引き篭り師弟と、不吉な訪問者10―傍にいて―
あまりに緩い空気に脱力して、師匠の背中をぺしっと叩いてしまった。
「もう、ししょーたちってば」
傀儡の時はすごく怖かった。自分が痛めつけられたのもあるけど、それよりもフィーニスとフィーネが死んでしまいそうなのが恐ろしくて仕方がなかった。
今は二人が巻き込まれていないのがあるのだろうか。それにしても――と、また自分の思い至らなさに落ち込むしかない。少し考えればわかる。師匠もラスターさんたちも傀儡の恐怖体験の記憶が新しいからこそ、敢えてシリアスにならないようにしてくれているんだろう。
ひとまず、叩いた師匠の背中は撫でておいた。
「目まぐるしい鞭と飴だが、気にすんな」
「ししょーは、ううん、みなさん、不肖の弟子を、甘やかしすぎですよ」
師匠の背中を掴んで額をつけると、本人にもの凄く体重をかけられた。
前は大人に守られているって感動するだけだった。でも、今は遠いなと感じてしまうから厄介だ。我ながら、自分の至らなさを棚に上げてと落ち込んでしまう。
「そうだな。甘やかされ過ぎの弟子への罰は、膝枕で許してやろう」
「そんなことで、良いですか。もとから、弟子の膝は、ししょーと、子猫ず専用ですよ」
「知っている。ちなみに、オレより子猫たちが優先てこともな」
にかっと笑った師匠。童顔がより幼く見えるのに、親心というか子猫ずへの愛情もたっぷりで・・・・・・。
ふっふわあぁっ!! なんだこれ。胸が、ぎゅううって。甘い言葉を囁かれたのでもないのに、爪の先まで熱い。ふっ普通なら、ここは拗ねて欲しいとむくれるべきなのだろうか。でも、どうしてか凄く嬉しいのだ。
ありがとうはおかしいかな? でも、師匠なら『おぅ』って笑ってくれる気もする。
「アニム」
何も返せず一人で悶えている私の頬に、師匠の大きな手が触れてきた。何故か、片眉を落として。
あぁ、これは優しい呆れだ。
手を重ねると、師匠はさらに締まりがない顔になった。うわぁ、私が大好きなやつだ。いつもなら甘えたり頑張る子猫ずに向けられたりする表情。
私も、ただ『ししょー』って呼び返したくなる。
「破滅を纏いし死の導者よ」
いっ痛い。気圧が鼓膜を破ろうと殴ってきているようだ。開きかけた唇を噛み締めるほどの衝撃。
魔力がない私にもわかるほど、空気が一気に張り詰める。陰から様子を伺っていた小動物が一斉に姿を消した。
「メトゥス・フォルミードーの名において命ずる。我の道を阻む守護を撃滅せよ。プロテゴ・デーレーティオー・ウェルブム」
お腹の深いところに響く重低音で唱えられた呪文。一気に周囲が暗闇に覆われていく。雨も霧も、魔法泡に降り注ぐのを止める。
頼りは、頭上の魔法陣と私たちを宙に浮かせている魔法泡のみだ。家も水晶の樹も、景色ごと視界から消えてしまった。
つい先ほどまでの軽快なやり取りが嘘のように、緊張が広がっていく。
「メトゥスの奴、完全にあの眼に取り込まれやがったか。アニム、オレの傍から離れるなよ」
師匠の舌打ちと、メトゥスの掌から煙が発せられるのが重なる。師匠が前に掲げた魔法杖は、強い光に包まれている。
魔法泡に煙がぶつかってくると、ガラスが割れるような深い音が鳴り響いた。幸い魔法泡にはヒビが入っただけのようだ。どうやら師匠たちが守護魔法を発動してくれたようだ。嫌な気配も感じないし、メトゥスの声も聞こえなくなった。
「メトゥスは、魔道具なしに、魔法発動したね」
緊張に耐えられなくて、思わず震えた声が出ていた。
今はそんなところ気にするところではない。自分でもわかっていることなのに、それでも師匠は律義に頷いてくれた。
「あいつは掌に魔法道具を埋め込んでいるんだ。普通、上位の魔法使いは魔法粒子を集め、一時的に具現化する。力量によって具現化にかかる時間は違うが、そっちのが魔道具を持ち運ぶ手間も省けるし、何より魔力純度が高いって話じゃないしな。よっと」
師匠は話しながらも襲い掛かってくる黒い影を薙ぎ払う。
ホーラさんとラスターさんも加勢し、メトゥスの魔法を打ち破った。けれど、周囲は暗いままで、ぼんやり見えるメトゥスも微笑を消してはいない。むしろ、さらに愉快そうな色を瞳に浮かべたような気さえする。
ぞくりと走った悪寒。とっさに師匠の裾を掴んでしまった。師匠は邪魔だと振り払わず「随分と怯えているな」と意地悪に笑ってくれた。
「ただ、あいつの場合は具現化の時間さえも短縮するために、あらかじめ物質にしたものを常に身につけているんだ」
「狂気の沙汰よね。大魔法をぶっ放せるほどの魔力を溜めておけるとはいえ、同時に、常に上位魔法を連発で唱え続けているようなものだもの。普通なら体力や魔力以前に精神力が持たないわよ」
ラスターさんの説明でしっくりときた。ラスターさんの解説はいつも理解しやすい。
決して師匠がわかりにくい訳じゃない。ただ、師匠は研究者肌で、ラスターさんは先生体質なのだと思う。子猫たちも、ラスターさんの教え方が一番ぴんとくるって言っていたっけ。
つまりは、広大な面積の結界内を浄化し、常時私への守護魔法を発動している師匠レベルにすごいということだ。
「ずっと結界、保ってる、ししょーみたく、すごいってことだね」
師匠は、うげっという風に口を歪めたよ。それは見事に。
「お前に誉められるのは悪くねぇが、あいつと一緒にされんのは勘弁しろ」
「まぁ、ウィータとメトゥスの魔力の根源が違うのですからねぇ。一緒にしたら、さすがにかわいそうなのですよー。けけけっ。魔法使い界隈では割と常識な方法なのですけどねぇ。師匠として、アニムに教えてあげてないのですか?」
ホーラさんの捕捉を受けて、ひらひらと手を振っていた師匠の動きが止まった。
私に教えてくれてないということは、言い難い内容なのだろうか。師匠は「あー」と声を流してそっぽを向いてしまった。
それが余程面白かったのか、ホーラさんが自分の魔法泡をぶつけてきた。あれだ。肘を腰に当ててくるような感じ。
「ウィータは結界内の上位精霊と契約を交わして力を借りてはいますが、大半が自分と眷属の大元存在の魔力なのです。けれど、メトゥスは使い捨ての代わり身を作って、その存在から魔力を吸い上げたりしちゃうのですよ」
「人の命、吸い上げる? 残酷だから、ししょー、言いよどんだの?」
私の質問に、ホーラさんは大きく頷いてくれた。けれど同時に、にんまりという含みのある笑顔になったよ。ラスターさんは咳払いをして、目を逸らすし……一体なんなのだ。
傀儡を越える、残酷な扱いをされている存在がいるという意味なのだろうか。
「一番手っ取り早くて、男の性も満足させられる方法があるのです!」
「男の性、ですか。ししょーもラスターさんも、する?」
首を傾げると、師匠とラスターさんが盛大にむせた。なんと! 邪魔をしないようにと思った傍から、集中力を乱してしまったよ!
ラスターさんなんて、一瞬魔法泡が消えかけちゃったし。
「アニムちゃん! あたしは自分の欲求だけを満たすためになんとも思ってない女性に――えっと、手を出したりしないわ! それはわかってね!」
「ラスター、お前なに自分だけはみてぇな言い方してやがる。昔の自分をかえりみやがれ!」
「あら、間違っちゃいないでしょうが。あんたアニムちゃんの目を見て断言できるわけ?」
私、ですか。
瞬きを繰り返しながら師匠を見つめてしまう。深い意味はない。
なのに、口の端を落としていた師匠に、がしっと肩を掴れた。魔法杖を脇に抱えながらって器用だ。っていうか、それよりもメトゥスから目を離して良いんですか。
「昔はともかく、ってか昔だって、別段オレから望んでってことはなかったからな! オレには、お前だけだ! 触れたい女は、お前だけだから!」
師匠の必死な様子に、さすがの私も察してしまった。
「私だけは、嬉しいけど。私、男の性、理解しちゃったですよ」
「……アニムも大人になったな。成長、感慨深いぜ。だから、もうすこーしだけ、自分の言動の破壊力にも気付こうな?」
師匠ってば、しみじみ呟いちゃって! 頭を撫でてくる師匠は、完全に保護者の眼差しだ。
過去に嫉妬したってどうにもならないのは今更だ。けど、私は手を出してくれないのにっていう八つ当たりくらいはさせて欲しい!
「ししょーのばかっ! 私はいつでも、積極的!」
というわけで、右の拳を思いっきり引く。右ストレートを喰らわしてやる。
「はいはい、感謝していますよ。ってか、お前の積極性はたちが悪いんだよ」
肩を落としている師匠が両掌を差し出してくれたので、容赦なくパンチを食らわせて頂きました。当の師匠は、全く痛がってないのが悔しい。
「解説する前に、おばか男勢が墓穴ほっちゃったのですぅ。ってことで、つまりは、性行為により相手の魔力を吸収しちゃうのですよ。東方の国でもですが、いにしえから男女のまぐわいは生命力、ひいては魔力を高められるのです」
「前にも、ホーラさんが、おっしゃってたの、覚えてるです」
「アニム、えらいえらーいなのですぅ。さっさとメトゥスを追い払って、おねえさんがもーとイイコトたくさん教えてあげちゃいましょう!」
ホーラさんまで、遠くから頭を撫でるように龍さんから乗り出した。もみじのおてては可愛いのに、口にしている内容は私のキャパを余裕で越えそうな教えに間違いない。
怖いような楽しみのような。未来に冷や汗を流しつつ、ぶおぉんと耳を振動させた音に向き直る。案の定、メトゥスがいた。木枝に立ったメトゥスは苛立ちを隠しもしない。
「ホーラが話に入ると、茶化されて仕方がありません。そろそろ本気で戦おうじゃありませんか、ウィータ。先日は傀儡を操りすぎて魔力が足りませんでしたが、今日は全力でいかせて頂きますよ?」
「負け惜しみ吐くなんざ、みっともねぇな! わざわざ前置きなんてしねぇで、いつでもかかってこい」
「それでは――」
メトゥスの腕が掲げられた一呼吸の後。上空に大きな炎の塊が現れた!
師匠のアルス・マグナが作りだした炎に似ているけど、目の前にある炎は動脈血のようにどす黒い。
圧倒的な征服。
頭上から押さえつけられるような感覚が襲ってくる。後ろに下がりたい気持ちを叱咤して、何とか踏ん張らなければと両手を握る。
「ウィータ! アニムちゃんをこっちへ! あんたの傍にいたんじゃ、余計に危険よ!」
こつんと、ラスターさんの魔法玉がぶつかってきた。伸ばされた手を、私は自分から取るべきなのだろうか。
そうこう迷っている間にも、メトゥスの炎が起こす風は激しくなっていく。
メトゥスの狙いは、本当に私なのかな。単に師匠と魔法戦がしたいだけなのかもしれない。
「はい、ラスターさん。私、ししょーの傍いる、邪魔になるです。それ、本望ないので、よろしくお願いしますです!」
どちらにしろ、私が傍にいると師匠は全力で戦えない。どうあっても背後の私への影響を考えざるを得ないもの。
悩んだあげくラスターさんへ指を伸ばした手は、痛いほどの力で握られた。ただいつもと違うのは引き寄せられなかったことだ。わかる。師匠も葛藤した結果の行動だったって。
「ししょー」
「ウィータ、あんたねぇ」
ラスターさんの呆れた声に、師匠は返事をしない。それでも、あげた手は師匠にしっかりと握られ続けている。師匠の沈黙は本当に雄弁だ。言葉にしてくれたら、私も自信満々に応えられるのに。
硬直状態の師弟を前に、ラスターさんは長めの前髪をがしがしと掻き乱した。
「あのねぇ。なにもアニムちゃんを掻っ攫おうとしてるんじゃないのよ? 子どもみたいに縋る目なんて情けない。それが世界に名をとどろかせた大魔法使いの態度かしら?」
「うっせぇ。だれも望んで有名になったわけじゃねぇよ。何度も言うが、メトゥスの狙いはアニムなんだ。お前の言う通り、この中で一番の実力者はオレだ。よって、アニムはオレが守るのが最も安全ってことだ」
「不安定になってるんじゃないかと、一瞬でも心配したあたしがバカだったわよ。屁理屈男め!」
私も、ちょっとだけ心配していた。縋っているかは汲み取れないけど、師匠の態度がいつもと違うのはわかる。
自信満々で大魔王な不敵笑顔が似合う師匠は、隠れちゃっている。私の身を案じているにしては、どこか弱々しいもの。
そもそも。ラスターさんが口にされた『不安定』とは何が原因なのだろうか。ラスターさんの口振りだと、理由も把握していらっしゃるような――。
「アニムに怪我をさせるような真似はしねぇ。だから、オレの傍にいてくれるか?」
「ししょーが平気なら、もちろん、隣で応援するですよ! 私、ししょーの安定剤、なる!」
強い調子で手首を握られ、考えるより先に即答していた。
魔法泡に降り注いでくる火の粉も怖くない。だって、師匠の存在を感じていられるから。
反対の手で師匠の手を包み込むと、師匠が心底という様子でほっと肩を落とした。手首を掴む力が緩んだ。私の願望かとも思ったけれど、師匠が「ありがとな」と額をあわせてきたので都合の良いように捉えておこう。「願ってもないですよ」と頭突きだけして。
「ラスターさんも、ありがとです。私、今は、だいぶ、ほかの人の魔力、受けにくい!」
「そうだったわね。異世界からきたアニムちゃんは、悪い意味でも良い意味でも、影響を受けにくいんだったわよね。命を繋いでいる、ウィータの魔法以外は」
「そーいうこった。ラスターはお呼びじゃねぇっての」
打って変わって、にやりと意地悪な笑顔になった師匠。
人の親切には感謝しないといけませんよ?
そう言おうとしたものの、魔法泡越しで睨みあう二人からは険悪な空気は漂っていないので黙っておいた。




