引き篭り師弟と、賑やかな訪問者たち2
師匠、どれだけ子どもだと思っていたんですか。って、違うか。こっちの世界の単語を知っているのに驚いているだろうね。
それがまた悔しくて、きっと睨んでやる。
「それくらい、結構、知ってるもん」
師匠の表情が、ゆっくりと変化していく。あ、ダメだこれ。ダメなやつだった。本気のぶっぶーなやつだ!
師匠の目が据わっていって、怖い。徐々に引かれていく顎。視線で殺される!
ぎこちなくそっぽを向くと、けらけらと軽い笑い声が落ちてきた。
「あぁ、もう可笑しい。あたしが貸してあげた本よ」
ラスターさんの一言に、師匠が項垂れた。右手で顔を覆って、深い深いため息をつく。心なしか、ほっとしたように見えるのは気のせいだろうか。どーせ、私が子どもで安心したんでしょうね、えぇ。
私が悪態をつくより先に、師匠が音を立てて顔をあげた。
「つーか、お前か!」
「うるさいわねぇ。知っていれば、誰かに誘われた時、身も守れるでしょう。安心してよ。別に官能本ではないわ」
ラスターさんが、片耳を塞いだのがわかった。でも、未だに片腕は肩に回されたままだ。
いつも「うっせぇ」って言う側の師匠が、言われてるって新鮮だ。
「皆、私を、子ども扱いです。向こうの世界、経験済み、おかしくない歳。生活能力、ないは、ほんとですけど」
「ほぅ」
しまったです。拗ねて見せたのに、師匠の怒りは倍増してしまった様子。
ゆっくりと組みなおされる腕。
冷や汗だらだらの私をよそに、ホーラさんがしょんぼりとスカートを握ってきた。
「アニムの気持ち、すごーくわかるのです。大人なのに子ども扱いってしょんぼりなのですよねー」
「でっですよねー! ししょーってば、いつも、私、赤ちゃんいうですよ!」
「アニムちゃんの実年齢はともかく、ホーラの幼女っぷりは、あざといじゃないの」
珍しく、ラスターさんが呆れたように呟いた。前に師匠から聞いたホーラさんの評価と同じだ。
外見が幼い女の子なホーラさんも、きっと子ども扱いされっぱなしなんだろう。
「それは初耳だな……」
あれ? 師匠はホーラさんを良くご存知なのでは?
「わたしはあざとくなんて無いのです! 失礼なのです」
「そっちじゃ、ねぇよ」
師匠は私を睨んでる! なぜに!
子どもって言った部分か、元の世界の話をした所なのか、生活力(可能性は低いけど)なのか。聞き返すのも憚られる空気だ。
腕を組んだまま、黒い魔法衣とお揃いの魔法圧を発している。魔力のない私でも、痛いほど感じるプレッシャー。
「やだ、アニムちゃん。あたしは、ちゃーんと女性だと思ってるわよ」
「ラスターの言うとおりなのです。わたしたちはともかく、ウィータはわかってないのですよ」
ラスターさんもホーラさん。師匠の神経を逆撫でしないでください。
私と師匠、性別が違うので多少の行き違いというか、感性の違いもありましょう。そもそも、性意識なんて、世情や時代によって変わってくるモノだ、と思う。って、そんな話なのかな。
「お前らよりは、オレの方がアニムを知ってるに決まってんだろうが」
師匠を取り巻いていた風に光が混ざり始めた。ぶわっと、師匠の長い魔法衣やラスターさんのスリットがはためいている。もちろん、私のエプロンとスカートだが。
なにこれ、中二病っぽく、オレは怒っている的表現ですか。ときめいたりなんてしてないんだから。
そうだ。胸の高鳴りどころか、一般人な私は白目をむいて卒倒しそうだ。
「あら、あたしだってアニムちゃんのことじっくり知りたいわ」
すりっと寄せられた頬。おぉ、なんてきめ細かい肌!
でも、その感触にひたる隙もなく、師匠の目がかっと見開いた。
「ししょー落ち着いて。ラスターさん、ししょー大好きでも、やりすぎ、注意です」
「あたしはアニムちゃんも好きよー。愛に時間は関係ないわ」
「論点、違います!」
私、そろそろ夕飯の準備に戻りたい。材料、吹っ飛んでないのを祈るばかりだ。
こういう時、私にチートな能力があれば「これ以上、私を怒らせないほうが良い」って闇を背負いながら掌で顔を覆ってみせて、危機を切り抜けるのに。私は魔法が一切使えないただのトリップ者! チートにはなれない! チートになりたいと今ほど願ったことはないよ!
「あら、アニムちゃんは、あたし嫌い?」
ラスターさんが、髪をかきあげながら覗き込んできた。そんな悲しそうな目で見ないで欲しい。
っていうか、もう、ほんと勘弁してください。
「えっと、嫌いないです、けど」
「良かったーじゃあ、あたしのこと、好きなのよね?」
「もちろん、です」
本心だ。ラスターさんは、姉御肌だし色々教えて下さる方だ。赤べこ顔負けにひたすら頷き返すしかない。
でもね、今は、ちょっとね。やめて。
思ったとおり、ラスターさんてば師匠を見て、唇の端を上げた。これ以上、ないという程に。
「ですってよ。ウィータ」
「ほざけ! アニムをたばかるな!!」
かっと、師匠の目元が赤くそまった。師匠、落ち着いて。怒っている理由は皆目検討がつきませんけどね。血圧があがります。
すっかりラスターさんのペースになっている。
「わたし、お腹すいてきたのですよ」
空気を無視したホーラさんの言葉が、癒やしだと感じてしまうあたり、もう本当に限界なのだろう。是非とも、この不毛なやりとりに終止符を打って頂きたい。
ただ、ホーラさんは傍観を決め込んでしまわれたようで「つまみをつまむのです、ぷっぷー」と一人で笑いながら、台所へ吸い込まれていった。
とほーと、全身の力が抜けていく。私は、幽体離脱でもちゃおうかな。今なら出来そうな気がする。
「ラス――」
「アニムちゃん、ここでのスキンシップはこれ以上、ウィータに怒られそうだから。お風呂にでもいかない?」
お風呂ですか。うちのお風呂は大きいので数人で入っても全く問題はないので、やはり、断る理由はない。
が、頷きかけたところで師匠が、だんっと床を踏み鳴らした。なぜ。
「それ以上、オレの弟子に触るんじゃねぇ!」
ふっと、視界が光に遮られた。
私とラスターさんの間に立ち塞がっている師匠。さり気無く横に伸ばされた腕に、胸が高鳴っていく。耳の奥にまで届いてくるのは、鼓動。先程までとは別の意味で、喉が詰まっていく。
「アニムもアニムだ。オレ以外の男の前で気を抜くんじゃねぇよ」
「ししょー、とっても理不尽! 大体、男性ない、女性!」
「理不尽に思えるなら、アニムは心身ともに赤ん坊だ。外見っていう先入観に騙されるな」
私の方を見ず、けっと拗ねた師匠。理由は不明だけれど、師匠は拗ねている。
肩を抱き寄せられるとか、腰に手が回されるとか。そんな明らかな態度でもスキンシップでもないけれど、私には充分だった。勝手に思ってもいいなら、師匠はたぶん――独占欲を抱いてくれたのだと思う。
「私、子どもで、良いです……」
師匠の背中を両手で握りしめると、自然と頬が緩んでいった。
子どもでいることで、師匠が気にかけてくれるなら良いと思った。気に病まれるのではないから。
「でも、わかってないこと、あるなら、ごめんです。ししょー、理不尽あっても、理由なく、怒るはないから。怒られてるなら、私に、理由あるんだよね?」
一瞬、師匠がぴくりと反応した。師匠の向こう側にいるラスターさんとホーラさんが何とも言えない表情で笑う。笑って、私ではなく師匠を見つめている。
そこに、私は立ち入れない気がして、師匠の背を掴む指をそっと解いていた。ここにいるだれもが私を見ていない錯覚に陥った。
けれど、離した手はすぐに掴まれた。
「たく。大人になれっていやぁいいのか」
肩越しに苦笑が向けられた。幼い顔立ちと矛盾した落ち着いた微笑みに、止まりかけた呼吸。
さらに離しかけた体を、師匠は引き寄せてくれた。
「赤ん坊のままでいろって言うべきなのか」
「え?」
「なんでもねぇよ、あほ弟子」
疲労いっぱいの、師匠の呟き。首を傾げ顔を覗き込もうとしたのだけれど。師匠が体重を後ろにかけてきて、阻まれてしまった。
布越しの温度が、逆に照れくさい。恥ずかしいはずなのに、師匠の背中に額を擦りつけてしまう。
「なんですか」なんて、ため息を落として色んな感情を誤魔化したのは、内緒だ。
その後、罰として夕飯の準備を手伝わされたラスターさん。もちろん、師匠もホーラさんも一緒だった。おかげで、私は楽しかった。とにかく、わいわいしていた。
衝撃的だったのは、師匠の暴露だ。ラスターさん、実は男性にも女性にもなれるらしい。というか、昔は正真正銘の男性だったらしいが、とある呪いで、そういう身体になったとのこと。ご本人は、体質を気に入っているらしく、悲愴感なく豪快に
「ばらさないでよー」
と笑っていた。私に秘密だったのは、ただ単に悪戯心から。
「だから、ウィータってば、やきもち妬いたのよ。あたしのこと、男だと思っているからねぇ。身体が女同士なんだから、スキンシップくらい、いいじゃないの。ねぇ、アニムちゃん」
とは、ラスターさんの言葉だ。
だから師匠、ラスターさんとの関係を指摘された時、微妙そうだったんだね、と心底ほっとした。いえ、別にあれなんですけど。実際知っている方が、過去の恋人っていうのも、ちょっと複雑じゃないか。
「あら、アニムちゃんてば、師匠を奪われみたいで寂しかったのー?」
にやけ顔で尋ねてきたラスターさんには、曖昧な笑いを返しておいた。
そんなカミングアウトよりも、さらに驚いたのは――。
「ふざけんな。二度とアニムに指一本触るんじゃねぇぞ。アニム、先に風呂入って着替えてこい。ラスターの香水がうつって鼻につく」
吐き捨てるように言い放たれた、師匠の言葉だった。
これって、これって。本当に、男としてのやきもちだと思ってもいいのかな。
色々考え込んでいて、愉快な顔になっていたのだろう。師匠に頬を抓られてしまった。痛い。でも、今は、料理のために手袋は外されている。
直接触れた部分が、じんと、痺れていく。
私一人で揺れているのが悔しくて。師匠の両手を、思い切り掴んでやった。