引き篭り師弟と、日常風景
異世界にきてから早一年が過ぎようとしている。
『大学二年生だった私も、もう十九歳かぁ。もしかしたら、もうすぐ二十歳かもしれない。ここの暦って十三月の毎月三十日だし』
日本語でしみじみしながらも、今日も今日とて、平和で勉強の日々だ。
そんな私が今、なにをしているかというと……元気に木登りをしている。もう一度言わせて欲しい。魔法使いの弟子なはずの私、木登りをしている。
「木登りさせて、自分、くつろぐひどい! ししょーも男、木登りくらい、頑張れ!」
美しい水晶の森に、刺々しい声が響き渡った。ほぼ真下に向けたとはいえ、自分の叫びながら煩い。
魔法使いである師匠と魔法が使えない弟子の私が引き篭っているのは、水晶の森だ。名前の通り、地面も樹も薄い水晶に覆われている。私が腰掛けている樹の大きな枝だって、もちろん。なので、反響がはんぱない。
「ちちっ! きゅう」
「あっ! 待って、ごめんです!」
あぁ。なんということだ。隣で水晶の実を頬張っていた小さな動物たちが、一斉に逃げていっちゃったじゃないか。首元もふもふの子リスちゃん、ごめんなさい。
もっとあのもふもふに指を突っ込んで、あったかさと柔らかさに癒されたかった。
「あとで、謝る。ただでさえ、外界出る無理。お友達、少ない。嫌われるは、やだ」
なくなった癒し成分たちに、ため息が落ちる。ついでに、自分の片言にも。この世界の言葉で話せるようになっただけでも、進歩なんだけどね。
私がいる樹から数歩だけ離れた位置でお茶をしている師匠は、一人優雅。おまけに私の方は向いていない。
「もう。ししょーってば、わざわざ、私、見ないよう、横向いて。せめて、正面、向いてくれる、いいのに」
師匠は横顔も端正だ。はっきり見えなくても、色素の薄いレモンシフォン色の髪や白い肌がオーラを放っている。
反して身につけているのは真っ黒の魔法衣。裾や袖も長いし、重ね着だ。とても暖かそうでございますね。私はシフォンスカートに生足で、肌寒さに耐えているというのに。
「雨や雪、多い森で、晴れは貴重、わかる。だから、私も、まざりたい!」
家の前に円卓を置いて、紅茶を飲むこと。それが数少ない師匠の楽しみなのは、重々承知しておりますよ。
だから、それ自体に腹は立たない。むしろ、嬉しい。私が淹れた紅茶を飲んでくれる時は一口目の後、必ず幸せそうに「うまい」って微笑んでくれるから。自分で淹れた紅茶は、淡々と飲むくせにね。
「ねー、ししょー! 聞こえてる、でしょー! 私、声大きいは、自信ある。元の世界でも、弟にも、よくうるさい、言われてた。特に、片耳でも、こっち、向いてる!」
魔力も特技もない私が路頭に迷わずにいるには、大変感謝しております。元を正せば師匠のせいだとは言え。
「とっとと水晶の実を集めりゃ、アニムだって飲める。頑張れよー」
師匠は、手元の魔法書から顔もあげず、掌をひらひらと振ってきただけだった。
「しーしょーうー」
ばしばし掌を打ち鳴らしてようやく、師匠は眠たそうな目を向けてくれた。くそう。まだ腰をひねっただけの姿勢なのが悔しい。
「うっせぇな。文句は、正しい文法で話せるようになってから言え」
「だって、異世界語、難しい! しゃべるは、苦手。聞き取りは、問題ない。ほめて!」
「あほ弟子を持つと、師匠は大変だ」
よくは見えないけれど、アイスブルーの瞳には、絶対意地悪な色が浮かんでいる。
師匠の口に放り込まれたのは、レモンシフォン。ふわふわのケーキと同じ色をした短い髪が、風にそよいでいる。
私の髪、ここに来た時には染めた茶髪だったっけ。今はすっかり地毛に戻り、黒くなっている。心なしか、紫が混じっている気がするのは、魔法の影響かな。とはいえ、濃いことには変わりなくて、師匠の綺麗な色合いは羨ましい。
「あほない! いえ、あほ、けど」
「じゃあ、アニムの取り柄は、若さだけだな」
好き放題笑って、師匠はさっさと大きな襟に顔の半分を埋めてしまった。
「どうも! ししょーは、若作りおじいちゃん」
「だれが、年寄りだ!」
毎度のことながら、師匠はおかしな部分に突っかかってくる。事実です、お師匠さま。
師匠の外見が少年と青年の間くらいとはいえ、実年齢は二百六十歳。不老不死らしい。おまけに出会ったころよりもかなり髪が短くなって、さらに若々しく見える。
あっ。乱暴に置いたティーカップから、紅茶が盛大に零れている。私のお気に入り茶葉なのに。もうストック切れていたはず。許すまじ。
「ししょー、紅茶、買いに行け! 引き篭り‼」
魔法に耐性がない私は、水晶の森から出ると肌に火傷というか痣のような傷が出来てしまうと聞いている。元々買い出しの雑用どころか、森の外に出ること自体、無理なのだ。
「……オレは引き篭りだからな。お前、自分で街に出掛けてこい」
師匠は口をへの字にして、思い切り顔を逸らした。しかも、腕を組んで「ふん」とか鼻を鳴らした。かっ可愛い。長女心が疼く。
っていうか、木下にまで近寄ってきたなら、手伝って欲しいなぁ。
「行けないは、ししょーが、一番知ってる。意地悪! 外、魔法含んだ空気、魔力ない私、身体に悪い。ししょー、チュウニビョウ! 変な森名、つけた、知ってる!」
「相変わらず意味はわからんが、悪口なのはなんとなーく理解出来るぜ。アニムはここの言葉も良く理解出来てねぇのに、名前の意味がわかんのか!」
隣に置いてある籠から、水晶の実を掴み。投げつけてやっても、師匠は余裕でよけやがりました。なんて大人げない笑顔。
悔しくて空を仰ぎ見る。目の前には珍しく青い青い空。雨が多い森では貴重な深い青に吸い込まれる。
青い空の手前には、七色の魔方陣。結界一帯をいくつもの魔方陣が取り囲んで、清涼な空気を保ってくれているらしい。
「異世界だって、実感する、景色なのに。当たり前、なってる」
胸が締め付けられて。痛みを誤魔化すために、もうひとつ実を投げてやる。
「雨や雪の毎日にも、晴れて、魔法陣見える日も、わくってして、でも、慣れて……私はなんて、薄情なんだろ」
実が、かちゃんと割れた音が耳に届く。視線を落とせば、青い玉が粉々になり、地面に吸い込まれていくのが見えた。
「おい、アニム。聞こえなかった。なんだよ」
いつの間に移動していたのだろう。木の下で腕を組んで見上げてくる師匠。いらっとしている語調だ。
でも、曲がりなりにも弟子暦一年。あれは心配してくれているって、わかる。師匠は意地悪なくせに、自分が知らないところで私が孤独感を抱くのをなにより嫌う。
「ししょーの、悪口ですよ! 引き篭り!」
師匠は百年程、自分が作った結界内に引き篭っているらしい。結界内といっても、その広さは大国に匹敵すると聞いている。前に引き篭っている理由を尋ねた際には、天才過ぎて外界では生き辛いからなと自慢げに言われた。
確かに魔法が全く使えない私にもわかるくらい、師匠はすごい魔法使いだと思う。
家電製品なんて存在しない異世界でも、私が元の世界の話をしただけで、次の日には真似たものを作ってしまうのだ。
でも、くれぐれも! その天才が術を失敗した産物が私なのは忘れないでほしい。
大体、自分が住んでいる森に『メメント・モリ』なんて付けちゃうって、どう考えても中二病。
「この前、センさん、聞きました。古代語『死を記憶せよ』なんて、自分でつけちゃう、チュウニビョウ」
べーと舌を出してやる。
師匠は、面倒臭そうに後頭部を掻いた。ものすごく苦々しい表情でございます。
さすが、師匠の数少ないご友人であるセンさんだ。師匠を黙らせるなんて、すごい。
「ちっ。昨日来た時か。アニムに余計なこと教えやがって」
「余計、ない。私、アニム、ない」
名前については、私も本気で文句を言ってはいない。理由が理由だし、なんだかんだと「お前」っていうよりは「アニム」って呼ばれることの方が多いので、なんだかほっとする。
軽い気持ちでむすりとしたのに、師匠の凛々しい眉が一瞬下がってしまった。すぐさま、きりっとあがったけど見逃さない。
「ししょー、あのね! アニムいう、名前、好きけど! そーいうの、なくて。えと」
「ん、わかってる」
師匠の返事に、ほっと胸が撫でおろされる。その反面、いつもより甘さを含んでいるように感じられる音に、心がざわめく。
私、変なの。
「そう! 本名も、大切、言いたかった!」
引き篭っている師匠の元に時々やってくる旧友さんたちは別だけれど、師匠は私が外界と関わるのを嫌がる。私が知識をつけていくのが気に食わないのか、ただの過保護なのか。
「それは何回も説明しただろ。異世界から来たお前の真名は、オレが預かっておくって。お前、ここに真名を捕らわれたら、帰れるものも無理になるんだぞ。最悪肉体だって滅ぶ可能性もある」
見上げてきた師匠の瞳が、思いの外真剣だったので、うっと、喉が詰まってしまう。きっと、先日センさんに聞かれた際、答えてしまいそうになったのを、まだ怒っているのだろう。
センさんは「独占欲って醜いよ」と言って私の肩を抱き寄せてきた。師匠は、単に言い付けを守らなかった私に、かちんときているだけなのに。
「アニム、返事は!」
「はーい、はい。がってんしょうちのすけ」
「……それも、センか。変な言葉ばっかり、覚えやがって」
木から離れた場所に置かれた机に目を向けると、魔法書の下にノートらしきものが見えた。
普段口の悪い師匠が、私にはできるだけ綺麗な言葉や使用頻度の高い単語を教えようと書き纏めた、教育研究ノート。すみません、この間掃除していて落としちゃった時、見ちゃったんだ。なんだか難しい単語ばっかりだなとは思っていたんだよね。おかげで助詞はあまり使えないけど。
『ツンデレめ』
「はぁ? 故郷の言葉は極力使うなって言ってんだろうが。異質な言霊は、異質なモノも呼ぶって教えたはずだ」
師匠が顔を歪めた。師匠はどんでもない魔法使いなので、脳神経を介してどうたらこうたらで、私の世界の言葉も理解できてしまうらしい。うっかり日本語でも愚痴は言えない。
『私としては異質な言霊に呼ばれてくる異質なモノが、もしかしたら元の世界へ戻してくれるかもとか想像できるわけですが』
水晶の実が詰まった木籠を抱えると、わずかに香ってきた青い匂い。水晶が発する綺麗な匂いも嫌いではないが、私はやっぱり植物の香りの方が安らぐ。
『もう、一年たってる。元の世界に戻っても、大学留年しちゃってる』
足をばたつかせて不満そうに呟いた私を、師匠は睨みあげてきた。口をへの字に曲げて仁王立ちしている様は、童顔とはいえ迫力がある。
『聞こえないんだよ、あほ赤ん坊が』
減らず口の弟子に苛立っているのは、一目瞭然。怖い。色素が薄くそこそこ整った顔をしている師匠が怒ると、冷や汗をかいてしまうよ。
「わっ!」
背を丸めて降参の意を示そうとすると、ふわりと浮遊感に包まれた。実際、目の前の景色が変わっていく。二階建ての大きな石作りの建物の屋根が見えたかと思うと、今度はすーと地面が近づいてきた。
どうやら師匠が魔法を使ったようだ。宙に立った状態で下へ降りていく。風がスカートの下の腿を撫でてきて、少し肌寒い。
「ししょうー、魔法使う時、ちゃんと言って」
「うっせぇ」
師匠の口癖だ。柄が悪い口調だけれど、大抵耳を染めているので、どちらかというと可愛く見えてしまうんだよね。私は、嫌いじゃない。
「なに、拗ねてるの?」
確かに師匠を怒らせるような反発をしたのは私だけど。今の様子は怒っているというより、拗ねているように見受けられる。
師匠の肩に手を置いた状態で中途半端に浮いたままなので、そっぽを向いている顔は覗き込めない。レモンシフォン色の柔らかそうな髪だけが見える。猫の毛みたいで、つい触りたくなってしまう。猫は可愛い。
今も式神の子猫たちがいるけれど、とっても可愛い。癒し成分だ。冒険が大好きで、特に最近は結界内を飛び回っているので、あんまりお家に居ないのが寂しい。
「ね、ししょー? こっち、見て?」
気がつけば、師匠の髪をぐしゃぐしゃに撫でくりまわしていた。
あっ、やばい。睨まれた。
そう思った瞬間、ぐらりと身体が揺れた。最後の数センチだけ急降下した勢いに耐え切れず、たたらを踏んで尻もちをついていた。
下は水晶なので服に染みができることはないけど、その分お尻への衝撃は悶絶もの。絶対赤くなってる。
「ひどい!」
「アニムはまず、安全かつ楽に降ろしてくれたお師匠様に、礼を言うべきだろ」
「最後、安全じゃなかった!」
弟子の意地で、商品になる物が入った木籠は死守しましたとも。
師匠は口の端を三日月顔負けにあげて、私を見下ろしてくる。薄い色素の瞳が冷徹さを強調していますよ。今日の夕飯には、師匠が大嫌いな辛味きのこを入れてやる!
「明日取引に使う魔薬に入れる実が無事でなにより。あほ弟子にしては、上出来だ」
師匠はしれっと、私の腕から木籠を奪った。中身が割れていないのを確認すると、心底ほっとした表情に変わった。師匠の手にある実は、皹ひとつ入っていない。心なしか、いつもより嫌味っぽいなぁ。
実を守った私と、犠牲となった私のお尻に感謝して欲しい。お尻には、実際されたら変態だと罵るつもりですけど。複雑な女心です。独り言です。でも、嫌みのひとつくらい言っても罰はあたらないと思う。
「ししょー、思ってる。力強すぎる自分、人を、不幸にする。だから、結界の外、出ない」
「っかぁー! それもセンから聞いたのかよ。つーか、なにで今その話を――」
「出なくても、今まさに、私、不幸。お尻、痛くて、死にそう」
師匠の過去など知らないから、私には中二病的な台詞にしか聞こえないだよ。だって、言ってくれないし、知る術がないから、これぐらいの悪態は許して欲しい。
お尻を摩って立ち上がろうとすると、再び身体が浮いた。木籠が地面に置かれたのが確認できた。
「ししょー? 非力、無理しない」
「黙れ、あほ弟子」
恥ずかしさからの憎まれ口なのに、頭突きされた。
今、私は師匠に横抱きにされている。いわゆるお姫様抱っこ。
いや、ほんとに。もやしっこに見える師匠、無理されてギックリ腰になんてなられると、私の雑用が増えそうなんですけど。見た目が若いとはいえ、実年齢を考えていただきたい。
「でも、今日、朝ごはん食べ過ぎた、し」
普段は意地悪なくせに、ふいに甘やかしてくるから心臓に悪い。
「お前が食欲旺盛なのはいつものことだろうが」
「じゃあ、責任もって、落とさないでね?」
「なら、身動きせずに大人しくしてろ」
師匠は眠たそうな目のまま、家へと歩いていく。憎たらしいほど、普通の顔だ。ブーツと水晶が鳴らす音だけが、森に響いている。
遠慮がちに、師匠に頭を寄せてみる。なんだろう。安心するのに、鼓動は早くなっていく。どくどくって動く心臓が気持ち悪くて、めまいがする。
「あの、ししょー。やっぱり、重いは、ごめんです」
「あほアニム。なんつー顔で見上げてくるんだ」
目が合った師匠は、思い切り眉間に皺を寄せていた。
なぜに。重いですか。そんなにひどい表情していますか、私。身じろぎしたと頃で、玄関に着いてしまっていた。そっと、丁寧に降ろされたものだから。ざわめきが強くなる。
「ほれ。お前は先に戻って、夕飯の準備しておけ。フィーニスとフィーネも遊びから帰ってくる頃だろ」
「がってんしょ――」
「それはもう良い」
敬礼しようとすると、おデコにちょっぷを食らってしまったよ。暴力反対。
それでも、人として、運んでくれたお礼はしなくては。
「ししょー、ありが――」
「あぁ、そうそう。太ももの内側にある傷、木に登る時擦ったんだろ? ちゃんと薬塗っておけよ。アニムの体じゃ、後々面倒になる」
心配してくれているの? 照れくさいのか、目元から耳元が綺麗に赤く染まっている。うん? 照れくさい?
『師匠、見ましたね! このむっつり引き篭り変態魔法使い! そう言えば、胸に指が触れていましたよ!』
良く考えなくても。木の上から降りた時に、スカートの中がばっちり披露されていたんだろう。
「うっせぇ! アニムなんざ、赤ん坊みたいなモンだ! 色気づいてんじゃねぇよ!」
『うわぁ! 最低、最低! 師匠は赤ん坊のパンツに照れるんですか⁉』
折角、広い心で許してあげようとしていたのに。恥ずかしさのあまり腹の底から出た叫びは森に響き渡った。
私が生み出したこだまに、真っ赤に染まっていく師匠。
詰め襟で見えていないが、間違いなく首まで染まりきっているに違いない。いつもは眠たそうに半分閉じている瞳が、満月顔負けに丸くなっていく。
「あほ弟子が! 呆れてるんだよ! つーか、言葉!」
人を指さして言い逃げした師匠は、水晶に躓いた。どじっこめ。
ついでに、頭の上に鳥が落とした水晶の実がぶつかったので、良しとしておこう。