引き篭り師弟と、師弟交換14―師弟交換はおしまい―
頬のわずかな痛みは全く気にならない。
私の視界が潤むのは別の理由からだ。
「まっすぐなあんたの告白聞いてたら、初対面なわたしでもわかるのに?」
それはルシオラが優しいからだ。わかってくれるのは、ルシオラだからだ。
子どもが駄々をこねるように頭を振ると「難儀だね」と苦笑されてしまった。
「ラス兄とわたしのこと話していたのを聞いて、そう思った。少なくとも根拠が皆無の慰めじゃない」
「ラスターさんとの、会話?」
ルシオラがツンデレで可愛いとしか言っていなかった気がする。ちょっと激しいスキンシップには驚いたけど、愛がある――ルシオラとラスターさんの間柄だからこそ加減をお互い理解しているやり取りだって、すぐにわかったし。
ルシオラの額が、そっと私のソコに触れてきた。冷たい肌からは、私と同じ石鹸の香りがした。
「わたし、実はちょっと嬉しかったんだ。ラス兄も言ってたけど、わたし結構さ、自分が考えているのを伝えるのが苦手な性格なんだよ」
「ルシオラの反応、悪意ないのは、すぐわかるよ。えっと。表現、ちょっと違うかな。裏と表ない。子猫たちも、だから、くっつく」
「ほら、そーいうとこだよ。初対面なのに、ちゃんとわたしを見てくれたあんただから、わたしも知りたいと思ったんだ」
それこそ、私もだ。
喉が渇いて、痰が絡まって苦しい。でも、無理やりにでも口を開く。
「どうして、そう、思ってくれるの。ルシオラは、どうして、そう思ってくれるの?」
「ばかだね、アニムって。一日どころか時間にしたら数時間だろうけど、子猫たちへの接し方ひとつとったって、だれかに愛されて、愛してきたってのくらい、判断がつく。あんたが、無理してるんじゃなくって、自然にその人たちを大切にするような子だってのもね」
「ルシオラ――」
だれよりも壁を作っていたのは、私だったのか。そう。何かを理由にして、選ぶことから逃げてたのは私。言い訳を探して逃げ道を作っていたんだ。
くしゃくしゃになった顔を両手で覆っても、涙は止め処なく零れ落ちていく。その手を剥がれたかと思うと、シーツがこすり付けられた。ちょっと荒っぽいけど、優しい痛さだ。
「へへっ。ルシオラ、ありがと。私、ちゃんと答えだせそう」
「そっ。わたしも聞けるの、楽しみにしてるよ。今度遊びにきた時には、教えてもらうようにね」
「ぐっ。近いうち、また遊びきて、言い難くなった、ですよ」
うっと、喉を詰まらせると、ルシオラが大きな声をあげて笑い出した。
私もつられて、声をあげて笑ってしまう。部屋中に響く高い声が、おかしいくらい、お腹を刺激してくる。
フィーネとフィーニスは起きなかったものの、「くひゃひゃ」とお腹を抱えて笑った。
「それにしても、ルシオラ。出会ったばっかの、私のこと、一緒になって、真剣に考えてくれて、ありがと」
ひとしきり笑いあったあと。再び、ぐしゃぐしゃになっているでろう顔を拭ってくれているルシオラにお礼を言うと、彼女は肩を軽くすくめた。
「お礼はさ、ラス兄たちに言ってあげてよ。あっ、全部うまくいってからね! わたしがフライングしたなんて耳に入ったら、どんな説教くらうか」
「ラスターさん、たち?」
「うん。実はさ、さっきの、ほとんどはラス兄やセン様、それにホーラ様の受け売り。っていうか、代弁。もちろん、わたしがさっき言った気持ちはわたしのだけれど」
よく顔を合わせている訪問者さんたちの名に、驚きを隠せない。
当のルシオラは、落ち着けといわんばかりに肩を押さえてきた。
「昨日の昼過ぎに魔法映像で、ラス兄とホーラ様、それにセン様と奥さんのディーバ様を交えてなにやら相談してたのを、ちらっと聞いちゃってさ。もちろん、そのままじゃなくって、わたし自身がアニムと接してて思ったことも混じってるから!」
「みなさん……心配して、くださってた、ですね。私、そんなに、わかりやすかった、のかな。世界云々も、簡単に、想像できる悩み、だったのかな。口にだしたは、覚えないんだ、けどな」
「そりゃ、世界に関しては真っ先に浮かぶ壁だろうしね。そっか、はっきり口には出してないのか……」
ルシオラの声が、ふっと消えた。唇に拳をあてたまま、沈黙している。
そのまま大人しくまっていると、ややあって神妙な様子で口を開いた。
「断言は出来ないけどさ。みんな、予想できるってよりは、知ってるみたいな口振りだったんだよね。昨日のは。『時期を考えると』とか『間違いない』とか」
時期。
その単語にひっかかりを覚える。師匠が頻繁に口にする単語だ。それに、ラスターさんやホーラさんとお会いした頃の宴会で、寝る直前に聞いたような気も……。
「あー、ごめんごめん。アニムに心当たりがないなら、きっとたいしたことじゃないんだよ。きっと。それより、おもしろかったのがさ。どうやら、アニムってラス兄の昔の想い人に似てるらしいよ? ホーラ様が、『手を出さないよう、気をつけるのですよー』って悪戯っぽく笑ってた」
「ぶっ! なにそれ! 明日、ラスターさんと、どんな顔して会ったら! っていうか、ルシオラ、妬くところじゃないの?!」
「わたしは別にいいよ。ってことで、おやすみー」
ちょっ! ルシオラってば、爆弾投下して寝ないでよ!
宣言どおり、肩を掴んだルシオラはすでに寝息を立てていた。
「相当眠かったのに、話に付き合って、くれたんだね。ありがと」
むき出しになっている肩にそっとシーツと毛布をかける。
って、ちがーう!! まっまぁ、ラスターさんの想い人情報はさっと忘れておこう。うん。それが身のためだ。
「お水――きれてる。ちょっと、落ち着くため、台所、いってこよう」
三人を起こさないように、そっとベッドを抜け出す。
椅子にかけていた厚手のショールを体に巻きつけると、だいぶあたたかくなった。寒いのは嫌いじゃないけど、風邪をひくと師匠が心配しそうだもんね。
「今、しまうと、うるさいよね」
机の上に出しっぱなしになっていた元の世界の辞書が、どうしてか目にとまった。今日はちょっと勉強をさぼってしまったからかな。うん。明日からは頑張る。
抜き足差し足で部屋を出ると、途端、体の芯に響いてきた寒さに全身が震える。雨音からするにまだ、止みそうにない。はふっと浮いた白い綿毛に、指を入れ込んでみる。ここが夢でないのだと、実感できる方法のひとつ。
「――から、明日――」
「メトゥスが――で――」
おや。階段付近から声がする。師匠とラスターさんのようだ。
階段から覗いている姿から察するに、二人とも夜着を身に着けている。割と薄着に見えるので、風邪ひかないといいけど。
「こんばんは。ししょーもラスターさんも、まだ、寝ないです?」
自分も夜着なのが少し気恥ずかしいが、無視して通り過ぎることも出来ない。
ショールを巻きつけて階段を下りる。ラスターさんは顔を輝かせて、師匠はむすりと口をへの字口に曲げた。
大丈夫ですよ、師匠。ワンピース型の夜着だけど、ちゃんとスカートの中身はもこもこしている。寒さに強い夜着だと、街にいる式神さんずが送ってくださった新作だもん!
「あら、アニムちゃん。ルシオラのいびきが煩くて、寝られない?」
「それ、ルシオラに、告げ口しちゃいますです」
ルシオラを呼び捨てにしたのに驚いたのか。ラスターさんが「あら」と瞬いた。
でも、すぐに柔らかい笑みが浮かんだ。ルシオラを連れてきてくれたラスターさんに、大感謝だ。
「安心してください。ルシオラは、子猫たちと、ぐっすりですよ」
「ルシオラが魔法生成の後、良く寝ることなんざ知っている。問題はアニム、お前だ」
師匠の隣に立つと、すぐさま二の腕を掴まれたよ。
だから! 二の腕はやめてっ! せめて、髪にしてください! いえ、髪は髪で、変に心臓が暴れるんですけども。師匠の髪の触り方ってやらしいんだもん。
「まさか、クッキーが食い足りねぇとかで起きてきたんじゃねぇよな、お前。太っても胸にはつかねぇぞ」
ぐわっ! ひどい! クッキーで胸が大きくなるなら、いくらでも食べるよ!
数分前までは大好きだって思ってたのに。今私を支配するのは、おっぱい憎悪。じゃあ、師匠が揉んで下さいっていうかおっぱい体操手伝ってくれるんですかとは言わない。本当にやってくれそうだから。
「太ったら、胸にもつくもん! それより、お年寄りは、あったかくして、早く寝るですよ。あっ、でも。ししょーが、寝込んだら、お年寄りの胃、優しいごはん、つくってあげるですよ」
私に出来る抵抗といえば、師匠年寄り悪態を放つことだけだ。
へんっと鼻先で笑ってやると、案の定、師匠は高速で突っつきを繰り出してきた。
「それが熱を出して苦しんでるとこを看病してやった優しいお師匠様に対する恩返しか!」
「好きな人に、胸小さい言われるは、悲しいの、ししょーくらい、人生経験あったら、わかるでしょ! どっちが、ひどい!」
しょんぼりと胸を持ち上げてみても、たいした質量はない。いえ、自分の名誉のために付け加えておくと、ちゃんと谷間が出来て柔らかいって印象を受けるくらいはあるのだ。元の世界でいうなら、EとFの間位はあるもん。元の世界なら大きい方だもん。
けど、師匠に満足してもらえるボリュームかと問われると、自信はない。
「異世界は巨乳で溢れている」
ラノベタイトルみたいな台詞が脳内を占める。
チベスナ顔で呟いた言葉は、安定の突っ込みで露と消えていった。
「あほアニム!! 意味不明な表現はともかく、オレ以外の人間がいるところで誘うような行動は控えろ!」
「誘っても、こたえてくれない、くせに。どうせ、幼児体型。だれも、気にしないよ」
そこだ。師匠が私を女性として大切に想ってくれているのは理解した。でも、欲情してくれるかは別の話だ。好きな人に欲情してもらえないなら、気を付けてもしょうがないじゃん。
大体、普通の訪問者ならともかくラスターさんだよ? 腐れ縁の方が、面白半分に私をどうこうするはずないじゃん。
「あのな、オレだって、師匠である前に、男なんだぞ。我慢にも限度ってもんが、あるんだ」
胸元というか、ネックレスを突っついてくる師匠の指。そんないつものやり取りでさえ、胸が苦しくなる。
っていうか、師匠も我慢してるの!?
「ほんと? ししょー、私の胸に、ぐっと、なってくれる? どうにかしたい、思ってくれる?」
胸を腕で抱き上げて、師匠に詰め寄ってしまった。こういうところが子どもっぽいと言われる理由だとは、承知しつつ。
おっと。胸はいいや。解いた腕で師匠に掴みかかり、期待の眼差しで見上げてやる。ここで胸を押し付けるほどの度胸はないので、あくまでもやんわりと服を掴んだだけだけど。
「――っ!!」
ごすんと。師匠の拳が、何故かラスターさんにぶつけられた。何故に。
横っ腹を抱えてしゃがみこんだラスターさん。実に男らしいしゃがみ込み方だ。
「ラスターさん、大丈夫です? 私のせいで、八つ当たり、すみませんです」
「えっえぇ。なんとか口から腸は出ずにすんでいるわ。色んな意味で」
しゃがみこんでいるラスターさんの横っ腹は、とても痛そうだ。さすって差し上げねば。
慌てて腕を伸ばすが、師匠に阻まれてしまった。後ろからお腹にまわされた腕は、結構な強さ。
見上げると、ぶすりと瞼を落としている師匠がいた。どんなに隠れてても、アイスブルーの瞳は綺麗だ。目が合うと、途端、師匠の目元が綺麗に染まっていった。
「あーあほらし。あたしは寝るわね。アニムちゃん、おまけにウィータ、おやすみ」
「はい、ラスターさん。最後、茶番に付き合わせて、ごめんです。素敵な夢を」
「ははっ。ありがと。茶番は否定しないわ。だから――」
いつものように。ふっと柔らかく微笑まれたのにあわせて、私の心にもぽっと灯がともる。ラスターさんの微笑みは、まっすぐであたたかい。ルシオラが大好きなのも頷けるよ。
お腹を抱えていた師匠の腕をほどいて、一段下がるとふんわりと鼻先に甘い香りがかすめた。
「――っえ?」
「これはお詫びとしてもらっておくわ。いいわよね、アニムちゃん」
「あっ、はい。えっと」
頬に感じた予想外のぬくもりに、だらしなく口が開いてしまった。
覚えのある感触だけど、与えられる人が違う。決して押し付けがましくない柔らかさ。あまりにも曖昧な感覚で、抗議の声もあげがたい。
はてさて、思いがけない触れあいに思考回路が大混乱だ。
「ラスター、てめぇ! アニムの隙をついて何してやがる! こいつが許してもオレは許さねぇぞ!!」
おっつ。私を挟んで、師匠がラスターさんに掴みかかった。
師匠の迫力虚しく、あっさりとすり抜けられてしまったようだ。おぉ。ラスターさん、忍者のようだ。かっこいい!
「ししょー、ほっぺだし、いいよ」
「あほアニム! よくねぇ! 無害な振りした奴に気をつけろって注意しただろうが!」
いでででっ! 師匠の高速裾拭いの方に抗議の声をあげたいよ! これ絶対に皮膚が真っ赤になっているやつじゃん!
拭われている当人がチベスナ顔とはいかに。
「うふふ! 楽しかった師弟交換。これがなきゃ師弟交換の締めにはならないわよね! ってことで、じゃーねー、おやすみー」
挨拶を残して。ラスターさんは颯爽と別館へ移動していった。
あまりにも軽い様子に、いやらしさは全く感じない。元から、ラスターさんからなら全然いいし。
「お前、ほんとっーにここまで鈍いとはな」
なんだけれど、師匠と目があっても空笑いしか出ない。だって、師匠がめちゃくちゃ不機嫌なんだもん。
乾いた笑いで身を引くと、今度は優しく親指の腹が触れてきた。ラスターさんがいた時とは真反対の柔らかさに、むずむずするしかない。うぅぅ。
「私も、寝るです。お水は、いいや」
「そーしろ。オレも久しぶりの魔法生成で疲れた」
ぐったりと、肩を落として離れた師匠。冷気が漂う廊下では、ちょっとした温度の差も、痛いくらい身に染みてくる。
師匠ってば、人前ではくっついてくるのに、二人っきりになると、少し距離を詰めたかと思うと一呼吸後には離れるのだ。ちょっと悔しい。
「ししょー、おやすみなさい」
くっと踵をあげて。形の良い唇に自分のモノを寄せてみる。本当に軽く、ふにっとぶつかり合うくらいに。
それでも、触れ合っている数秒で、涙が込みあげてくるくらい幸せを感じられた。
至極勝手な覚悟を込めての、おやすみの口づけは寒さに体が震えるまで続いた。
「……珍しいじゃねぇか」
「ししょー、やきもち妬いてたから。たまには、ね」
一歩後ろに下がって、ぐっと近づいてきた師匠の唇。
けれど、私の意思を尊重するように、同じ深さでだけ触れ合ってくれた師匠に胸が苦しくなる。
あぁ、やっぱり、私は師匠が大好き。大人だなって思うよりも、寄り添ってくれている幸福感。本当はもうちょっと踏み込んでくれてもいいのにとは思う。
「ぬかせ」
「うん。ししょー、大好きだよ」
力の限りを込めて、師匠の体に抱きつく。
着やせして見える、意外に筋肉がついている体。抱き着かないとわからない体型。
ちらっと視線をあげると、似合わない童顔が真っ赤になって私を睨みつけてきていた。
たぶん、私は師匠以上に茹で上がってると思う。
「……あほアニムが。その無防備さは、身の危険なんざ、これっぽちっも感じてねぇ余裕からかよ。あれだけ警告してやってんのに、随分と舐められたもんだな」
おぉ! すごく黒い笑い! 魔王さながらのあくどい笑い。口から黒い煙が出てきそうな重々しい雰囲気だ。
「違うよ、ししょー。私ね、襲ってくれても、良いって、思ってるからだよ?」
果たして。呆然と立ち尽くした師匠に口づけをして、私は逃走をはかったのでした。
「こら、アニムっ!」
「襲ってくれないくせに、警告なんて、ちゃんちゃらおかしですよ! せめて、手を出してから、言ってください!」
べぇっと目の下を伸ばしてやると、師匠は床に崩れ落ちてしまった。
「覚えてろよ」
と絞り出された声なんて知らない。改めて、その時に言ってくれないと、知らないんだから。




