表面張力
世界最後の日に、平凡な高校教師が送るただの一日を描きました。
過去にPixivに投稿していたものです。
ーー今日、世界は終わるらしい。
あくびをしながら起き上がる。カーテンを開けると、薄曇りの空だった。
だから、特に根拠もなく
存外、世界の終わりなんて、ないかもなあ
などと思う。
トイレに行けば水は流れた。顔を洗えた。電気もまだついている。昨日の夜、救急車の音を聞いた。それから、くしゃみが出た。
顔を挙げたら、眠そうな俺が見えて、寝ぐせがついていた。
普通の朝だった。
ガスレンジの前で、お湯を沸かしながら、フライパンを火にかけた。金属の触れ合う音。ガスのスイッチを動かしたら、カチカチと点火音がして、青い火が付いた。冷蔵庫に残っていたベーコンを載せて、冷凍庫にやっぱり残っていた、何時のかわからない冷凍のブロッコリーを入れる。
ああ、と思い出して、卵を割り入れる。俺は、片手で卵が割れる。
自慢は、そのくらい。
スマホを見た。母親からLINEが来ていた。相変わらずの誤字脱字なのに、スタンプは使える。さようならのメッセージでもなく。感謝でも愛でもない。何でもない、父さんの話だ。だから、俺も訳の分からないスタンプを送り返す。朝ごはんは目玉焼き。そう送った。
うちらしいなあ
とズボンに手を突っ込み、尻を掻きながら思う。もう一回くしゃみをする。
「花粉か?」
そう言えば、そろそろ花粉が飛ぶ時期だ。薄曇りなのに飛んでいるらしい。インスタントのポタージュスープの粉を、マグカップに入れて、湧いた湯を入れる。スプーンでかき混ぜて、ずずっと音を立てて吸う。
それにしても、世界の終りの日に、花粉症に、母親からのLINE。
はじめて買ってみたポタージュスープが、結構美味しかった。
シャツに袖を通し、ネクタイを結んでジャケットを羽織る。もっかいあくびをして、アパートを出る。鍵をガチャガチャと閉める。
「あ、おはようございます」
隣のおっさんも、いつも通りの作業着だった。ただ、酒臭くて
ああ、世界が終るんだなあ
と、妙に実感した。
「行くのか?」
仕事に、という事だろう。
「ま、センセーですから」
「そうか――」
微妙な沈黙に、つい、口を開く。
「――逃げないんですか?」
おっさんは、疲れた顔のまま笑った。
「全力で逃げてるぜ。」
がさりという音。袋一杯の酒類。ほれやるわ、とビールを二本貰った。
「コンビニ、開いてたんですか?」
おっさんは、まさかなと言って肩を竦めた。まあ、そうかもしれない。
じゃあ、やっぱり昼飯は、賞味期限が切れてるランチパックだ。まあ、いいだろう。
靴箱の上に、自分じゃ買わない、ちょっと高級なビールを置いて、今度こそ鍵を閉めた。
自転車の鍵を外して、またがって、走り出す。
「え、来たの」
教頭は、きょとんとして俺を見る。職員室は、閑散としている。
「教頭も、来たんですか」
「来た。他にすることもないし。」
「すること…」
教頭は、肩を軽く竦めた。開いたままのジャケットが、少し揺れた。
「することを考えると、憂鬱になるだろう?三十年続けた習慣は、何物にも代えがたいね。」
それから、あ、と片方の眉を小さく上げた。
「あと、奥さんに、出勤の準備、普通にされたわ」
学校特有の大きな窓を、なんとなく二人で見上げる。
「今日、天気、悪いっすね」
「そうだねえ。」
教頭は、毎朝飲んでいるインスタントコーヒーに、普段は入れてないクリープを山盛り入れていた。俺の視線に苦笑する。
「習慣はどうしたんすか?」
「健康を、気にしても仕方なくないかい?背徳の味がするよ?」
そんな事を言っていると、古典の教師が入って来た。俺の学生の頃から居る。笑っているところは、見たことがない。
「おはようございます、大牟田先生」
「ああ、おはよう」
いつも通りの、古ぼけたツイードの、こげ茶のジャケットを、椅子の背に掛けながら。不愛想な返事が返ってきた。
「あ、大牟田先生、今日は、流石に授業には、ならないんじゃないですかね」
授業の準備を始める大牟田に、教頭は、コーヒーを吹きながら、首を傾げる。俺も、紅茶のティーバックを振りながら、窓から校門を振り向いた。
「来てる奴もいますよ。教頭」
「ええ?」
教頭も振り向いた。
「あらまあ。」
コーヒーの湯気を吹く横顔は、残念そうなふりをしながら、けれど、幸せそうにも見えた。
「じゃあ、そうですねえ…本鈴が鳴ったら、多目的ホールにでも、集めますか?」
高校生の頃、自分は不死身だと思っていた。別に文字通り不死身だと思っていたわけじゃないけど。大した反抗期も無かった俺でも、世界の終わりとか、世界の理不尽とか…死ぬってどんなことか、とかも考えたけれど。やっぱり、死ぬとは思えなかった。
どこにでもあるネイビーのブレザー。男子も女子もネクタイで。俺が学生の時と、同じ制服だ。
不安そうなやつも居れば、投げやりな表情のやつも居れば、普段通りのやつらも居る。まあ、数えるほどしか居ない。
教頭が、マイクを叩くと、何となく大人しくなってこっちを向く。
「ああ、世界最後の日に、登校ご苦労さん。教師は、教頭の私と、古典の大牟田先生、数学の藤川先生と澄山先生、音楽の柴田先生だけだ。校長先生も来なくてね。休校にはしないって、息巻いていたんだけど。休校にすればよかったのかねえ。そうしたら、私も、家でのんびりできたんだけど。」
何人かは笑い、何人かは怒った顔をする。
「そんなわけで、好きな教室で、好きに授業を聞けばいいさ。授業を聞かなくても、かまわないよ。友達と、話をしていたっていい。あ、でも、最低限の校則は守ってくれよ。
時間割、は…取り合えず、一限目は音楽。二限目は数学と歴史と古典から選んでいいよ。三限目も同じね。四限目は、何にしようかね。授業内容は先生方に任せるよ。」
柴田が苦笑する。
「じゃあ、澄山君、一限目、手伝いなよ」
俺が、嫌そうな顔をすると、社会人でしょうと言われた。
ずっと曇っている。昼休み、いつも一緒に飯を食っていた同期も、来ていなくて。校庭の桜の下で、ぼんやりと曇った空を見上げていた。
桜は、世界の終わりの事など知らないから。春を目指して、花芽を膨らませている。薄い陽光に、つぼみの先端が、薄紅に、それでも光っていて。
「せーんせ」
二年の男子が、二人来た。
「わかんねえとこでもあったの?」
「んや。暇そうだから声をかけてみた。」
「暇そう、とか言うなよ」
二人は、同時に苦笑した。
「なあ、スミセンはなんで学校来たんだ?」
答えがわからなかったから、教師の秘技を使って聞き返す。
「三崎は、何で来た?」
「ん、おふくろが、明日が在ったらどうすんのって」
思わず笑ってしまった。
「蔵見は?」
「ああ。うち?」
蔵見が、ポケットに手を突っ込んで、引っ張り出したのは煙草だ。
「父ちゃんもかあちゃんも、一番下の妹だけ連れて逃げちまったんだ。する事ねえし、弟と、学校でも行くか、って来たわ。」
「そっか」
「そうなんだ」
「学校、来てくれてありがとな」
蔵見は苦笑しながら、慣れた手つきで側面を弾く。ぽんっと飛び出てきた煙草を、俺の方に向けてくる。
「ほれ、スミセンもやる?」
「おい、蔵見」
三崎が、ちょっとまずいんじゃないの、と言いたげな顔をしている。俺は、笑っていいのか、怒っていいのかわからなかったから、自分の欲望に従うことにした。
「三崎は、吸われて平気?」
「ん、え?あ、や、まあ、平気っすけど…」
だから、有難く一本頂く。蔵見は、咥えた煙草に火をつけた。座っている俺に、屈みこんでくる。
「サンキュ」
ジジっと音がして、くっついた煙草の先端を通して、火が付いた。ふうっと煙を吐く。三崎が、すすめられた煙草を断ってから、俺を見ると、なんだか楽しそうに笑った。
「何?」
「いや、スミセン、美味しそうに吸うなあって」
苦笑しながら、ネクタイを緩める。
「五年禁煙してたからな。お前ら、やめとけ煙草は。なんも良い事ねえ。金の無駄だわ。」
「そんなもん?」
「やめたら飯がうまくなったし、階段で息切れせんくなったぞ」
「ほおん。じゃ、俺、明日から禁煙するわ」
「俺も、明日からまた禁煙だ」
三人、ぼんやりと空を見上げた。
二人が何を見ていたかは知らないが。
煙が薄暗い空に吸い込まれていく。吸うたび、ぽかり、ぽかり、と光る紅い火が、綺麗だった。
自転車を漕いで走る。商店の窓ガラスは、海外ドラマみたいに、めたくそに壊れていて。隣のおっさんが、どうやって酒を手に入れたのか、あほの俺でも分かった。
人通りの少ない街。普段より、音の少ない街。電線を追いかけ、少し冷たい風に首を竦ませて、ペダルを踏む。
家の鍵をガチャガチャと回す。靴を脱いで、玄関わきの棚にいつも通りに鍵を載せる。あ、と二本のビールを冷やそうと、拾い上げて中に入る。
「ああ、疲れた」
スマホは案外静かだった。もっと、色々、電話とか、まあ電話回線はパンクしているようだけど。LINEとかメールとか。ネットもつながりが悪い。何時もより多めに回っております……。
「やっぱ世界は終わるのかねえ」
カーテンを開くと、隣のアパートとアパートの隙間に鉄塔が見えた。灰色の雲が、くすんだ黄色に染まっていた。黒い影が二つその前を横切っていく。ぼりぼりと右足を左足でかきながら、暫く夕焼けを眺めた。
「夕飯、何にすっかなあ」
独りで暮らすと、独り言が多くなる。取り合えず水道を捻ってみるとまだ水道も出ていた。飛び散った水滴を見ながら、誰かが働いている、そう思った。それが、ふと、とてつもなく尊い事だと思えた。
「俺も、尊い事したかねえ」
普通に授業をした。
特に、語る様な人生訓も、最期の言葉も持ち合わせていないから。
授業を聞きに来た生徒たちも、普通に寝てたり、普通にノートをとっていたり。教師なんて大層な仕事についているのに。単に、数Ⅱを教えて。
ふと煙草の香りを想い出した。吸いたくなったけど、あいにく、家には煙草はない。
米をといで、炊飯器にセットしながら、せめて炊けるまでは、電気があると良いなあ、などと思う。
「ま、シャワーでも浴びるか」
せめて、シャワーを浴び終わるまで、湯が出ると良い。
「俺の事だから、シャンプーまみれの時に、湯が止まったりして…」
シャワーは最後までちゃんと出ていた。一瞬、ちゃんとした服でも着ようかと思って。それから、まあいいわと、肩を竦める。さて飯でもと思って、キッチンに入る。
「うわぁっっ」
文字通り飛び退ったら、キッチンで、勝手にコーヒーを飲んでいた元カノが、カラカラと笑った。もう、三年会っていなかったのに。あの頃と同じように、笑った。どうやら幻覚ではないようだ。つつくと、実態があった。
「な、何してんの?え?鍵、かかっていただろう?」
元カノは、笑って、ジーンズのポケットからうちの鍵を出した。
「合鍵。返すのを忘れたからさ。」
グラスに、冷蔵庫に入っていた麦茶を入れて飲み干す。ふっと、何時もつけている香水が鼻をくすぐった。
でも、もう、あの頃のように、胸が高鳴る事はなかった。
「鍵、変わっていたら、帰ろうって、思ったんだけど。あとは、女の気配があっても帰ろうと思ったんだけどさ。」
その口調で、懐かしさが甦った。
「変わって無いな」
冷蔵庫を開く。スーパーに最後に行けたのは、『あのニュース』の日だから。もう殆ど空っぽだ。茄子と人参を見つける。
「食う?飯?」
「何?」
作業台に茄子と人参を置き、上の棚から豆腐を取り出す。
「んん…こいつらを切って炒めて和風味にするわ。あ、ツナ缶もあったなあ」
「いんじゃない?玉ねぎも入れなさいよ」
飲み終わったコーヒーのカップを流しに置いて、そこに在った玉ねぎを、手に取って、皮をむき始める。俺は、茄子と人参を洗った。向き終わった玉ねぎを貰い、人参を渡す。ピーラー何処、と言われて渡してあげると、丁寧に皮を剥いてくれた。
ガスのスイッチを入れて、フライパンが温まるまでに野菜を刻む。玉ねぎと人参は、流石に多いから、みそ汁用に小さい鍋に放り込んで茹でる。出汁パックも一緒に放り込む。油を敷いたフライパンに、水けをふいた豆腐を乗っける。ぶぶぶっと抗議の唸り声をあげながら豆腐が躍るのを、二人、なんだかおかしくて笑った。散々虐められ焦げ目のついた豆腐を一回出して、玉ねぎと人参を炒める。ついでに元カノが発掘したニンニクもいれた。みそ汁の鍋には、冷凍庫に入っていた、油揚げもいれた。茄子を突っ込み、ツナ缶も入れて、豆腐を戻し、鶏がらスープの素を、酒やみりん、少しのラー油としょうゆと混ぜてぶち込む。フライパンを振ると、具材が綺麗な弧を描いた。
「皿は?」
「何でもいい」
食器棚から、大きめの皿が一枚取り出された。
「あ、これ」
笠間焼の皿。少しグレーが勝ったつやと黒い斑点が浮き出た皿。
「火祭りで買ったやつ」
「割れずにあったんだ」
ことんと置かれたそれに、湯気の立った料理を盛り付けた。胡椒を振り入れて、おしまい。
「人生最後の食事は、名もなき野菜炒め、肉抜き、か」
「肉、食べたかったの?」
「和牛とは言わん。鶏ひき肉でも良いんだけど」
「美味しいじゃん」
「美味しいわ」
「あんた、昼間何してたの?」
「お前は?」
「電車乗ってた」
「は?」
「環状線」
「へえ。動いてたんだ」
「うん。レイプとか強盗とかされるかと思ったけど」
「え?」
「特に何もされず。一日中、回ってた」
「ふうん」
「色んな人が居た。でも、皆、もうすぐ死ぬんだわ」
箸に挟まれた茄子から、たれがぽとんと白いご飯に垂れ落ちた。
「生徒にな、学校来た理由を聞いたら。親に、明日が在ったらどうすんの、って言われたっつってたわ」
「凄い親ね」
「ああ。シングルマザー。確か看護師だったな。」
「へえ。逞しいね」
「もう一人は、親が自分と弟を置いて、妹だけ連れて、逃げちまったんだと」
「シェルター?」
「多分な。」
「で、学校来たの?」
「ああ。そう言ってたぜ」
「それも、逞しいね」
「そうだな」
何故かおかしくてクスッと笑う。
「この味噌汁、出汁、美味しいじゃん。どこの?」
「久世福商店て知ってる?」
「ああ。知ってる知ってる。」
「独身貴族の贅沢だ」
「てかあんた、普通に仕事、してたの、今日」
「そうねえ」
「なんで」
「さあ…先生だから?」
「ふうん」
「休校しないって決めた校長は、来んかった」
「ま、普通ね」
「教頭は来てたわ。覚えてる?村田って。歴史の」
「ああ、地味なあの先生?まだ生きてるんだ」
「大牟田先生も生きてるぜ」
「ありをりはべり?」
「他は覚えてねえの?」
「いまそがり」
ふっと教室の匂いを想い出した。
「諸行無常。鐘の音が諸行無常って、今なら解る。」
「なんで?」
「匂いは、同じ匂いをかいで思い出す事あるでしょう?でも、音は違う。二度と同じ音なんかないし」
「炊飯器の音は、毎日同じだろ。あとスマホの目覚ましも」
「炊飯器、って…」
ぽつん、ぽつんとどうでもいい互いの近況を話して、食べ終わった食器を洗った。ソファーの前に、あの頃のように座り込む。テレビもつかない。元カノが言うので、試しに災害用のラジオを付けてみたら、番組をやっていた。何時ものDJではないけれど。明るい声で、笑い飛ばしていた。
「結構、居るんだね。」
「ん?」
「いつも通りの人。ラジオって凄いよね。まあ、機材があれば、数人でも出来るから?」
「だから、災害にはラジオだろ」
「私が言うまで思い出さなかったじゃん」
「いっつもRadikoだからさ」
「ああ。」
二人、冷蔵庫で冷やしておいた、貰い物のビールを傾ける。
「あ、香水」
元カノが呟く。ラジオから、ギターの音が響いてくる。
瑛人の香水だ。やけに耳に残るメロディーで、流行っていたのかよく流れていたから覚えている。
「…うちらも三年ぶりだ」
「そうだっけ?」
「違うのはさ、クズは私。空っぽなのも私。」
「そう?」
他に言葉が見つからなかった。テーブルの上、汗をかいたビールの缶からの水滴がくっついていた。表面張力で、必死で丸くなって。零れないように。キラキラ、キラキラ光っていた。ふっと口を開く。
「液体の界面にある分子は、ダングリングボンドっていう、共有結合してない電子があるんだ。自由エネルギーが高いから不安定。だからさ、表面積をできるだけ小さくするために、丸くなるんだ。それが表面張力。お陰で、水滴がコロコロ転がってる。」
「何、言ってんの?」
じゃがりこをぽりぽり食べながら、振り返る。そのくずが唇にくっついていた。それだけだ。
「わからん。なんか悟った気がした。」
首を傾げる。
「気のせいだったみたいだわ」
だから、まあ、いっか、そう思った。なにがいいのかわからんかったけど。
「そうみたいね」
ラジオは、まだやっていた。ずっと昔はやった、バラードが流れていた。
「あたしの香水はさ、CalvinKleinだよ。」
「へえ」
「あんたの柔軟剤は、あの頃と同じ。あんたの料理の味、あの頃と同じ」
「少しは腕あがっただろ?」
「あの頃、ちょっとは、楽しかった?」
「お前は?」
「戻りたいとは思わないけど。幸せだったわ」
ビールの缶が、ぺきょっと音をたてる。
「きっと、何回繰り返したってさ、また、俺がふられるぜ」
傾けても、もう空っぽだった。
「そう?」
「そう」
パッと明かりが消えた。停電したらしい。
まあ、いいや。ビールもなくなった。
立ち上がって、二人、アパートのベランダに出る。周りの明かりも全部消えていた。
「やっぱり曇ってるな。世界中が停電したんなら、星空でも見えるかと思った」
部屋の中からは、まだラジオが頑張っている音。
「人生そんなもんでしょう」
しずかなギターの音がする。
「雲、赤く光ってるな」
鉄塔が真っ黒に浮かび上がっていた。幾何学が綺麗だ。
「隕石の光、かな」
あの鉄塔に登って、先端に登って……。
「夕焼けみたいだ」
「朝焼けみたいよ」
二人手すりにもたれて、ぼんやりと空を見上げた。元カノが持っていた缶の表面も汗をかいていて、水滴が、ルビーみたいだった。
「キスでもする?」
「しないよ」
「そうね」
少し湿った風が吹いていた。どこかで、犬が鳴いている。
「あ」
「何よ」
「折角レンタルしたのに、映画見てなかったわ」
「ふうん。私も、コンサートの払い戻し、まだだったわ」
そうだ、だから俺達は、付き合ってたんだなあ。
眩しくなってきた光。
表面張力でふくらんだ水滴がルビーからダイヤに変わった。




