引き篭り師弟と、南の森の花畑3―百年―
一歩、一歩と花畑に近づく度、心が弾んでいく。甘くて、でも爽やかさも混じった香りが体中に流れ込んできて。
まるで、フィーニスやフィーネにくっついているみたいに心地よい。
「あまい、かおり、だね」
浮足立って駆け出しそうになる度、師匠がぎゅっと手を掴んで自分の傍に引き戻してくれる。思いのほか強い力に、ふへっと奇妙に笑ってしまう。まるで、ここにいろって言ってもらっているみたいで、胸がどきどきしてぎゅうってなる。
「色んな花があるのに、香りとか色、けんかしてなくって、一緒が、嬉しいみたい」
「お前、本当に面白い表現するよな。そういう自由な発想するところは、お前の方が師匠だな」
からかうような口調とは裏腹な調子に、師匠の指が手の甲を撫でてくる確かめるように触れられて……頬が熱を持っていくのがわかる。
こっこの言葉と仕草のギャップは卑怯だよ!
いつもみたいに髪で両頬を隠したいのに、師匠に手を握られている上に風が髪を掬い続ける。ので、なるべく師匠と視線を合わせないように、っていうか顔を隠すために俯きがちに視線を横に逸らす。
「それは、ししょーが、そーしても、いいよって、言ってくれるから、だもん。今の私なのは、ししょーに、責任が、あるですよ」
そうだ、そうだ。私が臆さずにモノが言えるのは、最初に師匠が遠慮しないで思いついたことを伝えてくれって促してくれたからだ。
「だから、ししょーも、同罪なんだか――」
きりっと顔をあげた先にいたのは、ぼけらっと間の抜けた表情で固まっている師匠だった。私が心配になるほど、目を見開いている。
さすがに責任転嫁が過ぎたかと、おずっと師匠の袖を引っ張った。
「オレが、今のお前を?」
「え? あ、うん。ごめんですよ。別に、ししょーのせい、言いたかったわけじゃ、ないですよ」
言葉って難しい。
弁明するものの、師匠は長い前髪に目を隠して遠くを眺めだしちゃったよ。なんて言えばよかったの⁉
「あの、ししょー? って。わぶっ!」
折角の花畑で喧嘩するのは嫌だ。師匠の前髪を空いた手で払った瞬間、逆にもしゃもしゃを髪を揉まれてしまった。
抗議の声をあげようとくしゃくしゃにされる髪の合間、上目で睨めつけようとしたのだけれど。目に映った師匠の口元が、すごくすごく嬉しそうに笑っていた。だから、私もなんだか楽しくなって、笑ってしまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ひとしきり笑った後、再び花畑を目指して足を動かし始めた。
「ねぇ、ししょー。そういえば、南の森、外界に近い言ってたけどさ。結界の外も、実際、こんな感じ?」
手を繋いだままの師匠を見上げる。私より十センチは背が高い師匠。師匠を見るたび、空と魔方陣の不思議な光景が目に映る。
水晶の森は私が知る世界からかけ離れた環境と見た目だ。それと異なり、ここは草花がある知った環境に近い分、色々ギャップが激しい。
「結界内の方が特殊効果を持っている動植物が多いな。それに、外界に近いと言っても、空にある結界陣の影響や魔力の源に近いのもあって、光景や効能は水晶の森の比較にならねぇな。けれど、植物の見た目としては大差ない」
顎に指をあてた師匠が、うむと頷いた。
へぇっと、見開かれた目。純粋な驚きに心が躍る。外の世界も、早く見てみたいなぁ。いまだに、結界淵の川しか知らないし。
「じゃあ、この南の森、昔から、こんなに綺麗なの? すごいね」
目の前にあるグラデーションの花畑に、改めて感嘆の息が落ちる。元の世界でも同じ系統の色が移り変わる花畑やチューリップの色とりどりな景色を見に行ったことはある。けれど、ここは色鮮やかで、なのに繊細な色の移り変わりがあるのだ。
「まぁ、な。ここは特に、力の強い精霊もいるからな。ただ、結界をはり始めた百年前とは花の量も桁違いだが」
「へぇ。精霊さんいると、やっぱり違うですか」
「あぁ。いるだけでも、その存在値が動植物に影響することもある」
師匠の言葉に、また、へぇなんて声があがる。
師匠は私の感嘆の息に苦笑を浮かべた。実際に、つんとおでこを突っつかれた。
「アニムが読んでいた本にも書いてあっただろうに」
師匠の苦笑いに、私はふふんと胸を張った。師匠は訳がわからないと目で訴えてくる。
ちょっとわざとらしいけれど、私はちっちっちと人差し指を揺らす。
「ししょー、わかってないですよ」
「んだよ。わからねぇよ」
ぶっきらぼうに出てきた声。拗ねているような雰囲気に頬が緩む。
優越感とも違うこの気持ちはなんだろうか。ぎゅっと胸をおさえる。
すごく嬉しい。師匠が私のことをわからないって思ってくれて、拗ねてくれるのが。わからないって言うのに、それが寂しいと思わないのは、師匠がそれを伝えてくれるからなんだろう。
「ほら。ししょーが、そう言ってくれるから。私は、わかってないって、口に出せて、わかちあえて、嬉しいの」
笑えば師匠が固まって、それに驚いて、頬を撫でた風に自分がどんな顔をしているのか自覚して――今度は、めいいっぱいの笑みを浮かべていた。
握っている手を強く包み込むと、師匠は大袈裟なほど体を跳ねた。
「本で知っていてもね、肌で感じられる、嬉しいし。なにより、ししょーに、教えてもらって、一緒に、ここにいられるが、とんでもなく幸せなの」
きょとんと私を見てくる師匠に、追い打ちをかけるようにぐいっと近づく。そんでもって、にやりと笑ってやる。
「ししょーに、ここ、教えてもらえるのが、嬉しいんもん! この世界しるが、思い出に、重なるでしょ!」
ボキャブリーないなと思う反面、偽りもない。
へらへらと笑っていると、一歩前に出た師匠にぽんと頭を撫でられた。ここはもっと感銘を受けるところじゃないのかと思いつつ、否定しなかった師匠に十分満足だ。
師匠の隣に並びなおしても、彼はずっと先を見つめている。
「でも、百年かぁ……」
百年という歳月。
今の師匠は私を見ていない。それどころか、意識自体がずっと遠くにある。私は、師匠にこの世界を教えてもらえるのが嬉しいって言ったのに、それには無反応だ。
「百年前か」
呟いた師匠の瞳の奥には、私が知りえない過去の風景が映っているのだろう。
髪を舞い上げた風にひかれ、前を見ると、やはり色とりどりの花畑がある。静かな風に身を任せ、気持ちよさそうにそよいでいる花びらたち。
「きれい、だね」
百年前。師匠は、どんな思いでここにいたのだろう。
過去の記憶の中で、メメント・モリと呼ばれる一帯の結界は、『アニムさん』のために作れられたと聞いた。
私を隣に、師匠は違う『アニムさん』を想っている?
「あぁ。そういう意味では、本当に変わらねぇな。一番外界に近い魔法調整なのに、結界の最も重要な部分と繋がっている」
「重要は、水晶の森、です?」
「いや……確かに水晶の森は、百年前、オレがメメント・モリに戻ってきてからは重要な場所だが。それとは少し、違う意味だな」
懐かしそうに呟いた師匠を目の当たりにして、歳月の重みを突きつけられた気がした。
悔しくて。どうしてか、ほんのちょっぴり寂しくて。でも、私の前で昔を懐かしむ師匠が嬉しくって。
「でも、そうだな。百年前とは決定的に違う。……この、瞬間は」
口を開きかけたのと同時に、指の間に滑り込んできた熱。ぶつかったまま離れない腕。
ぱっと見た目、繊細で綺麗な師匠の指だけど、実際触れ合っているとやっぱり男の人らしい固さだ。
「百年、前。私は、まだ生まれてなくて、むしろ、この世界にはいなくて」
不思議なことだと、改めて思う。魔法がない世界からの転移は特に稀だと聞く。
ただ単純に、私たちが出会ったのが不思議だねって言いたかった。
「そう、だな……」
なのに、師匠に痛いくらい手を握られて、唇をぎゅと噛むしかない。
師匠は、すごくて、皆に尊敬されていて。私は弟子なんて言っても、とても足りてない。
でもね、この時だけは……流れてくる体温は、私だけのって思ってもいいのかな。どうしてか泣きそうになったのを堪えて、指の間に滑り込んでいるところをぎゅっと握り返す。
「んだよ。また、年寄りの回顧とか言うんじゃねぇだろうな」
ふつふつと沸いてきた百年前への嫌な嫉妬を、優しく解いてくれる温度。指の腹に力を入れると、ごつっとした骨に触れる。
子どものように拗ねている師匠。魔法を使役するかっこいい師匠も好きだけど、幼い表情の師匠も愛しく感じてしまうのは、惚れた欲目と言うやつだろう。
「違うの」
すぅっと吹かく呼吸をすると、甘い香りが肺に染み込んできた。
「百年前、も、私、こうして、ししょー隣、いたかったなぁって」
ぽろりと零れた本音。
口にしてすぐ、どれだけ師匠を好きなんだと、自分でも突っ込みを入れたくなる。師匠をロマンチストと笑えないじゃないかとか。私、物凄い告白をかましているんじゃないか!
「いやね、いたかったのは、ほんとだけど! いやいや、えっと!」
地面に視線を落としても、言葉にならない「え、あ、うぇ」という声が漏れるだけで、ちっとも冷静になれない!
涙目で空中をかくしかない。ばっと師匠の手から抜けたものを、子猫さながらに激しく振る。
「え、いや、あの。百年前の、ししょーって、どんなかなって。むしろ、子どものししょー、よしよし、したいなって! いや、私と、ししょー、生きる時間、違うけど! 私、赤ちゃん、みえるだろうけど!」
そうだ。師匠はもともと不老不死。周りの人たちだって、私とは違う世界どころか、違う時間を生きる人たちだ。
どうして、私、それを憂いている……の?
わかるのは、私の胸にある想いが確かなのに、言い切りるには曖昧だということ。
「お前は、オレを壊す気か」
離れようとした瞬間、師匠に強く腰をひかれた。そのまま、体に溶けるように抱きしめられた。思うより筋肉のある両腕に閉じ込められるように、抱きすくめられている。
後頭部を抱えられて、肩口に押し付けられている。
「え?! そんな腹筋崩壊、ツボだった?! 百年前の、ししょー、知りたいってのことが!?」
笑いで腹筋崩壊しそうなくらい、臭い台詞でしたか!
はい、自分でもわかっています。突っ込みいれるくらいには乙女臭い言葉でしたが、師匠でさえも笑い死に出来そうだったとは。ある意味、自分をほめてあげたくなりましたぜ。
けれど、今回は受けを狙ってのではなく、私的には真剣だったのも手伝って、冗談には変えられません。ぐぬ。
「あほ弟子が」
ぐいっと、強い調子で頭を抱き寄せられた。髪を滑った手と、唇であろう触れたぬくもりに、体が音を立てて固まる。
ずるい、ずるい。師匠は、ずるい。いつだって唐突に触れてくる。
「あほアニム」
「あっあほ、ないよ! 正直な、意見!」
ぴしっと、やけに背を伸ばして立つ私の頭に、師匠の柔らかい笑いが降り注いでくる。
わからない。私には、師匠の行動の意味が、わからないよ。
違う。意味不明なのは私自身だ。前は、師匠の一挙一動に疑問なんて抱かなかったのに、どうして、こんなにも不安になるのか。
「それにしても、なかなかのモンだろう。ウーヌスがここまで育てたんだぞ?」
その瞳のまま見上げた私を、師匠がくしゃりと撫でてきた。
師匠の誤魔化しはあからさまなのに、私に逃げ道を用意するからイライラする。
「ウーヌスさん、すごい!」
純粋な賞賛もあるけれど、肩を掴まれた強さに跳ねた鼓動を誤魔化すために、ひときわ大きな声を出していた。
やはり、煩かったようで。師匠がわずかに体を離した。残念な反面、鼓動的には良かった。
「恐縮です。ですが、これも全て、ウィータ様の魔力が成せる業です」
本日二回目ともなれば、もう驚かないよ? バスケットを抱えて、師匠の後ろに控えていたウーヌスさん。
「魔力が全てじゃないぜ、ウーヌス。お前が手間隙かけて育てたからだろう」
「ですです! 私のお母さん、花とか野菜とか、小さいスペースでだけど、育ててました! お母さん、言ってた。心込めて、可愛い育てる植物、一生懸命、育ってくれるって! 私、魔法効果、良くわからない。でも、魔力じゃなくて、ウーヌスさん、花大事思うも、十分、魔法思うですよ!」
師匠の言葉がお母さんとの思い出と重なり、心が躍る。それを置いても、ウーヌスさんは私の母に似ているから。
「魔法、ですか?」
静かな声色に、すっと背に冷たいものが走った。
ウーヌスさんは嫌な顔はしていないが、静かに瞬きをしている。
そうだ。『魔力じゃないけれど魔法』という考えは、ウーヌスさんの常識では、イコールにならない。
「つまり、ウーヌスさん、すごいってこと、で」
へらりと笑う。きっと、師匠も同じに違いない。
いえ、もしかしたら、この魔法が当然のモノとして存在している世界の中、だれにも理解されない考えかもしれない。
どうか、師匠と握り合った手から、動揺を悟られませんように。師匠は意地悪なようで、すごく気にしいだから。間違って召喚したことに引け目を感じさせたい訳じゃないの。
「ともかく、ウーヌスさんすごい、言いたかっただけ! ししょー、どれ摘めばいいか、教えて?」
何よりも。師匠に否定されるのが怖くて、つい誤魔化していた。
それに、懐かしいはずのお母さんとの思い出が、心の底から、薄暗い影を引っ張り出してきてしまうように思えた。
「だって、折角ね、綺麗な花畑来てるですから、ささっとお仕事して、のんびりしたいですよ!」
ウーヌスさんから、ちょっと無理やり気味に奪ったバスケット。何も入っていないはずなのに、重く感じられた。
鼻息荒く顔の前にバスケットを持ってきて、ひきつっている笑みを隠す。ずいっと師匠に近づくと、いとも簡単に横へずらされてしまった。
視線の先にいたのは、ちょっとだけ困ったように呆れ笑っていた師匠だった。
「魔力じゃねぇーけど、魔法ってのは、アニムならではの発想じゃねぇか。おもしれぇ」
くしゃっと髪をまぜられて、瞳が熱くなるだけで何も返事が出来ない。
師匠は、しれっとうそぶいているんじゃないから、余計に苦しくなる。
「私には良くわかりませんが、ウィータ様がおっしゃるならそうなのでしょう」
ウーヌスさんは可愛らしい調子で、軽く顎をひいた。
「ししょー、ありがと」
溢れてくる気持ちを一言に乗せると、師匠はにかりと笑い返してくれた。
嬉しかった。嬉しい、私……。
私の拙い言葉では伝えられない気がして、師匠にそっと寄り添っていた。ちらりと上目に師匠を見ると、逸らされた目。
けれど、わずかに露出している白い肌に色がさしていたので、また嬉しさが増していくばかり。
************
しばらく、柔らかい風に吹かれながら寄り添っていただけれど、ウーヌスさんが静かに森へ向かっていったのが合図になり、師匠が額を小突いてきた。
「じゃあアニム、頼んだぞ。薄いもの濃いのも均等になるように、適当に摘んできてくれ。花の種類はとわねぇから、ひとまず籠かごいっぱいに頼むな」
随分とざっくりした指示だけくれた師匠は、早々にマントの上へ寝転がった。
子猫たちみたいな可愛い欠伸をして、あっという間に瞼を閉じてしまう。それはいつもと変わらない態度なので、気にはしない。むしろ、任されているようでやる気が出る!
「了解です! でも、指示が、結構おおざっぱ」
「主で使う花は、ウーヌスが果樹のてっぺんに取りに行っているからな。あとは、あの花畑に咲いているモノなら、どれでも効果は出る。ただし、量がモノを言うしから頑張れよ」
花畑と反対側を見上げた先には、密集している樹たちがある。こちらも様々な実が、たわわになっている。南国フルーツみたいなものもあれば、始めて見る、ふわふわしてそうなモノも。
フィーネたちが好きそうだ。実際、小さい体に大きな果物を抱えて、お土産を持ってきてくれたことがあったっけ。梨みたいな外見なのに、みかんのような甘酸っぱさがあって、驚いたなぁ。
「アニム、よだれ垂らすなよ」
「果物、美味しそう。よだれ垂らさず、いられますか!」
「……乙女言いまくったのと、同じ口から出た言葉とは思えねぇな」
お師匠様、それとこれとは別問題ですよ。食欲旺盛なのは、素敵じゃないのとは口にせず、片口をひっぱり、可愛げなく歯を見せておいた。
瞼を閉じていた師匠が、計ったようなタイミングで起き上がったので、ばっちり見られてしまったけど。
「私、ひたすら摘んでくる。じゃあね、ししょー」
「じゃあでなく、せめて行ってきますと言え。さっきも言ったが、花畑の花たちには不思議な特性があって、歌いながら摘まねぇと枯れちまったり色が変わっちまったりするからな。っても、音程は関係ねぇから、外してても問題ねぇとは思うが。ウーヌスは歌苦手だから、弟子の腕の見せ所で頑張れよ」
「一言、多い! 説明、長い!」
師匠、もしかして、適当で問題ない仕事という点に、私が落ち込んだとか思ってフォローしてくれたのだろか。。
大丈夫ですよ、師匠。私は自分が出来ることを、精一杯頑張りますから。
心の中だけの呟き。
その代り、顔には思い切り笑顔を浮かべておく。
眠そうな瞼の師匠が口を開きかるが、言葉が出る前に花畑へ足を踏み入れてやる。
「アニム、調子に乗って、戻れないくらい遠くには行くなよ!」
「がってん! 迷子なる、自信あるから、気をつける!」
振り返って大きく手を振ると、師匠が「あほ弟子」と呟いたのが、口の動きでわかった。でも、呆れ笑いの師匠が可愛かったので、仕返しはしないでおいてあげる。
「頼むから、オレの目が届かないほど、離れるなよ」
「もちろんです! ちゃんと、ししょーのとこ、帰れる範囲で、動く!」
ガッツポーズをとるとようやく、師匠は心底おかしそうに笑ってくれた。
「いってきまーす」
「おぅ」
花を踏み潰さないように歩くのに、集中しよう。とりあえず、グラデーションが鮮やかになっている中心部まで行けば、薄い花も濃い花も詰めるもんね。実際花畑に足を踏み入れてみると、花の背丈には結構ばらつきがあるなぁ。色んな種類の花が、喧嘩せずに綺麗に咲いているってすごい。
「というか、歌って言われても。春らしい歌、学校習ったとか、好きな歌手とか、くらいしか、通し歌えないな。覚えてない言葉、あるのは、無理だし」
歌っていないと枯れてしまうのは、花畑の際に辿りついてすぐ、師匠が実践して見せてくれたので疑いようはない。
「師匠ってば、歌までうまいとか、ほんとチート」
枯れた花には、師匠が魔力を注ぎこんで、元の綺麗な状態に戻したいけど。師匠いわく今回は、花が咲いている段階の魔力で収集して欲しいそうだ。
「まっ、いっか! 片っ端から歌う。足りなくなったら、作詞作曲アニムで!」
花から零れるほのかな甘さと、ぬけるような青空。水晶の森よりも透明に近い魔法陣を挟んだ空は、虹の欠片を零しているようにも思える。
「おぉ。ちゃんと、ししょー言う通り、花と茎の間、軽く捻ると、容易にもげる!」
椿の花が、ぽとんと綺麗に落ちる状態。コサージュみたいで、可愛い。
「茎に、すぐ、つぼみできる。すごい」
花がなくなった場所から、光の粒子が溢れてきて、やがて蕾つぼみになる。
摘ませてくれてありがとう、と音程をつけて蕾を突くと、葉っぱが揺れた。蕾から、七色の雫が可愛らしく飛び出てくる。シャボン玉みたい。
持っていた花弁に雫がつくと、みずみずしい実がつく。すごい!
気持ちをこめて花に接する、お母さんの魔法を体験した気がして頬が緩む。
「よーし、お花さん、アニム、誠心誠意、摘ませて、頂きまーす!」
バスケットを頭の上にのせて叫ぶ姿は、全くお花畑に似つかわしくないと思うけど。ご挨拶ということで、許してください。
花が風に吹かれたかと思うと、ちょっと先に見慣れた小さな尻尾が見えた。私が動くより先に、お花の中からひょこっと愛らしい顔が出てきた。
「あにむちゃ!」
薄藤色の花に囲まれているフィーネが、驚きながらも目を輝かせてくれた。
「なにいっちぇる、ふぃーね。あにみゅが、ここにいるわけにゃいのぞ。それより、ちゃんと、そっち持たんかい」
やや離れた場所から、フィーニスが溜め息混じりに出てきた。ぷりっけつが! 頭より先にお尻が見えいるよ、フィーニスってば。
「よっ妖精がいる! 子猫の妖精です!」
雪洞ぼんぼりのような花に囲まれている二人は、さらに愛らしさが増している。
「フィーネにフィーニス、お散歩?」
「わーい! ふぃーね、あにむちゃのおうた、しゅぐわかったでしゅ!」
背中の羽を広げて、フィーネが飛びついてきた。両手でキャッチして抱きしめると、嬉しそうにぺろぺろ顔を舐めてくれる。それでも足りなかったのか、肩に乗って、擦り寄ってくれた。
「あにみゅ、ありゅじも一緒なんじゃろーにゃ」
フィーニスは相当いぶかしんでいるようで、ゆっくりと羽を動かしている。が、フィーネにしたように抱きかかえると、照れくさそうに鳴き声をあげた。
「もちろん!」
フィーニスってば、保護者の目になっているよ。頷いてなお、ぴしっと、短い手を突きつけてくる。
言葉だけでは足りないようなので、頭にフィーニスを乗せて、草原の方を見せてあげる。鮮やかな色の空間では、師匠の黒い服は逆に良く目立つ。
それでようやく、フィーニスも力を抜いてくれた。
「私、南の森、来れるなったの! 今日は、お仕事だけど」
「しゅごいね、しゅごいねー! ふぃーね、今度ね、あにむちゃといっちょに、花びらの滝で、遊びたいでしゅ!」
垂れ耳をぱたぱた動かして、興奮した様子で飛び回るフィーネ。
「ふぃーにすだって、特別に、木苺の場所、つれてってやるのぞ! ありゅじにだって、内緒にゃのぞ!」
フィーニスはちょっと怒った口ぶりで、額を叩いてくる。
めいいっぱい喜んでくれるのにも、照れ隠しにも頬が緩みっぱなしだ。
「花びらの滝も、木苺も、たのしみ!」
花びらの滝とは、ここよりもうちょっと先にいった場所にある滝で、水の変わりに花びらが流れ落ちているらしい。しかも、普通の花びらと違って、ぷるぷるしているとのこと。ゼリーみたい。果実みたいに食べられるらしい。
「おまかせなのじゃ!」
「フィーネもフィーニスも、ありがと!」
私以上に喜んでくれる二人。ぽっと、心があたたかくなる。
この花、お菓子や紅茶にも使えるか、あとで師匠に聞いてみよう。可能なら、二人にお礼で何か作りたい。
なおのこと、はりきってお花摘みしないと。気合を入れてしゃがむと、フィーネとフィーニスも地面に降りたった。
「今日は、あにむちゃのお手伝いするでしゅ!」
「おはなつみ、がんばりゅぞ!」
「ほんと? 心強い、ありがと。じゃあ、お花さん、フィーネとフィーニスも、一緒させて、ください」
私が花の前で手を合わせると、二人も前足を合わせて「んにゃ」とポーズを真似た。
嬉しいやら可愛いやら! 口ずさむ歌のトーンもあがる。
「うななー、うみゃみゃー! あみにゅーと、うななーぞー」
「にゃうにゃうなー! あにむちゃーのーおてちゅだいー!」
フィーネとフィーニスの舌ったらずな歌が風にのる。高く鼻にかかった甘い声に、この上なく癒される。きらきらと。空の魔法陣を含んで降り注ぐ日差しも、この上なく綺麗に思える。
このまま夢の世界に旅立ったら、間違いなく幸せいっぱいお菓子の国の主人公だよ。なに、この天国。
「幸せ―花摘みー」
「しゃーわせー、でしー! おいちい、お花―でしからーごはんー!」
とはいえ、二人のピンク肉球で、茎を捻って詰めるのかなと心配してみたり。
ですが、稀有だったようだ。二本足で立っているような姿勢の二人が、てしっと花弁を挟むと、花の方が進んで茎から離れていった。
可愛いもの同士、通じ合うものがあるんだろう。うん。可愛いは最強。
花摘みを開始した途端、真面目な顔になったフィーネとフィーニス。
そんな二人を見習い、私も茎を掴んだ。




