引き篭り師弟と、想い返し1
「終わっ……た……?」
跳ねる心臓を全身で感じながら瞼をあげる。
開けた視界に映りこんできたのは、降り積もる雪とわずかに覗く水晶の地面。それと、蛍のように浮かぶ魔法粒子に包まれた我が家だった。一部が無残に崩壊している。
「メトゥスは、もういない?」
周囲を見渡すと、自分の言葉を肯定するように景色の中にメトゥスの気配はなかった。
おっ終わったんだ。もう一度、今度は心の中で呟くと、一気に膝から力が抜けていく。勢いよく座り込んだ地面には雪が積もっていて、ちっとも痛くはなかった。
「あにむちゃ、おちゅかれしゃま。めとぅすのこちょなんて、しゃくっと忘れちゃうのでしゅ!」
「あにみゅ、がんばったのぞ! 今日はとくべつに、よしよしーってしてやるのじゃ!」
「とくべちゅなくて、ふぃーにすってば、いっちゅも嬉しそうにしてるのでしゅよ」
冷たい雪の上に座り込んだ私に声をかけてくれたのは、フィーネとフィーニスだった。私の腕から抜け出した二人は、小さな羽根をせわしなく動かし回転している。
はしゃいでいるのとも、興奮しているのとも違う様子だ。
「ふぃーねはうっしゃいのぞ!」
てしてしと手をぶつけ始めた子猫たちに手を伸ばす。けれど、二人を先に掴んだのは師匠だった。右と左、それぞれに掴れてもなお、二人は「うなな!」と喧嘩状態。
暴れる二人を見下ろす師匠は、呆れながらも優しい眼差しを向けている。
「ほら、フィーニスもフィーネも落ち着けって」
「だっちぇ!」
「ぷんっなのぞ!」
フィーネの頬がお餅顔負けに膨れ上がる。可愛い、突っつきたい。もにもにしたい!
師匠はいつものように小さく噴き出して、自分の鼻先を二人の頭にうずめた。
「二人とも、よく頑張ったな。お前らのおかげで、アニムを助けられたようなもんだ」
師匠のねぎらいで、フィーネとフィーニスは寒さも吹き飛ばす春風の笑みを咲かせた。周りに本当に魔法粒子が形作るお花が咲いてる! 可愛い! 天使!
師匠の掌に乗せられた二人は体をくっつけつつ、師匠の胸元にすり寄る。……うらやましいなんて、思ってないですもん。すみません。正直に言うと、仲間に入れて欲しいです。
「アニムはいつまでもへたれこんでねぇで、さっさと立てよ。尻が冷えるだろうが」
私の邪な視線に気が付いたのだろう。師匠はわずかに目元を染めて、私を一瞥した。
「私本体なくて、私のお尻だけの、心配ですか。さすが、えろししょーですね」
「あほアニム。けったいな妬き方してんじゃねぇよ。っていうか、前にもあったぞ。こんなやり取り」
ひどいっ! さっきフィーネたちに向けていた見守る呆れじゃなくって、心底呆れてる目つきじゃないか! 眠たそうな瞼に錘がついちゃってるよ。
自分でもどうかと思う妬き方だけど、そこはまだ動揺中ってことで許して欲しい。
「そーですよ、いつものやり取り、ですね。平常運転で、あほアニムです」
ぷいっとそっぽを向くと、師匠はソレ以上何かを口にすることはなかった。珍しい。 なっなんだろう。さすがにお疲れでイラつかせてしまっただろうか。
私も続きを待つことはできない。なんせ、雪と水晶のダブルパンチで本当にお尻が凍傷で腫れてしまいそうなのだ。どっこいしょっ。心の中でだけ掛け声をすると、思いのほか軽く体が持ち上がった。
「あっありがと、です」
「ん」
フィーネとフィーニスを頭の上に乗せた師匠が、持ち上げてくれたようだ。脇の下に差し込まれた手は、足先が地面についてもそのままだ。なっ何故に。
師匠の肩に手を乗せて、もんであげてみても……奇妙な行動を取るなというお叱りの声はぶつけられませんよ。
「ししょー?」
物言いたげに私だけを映す瞳。折角静まってきたはずの動機が、再び暴れだす。
吐き出されているお互いの息。ミルク色に広がっていく息が混ざり合う光景は、どこか艶っぽくて……。
「ねっねぇ、ししょー? ししょーってば。私の声、聞こえてるでしょ? 何か言ってよ」
たまらず首を傾げると、師匠から長い溜め息が吐き出された。わかるよ! それはオレの台詞だ的なこと思ってるんでしょ!
嫌な感じに目と目で通じ合った拍子に腰まで滑り落ちてきた掌。大きな手が、寒さ以外の何かが背中を駆け抜けさせる。ひぇ。
「ていっ! なにふたりの世界に入っちゃってるのですぅ! 侵入者がいなくなった途端、いちゃつくのはやめるですよ! 色ボケ師弟!」
師匠の脛に見事な蹴りが決まった。かぼちゃパンツに負けないほど膨れ上がった頬をそのままに、連続げしげしをするホーラさん。
「いってぇ!! なにしやがんだ、ホーラ! さっきまで死にそうになってた怪我人の脛に、飛び蹴りを入れるやつがあるか!」
「知ったこっちゃないのですよ。失恋者の前で、いちゃつくなとあれだけ注意したのですのにぃ」
そうだ。ホーラさんは失恋で落ち込んでいらっしゃったんだっけか。というか、ホーラさんの戦闘モードからの切替えが早い。おかげで師匠の手が、腰から離れてくれた訳だけども。
フィーネたちを頭に乗せたまましゃがんで、ホーラさんの頬を引っ張っている師匠。その隣に並んで顎を撫でたのはセンさんだった。
「へぇ。ホーラ、例の召喚士とは別れたんだ? 良かったんじゃないの。あいつじゃ君には不釣り合いだよ。さて、ささっと後片付けをして、残念会しないとね」
「センってば残念会なんて言わないの。次があるさ会よ。あと、アニムとウィータちゃんの、お祝いもしないとなのよ」
「さすが僕の奥さん。前向きになれるね!」
ディーバさんを後ろから抱きしめたセンさんは、見たことがない様子で目じりを垂らしている。
こっこれはこれでギャップがすごい。でも、笑いこけている残念王子とは違って羨ましくなるデレ顔なので、幸せなんだろうなとあたたかい気持ちになる。
「まだ別れてないのです!」
ホーラさんの叫びを無視して、お二人は話を進め始めてしまう。
私も次があるさ会をやるのは楽しみだけど、家が見事に崩れちゃってるんだよね。師匠の寝室だけとは言っても、水晶の森の冷気で家中がとんでもない状態だ。地下室や別館ならまだ使えるかな。
それにしたって、この状況を放っておいたら家具や魔法道具が使えなくなってしまうのではないかと思う。
「うぇっくしゅ!」
「相変わらず、なんつークシャミだ。とりあえず、オレの外套を着直しておけ」
いつの間に拾い上げたのか。師匠の外套が体を包み込む。がっちり前もしめられて、まるで、てるてる坊主だ。
魔法でも良かったのではと思いつつ、やっぱり師匠の外套に包まれてるというのが嬉しい。うへへと、大きな襟に顔を埋めてしまう。気温に対して適切な温度調整をしてくれる特製外套は、すぐに体を温めてくれた。
「ししょーのってのが、付加魔法で、ぽっぽするですよ」
「締まりがねぇけったいな顔すんなよ」
よほどにやけていたのだろう。口をへの字にした師匠に、頬をぐいぐいと引っ張られてしまった。抗議の意味を込めて、彼の両手に自分のモノを重ねる。
いや。ししょーを見たら、私の言葉に照れただけなのはわかる。ので、私はさらに頬を弛ませてしまうのだよ。ソレを押し上げるために手を添えたのだ。そして、さらに師匠が私の思考回路なんて理解してんだと拗ねるのが嬉しい。
「ししょー、ありがと。私の外套は、ボタンつけなおさないと、だね。フィーネもフィーニスも、こっちおいで? 雪で、背中冷たくない?」
デレデレになっている場合ではない。師匠の頭の上で寄り添っている子猫たちは可愛いが、直接雪が降りかかる場所にいては寒いだろう。
ついでに私の二人のぬくもりが欲しくて手を伸ばすものの……。
「フィーニス、フィーネ。どうしたの?」
フィーネもフィーニスも、師匠の頭上から降りてくる気配がない。
フィーニスが飛びついてこないのはツンデレちゃんだからとしても、フィーネまでが口ごもってもじもじしているのは、とても珍しい。涙目で「んなぁ」と、か細く鳴くばかりだ。
「あっ、私の血の匂いが、アレかな」
慌てて傷を拭うと、何故だか師匠が神妙な顔つきになってしまった。まさか、私に傷を負わせたなんて後ろめたさを刺激してしまったのだろうか⁉
一人あわあわと両手を躍らせる私の肩を叩いたのは、ラスターさんだった。目が合うと、ばちこんっと相変わらず美しいウィンクをくださった。
「あらあら、子猫ちゃんたち。情けない主人が心配で離れられないのかしら?」
「うっせぇ。ラスター、お前はちったー静かにしてろ」
「ウィータのことは無視して。それよりも、アニムちゃんは痛む部分はもうない?」
宙で止まっていた手を握ってきたのはラスターさん。口調は軽くても、手の甲を撫でる手つきはとても柔らかく、伺うような眼差しは揺らめいているように感じられる。もしかして、ラスターさん、回復玉を取りに行く私を止めなかったって、責任感じちゃっているのかな。私が望んだとは言え、心優しいラスターさんなら有りえる。
例の如く。師匠がラスターさんの腕に手刀を落とそうとしていたので、ソレより前にと慌てて胸に手を抱き寄せて頷く。
「しっししょーが、とびっきりの回復魔法、かけてくれたので、もう、全然痛まないです。ラスターさんも、大丈夫です? 痛いとこあれば、私、誠心誠意、看病するです! ホーラさんも、ぐったりなくなったです?」
師匠に絡んでいる調子から、ホーラさんの健康状態は良好そうだが念のための確認だ。ホーラさん、元気いっぱいなピースを返してくださった。よかった。
一方、反応がないのはラスターさん。もしかして、声も出せないくらいの傷をおってらっしゃたのを我慢していたのでは! ラスターさんに何かあったら、ルシオラが悲しむ!
「ラスターさん、どこか痛むですか?」
不安になって顔を覗き込むと、はっとしたように胸を突き出された。すぐ近くだとかなりのど迫力。
「やん! 胸が! 胸がきゅんて痛むわ! アニムちゃんに手当してもらえるなんて、あたしの豊満な胸が張り裂けそう!」
「おいこら、アニム。師匠を放って、胸の大きさで嫌味いうようなオカマを気遣うとは、いい度胸だ」
おっしゃる通りの巨乳をはってみせたラスターさんではなく、現実を突きつけてきたお師匠様のがひどい! 間違いなく!
ぐぬぬと師匠を睨み上げてやる。
「一番ひどいは、ししょーだ! でも、それより、本当に、フィーニスとフィーネ、どうしたの?」
怒るものの、気になるのはフィーネとフィーニス。いつもなら可愛い鼻に皺を寄せて、ラスターさんを、てしてしと叩くのに、それもせずに垂れ耳をさらに頭にくっつけて上の空なのだ。魔力を使いすぎちゃって、疲れているのかな。
さすがに心配だ。再度呼びかけようと開いた口は、「ぶほぉ」と情けない音を吐き出しただけだった。しっ師匠、乙女の顔面を崩す勢いで両頬を挟むのやめてください! いっそ見事なほど、たこ口ですよ!
「わたしの頬をひっぱってる時と、明らかに、てつきが違うのですよ。やらしい、やらしーなのですぅ」
「ったりめぇだろうが」
ちょっ。ホーラさん。引っ張る行為のが、断然可愛らしいと思います。師匠も、さも当然と鼻を鳴らさないでください。私がされているのは、たこ口だよ。
置いてけぼりにされているのに、師匠の短い言葉の裏を考えて胸が熱くなってしまう。
今までなら『初弟子だからな』と続くのしか想像できなかったのに、今は都合よく『惚れた女』と師匠の声で再生されてしまう。
「やっと言葉にしたと思ったら、すぐ調子に乗るんだからさ。あんな遠くから、一方的に叫ばれたアニムの気持ちも考えがえなよ、ウィータ」
「ですです。大体、『愛したんだ』なんて過去形で言われたら、色々かんぐっちゃうのが乙女心なのですよぉ。そこは『愛してるんだ』とか『永遠の愛を誓う』が素敵なのですよねー」
「ウィータちゃん、普段言霊って煩いのに、人生初の自覚した愛の告白は、残念なのよ」
『考えなよ』と諌めつつ満面の笑みを浮かべているセンさん。幼女の風体に見合わずあくどい笑いを口の端から流しているホーラさん。慰めるように師匠の背中を叩いたディーバさん。
お三方のうち、私はだれの意見に賛成したら面白いかな。ぐへへと、人の悪い笑みを浮かべてやりますか。というか、すごいダメ出しの嵐だ。そろそろ師匠の堪忍袋がポップコーンよろしく弾けてしまいそうだ。
「お前ら――!」
案の定、師匠はわなわなと体を震わせている。
「私は……」
心の中でおどけて見せるものの、私は師匠の告白を何度も繰り返して噛み締めている。聞いた瞬間は感動で胸が熱くなって、涙がこみ上げてきた。それなのに、時間がたった今、あの告白が本物だったのか実感がわかなくなってしまっている。アレは、もしかしたら自分が夢を見ていたのではと、瞬きを繰り返すばかり。
皆さんの会話が現実だったのと教えてくれるのに、頭が真っ白になったら逆戻りだと、変に一歩引いて会話を聞くだけ。
「大体、オレとアニムの問題に口はさみすぎだろうがっ! てか、アニムも反応ねぇし」
「アニムは呆れてるんじゃないの? 今更だーって、内心で物凄く怒ってたりして。大体、君ってばアニムの反応に甘えているところが大きかったしね。普通の関係ならとっくに見限りつけられてもおかしくない位だよ」
「そうよ、そうよ! アニムちゃんが結界を離れられないって関係に甘えていたのは、アニムちゃんじゃなくってウィータの方なのよ?」
「ぐっ! わっわかっている。そのくらい」
あっ、師匠が面白いうめき声をあげたよ。私だって今さら『普通じゃない関係』に反応なんてしない。今の私たちがあるのは、そのおかげだもの。
師匠だって、センさんやラスターさんの言葉をシリアスに捉えていなのはわかる。面白い具合に喉を詰まらせたもの。師匠が私関連で真剣に悔やむ時は言葉をくれないんだ。
「うなぁー」
師匠が愉快な動きをしたせいで、バランスを崩しちゃったフィーネたちは、お口を三角にして浮いている。やっぱり、元気がない?
「それにさ、だってほら。僕はアニムのお兄ちゃん希望だし、そうするとディーバはアニムのお姉さんになるし、ホーラはアドバイザーだし、ラスターにいたっては――」
「あたしはともかく! ウィータには同情するけれど、あたしたちは、アニムちゃんの味方だからねぇ。散々待たせておいた挙句なんだから、当の本人にだって文句言われても仕方がないのよ?」
同情すると言いつつ、師匠の肩に腕をのせたラスターさんは半笑いだ。綺麗な頬がひくひくと引きつっていらっしゃるのが、はっきりとわかる。というか、センさん、お兄ちゃん宣言は本気だったんですね。
師匠を囲んで、きゃっきゃうふふと騒がれる皆さん。どこか蚊帳の外にいるみたいな私は、ぼけらと思考が飛んじゃう。雪が強まってきたので、ひとまずあたたかいお茶を淹れないとなぁ、なんて考えていると――。
「ねぇ、アニムちゃん? 追い込まれてからの土壇場告白じゃぁ、納得いかないわよね?」
ラスターさんの声かけを合図に、上下様々な角度からの視線が一斉に私へ向けられた。突然のフリに体が跳ね、足が下がってしまった。
一・二歩離れて、自分の黒い目に映り込んだ色に、思わず息を飲む。いつぶりだろうか。白銀の世界に自然とある、はっとするようで、それでいて当たり前に存在する鮮やかさ。
その瞳も髪も、存在自体が幻想的すぎる。ただただ、美しい、と思える姿。
冷たい空気と雪、それに思い出したように虹色を流す水晶の景色もあいまって、いつも以上に神秘的に映る。
そうだ。これは彼らと初めて会った時、私の中にあった感情だ。
今は違うのに。私だって、あの輪の中にいるって知ってるのに。
なんで、遠い世界の情景が透明な壁が、見えるんだろう。私はソレを挟んで、みなさんを眺めているだけなんて、思ってしまうんだろう。
師匠たちを直視出来なくて、思わず視線が落ちる。
「あっ、っと。えぇっと。それは、私、あっあれ? わたしは」
想像以上に震えていた声。文章でしゃべらなきゃって思うのに、言葉が出てこない。
皆さんとの距離はわずかだ。吐き出される息が白いのも、肌を刺す寒さも、同じはずなのに。えもいわれぬ切なさが、胸を締め付けて言葉が紡げない。
前髪をくしゃりと掴むだけでは足らず、無意識に腰を捻ってしまっていた。
「あっア――アニム!」
師匠が叫ぶ。いつもの余裕はない。いつの間にか冷や汗をかいて、おろおろと私を呼ぶ。
その唇の弾みで、私はわかってしまった。師匠が本当はなんて呼ぼうとしてくれたのかを。たった一度だけ教えた言葉。それを丁寧に一回だけ繰り返した、この人の口の動きを私は鮮明に覚えているもの。
「ばっばかししょー」
辞書に挟まれていた紙を思い出したのに、どうしてか悲しみではない感情から涙が溢れた。私はただ棒立ちのまま、ぼろぼろと泣くだけ。
この冷たくて熱い気持ちはなんだろう。ざらついて嫌なのに、受け入れてしまいたくなる。
「アニム。オレは、別に追い詰められたから、仕方なしに告げたとかじゃなくてだな! もっと、きちんと準備して――いや、お前ならわかってくれているって甘えがなかったわけじゃないし、実際、あれじゃ信じ込ませるための告白ってとられても仕方がないってのも、わかってる、わけで――」
師匠は汗を流して大声を出し、ラスターさんを押しのけた。言葉尻はすぼんで、風にかき消されそう。伸ばしかけた手は、気まずそうに私の目の前で握ったり開いたりされている。
途端。師匠がくれた告白は現実のものだったんだと、全身が燃え上がる。ばちっと師匠と目があうと、よけいに私の視界は潤っていく。顔を覆っても、熱い息が零れてしまう。
「アニム?」
師匠の声が耳のすぐ近くから流し込まれてくる。少し戸惑っている声色に、体が震える。遠慮がちに腕に触れてくる師匠の温度が、喉をぎゅっとすぼませる。苦しいけど、嫌じゃない。嫌じゃないけど、どう形にしていいのかわからなくて辛い。
耳を撫でる指も声も、私だけのために揺れている。卑しいくらいに、嬉しい。私が応えないと、より深く擦り寄ってくれるのが幸せ。
「わっ私は」
彼の感情に応える資格があるのだろうか。未だに、元の世界に未練がある私に。揺らいでばかりの弱い異世界人の私に。
彼の手に唇を寄せる。その手に言葉を飲み込ませて欲しいと言わんばかりに。
「私、ししょーを、好きでいて、良いですか? 好きで、いさせて、くれるって、ことだよね?」
それなのに、唇が彼の体温を吸い込んだ瞬間、思考とは裏腹の想いが零れてしまう。
師匠は振動で私の言葉を読んだみたいだ。完全に固まってしまった。長い前髪に隠れて表情は伺えないけど、珍しく口が開きっぱなしだ。
「……ウィータちゃんが完全思考停止になっているのなんて、初めて見たのよ」
「うん、僕の可愛いディーバ。赤ん坊のころから付き合いがある僕もあんな無防備なウィータは見せてもらったことがないかもね」
「ばかっぷる夫婦! それって、アニムちゃんが相当やばい状態ってことじゃないの⁉」
そんな師匠の後ろで、ラスターさんたちが慌てている。だれのせいだとか、恐怖が残ってるんだとか、メトゥスの精神干渉が残ってるんじゃないかとか。皆さんの気遣いが、疲れなんて全部吹き飛ばしてくださるのに。反応できなくて、ごめんなさい。
それに――。
『オレが心底惚れてんのは、今、目の前にいるお前だ!! オレの魔力から命まで全部かけて誓う!!』
師匠は、目の前にいる私に惚れてるって明言してくれた。しかも、心底って。
『オレは、アニムをだれにも、どこにも、渡したくない!』
私が元の世界に未練を持ちつつも、この世界に残ろうって決めたのと同じように、師匠は元の世界に戻したくないって思ってくれてるって期待してもいいのかな?
私が告白した時にもくれた言葉だけど――師匠の気持ちの中に織り込まれた言葉だと思うと、一層心に染みてくる。勇気をくれる。
『ただ、お前っていう女を――愛したんだ!』
異世界とか過去の『アニムさん』じゃなくて、私というひとつの命を愛してくれた。過去形といわれればそうだけど、私には違う意味に受け止められたのだ。
「あっあの!」
絞り出したはずの声は、思いのほか水晶の森に響き渡った。そのおかげで皆さんどころか師匠も、はっと私に視線を向けてくれた。
宙に浮いていた師匠の手を握り引き寄せる。私の視界いっぱいにいるのは師匠だけど、その後ろにいらっしゃる皆さんにも届けと大きく息を吸った。