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その日の夜、美月はなんとなく眠れなくて台所に立っていた。
美月が魔法を使えなくなったことに、椎名が責任を感じていることにはなんとなく気付いていた。
実際は、まるで関係ないと美月自身は思っているのだが、どうも椎名は違うらしい。
ただ単に、椎名も一緒に行く予定だったのが、一人で街に行くことになっただけの話なのに。
だから、責任なんか感じなくていい、何度も何度も、泣きながら謝る椎名に言ったのに、やっぱり聞いてなかったようだ。
とても椎名らしい。
美月はくすくす笑う。笑いながらも鍋を見る目は油断しない。
タルト・タタンは、リンゴに良い感じで焦げを作るのがポイントだ。焦がし過ぎれば苦味が強くなるし、足りなければ風味が足りなくなる。
「ん、いい感じ」
「だねー」
火を止めて鍋を覗き込んで呟くと、背後で声がした。
「今日来ても、食べられるのは明日だよ?」
「知ってるよ。焼き立てを持って帰って明日食べるからいいよ」
振り返ると、にっかりと笑った椎名がいた。
「全部持って帰る気かい」
「だってそれ、私のためのでしょ」
美月はちょっと考えてみた。確かに、自分が食べたいと思って作り始めたわけではなくて、椎名のことを考えていたら作りたくなったのだ。
「……否定はしない」
ふてくされたように言うと、椎名は笑った。ひとしきり笑って、ありがと、と呟いた。
そして。
「まさか、魔法以外の方法で解決されるとは思わなかったよ」
「魔法、使えないもん」
「嘘ばっかり」
「こんなことで嘘をついてもしょうがないでしょ」
オーブンシートを敷いた型にリンゴを移しながら美月は応える。本来ならきっちり詰めたリンゴの上にタルト生地を載せて焼き上げるのだが、美月が愛用しているレシピではこのままオーブンでもう少し焼く。オーブンで焼くことで、鍋の前で見張っている時間を減らすのだ。
「クジラ事件の時だって」
「それ、風船に針で穴を開けただけだし」
「知ってるよ」
間髪を入れない返答に、美月は思わず手を止めた。
「でもあの時、本当なら浮力をもった空気は周囲に押し出されて、もっと速いスピードで降りるはずだった」
美月は押し黙った。
浮力を持った空気、と椎名は呼んだが、実際は反重力的な性質を持つ空気だ。それが横向きに四方に噴射された場合、風船は四方から押される形になる。いくら高い所でも平気な人間とはいえ、不安定なゴミ袋風船の端から下側に穴を開けるのは難しい。ましてやクジラ型だ。真横でも難しいくらいだ。
椎名が言っているのはそういうことだ。
「でも、クジラはゆっくりと真下に下降して、ほとんど静かに着地した。空気が抜ける速度を考えても、ものスゴイ偶然だ」
「そういうこともあるわよ」
「美月が、無意識に魔法を使ったと考えたほうが無理がない」
「判んないわよ。私以外の人が、こっそりしたのかもしれないし、人数いたから、みんなの無意識が良い方に作用したのかもしれない」
言って、作業を再開する。最後のリンゴを型に詰めて、隙間が無いように、スプーンの背で押して、表面を平らに整えていく。
「かもね。……でも、私は、美月だと思った」
余熱してあったオーブンに突っ込んで、時間をセットして、美月は道具類の片づけを始める。いつもならこの時間にタルト生地を作るのだが、なんとなく今日は一番先にその作業をしてあったので、焼きあがるまでの時間は洗い物に回せる。
「考え過ぎだよ」
流しにどんどん移動させながら呟くように言って、それから美月は振り返って椎名を見つめた。
「椎名のせいじゃないって、言ったよね? 椎名は悪くないって、言ったよね?」
だが、彼女は少し哀しそうな顔をして笑うだけで何も答えない。
「魔法が使えないことで不便はもちろんあるし、今日みたいな日はすごく困るし使いたくなる。でも、椎名が責任を感じて何とかすべきことじゃないの」
だってあれは椎名のせいではないのだから。
真鶴も臣も、美月のせいではないと言う。悪くないと言う。だからと言って、椎名のせいだとも言わない。誰も悪くないのだ。ただその結果、一人の未熟な魔法使いが魔法を使えなくなっただけの話だ。そしてそれは、別に珍しい話でもなんでもない。
そんな思いを込めて見つめるが、おそらく椎名には伝わらないだろうことは、美月にも判っていた。
だから、鍋やらボウルやらを水につけると、ヤカンを火にかけた。
「焼きあがるのにはまだ時間があるから、お茶にしましょ。どうせ、結界張ってるんでしょ?」
魔女帽子事件で、椎名は立派なお尋ね者だ。見つかれば逮捕されるだろうし、美月が見逃せばそれも罪になる可能性が高い。わざわざやってきたということは、それなりに身の安全は確保しているということだ。
一番の迷惑を被ったと言っても良い美月でも、椎名が捕まるのは少し避けたい。彼女が帰ればばっちり口を噤む気だ。
「タルト・タタン以外に何かお菓子があるの?」
うなずきながら、少しほっとしたような顔で、椎名は訊いてきた。
「パンプキンパイがあるわよ、椎名のせいで」
街じゅうに溢れるジャック・オ・ランタンは、別に椎名のせいではないが、魔女帽子事件がなければ街中を歩き回ることはなかったのだから、ハローウィンメニューなんか作らなかったのは間違いない。
それを知ってか知らずか、椎名は肩をすくめると手近な席に着いた。
「ねえ、十年間どこ行ってたの?」
学園を卒業してからの十年、ただの一度も連絡を寄越さなかった友は、現れた時と同じようににっかりと笑った。
「忘れた頃のほうが効果があるかなって、思ったんだよ」
魔女帽子事件の犯人候補に上がるほどの魔法の使い手である友は、明かにごまかしである理由を口にして、嘘か本当か判らないことを語りだした。




