引き篭り師弟と、魔法戦2
「じゃあ、始めるぞ。使う魔法の制限はなしだが、どちらかが失神または降参すれば終了。それに、グラビスが戦闘不可能と見做みなした場合もだ」
師匠が魔法映像に向かって、淡々と告げた。
今ある魔法映像は四つ。師匠とアラケルさんを映したモノが、二人に加えてグラビスさんと私の前にもある。テラスの前にある魔法映像はひときわ大きく、後ろも透けている。半分ずつ、師匠とアラケルさんが映っている状態だ。
「りょーかいっす。親父、年寄り魔法使い庇って、やわな怪我程度でとめんなヨ」
「馬鹿者! お前が泣いて降参を示しても止めぬわ!」
森を揺らす勢いの怒声が、グラビスさんから飛び出した。すごい。私の方が上にいるのに、耳が痛い。フィーネとフィーニスは、垂れている耳をさらに押さえつけるくらいだ。
「そんなコトより、さっさと合図しっろっての!」
アラケルさんは慣れているのか、気にした様子もなく右手を掲げた。この部類には、慣れてはいけない気がする。
「度胸があるのと、無謀なのは違うんだぜ?」
師匠がため息混じりに零したのは、呆れの色濃い声だった。
それにまた、アラケルさんの血圧が上がったみたい。アラケルさん、かっかしやすいよね、本当に。
「こら! まだ、合図を出しておらぬぞ!」
私が余所事を考えているうちに、魔法映像からアラケルさんが詠唱を始めているのが聞こえてきたじゃないか。フライング反対!
「いいさ。オレも年長者として、多少のハンデはやるよ」
「申し訳ございませぬ、ウィータ様」
グラビスさん、可哀想。今日、何度目の代理謝罪だろうか。とはいえ、ちょっと代わりに謝り過ぎもする。
アラケルさんを見ると、やっぱり悪びれた様子はない。それに、いつの間にか、精霊が腕を回していた。私に投げつけられた精霊よりも大きく、人間サイズ。すらりと長い手足がモデルさんみたいだ。綺麗すぎる顔に乗っているのは、とても冷たい微笑み。
グラビスさんはもう一度頭を下げると、そのまま深呼吸をした。すっとあげられるたくましい右腕。
「では――はじめっ!」
低音の凛とした掛け声が、吹雪に混じって森に木霊する。
「雪花に属せし氷結の精霊よ、オレに従え! グラキエイー・サルドニカス!」
グラビスさんの合図から間を置かず、アラケルさんの前にいる精霊の口から針状のモノが飛び出していきた。魔法映像を見ると、それが氷だと、はっきりわかる。
始めは小さかった氷針は、吹雪を取り込んで巨大化していく。師匠とアラケルさんの距離は三・四十メートルあるかないかくらいだけど、氷針はあっという間に巨木くらいの大きさになった。
師匠に突き刺さる! 咄嗟に、私は手摺りから乗り出していた。
「天候に見合った属性を使うのは基本だな。発動した後、吹雪を利用してさらに魔法を強化するって発想は、悪くねぇ。ただ――」
とんと、魔法杖の先が地面に軽く打ち付けられると、ドーム型の光りが師匠を包み込んだ。正面や頭上から氷の柱が光にぶつかった瞬間、水蒸気に変わっていく。
師匠を大きく取り囲んでいる光りは魔法陣のよう。レンズ状に歪んでるので、ちょっとわかりにくいけど。
「最初に発動した術と吹雪の癒着が足りてねぇから、こんな歪んだ防御魔法でも溶かせる」
「……今のは、準備運動だっつーノ」
あぁ、アラケルさん。負けフラグな台詞を言っちゃいますか。最後まで準備運動で終わっちゃいそう。
というか、魔法陣て歪んでいても効果があるんだ。
「さすが、ウィータ様! 通常は文字や円が乱れると効果が薄れるどころか術の発動自体が難しい魔法陣を!」
グラビスさんが興奮した状態で解説してくださる。
グラビスさんが師匠を讃賞したのに苛立ったらしきアラケルさんだ。まとわりついていた精霊を見もせず、腕を振り切りった。
「やだ! だいじょうぶなの、あれ?」
思わず、声があがっていた。
精霊は元々薄く透けていたので、実態ではないのかもしれない。少し眉間に皺を寄せただけで、すっと姿を消していった。
けれど、煙のようにとは言え、腕に切られた姿は気持ちが良いものじゃない。軽くこみ上げた吐き気。無意識のうちに口を覆っていた。
「いくりゃ、精霊界にじったいがありゅといっても、正規の手続きなくて、きょうせいてきに帰すは、きけんなのぞ!」
「でしゅでしゅ! まほうじんなしは、痛いのでち。おともだちの精霊しゃん、いっちぇたもん!」
フィーネとフィーニスは、低く唸った。下に垂れていたしっぽも大きく膨らんでいる。
ということは、アラケルさんは精霊を呼びつけておいて、もう不要だからと跳ね除けた。つまり、玄関からではなく谷に突き落として帰したっていうイメージだろうか。
「ひどい扱い。乱暴すぎる」
自分でも驚くほど、出た声には悲壮感が滲んでいた。あまりに痛切だったのか、フィーネとフィーニスが寄ってきてくれた。大丈夫との思いを込めて、二人の頭を撫でる。
「うなぁ」
「ありゅじなら、あんなこちょ、しないのぞ。精霊や――ふぃーにすたちにも」
精霊と式神は性質が異なると言っても、人とよりは近い存在。そんな二人には、もっと辛い光景だったかもしれない。
強く抱きしめると、小さな前足できゅっと腕を掴まれた。小さな体は、とくんとくんと、確かに鼓動を打っている。
「あったかい。こんなにも、あったかい」
嘔気に耐えながら魔法映像を見ると、ひと呼吸ほど師匠と目が合った。珍しく感情の伺えない瞳が印象的だ。
こちらの映像は師匠に見えていないはず。
「ちっ、使えねぇ奴。次こそ――」
「おい、くそ餓鬼」
ぞくりと、背中を悪寒が走っていく。全身が粟立つ低い声。師匠から出たとは思えない、冷たさしか感じさせない声は、音と表現した方が適切かもしれない。階段をあがっているさなかに聞いたモノより、一段と冷淡だ。
身を乗り出しますが、師匠の表情は前髪に遮られ、見えなかった。魔法映像もアングルが変わってしまっていて同じ。
「――っなんだヨ。つーか、くそ餓鬼って!」
固まっていたアラケルさんが、やっとという様子で眉を歪めた。
「うるせぇ」
が、すぐに師匠に口を噤まされた。
いつもの「うっせぇ」とは全く別モノに聞こえる言葉。平坦な発音は、まさに無表情。怒りさえ感じられない。
「お前の能書きは聞き飽きた。次は全力で来い。それで終わりだ」
師匠は、アラケルさんの返事を待たずに詠唱を始めた。なんか「ずりぃ!」とか聞こえたけど、魔法毎に仕切り直しをするルールではないので、全然問題ないとは思う。
っていうか、つい先ほどの自分のフライングを棚に上げて、よく言える!
「ししょー、急に、どうしたのかな?」
「やっぱ、あるじちゃまも、精霊しゃんかわいそう思ったでちよ!」
師匠はアラケルさんの抗議に聞く耳持たずと、しゃがんで雪の中に手を突っ込む。そうして、すぐに立ち上がった。何をしていたんだろう。
師匠は続けざまに魔法杖を体の前につき、瞼を閉じてしまう。
「いつもと、違う、言葉」
「でしゅでしゅ」
光りの玉がある杖先に額をあて、小さく口を動かしている師匠は、祈りを捧げているようにも見える。そう思えるほど、神聖な空気が漂っているのだ。
グラビスさんならわかるでしょうかと、わずかに手摺りから身を乗り出しみてる。すると、グラビスさんはひどく驚いた表情のまま、立ち竦んでいた。
「古代語……まさか、あれは!」
「古代語?」
グラビスさんから掠れた声が漏れたかと思うと、今度は全身を震わせ始めた。
と、眩いばかりの光りが視界を白くする。反射的に閉じた瞼を開けると、吹雪はやみ、しんしんと雪が降っているだけになっていた。
グラビスさんの視線を追ってみると。
「ししょーした、全部雪溶けてる!」
「きりぇーでしゅ」
「水晶のじめんに、はんしゃちてりゅぞ」
フィーニスの言う通り、めまぐるしく色を変えている魔法陣が、水晶の地面に浮かび上がっている。魔法陣は、結界を張ってくれた時のモノと比べると、格段に細かい模様で出来ている。しかも大きい!
「今度は、ししょー、小さい魔法陣に、取り囲まれてる!」
描写センスが残念だと自分でも思うけど、マンホール程の魔法陣が腕二本くらいの距離を保ち、師匠の周りで浮いている。
薄く瞼を開いた師匠が、深紅の魔法陣に手を翳した。魔法陣は、あっという間に師匠の掌に吸い込まれていく。
同時に、他の魔法陣は全て霞かすみとなって消えていった。
そして、師匠は再び瞼を閉じると杖の玉に触れる。その間もずっと、口は呪文を唱え続けている。
「アラケルさん、固まってる。大丈夫?」
はっとして、アラケルさんの映った魔法映像に視線を移すと、口を開けっ放しで震えていた。
師匠がアラケルさんの命まで奪うとは思えないけど、これはかなり危険な状態な気がしてならない。本能的に。
「こじょーはどうでもいいにゃけど、あとあじがわりゅくなるのはいやなのぞ」
「じごーじちょくでしゅけどね」
ある程度の魔法なら詠唱を必要としない師匠が、呪文を口ずさんでいる。しかも、古代語を。
とりあえず、グラビスさんの名前を思い切り叫ぶ。顔面蒼白なグラビスさんが、はっと大きく体を揺らした。
「いかん!! なにを愕然がくぜんとしておる、アラケル!! 一刻も早く、お前が使える中でも最高位の防御魔法を張るのだ!! 可能なら、いや、何重にもだ!」
鼓膜こまくが破けるのではと思う大音量で、ようやくアラケルさんに表情が戻ったようだ。けれど、彼がとった行動と言えば、突っ張った皮を無理に引っ張って笑みを浮かべるというモノだった。
「なっ……なんだよ、親父。ぼっ防御なんてするわけないじゃん? もち、攻撃魔法で反撃を――」
「お前、魂まで消滅させられたいのか!! あの術が何か悟れぬほど、魔法について不知ではあるまい!」
痛々しく引きつった頬で悪態をついたアラケルさんを遮り、グラビスさんが再度怒声をあげた。
視覚や状況判断ならともかく魔力のない私には感じ取れない部分の驚異を、彼らは肌で感じているのだろう。私の内側にも師匠の魔力があるらしいので、少しは感じるけど、それでもおふたり程ではない。
「フィーネ、フィーニス。大丈夫?」
「んにゃ」
式神である二人は、何かしら影響を受けているのかと心配だ。けれど、フィーネとフィーニスからは、しっかりとした鳴き声が返ってきた。ちょっと怯えてはいるようだけど、問題はなさそう。ひとまず、ほっと一安心。
かくいう私は、わずかにしか感じていない魔力で、足裏が地面に縫い付けられてしまっている。
「グラビスさん! 一体、なんの術、です?」
未だに顔面蒼白なグラビスさんが、ぎこちなく上を見上げてきた。
数秒だけ目を合わせていたけど、特に言葉は返ってこない。ただ白い息が吐き出されるばかり。
「あれは……」
グラビスさんがやっとの様子で声を絞り出した時には、師匠は掌を空に翳していた。頭上に紅色の魔法陣が現れていく。最初はひとつだった魔法陣が、四方八方にも出現する。私がいる二階よりも、上空に。
「自分も、実際目の当たりにしたのは一度だけですが……神聖さに隠れた惨憺さんたんなる力。魂の戦慄せんりつ。間違いなく、あれは」
グラビスさんの声がどこか遠くから聞こえてきていると間違うほど、師匠の魔法に目を奪われてしまう。
魔法陣同士の間に光りが浮かび、それが結ばれると――現れたのは六芒星。
ぽかんと上空を眺めてしまい、慌てて魔法映像を見ると、アイスブルーの瞳を空気に触れさせている師匠がいた。その色は、いつもより淡い色に見える。人という存在から離れている。何故か、そう思える程。
おもむろに掲げられていく魔法杖。腕が真っ直ぐ上空に伸びると、若干師匠の空気が和らいだ。
「くそ餓鬼、良いのか? オレには、お前が精霊魔法を使ってる気配は感じられねぇが」
師匠がわざとらしく呆れ顔を作っている間も、上空の魔法陣の前には巨大な炎が生まれていく。
グラビスさんも、大剣を地面に突き立て結界を張る必要があるほど、熱いようだ。周囲の雪はすっかり溶けて、吹雪は見る影もない。私たちは結界のおかげで、全く熱さは感じないけど。
「そっそれ……もしかして。嘘だろ。あんた、結界魔法を二重に張りながら、ソレも使えんのかヨ?! いや、見かけだけってことも……」
「ちなみに、魔法映像も全部オレが出してるなぁ」
アラケルさんは自分に言い聞かせるように、震える声を出した。次いで耳に入ってきた師匠の言葉で、雪に膝をついてしまう。
そんなアラケルさんに、グラビスさんが大剣を向けた。
「アラケル、まだ言うか! ウィータ様がどれだけ尊い魔法使いか聞かせたであろう。それに、あれは――」
「だって、あれは――」
アラケルさんとグラビスさんの声が重なった。
師匠は実に愉快そうな笑みを浮かべている。片方の口の端だけが、ぐいっと上がっている。大魔王降臨です。そのうち仰け反って、小指を立てながら高らかに笑い出しそうだ。あっ、違うのが混ざった。
ひゅっと誰かの喉が鳴る。
「アルス・マグナ――偉大なる術――」
師匠とグラビスさん、それにアラケルさん三人の声が綺麗にハモリった。
澄んだ空気に消えていった言葉。しんと、世界から音が無くなってしまったような錯覚。
「って、いまいち、わからないけど。とにかく、すごい魔法って、ことだよね。きっと」
魔法映像に映った師匠が、私の方、というか魔法映像に顔だけ向けてきた。こっち見えていたんだね。
どうしようか悩んだ挙句、拍手を送る。へらっと笑った女が拍手している姿は、お世辞にも素敵とは言えないだろう。
「よくわかんないけど、ししょーの魔法、きらきら、きれい」
フィーネとフィーニスも、私に習ってか、肉球を弾ませている。
「うななー!! フィーニスもフィーネも、わくわくなのじゃー!」
自分でも謎の行動だったのに、師匠はご満悦な様子。師匠ってば、にかっと歯を見せて笑いかけてくれた。さすがにピースはしなかったけど、ひらひらと、あいている手を揺らす。喜んでるのかな、ちょっと可愛い。
「ってな訳で、くそ餓鬼に三十秒だけやるぜ。いーち、にーい――」
「ちょいっ、まてヨ!」
アラケルさんは膝をついたまま、ようやく詠唱を始めた。小さく刻まれていく言葉。光を伴った指先で文字を描いていく。魔法陣にしていくというよりは、文字を上書きしていってる感じ。だけど、恐怖からか、思うようにいかないらしく、時折舌打ちをしている。
とっくに三十秒は過ぎても、師匠は動かない。脅すような台詞を口にしながらも、ちゃんと相手を待っていてあげているのは、さすが年上、お年寄り。
「あれじゃあ、上位精霊呼べても、まともに制御は出来ねぇだろうな」
「そういうモノ?」
「あぁ。最悪、反動で爆発したりしてな」
冗談だとは思うんだけど……。師匠が手を顎に添えて「くっくっく」とか笑い出しちゃったよ。魔法映像を挟んでも、はっきりとわかる笑い声。
そんな会話をしていると、アラケルさんの方から光りが放たれた。アラケルさんの顔には細かい傷が幾つも付いている。あれが制御出来ていない代償なのかな。
「おいおい。上位精霊と眷属を喚んだのはいいとして、眷属を防御にまわすなんて、命知らずかよ」
「アラケル! 全員を防御に使うんだ!」
「黙れ! 俺なら、攻撃と防御の両方ぐらい完璧に使えるっての!」
アラケルさんの周囲だけ、猛吹雪になっていく。やがて吹雪は白い帯状になり、アラケルさんをすっぽり包み隠してしまったた。ソフトクリームみたい。
けど、魔法映像が内側にあるおかげで、声も姿もばっちり見えている。
師匠が眷属と呼んだ小さくて薄紫色をした精霊。ソフトクリームの内側、それに外側の正面に何人もいる。そして、上位精霊らしき存在は、アラケルさんの頭上で口を大きく開き雪の結晶を作り上げている。師匠の炎魔法の影響か、思い通りにいっていないのが、細められた瞳から伝わってくる。瞳といっても、目全体がガラスそのもの。
「それが限界みてぇだな」
「これで充分ダ!」
アラケルさんは相変わらず強気だ。
確かに、雪の結晶は師匠の魔法陣と同様の大きさ。きらきらとダイヤモンドのような輝きを放っている。
相性で言うと、火である師匠の方が不利だ。でも、不思議と押されている様子はない。
「アルス・マグナ同士ならともかく、魔法の格が違いすぎて、相性など意味をなさぬというのに」
グラビスさんが諦め気味に呟いたのが、風に乗って届いた。音を立てて胡座をかき、しっかりと前を見据えていらっしゃいる。
ふと、師匠側が暗くなっていくのに気がつく。炎が収縮していっているのだ。
「けっ! 大掛かりすぎて、威力を保てなかったってか! 遠慮なくいかせてもらうっすヨ!」
「おー魔力が空っぽになって気ぃ失う勢いでこいよー」
師匠も動揺している素振りを見せていないし、炎が幾つかに分かれて爪先サイズになったのには、ちゃんと前向きな理由があるのだろう。
「いくぜ。オレを殺る覚悟で来い!」
師匠が声を張り上げた。そして、とても良く通る声で一言、呪文を唱える。最後の声と、杖が地面に叩きつけられた音とが重なり……。炎の塊が、まるで隕石のように落ちていく!