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引き篭り師弟と、静かな夜

 暖炉の前に置かれた長方形のスツールに座っていると、全身がじんわりと暖まってくる。


「はぁ、あったかい。幸せ。お湯も、ぽかぽか」


 体温を取り戻せた半分は、浸かったお湯のおかげだ。けれど、火の粉の匂いを伴っての暖炉は、また格別。

 ウーヌスさんが用意してくれたココアも、ほどよい甘さで美味しかったなぁ。


「なにより、ししょーの部屋、いるは、どきどき」


 ちなみに、私がいるのは師匠の寝室。私の部屋はアラケルさんに荒らされて使えない。とはいえ、うちは部屋数が結構多い。使っていない客間も日ごろから掃除はしているので、寝るのには困らないのだ。

 でも、今から暖炉に薪をくべていては凍え死ぬとか、夜が明けるとか理由をつけられて、師匠に半ば強制的に連れてこられてしまった。

 それでも渋ったが、「あんなことがあった後だ」と心配そうに呟かれては、折れないわけにはいかないだろう。


「私、全然、一緒良いけど。ししょーの、安眠妨害、したらダメ、思っただけだし」


 お風呂も、師匠の部屋にある簡易式のモノを借りた。猫足ユニット。今は師匠が入っているところだ。簡単な扉の向こう側で、師匠がって思うと、変にどきどきしてしまう。

 ぎゅっと両腕を抱きしめてみる。それでも足りなくて、両足を抱えこむ。お終いには、だるまのような姿になってしまった。

 紐を解いている髪をいじっていると、後ろから扉の開く音がした。


「後ろから見ると、奇妙な物体だぞ。小娘」

「ちっちゃくなる、あったかい。フィーニスたち、魔力使いすぎで、ウーヌスさんと一緒だし」


 顔だけ振り向くと、タオルで髪を拭いている師匠がいた。髪が濡れた姿は、やけに色っぽい。ランプと暖炉の薄暗さが作り出す陰影が、それを助長する。ちくしょう。

 ぷいっと前に向き直る。女の私より艶っぽいとはどういう了見だ。小一時間問い詰めたいけど、自分が小娘すぎるのを自覚するだけなのでやめておこう。

 そう言えば、師匠。いつの間に、私を赤ちゃん呼ばわりから小娘に変えたのかな。


「ほら、もうちょい前詰めろ」

「わっ!」


 背中に体温を感じて慌てて前に移動したのに、さらなる熱が密着してくる。元々大きめの椅子なので、スペースが半分くらいになっても両足が落ちることはない。けれど、この体勢は心臓に悪い。


「え、あの。ししょー。その、熱い」


 スペースを空けるために前に移動したはずなのに、師匠が後ろから抱きかかえてきた。


「悪い。つか、熱いってほどか? アニムの体、冷えてるぜ?」


 ついでに、師匠の両足に挟まれている。少しでも離れようと試みるが、ゆるく腹部に回されていた腕に触れてしまった。ぎょっとして身を引くと、自然ともたれかかる形になった。

 

「つまりは、ししょー、ちかい」


 前に流された髪のせいで、首筋が冷えていく。それよりも、お風呂あがりで一段と熱のある師匠の体に、心臓が破裂しそう。

 非難の色を混ぜての呟きは、あっさり無視される。


「んーそれより、オレ、脱ぎやすい服着とけって言ったよな」

「ひゃっ!」


 耳元に擦り寄られたまま囁かれて、おかしな声があがった。内容が内容なのに加えて、師匠の声がやたらと甘くて。ぞくりと、寒さとは違う何かが背中を走っていく。

 密着したまま視線をおろしているのだろう。師匠の髪が、露になっているうなじにかかって、くすぐったい。

 って、ちょっと師匠の言い方、間違ってないけど、なんか違う!


「うっ後ろファスナー、乾いてなかった」

「まぁ、オレは良いけど。ほれ」


 今身に付けている夜着は、胸元に絞りがついているワンピースタイプ。絞りのリボンを解かれると、一斉に冷たい空気が胸に流れ込んできて身が縮まる。その隙に、師匠の手が両肩を滑っていく。すとんと夜着が落ち、上半身がさらけ出される寸前。ふわりと厚手のストールが前に掛けられた。


「ししょー! 遊ばないで! 脱がせ慣れてる、やらしい!」


 急いでストールを掴んで胸元に当てると、何とか前を隠すことができた。

 後ろからは、押し殺した笑い声が聞こえてくる。かぁっと耳が赤くなっていく。これ、絶対にからかわれているよ。


「傷を見てやるだけだって。ストール渡してやった、紳士なお師匠様の気遣いに感謝しろよ」

「気遣いしながら、遊んでる! もがっ」


 振り向くと見えてしまいそうなので前を向きながら叫ぶと、口を抑えられた。反対側から覗き込まれて「夜中だぞ」と囁かれる。目元に触れる師匠の唇。ぎゅっと瞼を閉じても、熱があがっていくのがより鮮明になっただけだった。


「これで、ましになっただろ?」


 どうやらストールの端を後ろで結んでくれたみたい。まだ恥ずかしさはあるけど、脇に挟むだけの頼りなさからは救われた。


「……ありがと、です」


 もごもごとお礼を言うと、優しい調子で髪を撫でられた。それはそれで恥ずかしい。なんだか私だけが意識しているみたい。

 安心したのも束の間、指の腹が背中に触れてくる。


「暗いし、傷、あまり見えない、でしょ? 痛くない、大丈夫」

「明るい方が良いなら――」

「ダメ!」


 手摺に背中をぶつけた部分に、痣や擦り傷が出来ていないか確認してくれてるだけなんだけどね。じっと見られては、恥ずかしすぎる。ドヤ顔で自慢出来るくらい綺麗な肌なら良いけど。

 普通なら放っておいても良い程度の傷だけど、魂と肉体の存在が不安定な状態の私は、小さな傷にも気をつけなければいけないんだって。


「別に、とって食おうってわけでもねぇのに」

「一応、私、女だし。……堂々見せるほど、自信、ないし」


 最後の方は尻すぼみになった。

 私だって「隠すなんてもったいないでしょ、この美ボディ!」と胸を張りたい。どういう理由でも、好きな人に背中だけ晒すのって、落ち着かないよ。普段お手入れも行き届かない部分だ。


「アラケルさんにも、可愛げない、言われたばっかり、だし、自意識過剰、思われるかもだけど」


 俯くと、肩に触れていた師匠の手が、勢い良く離れた。


「あー、そっか、悪い。くそ餓鬼にあんな風に言い寄られたばっかなのに、考えが足りなかった」


 それは違う。しかも、私が気にしているのは自分が可愛げないってとこだ。師匠とはちょっと問題点がずれている。

 アラケルさんには多少乱暴に肩や腕を掴まれたけど、深く思い詰める程ではない。師匠の慰めで上書きしてもらっているし。


「怖いないよ! ししょー、嫌ない。悪い、ない」


 何より、同じ男性とは言え、師匠とアラケルさんを同列に考えるわけがない。誤解を解きたくて、恥ずかしさも忘れて振り返り、師匠の服を掴んでいた。


「そっそうか?」


 師匠は気圧されたように首を傾ける。

 むしろ師匠にはもっと触れて欲しい。裏のない師匠に、恋心を自覚した私が願うのは後ろめたいけど……それでも、師匠の特別でありたいと思ってしまう。それが決して、異性としてでなくても。

 両手を挙げたまま困惑している師匠の腰元を、きゅっと握ぎる。


「うん。ただ、男性に、こうやって、背中見られる、初めてだから。その、恥しいだけで。みっ水着は、別として」


 私があまりに強い調子で見上げているせいか、すいっと視線を逸らされてしまった。目が泳いでいます、お師匠様。

 勢いよく頷いたものの、言い訳の途中で、とんでもない暴露をしていることに気がつき、頬が熱くなっていく。捻っていた腰を戻し、手持ち無沙汰に夜着をいじってしまう。


「ラスターさんくらいなら、はりきって、見せられる、のにね!」


 ラスターさんの中身は男性だが、呪いでなる女性の姿はダイナマイトで美ボディだ。

 「ラスターさん、ラスターさん」と繰り返し呼んでいると、後ろの師匠の空気が若干変わったのを感じた。

 呆れているのか怒っているのか不明なオーラだ。いやいや、私にオーラを読む力なんてないはず、気のせいだろう。


「ラスターは男だっての」


 ぶすくれた声調で、やはり怒っていたのだと認識した。

 そんなに、嫌そうに吐き捨てなくても。本当に、師匠ってラスターさんに厳しい。仲は良いのに、どうしてだろう。

 

「ここか」


 つっと師匠の指が滑り、思わず背が仰け反ってしまった。しまったと思う隙もなく、今度は柔らかくてあたたかい感触が触れる。なっなんだろう。今度は反対に体が丸まる。


「やっぱ背中と肩、痣になってるな。でも擦り傷にはなってねぇから、大丈夫だな」

「ほんと?」

「おう。ちっと熱いかもしれねぇけど、勘弁な」


 師匠の体温が離れたかと思うと、背中と肩の一部がじりっと熱を持った。焼けるような熱さを、ストールを握りしめて耐える。

 

「ほれ。すっかり消えたぜ。あとは腕もだよな」


 右腕を取られ、左手だけでストールを抑える。頼りなさげな布が、いつ落ちてしまうかと思うと、ひやひやして治療の熱どころではない。

 が、当の師匠は別段気にしている様子もなく、淡々と腕にも治癒魔法をかけるだけだ。あっ、もしかしてこのストール姿は、このひやひやで治療の熱を怖がらないようにするっていう師匠の作戦だったのか!


「ししょー、ありがと」


 自意識過剰なのだと自覚した途端、変に意識するのがバカらしくなった。ストールで胸を隠すのはやめないけど、今度はしっかりと師匠の顔を見てお礼が言えた。


「……どーいたしまして。お前ってほんと、一歩進んで二歩下がるって奴だよなぁ」


 師匠の声も表情も、なぜか疲れていたけど。しみじみさは感じ取れなかったことにしておこう。下手なことを言うと、自分が追い詰められそうだから。

 夜着の裾に手を通して着直している間、師匠はベッドに枕やらを擁してくれていたようだ。


「もう日付も変わっちまったことだし、寝るか」


 すでにベッドに入って、こちらに背を向けている師匠。なんというか、もうこちらを見ません的な意思を感じるのは気のせいだろうか。


「そうだね。お邪魔しまーす」

「はいはい。小娘は色気がねぇ入り方するよな」

「ししょー、失礼!」


 自分が一緒に寝ろって言ったくせに、なんだか邪険な扱いをされている。

 「オレがわるぅございました」と返されて、一度はむくれて逆を向く。が、静かに師匠の方に転がってみる。師匠って童顔だけど、背中は大きい。

 ちょっと前まではキノコ狩りでも木の実拾いでも、ちょっと先にあった背中。それが、今夜は鼻先にある。


「おやすみなさい」


 ちょっとぐらいなら良いよねと、指の腹だけ背中に触れてみる。特に反応はない。なので、つい調子に乗って額を擦り付けてしまった。のが、いけなかった。


「おーまーえーなぁー」


 むくりと起き上がった師匠は、明らかにお怒りだ。ひぇぇと変な叫び声が出そうなほど。 実際、「ひょえっ!」とか声が上がってしまったわけだけど。

 じゃなくて。私も上半身を跳ね上げる。半目になってじりじり近づいてくる師匠。


「ごごごめんなさい。調子のったです。つい、ししょーの背中、目の前あるが、嬉しくって」


 謝ったはずなのに! がしっと掴まれた頬が、びよんと伸ばされている!


「アニム。お前は一回痛い目にあって、オレを警戒しやがれ」

「えっ。だって、ししょーには――」


 言い終わるより先に、瞼に口づけの嵐が降ってきた。それは鼻先や口横にも移動していく。軽く触れる程度だけど、いかんせん、頬を撫でる親指も、口づけの仕方も、優しい。甘いと勘違いしてしまうくらい。


「あっ、あの、ししょー、ちょっと、待って」

「嫌だって言ったら、すぐやめてやるよ」

「私は、いやでは、ないけど。ただ――」


 嫌とは言っていないのに、師匠は自分からぴたりと動きを止めた。

 ざっ残念とかは思って、いないことも、なきにしもあらずだけど。心臓が止まる。なんて息を吐いた瞬間。


「だー!! だから、お前は、もう! しらねぇぞ!」


 師匠は頭を抱えてのけぞった。さっき私に夜中だから静かにしろって言ったのは、師匠なのに。

 私の悪態が聞こえたわけではないだろうに。師匠はすぐに私に向き直った。そして、私の顎に手をあて、ゆっくりと近づいてきて……。私の柔らかいところと、師匠のそこがぐっと重なり合っていた。


「……殴っても、いいんだぞ?」


 近づいてきた速度と、同じくゆっくりと離れていった師匠。胡坐をかいて、両足首を掴んでいる。口の端はむすりと下げられているが、耳が真っ赤なので迫力はない。

 殴るって言っても、なんだか、いまいち実感が……。そっと唇に触れると、ちょっとだけ現実味がましてきた。


「殴りは、しない、けど」

「けど?」

「ししょー、こーいうのは、好きなひとと、するんだよ?」


 恐る恐る顔をあげると、すんごく変顔な師匠がいた。端正な眉が複雑そうに顰められている。


「オレ、結構ぎりぎりのラインの中で頑張っている気がするんだけどなぁ」

「ぎりぎり?」

「まぁ。ようは警戒心持てってことだよ。それに、オレはお前がいう『そういう人』以外にする習慣はねぇよ」


 師匠はすっかりいつもの眠たそうな目に戻っている。さっさとシーツの中に戻っていた。今度は仰向けだけど。

 まだ触られた部分が熱を持って心がざわついている私は置いてけぼり。師匠は、最初から少し悪戯をしたら引き下がるつもりだったのだろうか。


「だめだ。今日、色々ありすぎて、もう、考えられない」

「おぅ。オレとしてもひとまず寝てくれた方が、心が休まる」


 私が文句を口にする前に、師匠は掬い上げた私の髪をいじりだした。何かいいあぐねているようにも見える様子で。

 半乾きな私の黒髪が、つるりと師匠の指から滑り落ちた。それを眺める師匠は、少し寂しげだ。


「色々……近いうちに話さなきゃいけねぇことがある。だから、諸々は全部伝えられた時の褒美に取っておこうかと思ってさ」


 そう言って、師匠はにかっと歯を見せた。けれど、どこか力のない笑い方。

しんしんと振り続ける雪と、爆ぜる薪の音が、胸騒ぎを誘う。

 そうして、師匠は自嘲気味に笑った。


「全部を信じてもらえると思わねぇけど」

「私、ししょー信じない、有り得ない」


 即答だ。だってそうでしょう? 右も左もわからなかった異世界人な私の面倒を見てくれているのを別にしても、私のために怒ってくれたり、心配してくれたり、助けてくれたり、慣れないことをしてくれたり。自分のことよりも私の気持ちを真っ先に考えてくれる、そんな師匠が覚悟を決めて話してくれる内容を、どうして疑えるだろうか。

 私だって手放しに誰でも信用する訳じゃない。

 確かに私たちは出会ってまだ一年くらいだけど、一緒に過ごしてきた時間は濃密だと思う。師匠の人となりを、私なりにみてきた。


「だから、私、ちゃんと待ってる」

「ん、ありがとな」


 一瞬、目を見開いた師匠。ゆっくりと笑みを広げていった。それが泣き笑いに見えたのは、私の気のせい?

 気が付けば、思い切り師匠の頭を抱きかかえていた。何度も頭を撫でる。いつも師匠に貰っている安らぎを少しでも返したい。まだしっとりしている髪に、口づけを落とした。


「そういや、アニム」

「なに?」


 軽く背中を叩かれ、師匠の頭を離す。寝転んだまま向き合う形になると、師匠はこれ以上ないくらい、嬉しそうに目を細めていた。幼い顔が、より無邪気さを強めています。

 童顔にしては大きめな師匠の手が、頬を撫でてくる。大好きな手に、うっとりと擦り寄る。温度を確かめるように瞼を閉じ、堪能して瞳を空気に触れさせると。どあっぷの師匠の顔が飛び込んできた。


「にっ二回目⁉」


 数秒重なり合っていた唇。触れるよりは深く。口づけと呼ぶには曖昧な深さ。


「アニムは挨拶でするんだろ? だから、おやすみの挨拶。さぁ、もう寝ろ。お前、ちょっと熱っぽい」


 色々問い詰めたいのは山々だったけれど……結局は何も言えなかった。


「おやすみなさい、ししょー。ふわふわで、いい夢、見れそう」


 とろけそうな気持ちと頬を隠しもせず、師匠へ向ける。

 自分がしてきた癖に、口元を覆って「あーちょっと待て、オレ無理かも」とか意味不明に呟いた師匠を横目に、瞼を閉じた。

 どこか甘い香りに包まれて、あっという間に夢の世界へと旅立っていった。

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