引き篭り師弟と、師弟交換8―隠した思い―
随分と間があって。
沈黙のなか大人しくじっと続きを待っている私に苦笑を向けて、ラスターさんは頬杖をついた。
「生きた長さや経験回数じゃないのよ。どれだけ『恋』をした経験がものをいうのよ? あたしの持論だけど」
「『恋い』されるのと、『恋い』をするのは、違うですか?」
「雲泥の差よ。確かに『恋い』されるのは、とても幸福だわ。想われるのは、存在を肯定してもらえる最たる手段だもの、嬉しいわね。『本物』ではなくとも、慰みにはなるわ」
今の私には、にこりと音を立てて胡散臭い笑みを浮かべたラスターさんの意図は、よくわからない。
三百年近く生きているうえに、師匠やラスターさんの性格からして真剣に恋されているだろう。なのに、敢えてラスターさんが私に否定的な意味を伝えるのは、どうしてだろう。センさんなら教訓めいた意味を含めての警告だとは、はっきりわかるけれど。
「つまり、私はまだししょーに、『恋い』したい、想って貰ってない、ですね。ししょーは、応えてくれるけれど、ししょーから、触れたい、想われてないと」
子猫たちをそっと作業出しに下ろし、ぐっと両手を握る。所謂、ガッツポーズだ。めちゃくちゃやる気が出てきた。
ぶっちゃけ、今でも師匠の態度はすごく甘くて太刀打ち出来ないくらいだ。でも、心も欲しい。私は、師匠の心をこの腕に抱きたい。
「なら、四六時中、触りたい、想わせるです!!」
「いや、そうじゃないのよ。むしろ、やめてやってよ」
なんで!? 真っ青になってラスターさんに詰め寄る。
私の髪に掌を滑らせながら、ぶるっと本当に体を震わせたラスターさん。
「つまり、あいつもいっぱいいっぱいってこと」
「えぇ? ししょーが、てんぱってる、ないですよ」
「今まで恋心なんてめったに抱いたことなかったであろうウィータですもん。無理して目線合わせてるんじゃなくって、アニムちゃんとだからこそ自然とあぁいう感じなのよ。大魔法使いも形無しよ。正直、感情豊かな様子でアニム命みたいなウィータを見た当時は、心臓が止まったわよ。不気味だし、反応が外見年齢にあいすぎちゃってさぁ」
確かに。出会った頃の師匠は多少意地悪の気は顔を覗かせていたものの、基本的には冷静で落ち着いた大人っぽい印象だった。
それが、一緒にいる間に子どもっぽくなって、どじな面も見えてきて、笑った顔が可愛いな、なんて思い始めて。照れたり、目を据わらせたりする師匠が、大好きだなって。
「だからさ。名前云々はほんと、どーしようもない理由だ――とはね、思うけれど、あくまで想像だけれど。あいつ、今は『ししょー』って、呼ばれたいのよ。あいつをそう呼ぶのもアニムちゃんだけだし、アニムちゃんにそう呼ばれるのもあいつだけだしね!」
それって、お互いの独占欲を満たしあっているってことだろうか。
子どもみたいに、ぐしっと鼻を擦る。その拍子に抱き直したフィーネが落ちそうになって、慌てて抱え直す。当のフィーネは両手足を伸ばして、フィーニスにのし掛かった。
「アニムちゃんに見せてるあいつの反応も、しょーもないくらい遠まわしに伝えている気持ちも、本物だからさ。ウィータのこと、信じてやってよ。っていうか、アニムちゃんはそのままで良いんだから」
ラスターさんは真紅の瞳を潰して、ほろりと笑みを零した。
あぁ。ラスターさんにとっても師匠って大切な存在なんだ。
「ラスターさん、ありがとです。私、自分で見えてるししょーを、信じるです。ししょーは、ちゃんと私見てくれてるのに、私が一人で不安なるは、おばかですよね」
「根本的にはあいつが悪いんだけどねぇーそれにさ、特別ってのは、何も反応やら態度が他の人と違うから、特別に感じるんじゃないのよ?」
優雅な仕草で紅茶に口をつけたラスターさん。
切れ長の瞳が、意地悪に細められている。横目は危険です! 流し目は! 肩に流れてきた三つ編みを、だるそうに払う仕草が色っぽい!
「私は、よくわかんない、です。恋愛経験も、少ないです」
少ないという言葉を選択したのは、ちょっとした意地だ。いつものラスターさんになら素直に告げられたであろう事実も、目の前で頬杖をついて見つけてくるラス師匠には言えない。不思議と。
私の頬がふくれたのに気付いたのか。ラスターさんは、ハの字に眉を垂らした。
「ごめん、ごめん。アニムちゃんは、一方的にウィータへ想いを告げたって言ってたけれど。中を解けば、その実、繋がりがあるからこその告白なのよ。アニムちゃんとウィータが育ててきた想いと時間が、根底にあるのよね。育ててきた想いっていうのは、その時点で『恋』だとわかりあってなくても、師弟であったり同居人であったりね」
今度はゆっくりと。ラスターさんは、私の反応を見ながら進めてくれた。
返事の代わりに、小さく頷き返す。
「あたしが言った一方的の意味は、極端な話、すれ違った瞬間に『抱いてっ! 愛してる!』って叫ばれる光景よ。あっ、一目ぼれを否定するんじゃないの。って、あたしったら何を言い訳しているのかしら、おほほ」
何故か冷や汗を流して、悪役令嬢みたいく頬に片手を当てて高笑いをするラスターさん。様にはなっている美しさだけれど、いつも以上に演技がかっている気がしてならない。
そして、何故かパートⅡだが、高笑いと同時に子猫たちが「う゛なっ」と眉間に皺を寄せたことも付け加えておこう。
「そうですね。でも、一目惚れされるは、羨ましいです。それって、外見だけの時も、あるだろうけど、内面が外見に、溢れでてるを、ぱっと見抜いてくれてるも、あると思いますもん」
実際、元の世界の友人である千紗の恋人はそうだった。千紗はモデル並にスタイルが良かったし、誰もが憧れる美人だった。ただ、その華があるのを遊んでいると誤解する男性も多かったし、涼やかな切れ長の目と竹を割ったような性格からクールだと決めつけては『がっかりしたよ』なんて無責任な言葉を吐く人もいた。
実際の千紗は母性に溢れていて、とても繊細で、人のことにばっかり怒るような守ってあげたくなるような女の子。
「私の親友の恋人は、そーいう、一目惚れだったですから。そんな一目惚れは、してもらえたら、すごく幸せ思います」
千紗と直也君の姿が思い出され、笑みが浮かぶ。亜紀とお似合いだね、ってからかっていた日が、つい昨日のことのように思い出される。
「そう、思える君がすごいんだよ」
また、だ。ラスターさんの口調が変った。
ぽつりと零れ落ちた呟き。どこか自虐的な色をはらんだ声は、まるで吐き捨てられるようだと感じた。
「ラス――」
「ただ、ウィータに寄ってきていた女どもは、そんな素敵な感情じゃなかったから安心してね! 勝手に腰振ってる女から、愛してるだのどうだの言われても、ちっとも燃え上がらないっての」
ラスターさんの綺麗な指が、ぴんと三つ編みを弾いた。
「って、あらやだ、あたしったら、お下品な。おほほっ」
「今日のラスししょーは、色んな顔を、見せてくださいます、こと」
二人して乾いた笑いを零してしまった。だって、誤魔化すみたいな言い方だったから。
心なしか、腕にかかるフィーネたちの体重が、重くなった気がした。
「ラスししょーの、素って、今日のが、ほんとです?」
「アニムちゃんってば、あたしのこと、完全に女だと思ってるものねぇ。あたしも、立派なお・と・こだってのにー」
ラスターさんにくいっと詰め寄られた。
つっと頬を滑った指先。予想外すぎる行動にパニック状態だよ。
と、地面が揺れた。地震ではないと思うので、私が揺れてるんだろう。動揺しすぎだろう、私よ。
「まっまぁ、冗談はさておき。子猫ちゃんたち、泣きつかれたのかしら。アニムちゃんの腕の中で、すっかりおねむさんね」
確かに。腕の中の二人はいつの間にか寝息を立てている。朝から南の森に行ってくれていたのと、雨の中を飛んでいたので疲れちゃったんだろう。
ちょっと頬を引きつらせて冷や汗を流したラスターさんが心配だけど。すぐに、にこりと微笑まれたので、大丈夫だろう。
「フィーニスとフィーネは、いつでも、一生懸命です」
落とさないように気をつけながら。フィーネとフィーニスを指先でくすぐると、甘い鳴き声と一緒に擦り寄ってくれた。
「クッキーしゃん、パニース、うまーでしゅーしゃっく」
「うなぁ。あにみゅ、しょんぼり、ふぃーにす、いやにゃぞ。ふぇっく」
ほにゃんと幸せそうによだれを垂らしたフィーネに反して。フィーニスは思い切り眉間に皺を寄せちゃった。
フィーニスの眉間をぐりぐりと撫でると、フィーニスもよだれを垂らして、もみゃもみゃ言い始めた。
「良い夢見るの、魔法だよー」
片方の腕に二人を抱き直して、垂れ耳をこしょこしょくすぐる。
「うななーもっちょー」
「あにみゅはーしゅごいのぞー」
フィーネもフィーニスも短い前足を空中で遊ばせた。きゅっと、二人の肉球をいっぺんに握れば、頬を摺り寄せられた。
「アニムちゃんが、魔法?」
「はい。フィーネとフィーニスが、素敵な夢見られたら、っていう気持ちを込めた、魔法です」
ラスターさんが訝しげにフィーネたちを覗き込む。
「フィーネとフィーニス、それにししょー限定の魔法使い、ですけど」
「あぁ、なるほど。気持ちを魔法って表現してるのね。けど、それって逆にアニムちゃんが本当の魔法使えないって言われてるみたいで、辛くはならないの? ウィータは眉をひそめない?」
はて。私が辛くなるとは。理由がわからず、きょとんと瞬きを繰り返してしまう。
だって師匠が受け入れてくれて、子猫たちが喜んでくれる。最初は怪訝そうだったウーヌスさんも、近頃は『アニム様しか使えないソノ魔法を私も使役できれば子猫たちに手こずらずに済みますが』なんて言ってくれる。
「あぁ、なるほどです。ししょーたちにしか、言わないですから、大丈夫です」
ややあって理解できた。やっぱり師匠は、他の魔法使いさんたちとは違う感覚の持ち主なのだと改めて感じた。
誰よりも私が感じていたこと。線引きしていた事実。
なのに、子猫たちも師匠も驚く位すんなりと受け入れてくれた。それはつまり、私そのものを抱き留めてくれたということだ。
「私に魔力ないは、事実です。私の世界にも、物質的な魔法なかったです。でも、大切な人を想って作る料理、元気が出ますようにの願い、色んな気持ちを、魔法に例えるのはあったです。ししょーは、魔力じゃないけど魔法、っていう言葉も、おもしろいって笑ってくれたです」
「ふーん」
ラスターさんは、よくわからないと言わんばかりに目を細めた。
ラスターさんが言うところの、本物――この世界の魔法のエキスパートさんからしたら、納得はしがたいのかもしれない。
「だから、嬉しいですよ? ししょーやフィーニスたちは、今まで生きてきた『私』いう存在のままを、みてくれてるです」
「ここも、あたしとウィータが違う点、か」
ラスターさんは、あたたかく、けれどどこか苦味を含んだような微笑みを浮かべた。




