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引き篭り師弟と、師匠の親友2

「ししょー、おっおはよう、です」


 しゃがみこんで、頬を引きつらせつつ、お目覚めのご挨拶。

 余計な一言だったのか。師匠の口の端が、ぐっと落ちちゃったよ。とほ。

 ぐっすり香こと、眠りの魔法香をたいたのって、怒り心頭しんとうものだったのかな。


「やぁ、ウィータ。良く眠れたみたいだね。君らしくもないよね。引き篭っていると『警戒心』は薄れてしまうのかな? 自分はアニムに――」

「うっせぇ! それ以上、無駄口叩くと結界内から追い出すぞ!」


 師匠の耳元がぼっと赤く染まった。

 師匠ってば色素薄いので、照れるとモロバレなんだよね。あぁ見えて、いつもはあまり顔色変わらないのだ。両極端な感じ。

 とはいえ、怒るのはわかるとして、照れる要素はあったっけ?


「ししょー、ぐっすり眠れるは、恥ずかしい?」

「――っ! 元凶は黙ってろ」


 いつも眠たそうな瞼をさらに据わらせた師匠。ヤンキー座りになり、ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜてくる。

 大事なお菓子袋を抱えているので、師匠の腕を掴むことも出来ない。


「ししょー、とっても理不尽! ぐっすり香、勝手に、たいたは、ごめんです、けど」


 乱れた前髪の隙間から見上げると。ついっと視線を逸らされた。

 うぅ。そんなに怒っているのかな。しゅんと肩が落ちてしまう。


「オレが諌めたいのは、そっちじゃなくてだな」

「じゃあ、結界境界、近く、行ったの、ごめんです」


 俯いたまま口にした謝罪。本当はわかっている。師匠がぐっすり香に腹を立てるような人じゃないのは。

 しゃがみこんでいる石階段に、ぽつりぽつりと雫が染みていく。雨だ。顔をあげようとすると、


「あほアニム。理解してんだったら良い。次に行くとしても、必ずオレの目が届くようにしろ」


 って、優しく叩かれたじゃないか。

 師匠、やっぱり怒ってるんじゃなくて心配してくれてたんだ。


「つか、センはいつまで笑ってやがる。声も出ないくらい」


 ぽかんと瞬いている私には目もくれず。師匠はすくりと立ち上がって、センさんに膝蹴りをかましていた。

 触れられた部分に広がっていく熱を誤魔化すため。師匠の裾をくいっと引っ張ってやる。


「ししょー、暴力反対」

「本当だよ。それに、八つ当たりは止めて欲しいなぁ」


 センさんはどこか嬉しそうにさえ見えるよね。いいえ。『どこか』どころか、満面の笑みです。もう、放っておこう。人様の喜びを邪魔するほど、無粋ではない。

 ただ、雨が激しくなる前に家に入らねば。立ち上がった所で、くるりと私に向き直ってきた師匠。ひぇ!


「アニム、お前もだ! 良いとは言ったが、仕置きは覚悟しとけよ!」

「ごめんです。ししょーの、代わりに、思って」


 それに、早くお菓子を食べたかったのだ。

 買い出ししてくれる街にいる式神さんたちは、味覚を持たないせいか、嗜好品に興味が薄い。あまり送ってきてくれない。

 一度食べたモノなら具体的にお願いも出来るけれど、そもそも私はココの嗜好品を良く知らない。センさんは色んなお菓子をお土産に持ってきてくれるので、楽しみなんだよね。


「少しでも、早く、センさん、お会いしたかった」


 師匠の顔色を、おずっと伺ってみる。

 一段下、私とセンさんの間に立っている師匠は、もう怒ってはいないようだ。でも、しかめ面で微動だにしない。へのへのもへじみたいな顔だ。綺麗なアイスブルーの瞳が潰れて勿体ない。

 はっ! もしかして、マリモみたいになっている私の頭のせいかな。また顔を手で覆って震え始めたセンさんはスルーしておこう。抱えていた荷物を師匠に押し付ける。空いた両手でささっと髪を整え直した。

 師匠は眉をひそめて、渡された荷を見つめている。あっ、そっか。


「大丈夫、ちゃんと、ししょーのお菓子も、残すよ」

「――はっ?」


 師匠から間抜けな声が漏れた。

 短く発せられた声を聞いた瞬間、センさんが大爆笑だ。腹をよじっている。さらに、突っ伏して、ばしばし石階段を叩きだした。

 家の周りで水晶の実をかじっていた小動物たちが、一斉に姿を消していく。周囲の空気から、癒し成分がなくなった気がするよ。


「もー! 君たち最高だよ! ひー! お菓子は、甘くて、美味しいからね! 心配にもなるよね、色んな意味で! ウィータも『取られる』のか不安にもなるよね!」


 センさん、折角の美人さんを崩壊させて、子どものようにバタバタと全身を使って笑い転げている。さようなら、私の王子様。

 さすがの私も、ぎょっとして身を引いてしまう。思わず師匠の袖を掴んでしまいました。乙女フィルターを持ってしても怖いです、今のセンさんの笑いよう。


「ししょー、食い意地はってる。だから、センさん抱腹絶倒ほうふくぜっとう」

「どう考えても、違うだろ。つーか、また可笑しな言葉覚えてやがるな」

「んーじゃあ、センさん、なんで笑ってるの?」


 私の食欲を笑っているとでも言いたいのでしょうか、師匠。

 袖を掴む手にちょっと力を入れてやる。むっとして唇を尖らせると、師匠は口を歪めた。そのまま、あちらこちらに顔を動かしていたが、やがて、疲れた様子でため息をついた。


「アニム、お前十九になったんだよな。外見は十六・七才くらいに見えるが」

「私の種族、童顔。黒目黒髪、幼く見える。仕方ない。ししょー、人のこと、言えない。あと、歳とお菓子大好き、関係ない!」


 師匠なんて二百才越えたおじいちゃんなのに、お菓子好きじゃないか。

 暴露してやろうかとも思ったが、これ以上センさんが壊れても面倒くさい、ではなく、大変なので、心の中に仕舞っておいてあげよう。


「……そうじゃなくてな、もうちょい言葉の選びようがあるだろ」

「うーん、残すなくて、大人らしく、半分こしよう、言えいう意味?」


 ぽんと軽く掌を叩く音が、やけに響いた。

 嬉々としている私に投げられている視線は、とっても呆れたものだった。ついでに、長いため息が落とされましたし。吐かれた白い息が、師匠の心情を表しているよう。


「もう良い。セン、早く家に入れ。森の主が煩いって文句言ってくるぞ」


 師匠の背が丸まった。消耗感いっぱいだ。なぜに。

 師匠は八つ当たり気味に、転がっているセンさんの頭を足先で突いた。師匠、足癖が悪いです。つつかれている当の本人がとても良い笑顔なので、横槍は入れないでおこう。


「ほら、アニムも、けったいな顔のまま突っ立てるな。雨に濡れるぞ。風邪引く」


 師匠に背中を押されて、先に家に入れられた。

 若干納得いかない部分があるものの。早速お菓子を取り分ける準備しなきゃね!

 大理石風造りの広い玄関ホールに鳴る靴音が、弾んでしまう。


「ししょーとセンさん、談話室で、待っててね。すぐお菓子と紅茶、用意して行くです」

「じゃあ、頼むな」


 ひらひらと手を振った師匠は、センさんと左側の談話室に入っていった。

 私はひとつ部屋を通り抜けて調理場の方へ。

 うちの一階のメインスペースは、基本的にドアがない。アーチ型の出入口で繋がっている。

 調理場は、私の世界のシステムキッチンに似た造りをしている。とっても動きやすいし、魔法道具も揃っていて便利なのだ。


「お皿、どれ使おうかなぁ」


 見渡す棚には、使い切れない数の食器が納められている。私が来た頃よりも、だいぶ増えたよなぁ。最初は最小限しかなかったものが、今や悩むほどだもんね。

 私と師匠が過ごしてきた歳月を表しているようで、ちょっぴりくすぐったい。


「浸ってる場合、ない」


 へらりと緩んでいた頬を軽く叩く。

 ささっと、コンロに火の魔法球をはめ込み、すぐさまヤカンを置くと、ガスコンロみたいにぼっと火があがった。

 ちょこまか動いて準備をしている間に、お湯は沸いてくれるだろう。便利道具、万歳!


「さて。紅茶セットとお皿、お菓子を、トレイにのせて。よし!」


 大きなトレイを落とさないよう、ゆっくりと。

 談話室の入り口付近で、師匠とセンさんの声が聞こえてきた。


「セン、アニムを餌付けするのも、ほどほどにしておけよ」

「だって、引き篭り魔法使いと二人で森に住んでいるんだから、少しでも普通の女の子らしい楽しみを作ってあげたいじゃないか。式神や動物たちもいるとはいえ、年寄りとの暮らしじゃ、味気ないだろうし」


 内緒話ではないみたいで良かった。時折、お二人はすごく真剣な表情で話し合っていることがあるので、少し緊張してしまう。

 師匠とセンさんは、窓際のソファーに向かい合って腰掛けている。談話室には、低めの長机を挟んで二人掛けの柔らかいソファーと一人掛けの丸いすが二つ、置かれている。

暖炉の火は、部屋の中でやけに存在感がある。窓の外が暗いので、いよいよ本格的に雨が降りそうだ。


「お待たせ、しました」


 部屋に入ってすぐ、トレイはセンさんがさり気無く持ってくれた。さすがスマート紳士!

 どっかりとソファーに腰掛けている師匠にも、ちょっとは見習って欲しいものだ。


「ちゃっちゃと、お菓子、浄化しまーす」


 机の真ん中に置いてあるガラス球体に、お菓子の包みごと入れる。青い液体が、外界の食べ物を浄化してくれる。

 ぽこぽことあがる気泡の向こう側。センさんが、優雅な仕草で紅茶を淹れてくれている。


「さっきの続きだけれど。ウィータの初弟子を奪ったりはしないから、安心してよ。それに、ウィータの大切な初弟子であるアニムは、僕にとっても可愛い存在なんだよ。わかるだろう?」

「うっせぇ。このおせっかいめ」


 あれですか。以前、親戚のおねえちゃんが子どもを生んのだけれど、コワモテで無口だった叔父さんが、初孫にメロメロになって猫可愛がりしていた心理と同じかな。実の娘であるおねえちゃんでさえ、「あんなお父さん初めて見たわ」と言ってたっけ。

 私はそこまでされていないけど、気持ちとしては同じなのかもしれない。二百と六十才から見たら、私なんて赤ちゃんも同然だろうし。


「何百年生きて、私、初めての弟子、いうのも、驚きです」


 師匠が凄腕魔法使いなのは、魔法を知らない私でもわかる。目の当たりにする魔法は、森の守りから物臭な用途まで、素晴らしいモノばかりだ。

 それほどの魔法使いなのに、今まで弟子をとらなかったのが不思議。


「けっ。アニム、お前が言うな」


 ソファーの肘掛――私の横側で頬杖をついて、うんざりとした口調の師匠。

 私は巻き込まれた側ですが! 無理やり弟子にされた被害者なんですけど!

 そう罵りたいのを、ぐっと堪える。楽しいアフタヌーンティーの雰囲気を壊したくない。

 なのに、センさんまで、困ったように頬を掻いたじゃないか。


「一理あるね」

「センさんまで、ひどいです。私、不可抗力(ふかこうりょく)

「まぁまぁ。お菓子の調整も終わったみたいだし、食べよう?」


 小さくクローバーが描かれたお皿に、センさんが丸い焼き菓子を取り分けてくれた。今日、センさんが持ってきてくれた桃の紅茶は、夕ご飯の後にいただくこととしよう。

 甘くてちょっと焦げたような香りの前に、うきうきと心が弾む。


「いただきまーす!」


 はむっと大きな口で頬張ると、アーモンドに似た木の実と焦げたカラメルのほろ苦い香りが広がった。生地の部分が口の中で蕩けていくよ。木の実のカリって感触と、さくっとしたタルトのバランスがねぇ。はぁぁ、むちゃくちゃ美味しい。

 私の頬が、とんでもなくふにゃけていたのだろう。目の前にいるセンさんが、柔らかく微笑んだ。これですね、孫を見守る目。でも、私は孫ではないので、くすぐったくなってしまう。


「美味しい! ほら、ししょーもセンさんも、食べよう!」


 気恥ずかしさを誤魔化すため、大袈裟(おおげさ)に頷く。誤魔化しでもなく、本当に絶品なんだけどね。

 師匠は私を横目に入れただけで、いつもの眠たそうな目で紅茶をすすっている。紅茶も、爽やかな香りで癒される。


「良かったよ。そうしたら、アニム。お返しが欲しいって訳じゃないのだけど、さっきのアレ、もう一回言ってみてくれるかい?」

「さっきの?」


 師匠と私の声が重なった。さっきのとは、どれのことだろうか。お茶にたどり着くまでに色々有りすぎて、どれのことだか検討がつかない。

 首を傾げると、センさんは身を乗り出して自分の指同士を絡め、にこりと完璧な笑顔を向けてきた。奇妙なのも怖い。それよりも、完璧な笑顔というのには、さらに嫌な汗が流れる。


「そう。僕のこと、優しいって言ってくれたでしょう? 全文、あのままでさ。わかっているから、抜けてた主語もそのままで良いよ」


 あぁ、あれか。長文で頑張ったので、覚えてる。若干、言葉に引っ掛かりを覚える部分もあるけれど……ほかならぬお菓子の提供者からのお願いだ。断る理由はない。


「何の話だよ」


 隣で師匠が訝しげに目を細めた。

今日の師匠は表情豊だなぁ。それを隠したいのか。師匠は興味がないとでも言うように、紅茶に口をつけた。


「嬉しい、です。 いつも、ありがとうです。センさん、優しい、愛です」

「――ぶっ!!」


 師匠が盛大に紅茶を吹いたよ。てっぽう魚顔負けの勢い。

 私の反対方向に出してくれたのが、唯一の救いだ。


「ししょー、紅茶吹く、汚いもったいない」


 汚いと言いっぱなしも弟子としてどうかと思ったので、とりあえず、お盆に乗せていた未使用の布巾で口元を拭いてあげよう。弟子っぽい、私。むしろ、介護になるのか。

 師匠。そんな顔で見なくても、台拭きじゃないので安心してくださいよ。


「げほ、アニム、おまっ」


 むせていた師匠の手が、私の手首を握ってきた。

 気管支にも入ったのか、苦しそうにむせている。ちょっとぐいぐい乱暴に拭きすぎたのか。私の触れられている箇所も、ちょっと痛い。


「んなことより、お前。愛って」

「そのままの意味だよね、アニム?」


 てっきりセンさんは大爆笑の渦にはまっているかと思ったのだが……全くそんな様子はなく、先程と変わらない姿勢と笑みで、私を見つめてきくる。照れるじゃないですか。

 じゃなくて、師匠がセンさんを物凄い形相で睨んでいるよ。


「いやー嬉しいなぁ。そう言ってもらえると、お菓子を選ぶのにも気合が入るよね。もう一回、言ってくれるかい? 今度は、胸の前で指を絡ませて、ちょっと上目に首を傾げてくれると嬉しいなぁ。ついでに『おにいちゃん』て呼んでくれると、尚、きゅんとくるね」


 もしかして、センさん、初孫っていうより足長おじさん的感覚なの? 人にモノをあげるの好きそうだもんね。私にはお返し出来るモノはないので、言葉で良ければいくらでも真心込めて言うよ。

 若干マニアックな趣味も入っていますが、それはスルーしておこう。でも、私が反応するより早く、師匠がばさりと衣擦れを響かせた。


「セン、いい加減にしろ! お前、アニムが理解してないのに漬け込みやがって!」

「え? お礼言うの、変?」


 師匠の言葉に、フォークを置きかけた手が止まる。

 そんなことはないはずだ。今までも散々言っていた言葉だもん。この世界の言葉で初めて紡いだのも、「ありがとう」だった。それに、水晶の森に落ちてきてから、何度お礼を口にしたことか。

 

「あっ!」


 ひとつだけ、思い当たることがあった。


「気がついたか。アニム、お前どこで覚えてきた」


 面白いポーズでセンさんを指差していた師匠も、私の表情の変化に気づいたのだろう。どかっと音を立てて、ソファーに腰を下ろした。

 眉は凛とあがったままだけど。


「えっと。昨日ウーヌスさんたちと、センさん来る話してた。今度のお菓子、何か楽しみって。私、おやすみ言ったあと、ウーヌスさん、フィーネとフィーニスに、好きの、もっと上の言葉って、教えてるの、聞こえたから」


 ウーヌスさんとは、師匠の一番最初の式神さんだ。生活について色々教えてもらっている。

 それは置いておいて。てっきり物事が大好きっていう意味の最上級だと思って、使ってしまった。

 頬を押さえてセンさんの方を向くと、草原の爽やかな匂いが香りそうな笑顔を返された。


「センさん、だから、あの時、ちょっとだけ、驚いてたですね!」

「うん! それにしても、さすがウィータだね。本来感情を持たない式神たちに『愛される』なんて、凄いや」


 師匠の頬が思い切り強張った。えぇ、あからさまに。「うっせぇ」と吐き捨てられた声には、力がない。きっとあほな弟子に呆れ返っているんだろうな。

 師匠は、そのままの表情でソファーに深く沈み込んだ。指先は部屋の片隅にある台の上に向いている。あるのは、私の勉強ノート。


「アニム、菓子食ったら、とりあえず単語綴り百回な」

「う……はい」


 とんでもない言葉を笑顔で口にしていたかと思うと、恥ずかしくて身が縮む。穴があったら入りたい。深く掘って、埋めて欲しい。うぅ。

 二人に背を向けて、ソファーに張り付くしかない。髪が長くて良かった。今の私は、爆発しそうなくらい、真っ赤に違いない。

 後ろから、「師匠に尻を向けて蹲る弟子がいるか」と師匠の呆れた声が聞こえてきたが、そんなもの無視だ。


「ごめん、ごめん。大丈夫だよ、アニム。この『愛してる』は敬愛とか親愛とか、そういう想いもあるんだよ」

「ほんと、です?」


 ゆっくりと体を起こすと、センさんが師匠に向かって両腕を広げていた。

 そして、大きく頷いた。


「うん。だからさ、やきもち妬いているウィータにも言ってあげてよ!」


 なんでそうなる。

 さっきまで、太陽を連想させていたセンさんの笑顔は、今や毒沼でふてぶてしく花を咲かせている食虫植物に見える。毒沼に食虫植物は咲かないと思う。あくまでも例えだ。

 思わず無表情で師匠を振り返ってしまった。


「オレがいつ妬いてるなんざ口にした」

「うぅ。ですよね。ししょー、呆れてる。反省です」


 赤ちゃん扱いしている私に、やきもちを妬くなんてあり得ない。

 師匠ってば、額に手を当て、ふぅーと息を吐いたよ。なんか、一気に老けた気がして申し訳ない。

 

「セン、お前もう帰れ」


 師匠は、空いた方の手をぶらぶらと動かした。あっちいけしっしの仕草だ。


「えー、嫌だよ。この間、ホーラに貰った美味しいお酒、飲ませてくれる約束じゃないか。出来るなら、今からでも飲みたいくらいだよ」


 師匠は本気でないと思うのだが、センさんは心から抗議の声をあげたように思えた。

 ホーラさんとは、ご長寿一族の女性で、師匠たちの旧友さんだ。皆さん一様にお酒好きなので、時々ここで飲み会が開かれるんだよね。


「あー、もう好きにしろ。地下に置いてあるから、自由に持ってこい」


 さすが引き篭り、いえ不老不死のおじいちゃんず。昼間下がりからお酒なんて不摂生、そんな概念はないみたい。

 師匠の投げやりな台詞を聞いた瞬間、センさんは意気揚々と地下へ続く階段の方へ向かった。

 どっと疲れが押し寄せてきたよ。


「私、綴り復習する」

「……罰として、声に出せよ。恥を伴い、身を持って学習しろ」

「はいはい、がってんしょうちのすけ」


 結局、センさんが戻ってくるまで『愛』を連呼して、書き取りさせられた。恥ずかしさから、やけくそ気味にだけどね。

 その間ずっと、師匠ってば至極ご満悦に、私を眺めていましたよ。隣で頬杖をついて、意地悪な笑顔で見つめてくるものだから、顔が熱くて仕方がなかった。

 それも、戻ってきたセンさんに、


「楽しそうだね。一緒に引き篭っていると、親密度が格段に上がるのかな? いやぁ、雨のせいじゃない蒸し暑さが立ち込めているよ」


と声を掛けられて、終了したけど。

 師匠の「うっせぇ」に激しく同意したのは、内緒にしておこう。

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