婚約破棄
人には最初から割り当てられた役割があって。
そこから逸脱しようとすれば強制的な力が働いて決められたレールへと戻される。
そんな考えが頭をかすめてしまったのは、自分が置かれている現状を受け入れたくなかったからなのかもしれない。
昼休みという限られた時間の中で、私は婚約者であり、同期でもある佐藤剛人に急に呼び出された。
170cm半ばの身長に筋肉質な体躯、黒髪黒目の爽やか系スポーツマンという雰囲気を装った剛人は、その爽やかさをかなぐり捨てたような目で私を睨んでいる。
「里奈、お前には可愛げってものがないんだよ」
職場の後輩の肩を抱き寄せながらそう言われて。
じゃああんたには甲斐性ってもんがないのねって、思わず言いたくなった気持ちをグッと堪えた。
結婚の約束までした相手は、かつて愛しげに見つめてくれた瞳に冷ややかな光を湛えてこちらを睨んでいる。
「先輩、ごめんなさい。私が悪いんです!」
「いや、君は悪くない。これは俺とあいつの問題だ」
まるで安い三文芝居のようなやり取りを目の前で繰り広げられて、私の心の中にシンッとした冷たさが広がった。
目の前の女、小野結衣は今年の新入社員だ。
肩までつくくらいの茶色のゆるふわヘアにクリッとしたつぶらな瞳。
150cm半ばの華奢な体は庇護欲をそそるだろう。
対して私の身長は160cmを超えているし、切れ長と言えば聞こえはいいが、きつめの目をしている。
黒髪ストレートの髪の毛は顎のラインで切り揃えられていて、可愛らしさとは縁がなかった。
可愛げ、ね。
そんなもの昔からなかったでしょうが。
そう思いながら目の前の二人を眺める。
自分と私の問題だというのならなぜその女はここにいるのか。
そう問い詰める言葉が口をついて出そうだったけど、目の前の後輩が相手の影で微かに嗤ったのが見えて言うのをやめる。
後輩という名の略奪者にこれ以上振り回されたくない気持ちが強かったせいもあった。
さらにはまるで負け惜しみのような言葉を言うことによって相手に優越感を与えたくなかったのもある。
何年ものつき合いで私という人間を理解していたはずの相手が急に見知らぬ人になったような気がした。
もはや関係を修復するのは不可能。
そんなこと考えなくてもわかるし、私自身そんな気持ちすら失せてしまった。
残ったのは積み重ねた時間に対する虚しさだけ。
だいたいにして、浮気をしたくせに開き直っているのも気に入らない。
好きな相手ができたのならなぜ私と別れてからつき合わないのか。
こっそりつき合ってバレてから言い訳がましいことをいう相手に、こんな人を好きだったのかという苦い後悔を感じた。
少なくとも昔はこんな人じゃなかったはず。
それとも私の感傷的な気持ちがそう思わせるのか。
相手が変わっていないのであれば私の見る目がなかったことになるが、でもやはり昔はきちんと筋道を通す人だったように思う。
人はつき合う相手や友だちによって変わると言うものね。
そう思いながら冷めた目で二人を眺めていると、さすがに多少の後ろめたさを感じたのか剛人からさっきまでの勢いがなくなっていく。
「とにかく、お前がなんと言おうと俺は彼女とつき合うことにしたから」
そう言って後輩の女の肩を抱く相手に、私にはもはやかけたい言葉もなかった。
「そう。好きにすればいいわ」
あっさりと私が言ったからか、剛人は一瞬その言葉を理解できなかったようだ。
「泣いて縋っても無駄だからな」
「そんなことするわけがないでしょう? さっきから好きにすればいいって言ってるのに聞こえないなんて、耳が悪いの?」
「なんだと⁉︎」
激昂したところで相手にはせず、私は壁にかけられている時計を指差しながら言う。
「ところで、昼休みもそろそろ終わるからもういいかしら?」
あんたたちにつき合ったせいで昼休みが潰れちゃったじゃない。
「あ……ああ」
さっきまでの勢いはどこへやら。
なぜか少し戸惑ったような反応をした剛人が歯切れ悪く答えた。
「わかったならいいんだ。これから俺たちの邪魔をしないでくれよ」
そう言って、今日まで婚約者だったけれどクズ男に成り下がった剛人が女の肩を抱き寄せながら去って行こうとする。
「あ! 待って」
ふと、忘れていたことを思い出して引き止めたら、それみろとばかりに相手が振り返った。
「やっぱり俺のことが好きなんだろ?」
自惚れ男の発言に、こんな男が好きだったなんて! という絶望感に駆られながら私は訂正の言葉を発する。
「まさか! あなたなんて熨斗つけてあげるわ」
そう言うと私は自分の左手薬指にはめていた指輪を引き抜いた。
そしてそれを剛人に向かってポイッと放る。
「いらないから返すわね」
「なっ!」
なぜ腹を立てるんだか。
いつまでも私がこの指輪をつけながら婚約者の顔をしていたら困るくせに。
それとも泣いて縋って欲しいとでも思っているのか。
そう思いながら見ると、怒りに顔を染めた剛人が床に転がった指輪を拾った。
「後悔しても知らないからな」
そして捨て台詞を吐くと今度こそ後輩を連れて去っていく。
チラリと。
肩を抱かれながら少し振り返った後輩は私を見てまた嘲笑った。
もちろん剛人からは見えない死角から。
いい性格してるわ。
おそらく後輩のそんな性格には気づいていないであろう相手に『ご愁傷様』と心の中で呟く。
あの女は一筋縄ではいかない。
そう思わせるだけの毒があった。
せいぜい騙され続ければいい。
そう心の中で毒づく。
そして女の本性に気づいた時に、知らなかった分より一層傷つけばいいのだ。
そんなことを思った私もまた性格が悪いのだろう。
そうでも思わなければ立っていられなくなりそうだなんて、絶対に認めたくないから。
読んでいただきありがとうございます。
当作品は同タイトルの作品の改稿版になります。
よろしければブックマーク登録や評価などをしていただけますととても嬉しいです。
よろしくお願いいたします。




