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怒り

作者: aoidonnki
掲載日:2026/05/07

私はいったい誰ですか? そう思うときもあります

男は語り聞かせる。

「あぁ、お前の言いたいことはわかる。なぜおまえはできるのにできない自分とは違ってしないかということだったな。あぁその気持ちはわからんでもない。世の中の不条理に対しての自分と他人が持ってないもの望んでもかなわないものへの不満なのだろうな、しかし私は疲れてしまったのだよ。」

私はかつての同志に目を合わせる。

『君の書く文章はあんなにも素晴らしいじゃないか! それに君には他と違ってそれをできる財力も 看板(かお)もあっただろう! なぜそれをやらないんだ...僕はそれが惜しくて惜しくて......』

少し目をそらして男は見つめなければならなかった。

「いいかい、君の言う通り、私にはそれをする土台は整っていた。しかし私には君のように美しくあれなかったのだ。学べば学ぶほど、知識を得れば得るほど、私の心から勇気が無くなって卑屈になっていった。

自分は他とは違うのだと、自分の価値は比類なきものであるのだと信じることによって自分を保っていたのだ。文章に関してもそうだ。私は自分の矮小な才能に座して、進んで学びを得なかったがために、それを浪費してしまった。実際のところ巨大な自分の本当の矮小さの自分が明らかになるのが怖かっただけなんだ。そういわば羞恥心のような自尊心だった。」

同志は一瞥して私を奮い立たせようとなにかを言おうとしたが、やがて表情を駄々をこねる子供のようにするとやがて激烈な口調で私を攻め立てた。

『君と私が道を違えたときから僕らは互いに孤独だったじゃないか! こんなことはもうこりごりだ! 君は建前や評判と社会的な地位ばかりを気にして僕らは離れてしまう運命を得た!確かに君は大人になったのかもしれないが、本質的には僕らは動物なのだ、君は紳士である前に一人の動物であり君の欲求に素直に従うべきなんだ!』

「しかし、それは私の立場からでは」

『立場は誰が決めたのかね?』

同志が私の言葉を遮るようにつづけた

『確かに動物の群れの中でも階級はある。しかしながらその階級を決めるのは本人たちの実力によるものだ。ゆえに変動するものであるのだ。君が欲しいのであれば勝ち取るしかない。そうでなければ君は永遠の怠惰の中で君の中に残された才能も消滅してしまうだろう!』

私は黙りこくっていたのを見て同志はさらに私の怠惰についてまくし立てた。

少したってコッコッと軽快な音がドアから響いて執事が入ってくると同氏はすっかり黙りこくってしまった。

「コーヒーをお持ちしました。」

そういう執事は男を一度も見ずに自分用のお茶を優雅な手つきで入れた後男の横の椅子に腰かけた。

屋敷はこの二人には不愛想なほどに広い。 前まではそれなりにふさわしい人数がいたが男がすべて追い出してしまったのだ。これは彼自身の防衛本能が無意識になしたものなのか意図したものなのかはわからないがともかく男は限界であった。

「近頃、ご主人は大変悩んでいらっしゃるようですな。」

この老輩は男が小さく純朴だったころから使えてきた、そして男が今となっては唯一ここに残って気にかけてくれる者であった。

しばらくの沈黙はこの老輩の疑問に肯定の意味を与えた。

途中男のカサカサとした唇が刹那に開いたがやがて出かけた秘密をすりつぶすかのように唇を合わせて左右にさする。

老輩はそれを見て承知はしたがあえて声に出すような無様は見せなかった。

「考えがまとまってからお話をいただきましょう。」

老輩は非常に洗練された動作で素早く脇に銀を抱え込むと、小さく一礼して部屋を流れるように出ていった。

残された紅茶の香りが波のように複雑に何度も男の鼻腔を刺激して男はそのために考えをより穏やかにした。

おそらくこの紅茶がきっかり冷めたころに老輩は再び戻ってくるだろう。

彼は男に使えながらも同時に人生の教師のようにふるまっていた。それを男は許容していた。

やがて同志は小さくため息をついて私に懇願するように言った。

『君は大きく変わってしまったように思える。君が意思にかかわらずね。僕はその変化に適応しきれない。かつての真のある漢は失われてしまったのだ!』

同志はいささか劇場チックな口調だ。

「そのとおりである。私は変容したがためにお前を失ってしまったのだ。実に愚かであろうか。」

『君自身が分かっているならなぜそうしない? 君が私とともにすればそれは自然無為なのだよ。』

「いいや、もはや私自身の運命は私の手にはない。本物の君とは違って私はその運命にあったが故に君から離れてしまったのだ。」

寂寥的な口調を咎めるように返答が続く

『いいや君の運命は君のものである。君がそれを決めるのを放棄しただけなのだ。 この闘争の世界でそれを手放す君はもはや生きるに値しない。なぜゆえに自然の女神たる死の心に従わぬのか!』

「私の心である君が最もよく知っているはずだ」

『君の論理的な思考はどこに行ったのかね?』

「論理的であるかどうかは所詮私が決めるものではない」

『いいや君は自分を決めておごっていたのだ。それでいていつも悲観的なのだ。何たる侮辱であろうか人はお前の情熱を信任しているのに、お前と私だけがそれが偽りであることを承知しているのだ。』

「....これ以上の討論は一辺倒になるだけだ」

言葉にかぶせて言えば ため息をつきながらやがて同志の小さくつぶやいたのが聞こえた。

『私たちのことは、まだいいとしよう。堕落するのは我々なのだから。しかしながらあの娘はどうするつもりなのか』

その思考にいたったとき、男の心臓が跳ねる。

『君の不誠実さと、まるで役に立たない立場と、意気地なしの性分せいであの娘はいまだあのくそみたいな鉄格子付きの病院で誰よりも純然たる心でも君を待っているのだぞ!』

私はサラダボールのように自分の思いをかき混ぜられてもはやよくわからなくなってしまった。

『君の心境は理解している。私は君の一部なのだから当然のことだ。 しかしながら君のひねり曲がった考えがなしている思考と行いだけは全く理解できない!』

私はあの純朴で汚れを知らぬ黒い瞳、柔でな肌 桜の色味を蒸留して塗ったような張りのある優しい唇から発せられる慈愛的な活発さは気色となって私を包み込んでくれたものだ。忘れるはずがない。

あの小さく鉄格子のエデンに私がまだ居たときから私の女神であった。あと秘密をそっと告げるような口調で発せられた約束は私はいかなる努力を尽くしても破壊されない神聖なものであるのだ。

思考は神聖さへと向かっていたがふと同志の声を思い出して寂寥たるものに戻る。

「君は私を寄生虫のように思うか?途中から君にまとわりついて君を弱らせるまでぶくぶく吸い太った私を」

『君の存在自体には全くの文句はない。ただ君が果たすべき責務から逃げ、あまつさえその他のことまで妨害しているのが我慢ならないのである。』

「では、いったいどうしろと」

男の指が下あごを鍵盤のようにたたく。脳をかすかに揺らして少しでも視界を明快にする。

『元来君の役割は、我々が持つ実行能力をいわば力を効率的に四肢へと込めて行い円滑にする。また君自身が知っての通りであり私が語るものでもない。』

「あぁその通りだ。」

『いまや君は大きく自分の価値を明らかにするまでもなく捨て去ったのだ。そのためか自身の証明から逃げるために様々な本質を伴わない不誠実な行いに熱を燃やしてきた。今その心を死の母は大いに嘆くだろう』

大きく男の心には死がのしかかる。が同時に死が彼をやさしく包み込んで彼を闘争から守っていたのだとも彼は知っている。

『このような茶番はしまいにしよう。 お前は私の、本能の、死の、なすべき業に従うべきなのだ。』

男は強く脳天を柱に2、3度ぶつけると雑念を払うように首を振りそして鏡を見る。

やつれた男の顔が見えた。生え散らかった髭はまるで異邦人たるムーア人にそっくりだ。目は自分自身の心ごと貫いていた。汚れた装いはすでに彼の心を表すには十分だ。

男はスーツに腕を通す。粛々とした身支度は時をかけて形成されたものだ。そしてネクタイを締めて立ち上がる。 それも鏡は誰も映さない。

実にこの時までには紅茶は冷めていた。 しかし男は一人であった。

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