引き篭り師弟と、師弟交換9―ラスターの独身事情と師匠の好きなところ―
いつものおどけた調子とは違う、ラスターさんの笑み。
私の思い違いだろうか。顔を覗き込もうと体を傾けると、逆にラスターさんが距離を詰めてきた。
おぉっ?!と内心で焦ったのは一瞬。すぐに、ほっこりとした気持ちに変わる。
「よく寝てるわね」
どうやら、お目当てはフィーネとフィーニスだったようだ。ラスターさんの綺麗な指が、垂れ耳で弾む。
「くぅあぅー」
二人からあがった甘い寝言に、ラスターさんと顔を合わせて微笑んでいた。
数回くいくいっと左右に動いた耳は、寝息が落ち着く頃に元の場所に戻った。ぺたりと頭にくっついている様子に、また笑みが深くなる。
「寝ぼけちゃって、可愛いの。ルシオラも、昔はよく寝ぼけてたわ。大勢の家族からあたしとふたりっきりになったのだから、当然といえば当然よね」
「ルシオラさん、小さいころ、家飛び出してきた、ですっけ?」
「えぇ。家と言っても孤児院だけれど。あの子、戦争孤児なのよね」
戦争孤児。
耳にしたことはある単語だ。でも、元の世界でも身近ではなかった言葉。
単語が持つ意味とラスターさんの声の調子と私の中にあるイメージがあまりにもミスマッチで、なんとも言えない感覚に陥る。
「戦争孤児、ですか」
「そうなのよ」
戸惑い気味に繰り返した私に、やはりラスターさんはさらりといった調子で返してきた。
ラスターさんのその口調が、昔のことだからという理由からなのか、はたまたこの世界では特筆するような境遇ではないからなのか・・・・・・残念ながら、勉強不足の私には判断がつかない。
私――もっとこの世界を知りたい。
「あの子、あぁいう性格でしょ? 聞いたところによると、幼いながらに孤児院でも姉御的な存在だったらしいの。口も態度もぶっきらぼうだけれど、面倒見はいいのよ」
「ラスししょー、だれかに、聞いてですか?」
一緒に暮らす上ではなく、まるでルシオラさん以外のだれかから聞いたかのような口振りだ。ちょっと野次馬根性がわいてきちゃった。
頬杖をついたラスターさんから、軽い溜め息が落ちた。
「ルシオラがウィータに弟子入りを断られた際、たまたま居合わせたあたしが引き取ったんだけどね。流れとはいえ、あの子の人生を引き受けると決めたからには、きちんと挨拶しないとって、思ってさ。孤児院に足を運んだ際に聞いたの」
ラスターさんは軽く肩を竦めた。眉を垂らしつつも口元は綻んでいる。
なんとなく直感で確信した。ルシオラさんは、こんなラスターさんが好きなのかもって。私も好きだなぁって思う。
「孤児院では年下の子たちを、怒りながらも優しく寝かしつけてたみたいだけれど。二人で住むようになってからしばらくしてからだったわ。よくあたしのベッドによく潜り込んできたものよ」
「甘えられる存在、出来たですね。私も、悪い夢見たりの時、お母さんとお父さんの間、もぐって寝たです。すごくあたたかくて、安心して。ルシオラさんとって、ラスターさんは、ししょー以前に、頼れるお兄さんなんですね」
今の私にとっての、師匠や子猫たちみたいな。
師匠と一緒に寝るのは色々心臓に悪いけれど、矛盾するようにほっとするのだ。くっついて寝るのも、手を握ってもらうのも。触れ合ってる部分から流れ込んでくる師匠の体温が、とっても心地よくて泣きたくなるくらい安心できる。
師匠が寝ている隙にこっそり、師匠の掌を頬にあててるのは絶対内緒だ。
逆にフィーネとフィーニスとだけで寝る時は、守ってあげたいと思いつつ、その甘い香りに癒されている。
「それでね、寂しいわよねってぎゅっと抱きしめてあげるでしょ? その時は嬉しそうに甘えてくるのに、朝起きた時には必ず真っ赤になってどついてきたわ。『わたしは寂しくなんてないっ!』ってさ。でも、必ず、蚊が鳴くような声でお礼を言ってくるから、もう可愛くって! さすがあたしの義妹!」
「ルシオラさん、可愛いです! 可愛くって、悶える系女子です! なでくりまわしたい、ですよ! 私の弟も、そんな感じだったなぁーフィーニスも、だけど」
ルシオラさん、やっぱりツンデレだ。ものすっごく可愛いツンデレさんだ。
昔、お母さんもお父さんもいなかった夜。素直にベッドに潜り込んできた華菜と、私が頼まないと頑として入ってこなかった雪夜。でも、一旦隣に来ると、雪夜は華菜以上に擦り寄ってきたものだ。どっちも愛らしかった。
「そうね。フィーニスも、ツンデレだものね」
おや。ラスターさんが子猫を名前で呼ぶのは珍しい。いつも大体『子猫ちゃんたち』か『子猫』だもんね。
じっと見つめすぎていたのだろう。私の視線に気がついたラスターさんが、罰が悪そうに頬をかいた。なぜに。いや、見過ぎていたせいかな。
「たまにはね。まぁ、それはさておき。最近じゃ、もちろんルシオラと同じベッドなんてのはないけれど。さすがに、師弟という前に兄妹っていってもねぇ。子どもの成長は早いわ」
「ラスししょー、お母さん、おっと、じゃなくて、お父さんみたいです」
「結婚したことはないけれど。そうね、兄っていうより、親的なのかしらねぇ」
基本的な疑問が浮かんだ。
センさんは結婚してらっしゃる。残念ながら奥さんとは直接お会い出来ていないが、写真は見せてもらっているし、レシピについての短いやり取りはある。
師匠もだけど、ホーラさんとラスターさんも若く見えるとはいえ長寿さんだ。長い時間の中で、一度くらいは結婚していないのだろうか。
「ラスししょーは、結婚しないです? もしくは、したことないですか?」
素直に疑問をぶつけると、ラスターさんは乾いた笑いを絞り出してしまった。若干、頬が引きつっているように見える。
なんと! 触れちゃいけない、デリケートな話題だったのか?!
「ごごごめんなさい! 私、無神経でした! ラスターさん、色々話してくれるですから、つい、踏み込んで聞いちゃった!」
あわあわと、実際に口を動かす人は少ないだろう。それでも、今の私の口はあわあわと波打っている。
次の話題を探してみるものの、肝心な時に限って浮かんでこない。
「そんなこと、いいのに。踏み込まれたなんて、思いやしないわよ」
ぷっと、愛らしく吹き出したのは他のだれでもないラスターさんだった。
その様子を前にして、私は安堵なんてしなかった。どうしてか、すごくもやもやした。言いようにもやもやしたのに、やっぱり、意味不明に嬉しいと思った。
「独身主義ってわけでもないから、もう少しして機会があれば考えないこともないわ」
「もう少し、ですか?」
はて。もう少しの定義とは。
私の疑問は思い切り顔に出ていたのだろう。ラスターさんは、あはっと笑った。
「えぇ、もう少しだけこのままでいたいって願ってる」
やけに静かに囁かれた言葉。寂しい、嬉しい、切ない、幸せ。色んな色が混ざり合っている音のような気がした。
寂しさが一番強いと思ったけれど、頬杖をついたラスターさんから漂っているのは、ふんわりとした空気。
「そっか。ルシオラさんが、独り立ちするまで、っていう意味ですね。でも、ラスターさんは、なんだかんだと、ずっと心配してそうです」
ふふっと笑いが零れてしまう。その息がかかったせいか、腕の中の子猫たちがくしゅりと口を弾ませた。楽しげにふよふよと踊るひげが愛らしい。
気まずかったのか。ラスターさんは背を伸ばして視線を逸らしてしまった。
「反論はできないわね。あの子がいい人見つけて、家庭を持つまではこのままでしょうね」
「ラスししょーは、なんだかんだいって、一回は、反対しそうです」
「もちろんよ! あの子が選ぶ人なら間違いはないでしょうけれど。大切に育ててきた子を、やすやすとはあげられないわ! それよりも、あの子のいいところをわかってくれる男がいるかっていうのがねぇ。ほら、あの子、綺麗じゃない? 容姿で近寄ってきて、中身の芯の強さに、引いていく奴もいるし。うわべだけの気持ちじゃ、絶対に許さないんだから!」
頬に手を当てて、盛大に溜め息をついたラスターさん。溜息とは正反対に、瞳はぎらぎらとしている。
ちらっとラスターさんの視線が横に流れ、無意識に追っていた。が、調理場から一部屋挟んで見える玄関に特に変わった様子はない。なんだろうか。
「ラスししょー、それ、ルシオラさんに、直接伝えてあげたほう、喜ぶですよ。きっと」
本人でない私でさえ、なんだか幸せ気分になった。ルシオラさんが聞いたなら、殊更なのは想像に想像に難くない。
だって、今日のルシオラさんのつっけんどんな態度は、他の子に構う『お兄ちゃん』にむくれているものだから。
「『乱心か?!』って殴られるのも、容易に想像出来るわねぇ。というか、実際殴られるだろうし」
「えっ?」
はてと首を傾げていたので、不意打ち的なラスターさんの流し目に、わざとらしいくらい肩が跳ねてしまった。
「あたしとルシオラのことは、もういいのよ。アニムちゃんはさ、ウィータのどこが好きなの? あのひねくれて歪んだ愛情表現しかしない意地悪師匠の」
さっきまでのルシオラさん語りのあたたかい眼差しはどこへお散歩に行っちゃったんだろうってくらい、にやけているラスターさん。
今日のラスターさんは心臓破りさんだ。この短時間に色んな表情を見せてくれている。
「すごく、難しい、質問です」
「あら。難しいっていう割には、蕩けてるけれど?」
ドン引きされるくらい語っちゃうかもだけど……言っても良いのかな。
師匠が好きだって自覚してから、恋話する相手がいなかった。まさか本人に全部ぶちまけるわけにもいかないし、センさんの奥さんのお手紙に書いても返事に時間差がある。
なので、私、ここいらで発散しておかないと、自分の想いに押しつぶされちゃいそうだもの。
「あの、ですね? うざったい、思ったら、すぐ止めてくださいね?」
「身悶えても聞き出すつもりだから可能性は皆無だけれど、わかったわ」
「かっ皆無、ですか。じゃあ、お言葉に甘えて――」
隣に腰掛け直してきたラスターさんへ、膝を向ける。
ちょっぴり音量を落として、内緒話。
「私、ししょーが好き、自覚したは、最近なんです。たぶん、自覚より、ずっと前から、ししょー好きだった。ですけど、ふたりっきりの環境だったから、気付かなかったですよ」
そうなのだ。今思えば、弟子入りしたかなり初期から師匠に恋していたと思う。
二人きりだったから、という可能性もある。けれど、今ならそれを真っ向から否定できる。師匠は優しいだけじゃなくって、元の生活を考えるとややこしい人で、意地悪だけど、やっぱりとてもあたたかい人。
「へー。センから聞いてた話では、弟子入り初期の頃から天然恋人風で見てられなかったらしいわよーそれはそれは、じれったい! って感じだったみたいって」
「うえぇ!? そそそんなはずは、ないのですよ! 私が甘えていたは、ともかく!」
「お互い無意識にやってることって、はたからみたらくすぐったいったらありゃしないのって結構たちが悪いわよね」
私自身はともかく、師匠が私にどんな風に接してて、どんな感情抱いてるように見えてたかを聞きたい。よし。今度センさんにお会いしたら、師匠のどじっこ話をお土産に聞きだそう。
うんと、大きく頷く。
全て透けて見えていたのか、ラスターさんが苦笑を浮かべた。なんとも、恥ずかしい。
「ともかく! 私、弟子なのは、普通の人から見たら疑問なの、わかってはいたです。外の人には、ししょーと私、師弟なくて、体の関係あるから、弟子でいるって、穿った見方されたです」
「例の、グラビスんとこのガキの話ね。あたしがいたら真夜中の水晶の森に裸づりにしてやったのに」
ラスターさんがあまりにも忌々しそうに、物騒な発言と共に「けっ」と吐き出したものだから。私は思わず笑ってしまった。それが余計にラスターさんを苦々しい表情にしてしまったのだが・・・・・・。
師匠の周りに集まる感情は割と両極端だ。嫉み嫉妬。または、優しさと慈愛。
「私、ししょーは、そんな扱いしないって、怒りながらも、笑い飛ばせなかったです。完全に、私の事情で」
師匠に関してだけなら、真っ向に否定できた。なのに、反論できなかったのは私が自分の中にある感情の色に気がついてしまったからだ。
明るくて幸せなはずの想い。でも、私が見つけてはいけなかった気持ち。
「やましく思う理由、考えました。で、私がししょーを、男の人として、好きだからだって、わかったです。本当に弟子っていうだけなら、もっと明るく、体の関係なんてばかみたいって、突っぱねられた」
苦い記憶だけど、落ち込んだおかげで気付けたのだ。そう。気がつけて良かった、と思う。あの夜があったからこそ、師匠への気持ちを自覚出来たわけだし、熱を出して召喚時のことを知れた。
悲しかった出来事は、冷たい雨の香りに混ざる甘いお菓子のような記憶になっている。まさに今のような。
「酒に酔った夜には、すでに色々あったのは、ほんと覚えてないんだなぁ」
「え?」
はてはて、色々とは一体。もしかして、私、とんでもないことしでかしてたのか?! まさか、談話室で師匠を押し倒したとか?!
でっでも。それなら、ホーラさんもラスターさんも全力でからかってきそうだ。うん。なにもなかったんだって、思っておこう。
「いえね、グラビスのがきんちょと魔法戦してるウィータにきゅんときた! のが、とどめだったとか? グラビスは真面目の塊なのにねぇ」
「ラスししょーも、グラビスさん、ご存知なんですね」
「もちろん。元々はホーラがこの森に連れてきた子なのよ。友人の忘れ形見のグラビスを、ホーラはずっと目にかけててね。母親も亡くなっちゃってしばらくは、一緒に暮らしてたわ。あらやだ。もうすっかりおじさんだし、『子』っていうのも可笑しいわよね」
当然のように笑ったラスターさんに、えもいわれぬ感情が喉に詰まった。
寿命の違いがもたらす現実を、とてもナチュラルに突きつけられた。
人事じゃない。私もグラビスさんと同じ側の人間だ。この世界に残ったとして、いつかは、みなさん――師匠よりも早く老いて、先に逝く。
「アニムちゃん? 顔が白いわよ?」
「えっと! 雨激しくなった、ちょっと、冷えてきたです。髪あげてるし、首筋、寒いです」
「あら、大変。あたしの上着貸すわよ?」
ラスターさんがすんなりと信じてくれて良かった。
師匠なら『お師匠様をだますなんざ、百年早い』って頬を引っ張ってきそうなものだ。
ここで考え込んでも、仕方がない。自分に言い聞かせて、深呼吸をする。
それはともかく。上着に手をかけたラスターさんを止めなければ。
「フィーネたち、あったかいから、大丈夫です。矛盾してるかもですが、温度差も、美味しいです!」
「そっそう? よくわかんないけど、寒かったら教えてね?」
私、すごい形相だったようだ。ラスターさんが若干引き気味に上着から手を離した。
「はい、ありがとうございますです」
大好きなお兄ちゃんの上着を私が肩にかけていたら、ルシオラさん、もやっとするのは間違いないからしょうがない!
「アラケルさんとの魔法戦、だれかに、聞いたですか?」
「うふ。さっきも言ったでしょ? ウィータ・アニム情報網があるって。とは言っても、魔法戦の件に関しては、ウィータ本人に聞いたのよ。ウィータったらね、うふふ、アラケルへ放った台詞をね、吐かせた時の、あの顔といったら。うふふふふ。でもね、ごめんなさいね、内緒なの」
放った台詞、ですか。うーん。もしかして、アラケルさんが思いっきり脱力してたやつかな?
それにしても、ラスターさんにくねくね運動が復活して、ほっとしちゃうのあ何故だろう、
「いでっ!」
ラスターさん、身をよじり過ぎて机に肘をぶつけてしまったようだ。悶えながら、体を痺れさせている。
「まっ、まぁ! アラケルの話しはいいとしてさ。アニムちゃんも、お師匠様の雄姿にうっとりした系?」
「私、魔法使ってるししょーも、かっこいい思うですよ?」
魔力を持たない私にも、師匠はすごい魔法使いだというのはわかる。
日常魔法はよく見るけど、本格的に戦っている師匠を見るのは初めてだった。アルス・マグナ――偉大なる術――を使役したり結界をはったりしている師匠は、綺麗で。それでいて圧倒的な強さを見せてくれた。
けど、私は――。
「どっちかっていうと、私、ししょーの照れたり拗ねたり、意地悪なとこ、大好きなんです」
そうなのだ。確かにかっこいい師匠も好きだ。でも、それ以上に好きだなぁって、きゅうぅってなるのは日常の中にいる師匠。
「いってらっしゃいに、にかって笑いかけてくれるししょー。私のぼけ突っ込みに脱力してる、ししょー。呆れて半目でぺしぺし叩いてくる、ししょーも。からかってくるくせに、私が拗ねると、なぜかししょーもね、拗ねるですよ」
瞼を閉じると、鮮明に浮かんでくる姿。傍にいるわけでもないのに、どきどきしてしまう。師匠が私を呼ぶ声が耳の中で響いているような、不思議な感覚。
って、妄想?! やばいよ、私。一体、いつから乙女チックアニムになったんだか!
とは思っても、口は止まらない。
「ししょーって、拗ねてるとき、足首掴んだり離したり、するですよ?」
「へぇ。あたしも知らなかったわ、そんな癖」
「あとですね! 微妙なとき、口をへの字に、するです。拗ねてるときは、ぴよって唇尖るです。嬉しいときはね、にへらってするです。当たり前な反応かもですけど、それをししょーがしてるだけで、どきどきするです。みなさんと、じゃれあってるのもですけど、それが私相手だと、たまらなく、なるです」
言葉にあわせて顔真似をしてみせると、ラスターさんがくすくすと笑い出した。
あぁ、ボキャブラリーのなさと表現力の拙さがもどかしい!
それでも、古いお知り合いのラスターさんがご存じなかった癖に私が気付いた。その事実がとても嬉しくて、にやけが止まらなかった。




