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引き篭り師弟と、謎の傀儡3-帰りたいと想う願い-

「ししょー、そろそろ、帰ろうか? ちょっと冷えてきたし」


 星が満天になり、いよいよ肌に感じる風が冷たさを増してきた。

 さりげなく、師匠の腕に頭を寄せる。応えるように乗ってきたのは優しい重さだった。師匠が体重をかけてくれている。それだけで頬が緩んでしまう。


「師匠で暖をとって、にやにやしてんじゃねぇーよ」


 優しい重さとは正反対の声が落ちてきた。顔は見えないが、容易に想像がつく。なのに、意地悪さえも好きだと感じてしまうから重傷だ。


「暖、とってるないよ。私のがあったかい」

「へぇ、ならなんで擦り寄ってきてるんだか」

「ぐぬぬ。前言撤回!」


 顎の下から逃げ、師匠に向き直る。

 見上げた先にいた師匠は、これ以上ないくらいに口の端をあげていた。赤いであろう顔で睨む私を見下ろし、にやにやとしているよ。


「だから、アニムは撤回する前言を口にしてから言えっての」


 悔しくて、でも反論は出来なくて、そっぽを向くことしかできなかった。

 そんな私を小さく笑った師匠だったけれど、一瞬後には滝に向かい直していた。


「フィーネ、フィーニス、近くいるかー? そろそろ帰るぞー!」


 師匠が大きな声で二人を呼ぶと、すぐに「んにゃー!」という返事が聞こえてきた。

 名残惜しいけど、近いうちにまた来ればいっか。星見もだけど、今度はお弁当を持ってピクニックというのも捨てがたいなっ!


「ね、ししょー。今度は、お弁当でも作って、センさんやホーラさん、ラスターさんとか、みんなで、きたいね! 私、腕によりをかけて、頑張るですよ! 私、南の森で、みなさんと思い出作りたい!」


 ピクニックよりは、そのまま宴会になる確率が高いかもね。それはそれで、ある意味お花見みたいで心が躍る。

 この滝の側での光景を想像するだけで、すごく楽しい! ちょっとだけ・・・・・・先の約束をするみたいでずるいと思わなくもない。


「子猫たちもみたいけど、私も、南の森、大好きなった! だからね、ししょー、約束!」


 くるりと回転し、滝から師匠に視点を移せば……。喉がひゅっと鳴った。目の前にある師匠の表情に。

なんて顔をしているんだろう。今にも泣き出しそうな、でも、どこか嬉しそうに笑っているように見えた。でも、一番気になったのは――。


「あにみゅー、ほら!」


 ぎしっと固まった体が跳ねたのは、可愛いフィーニスの声のおかげだった。

 いっ今のは、どんな意味があったんだろうか。顔を逸らしながらも疑問は消えない。

 まるで――まるで、傷ついたみたいな。嬉しそうなのに、苦しそうな色を浮かべていた。


「これ、あにむちゃにあげましゅ!」


 満面の笑みで帰ってきたフィーニスとフィーネが抱えていたのは、光る瓶だった。と言っても、可愛い掌サイズの丸い瓶自体が光っているのではなく、中身の花びらや花が煌いているようだ。

 二人の後ろにある川を見れば、そちらも淡い光を浮かべていた。そこから視線を師匠へ移すと、彼はすでにいつもの飄々とした表情に戻っていた。


「ありがとう、フィーニスにフィーネ! とっても綺麗、だね。それに、甘くてほっこりな香り」 


 別に取り繕ったつもりはない。本当に綺麗だったのだ。

 瓶の中には、七色の彩を放っている花びらと花だけが詰められている。川を形作っているぷるぷるの水ときらきら光っている粒子も、一緒に入っている。気泡も飾りになって、水中みたい。

 瓶の底を覗くと、魔法陣が描かれていた。フィーネとフィーニスが、それぞれ使う魔法陣だ。

もしかして、どっちが集めた瓶かわかるように、目印をつけたのかな。競い合って集めている二人の姿が思い浮かんで、くすぐったくなる。


「絶対、あにみゅは、こーいうの好きだと思ったのじゃ!」


 フィーニスはぱたぱたと前足を振って、はにかんでいる。紺色の毛でも夜闇に負けないくらい、きらきらしている。

 そんなフィーニスの体に、フィーネがどんとぶつかる。


「七色のお花しゃんはね、あにむちゃみたく優しい匂いと魔法が、ぎゅうっ! でしゅの!」


 フィーネは前足をあわせて、丸い体ごと縮めた。ちっちゃい体が、さらに愛らしいサイズになっている。


「ほぅ。よく七色の花だけ掬えたもんだ。二人とも頑張ったんだな」


 師匠の感心した声に、二人はさらに花を飛ばした。くるくる回転して、両手を頬に当てていて可愛い。

 可愛いやら嬉しいやらでパンクしそうな、私の心。二人を抱きしめたいのは山々だけど、貰った瓶も大切だ。考えあぐねた結果、二人の額にキスを送る。二人の方が、優しくて甘くて素敵な匂いがした。


「今日、ふたりに、いっぱい嬉しい、もらってばかり。お礼、お菓子作りたいけど、希望ある?」


 首を傾げて質問すれば、フィーネとフィーニスの顔がぱぁっと輝いた。垂れていた耳も、せわしなく動き出す。フィーニスの左右交互も、フィーネの同時も、どっちも愛々しい!

 なのに。二人の耳を見た師匠が小さく噴出したので、肘で横っ腹を攻撃しておいた。


「わーい! ふぃーね、滝の花びらちゅかったお菓子、たべたいでしゅー! 生クリームたっぶりのケーキがいいにょー!」

「ふぃーにすは、んーと、んーと……そうじゃ! ちょこれーとのクッキー食べたいぞ! お花の形だと、嬉しいのぞ!」

「りょーかい!」


 確かフィーネとフィーニスが教えてくれた情報では、ここの花びらは食べられるらしい。

 離れた滝口でまだ花びらを瓶に詰めているウーヌスさん。まだ瓶持ってるかな。

 足を踏み出した私の前に差し出されたのは、薄い桃色の花びらだった。いつの間に取ってきたのか。師匠が摘んでいる花びらを、唇に触れさせてきた。


「ほれ。口、あけろよ」

「自分で、食べれる、ですよ」

「瓶、持っているだろうが」


 師匠のおっしゃる通りなんですけど。フィーネとフィーニスが見ている前で、あーんはちょっとどころか大分恥ずかしい。

 結局、痺れを切らした師匠に、無理矢理突っ込まれてしまいましたけど。でも、これは!


「ぶるって、美味しい! ほどよい、甘味。蜂蜜とか、砂糖菓子、みたい」

「でしゅのー! でも、べとってしないかりゃ、ふぃーねとふぃーにす、だいしゅきなのでし」

「家に運んだ瓶、ウーヌスが使わない分を譲って貰え。二・三瓶はあまるだろうからさ。それで菓子、作ってやれよ」


 もしかして、師匠ってば最初からソノつもりだった? 滝に寄ってくれたのも、帰り際、フィーネが滝のこと言ってたから?

 じっと師匠を見つめるが、いつも通り「んだよ」と身を引かれただけだった。弟子として師匠を、大分わかってきたつもりだ。間違いないとは思うが、尋ねたところで素直に教えてくれる可能性は低い。


「ありがと! あとで、ウーヌスさん、お願い、してみる!」


 ここからお願いするには、ちょっと距離があるから。ウーヌスさんの気を散らすのも申し訳ないので、作業が落ち着いた頃合を狙って声をかけてみよう。


「フィーニス、フィーネ。みてみて?」


 手に持った瓶をフィーネとフィーニスに翳すと、ぐみゃりと姿を変えた。

 二人の方から見た私も同じようで、愉快そうな笑い声が耳をくすぐってくる。自分の目に近づけて大きく開くと、フィーネとフィーニスの尻尾がぴんと伸びた。ふふ、驚いてる。


「あみにゅが、ぽよーんなのぞ!」


 ややあって、二人が鼻をくっつけて舌を伸ばしてきた。べーって、可愛い! フィーニスが目尻を引っ張ったのを、フィーネも真似る。


「こらー!」


 両腕を突き上げて怒った振りをすると、二人は声を揃えて逃げていった。


「ふみゃにゃー!」


 ぴたっと止まって振り返ってきたので、もう一度同じようにする。と、けたけたと笑って川の方に飛んで行ってしまった。興奮した様子でくるくる旋回しているので、しばらくは戻ってこないかも。


「ふふっ。嬉しいなぁ。私には見えてないけど、見えたみたいになる。きっとすごい綺麗なんだろうなー」


 見えない場所に想いを馳せ、口元が緩む。行きたいなぁ。

 瓶はポケットにしまう。ちょっと重いけど、戻ってきた二人を捕まえたいので、我慢だ。

胸に入れたら、見栄えが良くなるかな。

 ほくほく和んでいると、ふいに後ろから髪を梳かれた。大好きな指の感覚に、心臓が跳ね上がる。ななっ慣れないな。師匠に髪を梳かれるのって。


「なぁ、アニム」

「なっなに、ししょー」


 手つきとお揃いに、静かな調子で名を呼ばれた。すっかり下りた夜の帳にも似た、師匠の声。心地よい響きなはずなのに、上手く呼吸が出来なくなってしまう。

 フィーネやフィーニスとじゃれていた時の温度差で、ひゅっと喉が鳴る。心なしか、風も冷たい気がする。


「お前さ。正直なところ、元の世界に……戻りたいと思ってるか?」


 静かな声。それに反して、胸を焦がすような視線に、鼓動がうるさくなる。全身が跳ねているみたいで、体が痛い。


「帰りたいか?」


 思いも寄らない質問だった。

 いや。自分を棚にあげてだとは思うのだけれど、師匠から直接的に聞かれるなんて、本当に予想外。しかも、言い直して二度聞かれた。普段の師匠ならない。


「え? ししょー?」


 それに、何故このタイミングなのだろう。

 花畑で私が消えたら寂しいかとぼやいた際は、根本的な問題には言及してこなかったのに。


「ど、して。いま」


 わからない。師匠がわからない。どうして、私が真剣な場面ではちゃかすくせに、こんな雰囲気の時に真面目な気持ちを口にするの?

 あっけに取られている私をおいて、師匠は躊躇いがちに口を開く。


「アニムが家族を大切に思ってるのは知ってる」

「じゃあ、なんで――?!」


 違う。師匠が私をわかろうとしてくれていることを、否定したい訳じゃない。それだけはしたくない。だって、彼は私をわかってくれた。何も持たない私を、理解してくれようと努力してくれた人だから。

 掴んだ師匠の腕。きっと痛いでしょうに、師匠は柔らかい眼差しで私を見る。


「オレが把握してない未練も、あるかもしれねぇ。けど、周りを考えてじゃなくて、純粋にお前だけの気持ちで考えたとしたら、さ。深く悩まなくていい。今の、直感で、いいんだ」


 軽い口調とは反対。師匠の視線は、私を射抜いてくる。身を焦がされるような、とても強くて熱い眼差し。けれど、一欠けらの揺らぎも、見え隠れしているような。

 だから、よけいに泣きたくなる。


「家族のことも、世界の壁も。何も考えない、私の純粋な想い」


 言葉にしたのは簡単だったのに。喉の奥で繰り返してあらためて、苦しくなった。

 何も考えないでいいなら、私は、私は――。


「わっわたし」


 ぎゅっと掴んだ師匠の胸元。涙目で見上げた先にいたのは、私以上に目を潤ませた師匠だった。吸い込まれる。アイスブルーの色に。

 今日、改めて実感した師匠への想い。そんなの、決まってる。私は、師匠が好き。大好き。

 ただ、純粋に想って良いなら、願っていいのなら、師匠の傍に――。


「私は、貴方の――」


 振り絞って出した声は、かさついていました。散々、好きや大好きは口にしてきたのに。

 ぎゅっと。師匠を掴んでいる片手、小刻みに震えている手を握ります。ひどく汗ばんでいる掌は、何の効力もはっきしません。それならばと、指を絡めますが大差ありませんでした。


「ただ、せめて、言葉にするの、許されるなら。私は、貴方の――」


 師匠がどう想ってるのかなんて、考える余裕はない。

激しく全身を揺るがす鼓動。血と体が楽器になったみたいに、耳の中が鳴る。


「ししょー、私は――」


 師匠の顔を見るのが辛くて、ぎゅっと体にしがみついていた。

近づく顔。鼻先がくっつく寸前、師匠の眉が激しくしかめられた。えっ、なんで?

 

「あー、もう! うっせぇなぁ!」


 えー!? 自分から言っておいて、なんたる仕打ち!! コントさながらの流れに、白目をむいてしまう。っていうか、リアルに昇天しかかってるんですけど!

 ぶっ倒れそうな私におかまいなし。師匠は思い切り眉間に皺を寄せて、頭を振っている。頭痛でもしているのか、額を押さえて奥歯を噛み締めているじゃないか。


「ありゅじ? ふぃーにすたち、うるさかったのぞ?」


 呆然と立ち尽くしていると、フィーネとフィーニスがすいっと戻ってきた。


「ありゅじちゃま、ごめんなしゃい」


 しょんぼりと全身で項垂れているフィーニスとフィーネ。自分の尻尾を握って、か細く鳴き声をあげちゃった。あぁ、抱きしめてあげたいけど、体はぴくりとも動かない。


「悪い、悪い。お前らじゃねぇよ」


 師匠は、バツが悪そうに二人の頭を撫でた。私は放置だ。

師匠もしゃがみこみ、私の肩に添えられた手はしきりに撫でてくれているが。


「外からラスターの魔力が結界に叩きつけられてて、って、まじ黙れ、ラスター。もう、勝手に入って来い」


 って! 魔法通信ですか。ラスターさんからの通信が入ったデスか。

 へなへなと地面に雪崩落ちていく体。無気力状態だ。燃え尽きたぜ。今なら灰になってお空に舞い上がっていけるよ。

 崩れ落ちていく最中、視界の端に映った師匠が、あちゃーと言わんばかりに天を仰いでいた。

 っていうか、それは私の台詞だ。意を決して告げようとしたのに。ほんと、泣きたい。

 ちなみにセンさんやラスターさんなど、旧友さんたちは自由に結界に出入りできるはずなのだ。もちろん、師匠にわかるようにだが。わざわざ連絡を入れてきているということは、よほどのことがあったのだろう。


「あー、アニム。わざとじゃ――」

「ちょっと! ウィータ!!」


 師匠が私の前に膝をついた瞬間、魔法映像が現れた。すごい音量だ。

 師匠は耳を塞いで俯いている。耳元に近かったので、相当なダメージのようだ。


「にゃんじゃ! 耳、きーんって、痛いのぞ!」

「うるちゃいのでしゅぅ。魔法、びびびって変な流れにゃのー」


 フィーネとフィーニスも、耳を思い切り押さえて悶えている。可哀想に。手招きすると、すいっと首に抱きついてきた二人。背中を撫でると、涙目でさらに擦り寄ってきた。両手を自由にしておいて良かった。

 魔法映像には真紅の髪と瞳をした、美人さんが映っている。でも、般若顔負けの表情だ。


「ウィータってば、ずっと気がついてたんでしょっ! 無視こいてるんじゃないわよ!」

「ラスターさん、こんばんは、デス」


 師匠の代わりに、ご挨拶申し上げました。私、弟子っぽい。

 青筋を立てて怒鳴っていたラスターさんの表情が和らぐ。魔法映像に張り付いて、微笑んでくださった。周りに薔薇が咲いたと錯覚するほど、美麗な笑顔だ。

 

「アニム、変な顔」


 見とれた私の頭を、師匠が変な顔で掴んできた。っていうか、痛いよ!!

 よっぽど愉快な顔だったのだろう。すみません。ぎゅっと下唇をはんで、間抜け面を引き締める。


「アニムちゃん! 熱は下がったのね? 心配したんだからー! でも、地面に座り込んじゃったりして、まだ調子悪いんじゃないの?」

「その節は、ご心配、おかけしました。もう、大丈夫、です」


 早口で捲くし立てるラスターさんに、深々と頭を下げる。フィーネとフィーニスは、てててっと肩に移動してくる。

 たった今、精神的負傷を追ったばかりなのは、内緒にしておこう。


「って、アニムちゃんも気にかかるけど、そうじゃなくって!」


 ほっと肩をおろしたラスターさんだが、再び、汗を飛ばしながら魔法映像を叩き出した。物質でないはずの魔法映像が跳ねている気がするほど、切羽詰まっていらっしゃいます。

 さすがの剣幕に師匠も可笑しいと思ったのだろう。面倒臭そうに首筋をかきながらも、溜め息混じりに映像に向き直った。ちゃんと私の手も引いて立ち上がらせてくれたのは、さすがだ。


「んだよ。お前こそ、今日来るなんて聞いてねぇぞ」

「悠長なこと言ってないでよ! 侵入者がいるわよ? あんた、なんの気配も察してないの?!」


 ラスターさんの一言に、緊張が走った。離れた場所で屈んでいたウーヌスさんも、すくりと立ち上がり、こちらを伺っている。

 ラスターさんが狼狽(ろうばい)しているという事実が、単なる侵入者でないのを嫌でも知らせてくる。それでなくても、師匠が本気で気がついてなかったとしたら、それだけでも大事なのは、私にもわかる。


「まさかっ! 俺だけでなくウーヌスや契約精霊たちまで気が付かなかってことだろ。ありえねぇ!」


 師匠が驚愕のあまり、目を見張っている。

 何かを見つけたのか。ラスターさんは、水晶の森の中を駆け出した。


「そのまさかよ! 間違いなく、見たのよ。水晶の森側の結界から、禍々しい傀儡(かいらい)が侵入していくのを! 今、後を追っているわ!」


 傀儡(かいらい)

 式神本を読んだ時、一緒に書いてあった。この世界でいう式神とは、創られたモノとはいえ魂となる核か本来の意味での魂を持ち、『肉体』を与えられた存在だ。

 傀儡とは、魂を持たない『単なる物質を器』とした操り人形らしい。独立した意思の有無もあったっけ。動物を使役する使い魔とも、存在自体が特別な命である式神とは違う存在。いわゆる禁忌に近いと聞いている。

 詳しい知識はないけど、確か大体こんな感じなはず。


「くそっ! オレとしたことが、こっちに集中しすぎていたとはいえ、気がつかなかったなんて! いや、それより、侵入者を捕らえる方が先か」

「あんたねぇ、何してたか知らないけれど。ともかく、早く来なさい! 水晶の森の近くよ!」

「わかった。すぐ行く。しかし、どうやって侵入してきやがったんだよ。気配もしやしねぇ」


 師匠は苦々しく吐き捨てながらも、手際よく魔法杖を練り上げていく。

 眩い光を放って姿を現した魔法杖。師匠は力強く振り下ろすと、結界全体が低い唸りを鳴らした。木霊していく音は、おなかの底に響いてくる。

 さらに、私たちが立っている場所にも魔法陣を描く。花畑一帯に広がっていった魔法陣は燦然(さんぜん)と輝くと、地面に染みていくように消えた。


「結界にょ?」

「お花畑のまわりだけ、ちゅよくなったのでしゅ」


 フィーニスとフィーネが、ふんふん鼻を動かした。二人は匂いで魔法がわかるんだよね。師匠は、緊張をそのままに頷いた。

 結界を越えてきたのに、師匠が存在を捉えられない侵入者。


「水晶の森から侵入してきたなら、お前らはここにいた方が安全だろう。オレが迎えにくるまでは、何が見えてもここから動くなよ」

「ししょーも、危険、いうこと?」


 戦えないどころか他者の魔法に弱い私が傍にいたら、師匠も満足に戦えないの明白だ。けれど、アラケルさんと魔法戦をした時の師匠は、もっと余裕綽々だった。命をかけてはいない戦いだったとはいえ。

 だから、何が見えてもが指すモノが激しい魔法戦なら、師匠も無傷ではすまないかもしれない。今日一日の幸せが死亡フラグだったなんて、嫌だ!

 って、私、そんな軽い問題ではないですよ。あぁ、突然襲ってきた脅威(きょうい)で、頭が回らない!


「オレは大丈夫だ。ただ、どんな手法を用いたにせよ。オレに悟られずに結界内に潜り込んできたってことは、相当は使い手なはずだ。そんな奴の前に、お前を連れて行くわけにはいかねぇからな。魔法的にも……弟子的にも」


 柔らかい笑みで、何度も頬を撫でられた。最後に、むにっと頬を引っ張られた。「おっ、やわらけぇな」とからかってくる師匠の口角は、意地悪げに上がっている。


「ししょーはいつも、そうやって、私を、優しさに隠す」


 じわりと涙が浮かんでくる。両頬に添えられる手をきつく結んで、唇をつむんでも。私が、師匠の役に立たないっていう事実は変わってくれない。


「いっ一緒に戦えなくても、辛さくらい、わかちあいたいのに」


 めそめそと泣く私は、迷惑この上ないだろう。

 でも、目の前の師匠は思いっきり笑った。


「ん。わかってる、アニムがそういう奴だってのくらい。だから、ちゃんと戻ってくるよ。前がいてくれるから」


 柔らかい唇が涙を零す瞼に触れる。


「・・・・・・ちゃんと、戻ってきてくれる? 私たちの、ところに。ちゃんとってのは、ししょー、傷ないことだよ?」


 師匠を信じて、私は足を引っ張らないように、考えるのが私の仕事。なら、私がやるべきなのは、師匠を引き止めることではない。


「あぁ。アニムや――お前や子猫たち、ウーヌスに怒られそうだからな。情けないって」


 にかっと笑ってくれた師匠。冗談交じりだけど、その音に嘘はないのがわかる。

 思いっきり目元を拭う。私も同じように、にひっと笑ってみせる。


「なら、がんばれる、我慢する」


 気を取り直して、力いっぱい頷く。師匠は、くしゃっと髪を撫でてくれた。何度か私の頭に掌を跳ねさせると、最後にくいっとほっぺたを引っ張られた。


「いい子だ。ウーヌス、アニムたちを頼んだぞ。異変があれば、すぐ知らせてくれ」

「かしこまりました」


 右腕を胸の前に翳したウーヌスさん。


「ふぃーにすたちも、がんばるのじゃ!」


 フィーニスは右前足を掲げ、フィーネは私に寄り添ってくれている。

 絡めたままの指は、白く血の気をなくしている。これほど身の危険を感じたことはない。自分が平和な枠の中で守られていたのだと、実感した。そうです。私もしっかりしないと。

 不安な様子を見せないよう、ぐっと顔をあげる。

 

「大丈夫だから」


 ぷにっと。師匠の唇が、私のそこに触れてきた。触れるより、ほんのわずかにだけ踏み込んだ感触。

 静かに瞼を閉じると、柔らかく唇をはまれた。


「ウィータ! あんた、あたしが見てるの知ってての所業?!」

「うっせぇな。やる気の補充だよ、単なる」


 何故か歯軋りしたラスターさんに、ひらひら手を振った師匠。

こんな緊迫した空気の中、恋仲周知ならともかく、師弟が唇を触れ合わせていたらイラつきもするよね! 当人にとったら挨拶程度とはいえ!

 師匠をおずっと伺うと、歯を見せて笑ってくれた。


「あんた、後で必ずしめてやるわ。嫌がらせしてやるんだから!」


 据わった目で睨んでいるのは、もちろんラスターさんだ。


「有言実行する力があるんなら、いつでも受けてたつぜ?」


 軽口をききながらも、師匠はしっかりと転移魔法の準備をしている。

 お二人のやり取りが、硬くなっていた空気を解してくれている。


「らすたーさんしゃん、おじゃまむしなのでし」

「あにみゅとありゅじは、らぶらぶなのぞ!」


 フィーネとフィーニスは、相変わらず鼻に皺を寄せて物凄く嫌そうな顔のままだ。っていうか、らぶらぶって!

 いやいや。可愛いお顔がもったいない。でも、そんな二人もキュートだけどね。


「ししょー、気をつけて! ししょーなら、ぱぱっと、だよね!」


 転移魔法に包まれた師匠を、可能な限り明るい声で見送らねば。

 ぐっと親指を立てると、師匠は魔法杖を握った拳を突き出してくれた。不適に笑ってくれた師匠。

 大丈夫。師匠なら、すぐ解決して戻ってきてくれる。


「おぅ、任せとけ! 腹も減ってきたし、早く晩飯食えるよう、張り切ってくるぜ」


 魔法の名残が消えると、静寂だけが花畑を支配していった。


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