引き篭り師弟と、告白3
「言った! あれ、言った……よね? 願望で、幻聴、聞いたですか?」
「願望って、なぁ。アニム、お前さぁ、前の『私のししょー』発言もだが、どーして当たり前みたく、口にしやがるんだよ」
だって、あの時は夢から醒めた直後だったし、熱もあったし。『アニムさん』の存在に振り回されてたので、それこそ独占欲いっぱいだったんだ。
さすがに嫌がられているのではないとわかるけど、それとこれは別問題だろう。
「だだもれは、うっとおしい? ごめんです」
謝りつつも唇を尖らせると、師匠から溜め息が落ちた。
なんですか、その顔は。疲れきった、その仕草は。
そりゃ、前髪を掻きあげている姿はすごくかっこいい。いつもは隠れている額が見えているだけで、どきんと胸が高鳴るよ。
「お前の反省は、いつもオレの考えから一歩も二歩も横に飛んでやがる」
「ぷっ」
ちょっ! うさぎやカンガルーみたいに、私が愉快な調子で師匠の真横で弾んで離れる姿を想像してしまった!
噴き出して数秒後、慌てて口を塞ぐものの時はすでに遅し。
「アニム……今日はオレが前言撤回してやる。お前、ちっとも反省なんてしてねぇだろ!」
「ひどい! 私、いつでも、明るく反省が、もっとー!」
「じゃあ、その反省の中にちったぁーオレへの優しさも混ぜてくれよ」
あっ。頭を思いっきり垂れたことによって見えた師匠のつむじが可愛い。
無意識ですっとあがった手は、それはそれは恐ろしい形相の師匠に阻まれてしまったよ。
「そっそーいえばね」
「んだよ」
誤魔化すための言葉にも、師匠は律儀に応えてくれた。恨めしそうな目つきはそのままだけど。
師匠の方が反省すべきだ。本当にこーいうとこだよ。
上半身を捻って、ぐぬぬと唇を噛んで色々耐える。たぶん、好きな人には見せられないすごい顔つきだろう。
「誤魔化しただけか」
「そんなことないよ。えーと、えっと! ほら、もったいぶるは、いい女の条件、ラスターさんに教えてもらったし?」
「相手に教えている時点で効果ねぇだろうが。大体あのおかま、素直が取り柄の人様の弟子になんつー余計なこと吹き込んでるんだ」
やばい。師匠の鋭い気配がラスターさんに向けられてしまったじゃないか。今は気になる言葉に突っかかってはいけないと本能が叫ぶ。
立ち上がりかけた師匠に全身で突撃してやる。
「そーいえばの続き! 南の森、守護精霊様、教えてくださったの。私、ししょーの、しょうちゅうのたま、って。どういう意味?」
途端、師匠があつあつのやかんのように綺麗な紅に染まっていく。夜の洋燈の中でも鮮明なくらい。
声も出ない程に驚いているようだ。いつも「なっ」とか「はぁぁ?」とか、何らかの言葉は飛び出るのに。
「私は、しょうちゅうのたま?」
もう一度問いかけると、ばちりと視線がかちあった。
すると、私から逃げようと片膝をついて立ち上がりかけた師匠。
「いっちゃやだよ」
その師匠の腰裾を無意識で掴んでいた。自分でも笑っちゃうくらい、情けない声が出た。でも恥ずかしさよりも、師匠が離れてしまうのが嫌だって気持ちのが勝る。
一方、師匠は腰を浮かせた姿勢で固まったままだ。
「ししょー、お願い」
縋る私をちらっと見た師匠は、さらに首まで染まっていった。
「――っあいつ! 一体、何を吹き込まれたんだよ! あんな、悪趣味なお節介精霊に振り回されるな! 」
「なにって……あぁ、あとはね、ついでに、証明つけて、意味教えてもらえ、って」
うーんと宙を眺めて、あの時のやりとりを思い出す。何時間も前のことではないのに、すでに懐かしささえ感じてしまう。
「証明って。はぁ。お前ら、あの状況で一体どんな会話してやがったんだよ」
色々物申したいけれど、師匠のことだからこれ以上の追及は無駄だろう。というか、疲れている師匠を責めたりしたら、過労で倒れちゃうかも。
とはいえ、ちょっとぐらいの反抗は許されるよね?
「守護精霊様、私、落ち着かせるため、雑談してくれた、ですよ」
「他にいらないこと聞いてねぇよな?」
師匠は唇の端が肩につくんじゃないかって位、口を歪めた。それだけならいい。私が悲しくなったのは、急に感じた壁みたいな空気だ。
理屈じゃない。それでも、私はハッキリとわかる。
だって、何度も何度も目の当たりにしてきた。師弟とか恋とか関係なく、出会った頃からふいに師匠がつくる、名も無き結界みたいなもの。
師匠と弟子。異世界の住人同士。召喚術失敗の加害者と被害者。
私たちは、いくらでも反する表現をしようがある関係だ。それを体現したような曖昧な拒絶。
あっ、やばい。泣きそう。
滲んでくる目を隠すように俯き、そっぽを向く。でも拭ったりしたら、師匠は気にするだろう。同情されたり慰められたりしたい訳じゃない。
「ししょー、ゆでだこなる、くらい、恥ずかしいなら、答えるなくて、いいよ。いいもーん、いいもーん。へたれししょーは、落ち着いて、くださーい」
というわけで、ふんと鼻を鳴らしてシーツに潜り込むことにした。これなら不自然じゃなく師匠に背を向けられるし、あくびで偽装できるはず。
うっせぇとは投げかけられても、眠る私を邪魔するような師匠じゃない。
「アニムは、夢の世界に、旅立ちます。ししょーは、別途、ごゆっくり。子猫ず、戻ってきたら、腕にください」
これくらいの捨て台詞は可愛いものだと思う。許されてしかるべきだろう。うん、私が自分で許しちゃう。
シーツに足先を滑り込ませようとした瞬間、浮遊感を感じた。
「えっと、ししょー?」
どうやら、師匠に脇を持ち上げられたようだ。気がつけば、師匠と同じく、膝立ちになっていた。
すっと、脇から手が抜けて寒くなったのは一瞬だった。
「逃がさない」
「へっ?」
聞いたことがない程、真剣な声に素っ頓狂な疑問が飛び出た。
えっと、今私は師匠の両手に顔を包まれている。食いつかんばかりの視線をおまけに。
「どこにも」
とても真剣なアイスブルーの瞳。師匠の唇が耳元に近づいてくるのが、ゆっくりと瞳に映りこんできた。
夜の澄んだ空気の中、耳に届く薪の爆ぜる音に混じったのは――。
「オレの、アニム。オレだけの、お前」
甘い、どころではない大好きな人の声。柔らかい唇が耳で弾んだ。
呆然と耳に流し込まれた言葉を反芻する。えっと、今、師匠はなんて言ったんだっけ。
ぱちくりと瞬きを繰り返していると、掬い上げるように後頭部を持ち上げられた。そのまま眉間を師匠の唇が柔らかく食んで吸う。
「――っ!」
数秒遅れて、喉の奥で悲鳴があがった!
吸われた場所が場所だからだろう。まるで私って言う記憶の塊ごと望まれている気がした。それぐらい、師匠の行動は現実味がないほど神聖に感じられたのだ。
いやだ、怖い。
初めての声に初めての触れ方。込み上げたのは幸せよりも不安だった。私を見てくれているようで、違う。そう思った。
「アニム」
呼ばれて、今度こそ本当に腰が抜けた。いや、腰が砕けた。名前を呼ばれただけなのに、今まで聞いたことがない声なんだもの。全身が――特にお腹のあたりがきゅうってなる感じ。
「なっ、んで」
あまりの痺れに、師匠の胸を押し返していた。私自身はへなへなと座り込んだ位置から一歩も動けないから。
「なにが?」
師匠は突き離されたにも関わらず、涙目で耳を押さえている私を愉快そうに眺めているじゃないか。おまけに、にやにやと意地悪な笑顔を浮かべている。
あまつさえ、師匠との突っ張り棒になっている方の私の手首を掴んで、つっと指を滑らせて来た。
「しっ、しっ、しっ」
「動物を追い払ってるみたいじゃねぇか。傷つくぜ」
傷つくなんて繊細さなんて全くない。師匠は一緒になってしゃがみこんで、片目を細めているもの。
だれか! 目の前に、極悪人がいます! たらしがいます!
「しっ、しっ、しっ」
反撃したいのに、魚のように口をぱくつかせることしか出来ない。夜中なんて配慮なく、思いっきり叫んでやる。ご近所はいないけど。
結果は情けない音量しか絞りだせなかった。
「まぁ、そういう意味ってことだ。これに懲りたら――」
「ししょーの、ばかぁ。ばか、ばかぁ」
ようやく、しゃべることができた。けれど、ひどく震えた声は、自分でさえやっと聞き取れる情けない調子だ。
「ししょーの、すけべぇー、ふいうちー、ひきょーものー」
情けない、と感じた理由。それは、からかうために囁かれた言葉に、身勝手にも幸せを感じてしまっているからだ。
涙で視界が歪んでいく。目が焼けるように熱い。下がる気配のない熱が堪らなくて、下を向いてしまう。
「おい、最後は納得いかねぇぞ」
けれど、むすりとした声の師匠は、両手を掴んで顔を覗き込んでくる。
もう普通に戻っちゃってる師匠と、へにゃへな状態から立ち直る気配のない自分の差。それが悲しくて、さらに瞼の裏が湿っていく。
「だってぇ。そんな声ぇ、不意打ちのことば、ひきょー。わたし、腰なんて抜けて、おこさま。ししょーだって、だから、私をからかう」
「オレはアニムを泣かせるつもりでからかった訳じゃ――」
一変、焦った様子になった師匠が、髪と頬の間に手を滑り込ませてきた。けれど、私がぶんぶんと大きく頭を振ると、今度は頭に移動した。
恐る恐る撫でてくる手つきに、また涙が零れてくる。
「でも、うれしいって、しあわせって、思っちゃうの。ししょーは、ごまかしかもだけどぉ、うれしくって、ないちゃう、おこさま、だから、わかってなくて、ごめんですよ」
せめて、笑顔で告げたかった想いは喉から無秩序に飛び出していった。
しゃくりあげながらの謝罪は、格好悪いのを通り越して滑稽だろう。
吹雪の中、がむしゃらに叫んだ時よりもずっと一方的な想いの吐露。こんなタイミングで泣きじゃくりながら告げられても、師匠だって迷惑だろうに。
「ししょー、離れる前、聞いたでしょ? 周りのこと、考えなかったら、私、どうしたいかって。私、傀儡もどき襲われて、死ぬかも、追い詰められたとき、ししょーに、会えなくなる、いや、思った。元の世界、戻ったら……ずっと、ししょー、想いながら、離れ離れで、生きていくのかなって。それって、もっと、辛いって」
とまれ、とまれ私。
駆け引きどころか恋愛にすら慣れてない自分が、物凄く情けない。はぐらかすための師匠の言葉にでさえ、過敏に反応して独りよがりに幸せで泣いちゃってる。
私、馬鹿だ。師匠だって、面倒臭いって思っちゃうかもしれない。
「私、ばっかり、ししょー、大好き。私だけを、みてて欲しいって、独占したいって、醜い感情も、抑えられない、くらい、ししょーが、すき。すき。ししょーが、だいすき、なの」
情けないけれど、本当の気持ちがこぼれ落ちていってしまう。
帰る帰らないは別にして……このまま師匠の傍にいられるのは堪らなく幸せだろう。
師匠が、だれよりも好き。どうしようもないくらい、大好き。何度伝えても、私の拙い言葉では伝わりきらないくらい。
だからこそ、ちゃんと笑顔で伝えたかった。
どうやったら、私がどれだけ師匠を想ってるか届けられるのか、じっくり考えるつもりだった。もっと、ロマンチックだったり、甘い空気だったりする場面で、落ち着いて告白したかったのに。いつだって、可愛くないタイミングになってしまう。
感情に振り回されるままに伝えてしまうから、師匠もちゃんと受け取ってくれないのかな。
「ごめん、ししょー。私、ちょっと、風、当たって、頭冷やしてくる。今のは、全部、忘れて。今日、変な出来事あって、情緒不安定だから」
暗に、離してくださいとお願いをする。
すぐに言葉もなく手首が解放された。希望通りなのに、無責任に痛んだ胸。自分勝手な心臓に心の中で舌を出し、膝に力を入れた。




