引き篭り師弟と、謎の傀儡5—アニムの魔法―
※会話文の『』は過去のモノです。
守護精霊と呼ばれた女性は、妖艶に微笑みながら袖を大きく振った。まるで一帯に広がる炎をいなすように。
袖から離れた大きな水の玉が方々に散ると、瞬く間に燃え上がっていた花畑が鎮火していった。
「すごい。肌を焦がすような熱が、嘘みたいに、さっていく」
呼吸をするのもだいぶ楽になっていく。緊張のせいかあまり感じていなかったけど、むせかえる炎と煙が立ち上っていたことに気がついた。
けほっとむせた喉を慰めるみたいに、守護精霊様の袖にいくつかついた鈴が、涼しげな余韻を残してくれる
「そなたらは――確か、ウーヌスとウィータの新しき式たちであったかのう?」
足先が水泡になっている巨大な守護精霊様が、腰を屈めてきた。近くなった秀麗な面貌に臆することもなく、ウーヌスさんやフィーネたちは一様に頭を下げる。
「ご無沙汰しております、守護精霊様」
「はじめまちて! ふぃーねでしゅ。おいしい花びらしゃん、いつもありがとうございましゅですの」
「ふぃーにすじゃ。いつも遊ばせてもらって、ありがとなのぞ!」
恥ずかしながら、私は腰が抜けて動けない。せめてもと思い、慌てて三人に倣い腰を折る。その拍子に背中がずきんと走った痛み。大粒な雨に打たれたので、むちうちみたいになっているのかな。
それでも、綺麗で大事な思い出になってくれたここが焼け野原にならなくて良かった。
「なんぞ愛らしい面子がそろったものよ」
「お花の妖精たちがいっちゅも守護精霊のお話してくれてたから、会えて嬉しいのぞ!」
「でちー!ふぃーねたちがあるじちゃまやあにむちゃの自慢しゅると、絶対守護精霊ちゃまもっとしゅごいっていうんでしゅもん!」
フィーニスとフィーネが両手をばたつかせたり、右往左往する。はあぁぁ、可愛い。
私が悶えている横で、守護精霊様の切れ長のガラスをはめ込んだような瞳が一層細くなった。
全身が水のような透明感でつくられた守護精霊様は、一見冷たい雰囲気に感じられる。その第一印象は間違いだと、すぐわかった。
だって、フィーニスたちだけではなくウーヌスさんも眺める視線はとてもあたたかい気がするのだ。
「ここまで育った花畑を巻き込んでしまったこと、我が主に変わり深くお詫び申し上げます」
なにも言えない私の代わり――いや、代わりなんておこがましいか。とにかく、ウーヌスさんが私の前に立ち深く頭を下げた。
間違いなく、私を庇ってくれたのだろう。守るような背中は、この世界にきてからずっと与えられているから、鈍感な私にだってわかる。
「よい」
守護精霊様が愉快そうな口調で体を傾けた。
「こうして顔をあわせるのは久しくあるが、ウーヌスが妾の子たちを誠心誠意慈しんでくれておる姿は見ておったよ。また手伝ってくれれば、それでよい」
抜けた腰を叱咤して踏ん張った直後、守護精霊様の柔らかい声が振ってきた。
ウーヌスさんも本気で警戒していた訳ではないのだろう。すっと腕を下ろした。おまけに、ウーヌスさんてば物語の騎士さながらに片膝をついて手を差し伸べてくれたじゃないか!
「アニム様、お手をどうぞ。ウィータ様の代わりには到底なり得ませんが、このウーヌスの全身全霊をもって御守りします」
「ありがとうございます」
思わず頬が熱くなる。うん、そんな状況じゃないって理解はしてるけどね!
なんとか立ち上がると、フィーネとフィーニスがすいっと飛んできて、頬を寄せてくれた。やっこい、やっこい!
「まずは我が子らの痛みを和らげねば」
守護精霊様が、ぎりっと歯を鳴らした。
さっきとは反対の袖を大きく振ると、きらきらと光る粉が花畑や川に広がっていく。足下を初め、花畑も焼けた部分が再生してきているように見える。
感嘆の息を漏らしていると、守護精霊様とばちっと目があった。
「さてと」
しゅるしゅるっと音を立てて、守護精霊様の体が縮んでいく。私二人分ほどの身長になったところで止まる。ぷかぷかと浮いたままじっと見下ろされ、冷や汗が止まらない
でも! ここは師匠の顔に泥を塗らないよう、しっかりご挨拶申し上げなければ。
「私、ウィータ師匠の弟子、アニム、です。はじめまして! 今日は、花畑で、素敵な思い出、いっぱいもらいました! って、いや、この状況で、言うことじゃないですね! 失礼しました!」
自分の的外れに口にしてしまったお礼に焦りがます。出来る限り深々とお辞儀するしかない。
「構わぬ」
恐る恐る顔をあげた私が見たのは、優しい苦笑を浮かべている守護精霊様だった。
「しかし、そうか。不思議な存在値だと思うたら……そなたが『アニム』か。妾は南の森一帯を見守っておる精霊じゃ。真名を呼ばれるのを好まぬゆえ、守護精霊などという仰々しい呼び名で通っておるが、たいして高位でもない。身をかたくすることはないぞよ」
守護精霊さまは、からからと笑った。見た目と違い、かなり気さくな方みたい。先ほどから表情も豊かだ。
「えっと、はい。私がアニムです」
もしかして、守護精霊様が知っているのは『アニムさん』なのかもしれない。
でも、『アニムさん』は気にしないと心に決めた。動揺はしないぞ!
それに目下の悩みは、戦争も孤独も知らない私が、師匠の隣にいていいのかという葛藤だ。
今までの人生など関係ない。きっぱり言い切れれば良いのに、出来ない自分がいる。あぁ、早く師匠に会いたい。師匠と話せば、絶対不安など払拭してくれる。乗り越えられるとわかっているから。
さっきは突然のカミングアウトで取り乱してしまったけれど、逆にウーヌスさんの口から聞けて良かったと思う。師匠の前で動揺して、師匠を傷つけずにすんだから。
「私も、守護精霊様、呼ばせて、下さい。それにしても、私、ご存知、なのですか?」
一応、聞いてみる。動揺するのをやめたとはいえ、とっても気にはなる。
首を傾げて尋ねると、守護精霊様は思いっきり含み笑いで見つめてきた。こっこれはやっぱり百パーセント何かある! 推理力のない私でも、ひしひしと感じる意味深さだ!
「知っておるというか、話は耳にしておるというか。まぁ、余計な発言は控えておく。ウィータに睨まれても困るしのう」
守護精霊様は、鈴のような笑いを落とした。風になびかれている羽衣さえ、からかってきているように思われる。
精神衛生上、とってもよくないにおわせだ。かといって、守護精霊様に、普段の師弟突っ込みよろしく文句を垂れるわけにもいかないので、諦めるしかないだろう。
「さしも、つむじを曲げるでないよ。ただ、ウィータにとってそなたは、掌中の珠だと言うことよ」
「しょうちゅうのたま?」
「そなたは異世界の存在で、言語も手習い中であったな。平たく言うと、大切にされておるという意味ぞ。あのウィータが弟子を取ったのも驚愕であったが、弟子が異世界人というぶっとび具合には、なんぞしっくりきたわ」
守護精霊様が『ぶっとび』って、随分とくだけた表現をする。
大切にされているという言葉は、すごく嬉しい。普段から甘やかされているのは実感しているけど、『甘やかされる』のと『大切にされている』のとでは意味が異なる。
「はい。ししょー、魔法使えない私、弟子にしてくれてる。人としても、とても、大切してくれる、です。何にも知らなくって、平和ぼけしてる私、面倒見てくれてる、です」
しまった。なんか嫌みっぽくなったかな!?
「いえ! あの! 魔法が使えないに、ひけめ、勝手に私が、感じているだけで! ししょーは、そんなこと、文句いったことなくて!」
師匠は全部気にしないでいてくれているのか、隠すのが上手いのか。前者であるとは思うけど、どちらにしても魔法が使えないことを責めたことはない。
私が出来てない無いことも、あくまでも私個人として突っ込んでくる。
でもね。願望だと思うと怖くなってしまうのだ。
「私は、魔法が使えない、のに」
痛い。お腹が痛い。
胃が痛むのとは違う。お腹を抱えてもごろごろ鳴るのは止まらない。うぅ、お腹を抱えてしゃがみたい。曖昧な苦痛がしんどいよ。
「あにむちゃは、魔法ちゅかえるのでしゅよ?」
フィーネの思わぬ言葉に、俯きかかっていた顔が弾ける勢いであがった。
痛みを忘れて見つめたフィーネは、私の表情を受けて逆にきょとんと瞬きを繰り返した。なんで不思議そうなのって問いかけているのがわかる。視線だけで。
「だっだってね、フィーネ」
「まぁ聞こうではないか」
興味深そうに私を制した守護精霊様は、空中で足を組んでいる。
一気に視線を浴びたフィーネは怯まずに、えっへんと胸を張った。胸よりも、ぽっこりお腹が強調されている。
「うなっ!」
隣にいるフィーニスも、腕を組んで(組みきれてないけど)大きく頷いた。
「ふぃーねとふぃーにすは、あにむちゃの魔法でいつも元気なってましゅ!」
「そうじゃ! ふぃーにすたち生まれたばっかのころ、いい夢見れる魔法、元気になる魔法、楽しくなる魔法、いっぱいかけてくれたのじゃ! 最近は、ふぃーにすたち、もう赤ちゃんないから、してくれにゃいけど……さっ寂しくなんて、ないのぞ!」
くるくると変わるフィーネとフィーニスの表情。
二人がそうする度に、喉が焼けているような感覚が強くなっていく。
「でしゅよねーお菓子とご飯においしくなーれの魔法でちょーおねんねする時にたくしゃん撫でてくれてあにむちゃのぬくもりでいい夢見れる魔法でちょー」
ほっぺを押さえて幸せそうに笑ったり、寝る真似をして尻尾をふったり、くるくる元気に回ったり忙しそうだ。
「あとね、あとね。いっぱいいっぱいなのでしゅ!」
「とにかく、たっくさん色んな魔法なのぞー!」
最後は言葉が思い浮かばかったのか、全身で踊って嬉しさを舞わせた。
「私の、魔法」
あぁ。なくしたわけじゃなかったんだ。私が忘れてしまっていた、お母さんから貰った大切な魔法を。
潤んでいく目を必死に拭う。目頭を押さえる度、擦る痛みではない熱が邪魔をする。
「魔法、使える……私が」
カローラさんに見せられた、夢の中でみた過去。お母さんが使った『魔法』という言葉を、即座に否定した私がいた。
ううん。この瞬間の寸前まで、やっぱり、元の世界の魔法とこの世界の魔法は違うものだって、割り切ったつもりでいた。私は価値観が変わってしまったのだと。
「違うのでしゅ? んーよくわかんにゃいけど、でも、あにむちゃはしゅごいよってこちょ!」
守護精霊様に向き合って、ぐっと拳を握ったのはフィーネ。守護精霊様はあたたかい眼差しで微笑みかえした。
「そうじゃ! だから、また、ふぃーにすたちに魔法かけてくれるのぞ?」
フィーニスはちょっと照れくさそうに、上目遣いで小首を傾げてきた。
フィーニスを両手でそっと包み込む。喉下を親指でくいくいすると、またたびに酔ったようにとろんとなってくれた。
『だって、皆への愛情っていう魔法は最強だもの。母の愛は偉大なのよ?』
『想い』を『魔法』に重ねた、お母さん。そんなお母さんの魔法を受け継いでると、遠まわしにでも笑ってくれた家族。
『そういう点では、お姉ちゃんも、お母さんの魔法を立派に受け継いだ、魔法使いよね。まだ見習だけど』
お母さん、ごめんね。私はお母さんっていう、素敵な魔法使いの魔法を習ったのに。ウィータ師匠っていう、すごい魔法使いの弟子になったのに。私は何もわかってなかった。
世界だったり過去のお母さんだったり。だれかが何度も気がつく機会をくれていたのに、私自身が向き合ってなかっただけだったんだね。
無理矢理こじつけた理由で自分を納得させて、立ち直った気でいた。だから……うわべの立ち直りだったから、ちょっとした追撃に揺らいだんだ。
「ししょーも、すごい魔法、使えるだけない。優しくて、あったかくって、ちょっと意地悪で……色んな気持ち、くれる、魔法も、かけてくれる。胸がきゅっとなる。フィーネもフィーニスも、元気の魔法、かけてくれる」
「えっへん! だっちぇ、ふぃーねとふぃーにすはあるじちゃまの式神でち」
「そいで、あにみゅの家族なのじゃもんね!」
二人して胸を張ったフィーネとフィーニスを、ぎゅっと抱きしめる。小さくてもしっかりとした心音が伝わってくる。
とくんとくんと、掌から響いてくる鼓動が、魔法をかける音のようだ。
「フィーネもフィーニスも、私の大事なもの、ずっと、ちいさな体いっぱいに、持っててくれたんだね」
私の中で変わってしまったと思っていた価値観。消えてしまったと思ってた、元の世界の影。
変わったのではなく私が目を逸らしていただけだった。考えてこなかっただけ。
「そなたは魔法が使えない世界からきたと、方々《ほうぼう》から聞いている」
守護精霊様の静かな声に、どくんと心臓が跳ねた。
けれど、もう大丈夫。甘えるように首元や頬にすり寄ってくれる存在のおかげで、私が自分の真ん中にどんと構えていれば良いことに気がつけたから。




