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引き篭り師弟と、不吉な訪問者16―唯一の存在―


「先ほども申し上げましたが、ただの魔法使いとしての好奇心や暇つぶしかと思っていましたよ。いや、万が一の可能性として過去の『アニム』に心を傾けていたという可能性も考慮していなかったわけではありませんが……」


 メトゥスの視線が師匠に注がれる。魔法映像ではなく、直接師匠を見下ろしている。師匠の周りには電気が走って、張り詰めた空気を纏っているのがここからでもわかる。

 魔法映像を見ると、見たことのないくらい怒りに染まっている師匠が映っているじゃないか。跳ね上がった眉毛の下には、ナイフよりも鋭い瞳。以前、森で見た手負いの獣のよう。口から瘴気しょうきが出てきそうだ。


「さて!」


 悦に入った顔で師匠を見下ろしていたメトゥスが、手摺りの上に降り立った。まるで演説でも始めるかのように、両手を広げ高らかに胸を張る。


「異物を愛でる姿を見ていて――貴方が異物を弟子に置いたことから、どうやら私は間違っていたと考えを改めました!」


 師匠が私を守ってくれているのを見て、ということ? メトゥスが言う確信の内容は大体予想がつく。というか、言われているし。

 師匠は私じゃなくて『アニムさん』が欲しかった。そうとでも突きつけてくるつもりだろう。

 それより、外套マント――回復玉がつまった箱をいつ投げればいいのか、タイミングを伺わなくては。


「ウィータ、貴方は単純に対抗していただけなのでしょう? 師匠と呼ばれ、異物に慕われていた未来の師匠に‼」


 空間が凍りつく。


 えっ……。

 えぇ⁈

 えぇぇーーー⁉


 頭の中が真っ白なんだけど! どういう意味? 師匠がだれに対抗しているって? 『アニムさん』に慕われていた師匠⁈

 うっかり力が抜けかけた。落としそうになった外套を慌てて抱え直す。

 鳴り出した耳鳴りがめまいを引き起こす。


「やはり、異物はこの可能性には至りませんでしたか。よくよく考えてもみなさい。ウィータがいくら寛大とはいえ、術の失敗に巻き込んだだけの異物を、初めての弟子にし、使えない弟子を愛でてきたのだと思います? 特異なものを眷属としステータスとして利用するならともかく」

「しっししょーは、あなたのような、損得勘定で、動く人ないです」


 情けないくらい、掠れた声だ。風にかき消されそうな声量。しゃべりだした途端、全身が震え始めた。とまれとまれ。全身の筋肉が引きつって、痛い。

 瞳も喉も渇ききって、裂けてしまいそう。


「魔法が使えない低俗な異物を初弟子にしたのは、出会った『アニム』がそうであったから。想いあっている仲であるのに己を『師匠』と呼ばせているのは、『アニム』がそうしていたから。手をだしていないのも、どうせ『アニム』関連ですよね? あぁ、くそつまらない理由ですね。かつて、己が嫉妬した『師匠』と興味を抱いた『アニム』、二人の関係に並ぶまで待つ『時期』。いや、そうですね――」


 目の前の男は、一体だれに向かって話しているの? 高揚を前面に現し、叫びに近い声で延々と語り続けるメトゥス。

 違う。違うって、師匠の声で、言葉で否定して欲しい。

 やっぱり、私じゃ駄目なの? 『アニムさん』じゃなきゃ、師匠は欲しくない? 私が師匠をどう想うようになるかを知っていたから、いつもあんなに余裕だったの?


「実験と捉えれば、非常に興味深い! そうか、そうなのですね! 私が敬愛したウィータであるうちに、いっそ殺してしまおうか思い悩んだ時期もありました。随分とつまらない道をなぞっているのだと。けれど! 稀代の魔法使い相手に生まれた対抗心と、魔法の存在しない世界から召喚された希少な異物サンプル。世界で最も澄んだ結界。式神の材料! 百年の計画を実行に起こすための材料が、召喚術失敗によって揃った! 私としたことが、愚かでした。ウィータがそこまで深く考えていたとは。目の前の演技に騙されていました!」


 演技? 実験? 材料?

 待って、まって。思考が追いつかない! メトゥスも黙って!

 メトゥスの息遣いと声しか響かない空間が気持ち悪い。師匠を大好きという気持ちも、この世界に残りたいっていう決心も、過ごして日々も、全部が決められていたことだっていうの?


「でも――」


 思い返せば、言葉の端々にヒントはあった気がする。

 私がここにいるのを確かめるように触れてくる師匠の手。あれは、私ではなくて『アニムさん』を感じるためだったんじゃないの?

 喉も心も乾いていく。


「アニム‼」


 全てを嫌疑の色で塗り替えそうになった瞬間、師匠の声が殻を壊してくれた。消音魔法を解除できたのだろう。

 呼んでいるのが私の名前じゃなくても――違う、アニムは私なんだ。


「お前だ! アニム! オレの『アニム』はお前だけだ!」


 乾ききった世界が、一気に潤っていく。感情が溢れてくる。

 空間の闇をなぎ払ったのはアルス・マグナだった。アラケルさんとの魔法戦というよりも、私をこの世界に連れてきたのと同じ大きな魔法陣が頭上に浮いている。

 って、師匠! 腰元どころか右半身が血に染まってるじゃないの‼ ひえぇ!


「図星ですか、ウィータ。私は嬉しいです。そして、貴方の意図を見誤っていたことを、詫びましょう」

「だれも、てめぇに話しかけてねぇよ!」

「そうですね。貴方の口から直接伝えてさしあげてはいかがです? ねぇ、異物。絶望が決定的になれば、消えてくれますよね?」


 ちょっと冷静になれば、師匠とメトゥスの会話が成立してないのが丸わかりだ。メトゥスの勝手な妄想に付き合っている時間がもったいない。

 いや、メトゥスが興奮している今がチャンスかも。


「支離滅裂なのですよぉー!」

「そうよ、そうよ! あんた一体見えないだれと会話してんのさ!」


 何度か指先に力を込めてみる。最初はうまく動かせなかったものの、ホーラさんたちがメトゥスと言い合いをしている間に徐々に感覚が戻ってきた。

 よし、いける。幸いメトゥスの視線は常に師匠に向いている。空中で箱が開かないよう、外套の端を内側に突っ込んで風呂敷状態にしておこう。


「確かに」


 今にも師匠って叫びそうになるのを必死で堪える。


「アニム?」


 師匠は、一気に眉を垂らした。傀儡かいらいの時と同じだ。どんなに怒っていても、私を見ると一変する。私が『アニムさん』のことを黙って一人で抱え込んでいたように、師匠も私に言えなかった事実があるから踏み込んできてくれなかったのかもしれない。

 師匠は無敵で、人生経験も豊富で、心が揺らぐことも少ないって思い込んでいた。それは、本当に思い込みだった。操られていたとはいえ、私の『嫌い』だとか『手放して』という暴言であんなに傷ついていた師匠が、演技で私を大切にしてくれてたなんて思えないのだ。あの怪我だって、そのせいだもの。プライドが傷ついたんじゃない。師匠の心が痛んでた。

 私は今日まで揺らぎに揺らいできた。『アニムさん』の存在を知ってからというものの、師匠が私に接してくれているのか、この世界に残っていいのか、たくさん悩んできた。たぶん、この場で初めて知った事実なら師匠を信じられなくなったりしたり、自分で考えることを放棄していただろう。

 でも違う。私は私としてみんなと過ごして、支えてもらった。道標をもらった。

 一年半以上、師匠と時間を共有して、笑ったり、寂しくなったり、怒ったり。色んな感情が生まれた。

 まやかしだなんて、急に現れた他人の言葉なんて信じない。私が信じてるのは私の気持ちと師匠だ。

 だから、ごめんなさい。ちょっとひどいこと言うね。


「ししょーは、はっきり、私に言葉くれたこと、ないもんね。それは、私が、まだししょーが欲しい、思った、『アニムさん』じゃなかったから、なんだね?」

「違うっ、オレは‼」

「ラスターさんも、知ってて、私の告白聞いて、滑稽こっけい、思ってたんでしょ!」


 突然話を振られたラスターさんは、鳩が豆鉄砲をくらったようなお顔だ。ただ、思ったとおりだ。すぐに立ち上がって身振り手振りで否定してくれた。

 お願い、もうちょっと近づいてきて!

 自分が作れる限りの皺を眉間に寄せる。隣から、


「あぁ、なんて醜い」


と悦った声が聞こえるが無視だ、無視。メトゥスからの不細工上等ぶさいくじょうとう


「みんなして、バカにして! こんな外套《《とか》》、触ってたくない! ししょーのために、一生懸命、《《目的のもの》》、回収して自分、ばかみたい!」

「おや。人形にもプライドはありましたか。代用品にもなりきれない、安っぽい人形ですね」


 非常にわかりにくいのはわかっているが、精一杯、外套だけじゃない主張! アクセントつけたし、目的達成も伝えた!

 せーの! なんて、緊迫ぶち壊しの掛け声を心の中でして、ラスターさんに外套たちを放り投げる。


「ん?」


 メトゥスが訝しげに呟いた。布の質量だけの落下速度じゃないですよねーと苦笑いを浮かべる。しつこいが、頭の中でだけ。

 お願いラスターさん! 師匠を傷つけてまで渡した回復玉、受け止めて!


「アニム!」


 願った直後、師匠の声が響き渡った。大声であるけれど、怒っているものとは全然違う。張り詰めているけれど、どこか熱い声色。低くないけど、おなかに響いてくる師匠の声。

 わかってる。こんな時でも本名を呼んでくれないのは、私の真名をメトゥスに知られないため。だけど、どうしようもなく瞳が熱い。


「アニム、聞いてくれ!」


 もう一度名前を呼ばれ、本物の師匠に視線を映すと……私を見上げる師匠がいた。少し遠いけれど、視線がしっかりと絡む。

 口の端についた血を袖で乱暴に拭った師匠。真っ直ぐ私だけを映しているように思える瞳に、苦しくなる。魔法映像いっぱいに映った師匠の瞳は熱を帯びているように感じられて、心臓が痛いほどしぼむ。


「ししょぉ」


 潤っていく瞳と同じく、声も涙声で情けない。でも、無性に泣きたくなる視線なのだ。

 師匠はすぐには応えてくれない。大きく呼吸をしているので、詠唱の準備だろう。


「百年前。この結界を作ったのも、異世界のお前と接触しようと思ったのも、過去の出会いがきっかけなのは間違いねぇ。けど――」


 紡がれたのは、メトゥスの言葉を肯定するものだった。師匠は『アニムさん』への気持ちを、私に言うつもり? 代用してて、ごめんなんて。違うって思いたいのに、弱い私は崩れ落ちてしまいそう。

 切れた言葉に続かない声が、まるで失恋の前兆みたいだと思った。

 ぐしっと目を擦ると、師匠にきっと見つめられた。瞬間、不思議なくらい、絡み合った心がほぐれていく。


「オレが心底惚れてんのは、今、目の前にいるお前だ‼ オレの魔力から命まで全部かけて誓う!」


 胸を強く叩いた掌。強い光を灯した瞳。

 あれほど煩かった耳鳴りが、ぴたりと止んだ。代わりに、飛び出していってしまいそうなくらいの心臓を、そっと押さえる。

 聞き間違いじゃ、ないよね? 今、師匠が《《惚れてる》》って叫んだ? 私に?

 欲しくて欲しくて堪らなかったはずの言葉なのに……初めて聞いた言葉のように、飲み込めない。まるで、理解してしまったら幻みたいに消えてしまうと警告しているように。


「召喚に巻き込んで、お前を弟子にしてからずっと。自分でもどうにかなっちまったんじゃないかってくらい、毎日、アニムの一挙一動に感情を揺さぶられるんだ! お前と過ごした時間は、生きてきた何百年と比較になんてならないくらい、生きているって意味を実感させてくれている! そう感じられるのは、アニム。お前のおかげなんだ! フィーニスとフィーネのおかげなんだよ!」


 師匠の顔を見ていたいのに、止め処なく溢れ続ける涙が邪魔をする。意味を成さない嗚咽が、折角の師匠の言葉を遮る。


 強がってても、不安だった。本当は、メトゥスが言うように『アニムさん』の代わりなんじゃないかって。それでも良い、私を見てもらえるように頑張る。師匠が大切にしてくれてるのは態度で伝わってきてたから、そう自分を鼓舞してた。


 でも、やっぱり、心の奥底では怖くて仕方がなかった。

 隣に眠る師匠を眺めて、いつか『アニムさん』と違うって突き放される日がくるんじゃないかって、悲しくなった夜もあったの。


「オレは、アニムをだれにも、どこにも、渡したくない! 召喚に巻き込んだ罪悪感なんかじゃない。ましてや、プライドや意地なんかじゃ、絶対にない」


 信じてて良かった。迷いながらも。

 回り道をしてひどい失言も口にしたけど、お互い素直じゃないなんてしょっちゅうだけど。だから、今。幸せだと。純粋に嬉しいと泣ける自分がいるんだよね?

 きっと、召喚された直後の何も積み重ねてない私だったら、ひどいと無責任に怒ってただけかもしれない。


「唯一の弟子であるお前も、一人の女性としてのお前も、全部が大事なんだ!」


 やっぱり、私は師匠が好き。たまらなく大好き。師匠の気持ちを全身で感じて、私の中の想いが膨れ上がっていく。

 生まれて始めてもらった、大好きな人からのありったけの想いを詰めた言葉たち。照れ屋な師匠がくれた、まっすぐな言霊。


「ただ、お前っていう存在を――愛したんだ!」


 叫び終えると、顔を強張らせ口をへの字に引いた師匠。

 私は――涙でぐちゃぐちゃのまま、下手に笑うのがやっとだった。


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