」


 部屋のあちこちに氷柱ができて、涼風が鎧の隙間から入りこむ。

 絶体絶命の危機にエルフたちが与えてくれた、束の間の安息。

 俺は延々と矢を放ちながらだけど、それでも生き返った気がした。


「よっしゃ、もういっちょがんばってみる……!」


 俺は腹の底から力を振り絞り――


 さわ、と耳を撫でられ、脱力した。


「あふぅんっ、な、なにすんの、ユニ?」


 背にしがみついたユニの顔は窺えない。

 ただ、俺の耳を撫でる指先は、ひどく悲しげに震えていた。


「もう、いいです、ご主人さま……」


 か細い声も震えている。

 さきほどから痙攣しっぱなしの俺に負けず劣らず。


「ご主人さまが、こんなに苦しむ必要、ないです……」


 どうやら気づかれていたらしい。

 ほかのエルフたちも次々に異変を察する。


 さきほどから俺は震えを止められなくなっていた。

 耳には十円玉ハゲがいくつもできている。

 足下には鎧の隙間からこぼれた抜け毛が積もっている。


「生え替わりの時期だからな、毛がよく抜けるんだ」

「プルプル震えてます……」

「必殺技を放つために必要であってな」

「嘘をつかないでください。でないと、もう、モフモフしません……!」


 はじめてのユニの反抗に、俺は返す言葉を失った。


「やっぱり――もう限界なんですね」


 図星すぎて言いかえせなかった。

 神樹ブーストはただ威力や射程を伸ばすだけのものじゃない。

 反動で俺の生命力を削り取っていく。

 単発ならまだしも、ひっきりなしに連発しているのだ。そろそろ血を吐いてもおかしくない。


「ごふっ」


 本当に吐いた。

 ぶっかけられたヒルデガルトが「うひゃふへッ」と変な悲鳴をあげる。


「ご主人さま……これで世界が終わりなら、わたしは、最後のときまでご主人さまをモフモフしていたいです……」


 ユニは俺の耳に頬ずりをした。残されたわずかな毛を涙が濡らす。

 焼きつくされていく世界の中心で、ハーフエルフの奴隷少女が泣いていた。

 虐げられてきた不幸な人生の末路すら、彼女は嘆きで締めくくろうとしている。


「そう……ですわね」


 マドゥーシアがしめやかに膝をつっけば、騎士たちもそれに倣う。


「われらがここにあるのも、神代に御使いの救いあればこそ――」

「生きるも死ぬも、御使いとともに――」


 泣きたいのは俺のほうだ。

 チートスキルがこんなにも無力だとは思っていなかった。

 一度は魔王を倒し、救世主とおだてられて、正面から戦えばだれにも負けないと自負していたのに。

 いまの俺はエルフたちに気を遣わせて、絶望を受けいれさせることしかできない。

 魔王に力が通用しないいま、俺は無力でちっぽけな、ただかわいいだけの動物だった。


『燃えつきよ、御使い――我の、仇』


 炎蛇の群れが神樹を締めあげた。

 室内の氷が溶け出し、蒸発し、空気が一気に蒸してくる。


 ちらりとマドゥーシアが目配せをしてくる。自分の首を絞めるジェスチャーをしながら。

 たぶん、楽に全員を死なせる算段があるということだろう。

 美しいエルフに囲まれて安楽死。最高とは言わないが、焼死や窒息死にくらべればマシか。


「ご主人さま……ありがとうございます」


 ユニの声は場違いなほど安らいでいた。


「ユニに名前を取り戻してくれて……はじめての友達と出会わせてくれて……ご主人さまの奴隷にしてくれて……本当に、本当に本当に、ありがとうございました」


 なんて満足げな声だろう。

 迫害されてきた日々にくらべれば、こんな末路も天国ということか。


 見ようによっては、ハッピーエンドと思えなくも、ない。


「……ヤだ」


 それでも俺は運命に抗うようにうめく。


 そして、叫ぶ。


「こんな終わり方、絶対にイヤだ!」


 俺が終わるのはいい。

 また記憶を引き継いで転生できるかもしれないから。


 でも、ユニはそうじゃない。

 報われない人生を最良だと信じて死に、その記憶も消えていく。

 そんな不幸を嘆くことしか、俺にはできない。


 女の子ひとりに人並みの幸せを与えることもできなくて、なにが救世主だ。


「なんのためのチートだよ……!」


 もっと違うスキルを選んでおけば、マシな結果になっていたのだろうか。

 技術摸倣なんて遠回しなスキル、バグッたままで全然使えないし。

 副作用でジジィに生まれ変わったり、ウサモスに生まれ変わったりするし。


 やり直したい。

 もう一度転生しなおしたい。


 でも、その願いがかなったとしても、次に生まれ変わったとき、この世界は残っているのだろうか?

 ユニたちを死なせた俺を、俺自身が許せるだろうか。


「おい神、神! 神オラッ! すこしぐらい力貸せよこのメス神! 最初にチート与えて放置プレイとか職務怠慢だろ! 支援だ支援、力を貸せー!」


 理不尽な望みだとわかっても俺は吠えた。

 神頼みのほかに、できることはなにもないから。


「頼むから……! せめて、コイツらだけでも助けてやれる力を、俺にくれよ……!」


 世界が火に包まれ、神樹が表面から炭化していく。

 すべてを焼きつくす焦熱地獄が迫りつつある、


 絶望が積み重なっていく――


 そんなとき。



 パンパカパーン♪



 なんておめでたい脳内ファンファーレ。

 やかましいわボケ!

 なんなの、俺の脳。

 なんでこの局面で空気読まずにそういう演出入れちゃうわけ。


 頭の隅のスキル項目がめまぐるしく変化しはじめて、


 技術摸倣(99)15


 そんな数値が現れた。


 えっと。括弧内がレベルで、その横は回数だったか。

 要するに、バグッてた数値がようやくいまさら直った、と。

 神性弓術ではない、俺本来のチートスキルが戻ってきた、と。


「御使いさま……?」

「いま、なにか光のようなものが弾けたような……」


 エルフたちの戸惑いの声と。


『アハハハハハハハッ! 死ね、恐れよ、死ね! 怖がれ! 死ねッ、死ねッ、我に刻まれた恐怖の記憶もろとも燃えつきてしまえええええッ!』


 狂気を孕んだ魔王の怒声が。


 耳の表面を撫でて、流れて、消える。

 俺の心に芽生えた確信が、それらの声を不要なものだと押しのけていた。


 ――勝てる。


 俺は魔王に意識を定めて、蘇った力を解放した。


「スキルコピー発動! 対象魔王、《伸びゆ力》! 精度MAX、一発限定!」


 たちまち電流が俺の全身をかけぬける。

 痛いし熱いし心臓が破裂しそう。抜け毛がますます激しくなる。

 でもやめない。やめられない。


「ひゃばばばばばばばばばばばばばばッ、ばふっ、ふおぉおおおおおおぉぉおおお!」


 電流が止まった。

 頭のなかのスキル項目が更新されている。


 技術摸倣(99)◆×◎■△

 神性弓術(94)

 存在拡張(92)1


「っしゃああああああああ! もう一発やったらぁああああ!」


 全身全霊をこめて弓を引き、《伸びゆく力》こと《存在拡張》を発動。

 俺の知覚が稲妻の速さで駆け抜けていく。

 炎に包まれた森を越えて、はるか大陸の果てまでも。


「ぐうぅううううううぅううぅぅぅぅぅぅ……!」


 頭が激しくきしむ。脳が焼き切れていく。

 残されていた毛もどんどん抜けていく。どんどんハゲていく。

 骨がヒビ割れ、筋肉が硬化していく。

 体の震えを運命の揺らぎに変えるうちに、とうとう喉が固まった。


 息ができない。


 肺が萎んだまま膨らんでくれない。


「ああ、神よ……! われらが御使いの命が消えていきます……!」

「そんな、やだよやだよ、御使いさまぁ!」

「それでもわれら黒銀騎士団ヒルデガルト小隊! 御使いと運命をともに……!」

「やっぱりもうダメなのかな、ははは、参ったね、トルルカ」

「でも一緒よ、セルドリリィ……私たちと、御使いさまと」

「あーあ、せめて死ぬ前に処女捨てたかったんだけどね」

「御使いさまがエルフの男だったらよかったんだけどね」


 俺と寄り添ってくれるエルフたち。

 無職をやっていたころには縁のなかった美女たちが、俺を慮ってくれている。


 ああ……神様。

 もうちょい、もうすこしだけ、力を貸してください。

 彼女たちを救うための、たった一息分の、最後の力を、この可愛らしいウサモスに――!


「ご主人さま……だいじょうぶです」


 耳を撫でるユニの手は格別に暖かい。

 炎蛇の熱とはまるで違う、心を包みこむような優しい体温。


 俺はそこに、彼女以外のぬくもりが添えられているように感じた。


「わたしたちが一緒にいます……だから」


『こたびこそわれら三人で、魔王を討ち果たそうぞ』


 懐かしい声が聞こえた拍子に、ぷくう、と肺が膨らんだ。

 酸素が全身に行き渡り、力がみなぎってくる。

 炎の生み出した気流の乱れが神樹の手前に収束し、光が凝縮する。


『悪あがきをするか、御使い!』

「最期の一発ぐらい付き合ってけよ!」


 知覚できるかぎりのすべてを知覚して。

 紡げるだけの光と風を紡ぎあげて。

 耳の震えを可能性の揺らぎに変えて。


 俺は静かに弦を離した。


『あっ……』


 あとは一瞬の出来事だ。


 世界が白く白く染まりゆく。

 炎が消え、熱が冷め、晴天が訪れる。


『ぃゃだ……』


 魔王のかすかな断末魔の声も。

 俺の体からすべてのモフ感が抜け落ちるのも。

 力つきて崩れ落ちるのも。


 すべてが、一瞬。


 エルフたちが歓喜し、すぐに悲しそうな顔をするのを、ぼんやり眺める。

 声がかすかにしか聞こえない。最後の一撃で鼓膜が破れてしまったらしい。

 あと脳もたぶん、いろいろ、もうダメ。


 考えがまとまらない。


 綺麗な顔がいっぱい、見下ろしてきてる。

 とがった耳の、白い肌の、きれいな、いきものたち。


 ああ、そうだ。


 ぼくは、その二本足の生き物が、だいすきなんでした。


 とくに、ちょっと耳がみじかめで、くろっぽい、ぷにゅんぷにゅんの子が。

 とてもとても、だいすきなのに。


 ねむそうなかおで、ぼくに、倒れかかるのが、とてもとても、かなしいです。


「ユニ、あなたはまさか……自分の命を御使いに捧げたというのですか」

「そんな、ユニちゃん、ユニちゃん……!」


 きれいな生き物たちは、ぼくと、くろい子をかこんで。

 ぼくたちを、優しくなでてくれて。

 なんだかとてもしあわせで。


「この幸せ、ぜんぶ……ご主人さまのくれたものです」


 さいごに、その子は、おくちのはしっこを、すこしもちあげて。

 ぼくといっしょに、目をとじました。



 ぼくたちは、しあわせなまま、ぐっすりねむりました。




   *     *     *




 そして世界は塗りかえられた。




   *     *     *




 目を開くと、そこは光に満ちた螺旋空間だった。

 目の前には光り輝く女神の姿がある。


「カズヤ……いえ、ノクト。あなたはついに使命を果たしました」

「うん、やったぞ。やり遂げたぞ。やり遂げたけど……」


 二度の転生を経て使命を果たした達成感は大きいけれど。

 どうしても飲みこめきれない悲しみが胸を焼く。


「やっぱりユニも死んだのかな」

「ええ、死にました」

 あっさり言いきりやがった。


「ここには来てないのか? できれば会って話をしたいんだけど」

「それはできません。彼女はすでにあの世界に戻って行きましたから」

「転生したってことか」

「厳密にはそうではありません――魔王というねじれを取り除くことで、世界の因果律は再編されました。ケイローンに込めた力によって、魔王ははじめからいなかったことになったのです」


 なにやらとんでもない話になってるような気が。


「はじめからってことは……最初に俺が転生した時点から、歴史が変わってるってことか?」

「完全に別物というわけではありません。因果律にはある程度の復元性と修正力があります。魔王なくとも魔族は生まれますし、光の同盟との戦いは生じるでしょう。エルフたちが強い権勢をもって世界に大きな影響を与えることもあるでしょう」

「つまり……生まれるはずだった人物が生まれない、なんてことはないんだな」


 女神はうなずいたかと思えば、深々と頭を下げた。


「ひとつ謝罪させてください……申し訳ございません、ノクト」

「どういうこと?」

「本来なら最初の転生時、巫女が遣わして私の言葉を伝えるはずだったのですが……魔王の世界侵食が予想以上に根深く、あえなく妨害されてしまったのです」


 なるほど。どうりで事態の深刻さにくらべて妙に不親切だったわけだ。

 そこは理解したけれど、いま気になるのはべつの部分だ。


「巫女っていうのは、もしかして……」

「一度目はエルフとして生まれることも叶わず、ウサモスとして誕生しました」


 まあ、そうなるだろう。

 選択肢はエルドベリアかアイツしかいない。


「二度目はさらに侵食が広がり、あなたに知性種の体を与えることもできませんでした。巫女は知性種として生まれましたが、やはり妨害で私の声が届きません。どうにか干渉できたのは、最終決戦に一度だけで」

「もしかして、最後に技術摸倣のバグが直ったのは……」

「巫女を通して、私が力を行使しました」


 要するに、あの少女はいつも俺のそばにいてくれたってことだ。

 たとえそれが使命感に駆られてのことだろうと、俺が救われたことに違いはない。

 俺ひとりでは果てなく広い見知らぬ世界に押し潰され、孤独死していただろう。


「あなたは自由転生の権利を手に入れました。お好きな力を、環境を、お求めください。ハーレムはもちろん、英雄となることも王になることもできましょう」

「あー、いや、そういうのはいい。チートはもうコリゴリだ」

「そんな、もったいない」

「魔王はもういないんだろ? なら、世の中を普通に生き抜ける程度の健康な人間ならそれでいい。死にかけのジジィとかウサモスは二度と勘弁な」


 強い力をもって強大な敵と戦うような人生もできれば避けたい。

 大切な女の子を守れるか守れないかで苦しむなんて、二度とゴメンだ。


 念願のエルフハーレムについては、多少なりとも近いものを味わえた。

 彼女らに看取られたときの幸せ感は、ちょっと筆舌に尽くしがたい。

 もっとこう、エッチな感じのハプニング満載な十八禁ストーリーに未練がないとは申しませんがね?


「まあ、手先はちょっと器用なほうがいいかな。手がプルプル震えたり、耳で弓を引くような面倒くさいのはゴメンだし。あとは外見がよっぽどブサイクでなけりゃ……待てよ、どうせなら股間の逸物もある程度は大きく……」

「細々した要求が絶えませんね」

「う、まあ、それは置いといて」


 俺は咳払いをして自分の強欲さを誤魔化した。


「俺よりも、ユニを幸せにしてやってくれないか? 巫女の役目とかそういうのはなしで。ひとりの女の子として満足できる人生を送ってほしい」

「それがあなたの願いですか」

「あとエルドベリアも。生涯独身だったって聞いたし、そこらへん都合つけてやってくれない? 長い人生、独り身はつらいだろ?」

「なるほど、ふたりに幸せな人生を与えるということですね。あなたの身に宿った運命力なら充分にまかなえるでしょう」

「あ、待って。運命力が余ってるなら、さっき言った感じの祝福を俺にも……いや、なんでもないです。いいです。忘れてください」


 未練たらたらで目を泳がせると、女神がくすりと笑った。


「あなたの願いを叶えましょう――」

「サンキュー! 生まれ変わったら女神さまの像とか彫ってやるから!」


 螺旋空間の光量が上昇した。

 俺の魂が深みへと引きずりこまれていく。

 意識が光に溶け、新たな世界に飲みこまれていく。

 俺は新たな生に胸を弾ませ、目を閉じた。


「ですが――」


 女神の声が頭に響く。


「あなたの考える幸せと、ふたりの求める幸せは違いましょう。わたしはできるかぎり、彼女たちの意志を尊重するつもりです」

「え、なにそれ。ちょっと待っ」


 声が出せなくなる。

 意識が曖昧になっていく。

 ただ、女神の晴れやかな声だけが心に染み渡った。


「あなたと、あなたのまわりの者に、世界の祝福があらんことを――」



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