崩れゆく蜃気楼の城で、私は婚約破棄されました ~前世で一級建築士だった転生令嬢は、砂上の楼閣を見抜いていたので出ていきます~
「アリシア・レーヴェンフェルト。お前との婚約を破棄する」
舞踏会の壇上。王太子レオンの声が、絢爛たる大広間に響き渡った。
幻晶結界が生み出す虹色の光が、彼の金髪をきらきらと照らしている。まるで神々しい何かのように。
(――ああ、また結界の光を無駄に浴びてる。あの過剰な魔力、回路にどれだけ負荷かけてるか、この人たち分かってないんでしょうね)
私は伏し目がちに、静かに一礼した。灰青のドレスの裾が、大理石の床にそっと広がる。
「お前は陰気で、城の栄華にふさわしくない。私は聖女ミアと結ばれる」
レオンの腕には、栗毛の可憐な少女がしなだれかかっている。聖女ミア。『豊穣の幻をより美しく見せる』ギフトの持ち主。
「まあ、レオン様……こんな地味な方の代わりでよろしいのですか? ふふ、光栄ですわ」
彼女が微笑むと、城の結界がひときわ絢爛に輝いた。民衆の喝采が地鳴りのように押し寄せる。
(きらきら。ほんと、光を盛るのだけは上手ね。土台は一切支えてないけど)
周囲の貴族たちが、扇の陰でくすくすと笑う。「陰気な壁の花がようやく捨てられた」と。
かまわない。私は前世で、もっと理不尽な施主に何度も殴られそうになってきた。
私の名はアリシア・レーヴェンフェルト。公爵令嬢。
そして――前世は日本の一級建築士だ。
過労で命を落とし、この剣と魔法の異世界に転生してから十年。私はずっと、この城に違和感を覚え続けていた。
(この幻晶結界、見た目は豪華。でも耐力壁にあたる魔法回路がスカスカなのよね。基礎が砂。文字通り、砂上の楼閣じゃない)
レオンが勝ち誇った笑みで見下ろしてくる。
「何か言い残すことは?」
私は顔を上げた。図面を見るときだけ鋭く輝く、群青の瞳で。
「……承知いたしました」
静かに、丁寧に。私は続けた。
「ではこの城の維持管理者の任も、返上いたします」
「維持管理者? ふん、そのような下働きの肩書き、好きにするがいい。誰も困りはせん」
(ええ、三日後までは、ね)
その瞬間、大広間の誰一人として――その言葉の本当の意味を理解した者はいなかった。
◇
夜。人気の絶えた城の地下回廊。
かつて私が毎晩通っていた場所だ。
「アリシア様、本当に行かれるんですね」
そばかすの残る若い侍女、サラが、測量道具を抱えて追いかけてきた。
「ええ。もう我慢しない」
私は壁に手を当てる。指先に伝わる魔力の脈動。その乱れ。ひび割れの前兆。
(相変わらずボロボロ。ここも、ここも、私が毎晩補強してた箇所ね。指先に伝わる魔力の脈動が、もう悲鳴を上げてる)
十年間。私は地味を装いながら、たったひとりでこの幻晶結界を補修してきた。
前世の構造計算の知識で、崩れかけた魔法回路を毎晩こっそり補強し、城の見た目の栄華を裏から支えてきたのだ。
『地味な令嬢の夜歩きの噂』――それが、この作業の正体だった。
「聖女様の光、最近どんどん派手になってますよねえ。民衆は大喜びですけど」
サラがからかうように言う。
「ええ。あれが致命的なの。ミアのギフトは『幻を盛る』だけ。土台を支えるどころか、過剰な光の魔力が回路に負荷をかけて、崩壊を早めてる」
「つまり、盛れば盛るほど……早く崩れる、と?」
「察しがいいわね。私が抜けたら、この城は保って三日」
私は補修の手を止めた。今夜が最後だ。もう、一本の線も引かない。
サラは道具袋をぎゅっと握ると、にっと笑った。
「私も行きます。この城、私が見ても保って三日ですよ」
「あら、目が肥えてきたじゃない」
「毎晩お供して十年ですからね。伊達に道具袋担いでませんよ」
私たちは荷物をまとめ、静かに城を後にした。
背後で、絢爛な光が虚しく夜空を焦がしていた。
(さようなら。私が十年支えた、蜃気楼のお城)
◇
砂漠の縁、水源に近い岩盤地帯。
私が新しい交易拠点として目をつけた場所だ。前世の目で見ても、これ以上ない好立地。硬い岩盤、豊富な水、キャラバンの通り道。
「――で、そこの巨大な竜人さん。なぜ私の図面を逆さに持って首をかしげているの?」
候補地に立っていたのは、二メートル近い巨躯の男だった。赤銅色の鱗が首筋と腕に走り、金の縦瞳と鋭い牙。戦場では『砂漠の赤竜』と恐れられる傭兵団長――ガイ・ドラグヴェイン。
強面の彼が、私の測量図面を、見事に上下逆さまに持っている。
「……北はどっちだ」
「あなたが今向いてる真後ろよ」
「……こうか」
ガイはぐるりと反対を向いた。堂々と、間違った方角へ。
(堂々と反対を向いた。この人、方位磁石を逆に読むタイプだ……。放っておいたら隊列ごと砂漠の逆方向に行軍しそう)
サラが小声で耳打ちする。「アリシア様、この人が例の……?」
「ええ。城で唯一、私の技術を見抜いてた男よ」
そう。地味令嬢と侮られる私を、この竜人だけは違う目で見ていた。『あの女の図面は嘘をつかない』と。
ガイは図面をようやく正しい向きに直すと、ぼそりと言った。
「お前の引いた線の上を歩くと、なぜか安心する」
「……それは方向音痴を治す努力をしてから言いなさい」
「飯は食ったか。そこの岩、崩れそうだから寄るな」
(好意の示し方が、保護行動一択。無骨すぎて逆に可愛げがあるじゃない)
「団長さん。あなたの傭兵団、雇わせてもらうわ。ここに、砂漠一の交易都市を建てる」
ガイの金の瞳が、わずかに見開かれた。
「崩れない城を、か」
「ええ。二度と砂に埋もれない、本物のね」
◇
私が城を去って、三日目。
その日、ミラージュ王城では盛大な祝宴が開かれていた。王太子レオンと聖女ミアの婚約披露。
民衆の前で、ミアは自らのギフトを最大限に解放した。城の幻晶結界に、かつてない光を注ぎ込む。
「見て、私の力を! こんなに美しい城、他にないでしょう!?」
虹色の光が、天まで届くほどに膨れ上がった。民衆が熱狂する。
――その瞬間だった。
幻晶結界が、悲鳴のような軋みを上げた。
スカスカの魔法回路が、過剰な光の魔力に耐えきれず、一斉に焼き切れていく。
誰も補強していない、砂の基礎の上で。
「な……なんだ、この揺れは!?」
豪奢に見えていた尖塔が、大広間が、城壁が――ぐずぐずと崩れ始めた。
いや、崩れたのではない。
消えたのだ。
実体のない、蜃気楼だったのだから。
きらびやかな城は溶けるように霧散し、後に残ったのは、剥き出しの砂丘の上に呆然と立ち尽くす人々だけだった。
「なぜだ、なぜ崩れる!?」
レオンが膝から砂に沈みながら喚く。
ミアは光を失った両手を見つめ、震えていた。「わ、私の力が……どうして……こんなに光を注いだのに……」
◇
その一部始終を、私はキャラバンの商人からの伝令で聞いた。
「アリシア様、報せです。ミラージュの城が……その、消えたそうで」
図面に線を引きながら、私はぽつりと呟く。
「保って三日って言ったでしょう」
(そりゃそうよ。土台がないんだから。あなたたちが見ていたのは、私が毎晩補強してた蜃気楼だったの)
サラが呆れたように笑う。「予言者ですか、アリシア様」
「いいえ。ただの一級建築士よ」
◇
砂に埋もれた王城跡から、みすぼらしい一団がやってきた。
礼装は砂まみれ、金髪は乱れ、かつての威光など見る影もない。
王太子レオンだった。
「アリシア! ここにいたのか!」
築きかけの交易都市。組み上がりつつある岩盤の城壁の下で、彼は必死に駆け寄ってきた。
「頼む、城に戻ってくれ! お前がいなければ、あの城は……いや、王国は保たないんだ!」
(今さらそれを言う。失ってから気づくって、テンプレすぎない?)
私は図面から顔を上げず、淡々と応じた。
「あら。私は陰気で、城の栄華にふさわしくないのでは?」
「あ、あれは言葉のあやで……! 私が悪かった! 復縁を、婚約の復縁を乞う!」
背後で、ミアが小さくなっている。もう光を盛る相手すらいなくなった聖女に、価値を見出す者はいなかった。
「……レオン様、私は……」
レオンはミアを一瞥もしなかった。砂に膝をつく。
「頼む、アリシア。お前だけが、あの城を建て直せる」
私はようやく、群青の瞳を彼に向けた。
静かに。丁寧に。かつて舞踏会でそうしたように。
「――だが、断る」
レオンの顔が凍りついた。
「な……!?」
「砂上の城に、二度と戻る気はありません。基礎のないものは、何度建て直しても崩れる。それは城も、人も同じでしょう?」
「そ、そんな……!」
「お引き取りを。ここは私が、岩盤から築いた城です。あなたの幻とは、格が違う」
そのとき、私の隣に大きな影が立った。
ガイだ。赤竜の威圧感を全身に纏い、レオンを見下ろす。
「聞こえなかったか。この女は、断ると言った」
「ひっ……!」
レオンとミアは、ころがるように砂漠の彼方へ逃げていった。今度こそ、正しい方角に――かどうかは、彼らの運次第だ。
「……ガイ。あなた、逃げる方向まで指図しなくていいの?」
「あいつらの方向音痴は、俺の管轄外だ」
「あなたが言う?」
◇
季節が巡った。
岩盤の上に築かれた交易都市は、砂漠一の繁栄を見せていた。
キャラバンが絶えず行き交い、水源には市場が立ち、頑丈な石造りの建物が整然と並ぶ。前世の都市計画の知識を、余すことなく注ぎ込んだ街だ。
サラは現場監督として走り回り、貴族時代とは比べ物にならない生き生きとした顔をしている。
「アリシア様! 東区画の水路、設計通りきっちり通りました!」
「上出来。あなた、もう立派な技師ね」
「貴族様の侍女より、こっちのほうが百倍性に合ってます!」
夕暮れ。私は完成した中央塔の屋上に立っていた。
風が、銀髪をほどけさせる。もう、地味な三つ編みに隠す必要もない。
「線を、引くのが好きなんだな」
いつの間にか、ガイが隣に立っていた。相変わらず不器用に、けれど確かな距離で。
「ええ。崩れないものを描くのが、私の生きがいなの。前世も、今も」
「……お前の線の上なら、俺はどこへでも歩ける」
「まだ方向音痴治ってないの?」
「治す気はない。お前がいれば、迷わないからな」
――それは、彼なりの精一杯の言葉だった。
私は思わず笑ってしまう。優雅な令嬢の仮面など、とっくに外れていた。
「今度こそ、崩れない城を建てましょう。あなたと」
ガイの赤銅の頬が、夕日のせいか、少し赤らんで見えた。
◇
そのとき。
塔の下から、サラの慌てた声が響いた。
「アリシア様! お客人です! それが……その、ミラージュの旧王家の使者だとか……!」
見下ろせば、崩れた城跡から来たらしい、憔悴した使者が門前で膝をついている。
「どうか、どうかお力を……! 王国を、もう一度……!」
私はふう、と息をついた。群青の瞳が、また職人の鋭さを帯びる。
「……承知いたしました、とは言わないわよ。まずは、話を聞くだけね」
ガイが呆れたように呟く。「また面倒事の匂いがするな」
「あら。面倒事こそ、建築士の腕の見せどころよ。……さて。次は、どんな砂上の楼閣を見抜くことになるのやら」
砂漠に沈む夕日が、崩れない城の輪郭を、くっきりと照らしていた。




