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 意宇おうの里のあるわずかな水田地帯。その水田の中にある、ちょうど大倭の耳成山とよく似た神奈備山と反対側に、宮山はある。それほど高いわけでもなく、神奈備山の半分もないだろう。多くの山々が連なっている内のひとつで、どこまでが宮山なのか判別しにくいが、登り口だけはわかる。神坐の森のところがそうだからだ。


「宮山とは、たたりの山だ」


 と、ウガツクヌは言った。


「昔から足を踏み入れた者はおらん。入ったら死ぬっちいわれちょうけん」


 国庁の一棟の一室には、またしても西日がさしこんでいた。イヒイリネの遺体発見から、ちょうど丸一日がたってしまったわけである。


「なぜそのような無気味な山が、こんな意宇のような人里近くにあるんです?」


「知らん。とにかく足を踏み入れたばかりに、狂い死にした者がおっただ。そいつは死ぬ前に『いけんいわれちょうことは、するもんじゃなあ』って、そう言い残して死んだということだが」


「しかし木剣があの山の登り口でみつかったということ、そして血痕もあったし、父上はあの山の中で殺されたんじゃありませんかね」


「そんな」


 ウガツクヌは顔を曇らせた。


「あの山にだけは入ったらいけんっち、ちっちゃい頃からわしにくりかえし言うてごしたんは親父だがね。そげなとこに親父が行きなるなんて」


「しかしあの山で殺されて神路の海まで運ばれたっていうことも、考えられると思いますけどね」


「信じられん」


 ウガツクヌは首を激しく横に振った。

 なすとこなく日は暮れる。

 

 ところが翌日には、ただならぬことを注進しに来た国造家の家人がいた。

 宮山、神坐の森、その一直線上のほど近いところに、国造の私邸はあった。意宇の里の中心だ。ところがその里人たちの間で、ある噂がひっきりなしに流れているというのだ。

 国造イヒイリネは禁を破って宮山に入り、宮山の神の怒りにふれて神気にて一刀両断にされたのだというのが噂の内容だった。そしてケサリも同じで、宮山を守るはずの彼が出雲臣いずものおみの留守中にイヒイリネに入山を許した罪で神の怒りにふれたのだと、ほとんどまことしやかに人々の口にあがっているという。

 国造家の周辺は竹林が多く、風が吹くとそれが涼しげな音を奏でる。暦の上では秋といっても、日中はまだそのような涼の要素がないと、ふと汗ばんだりもしてしまったりする頃だ。


「親父が宮山へ入るなど、まず理由がない」


 と、ウガツクヌは言った。

 最後の力をふりしぼるような蝉の声が、高床の屋敷の中まで響いてきた。


「たとえ神罰に触れたとしてもだな、それより先にどげな理由で親父が宮山へ入らんといけんかったんか。まずそれがわからん」


「その宮山の神とは? どうしてそんな山に入っただけで、神罰などくだすんですか?」


「それは」


 ウガツクヌは口ごもった。大倭の者には言えない事情がどうもあるらしいと、タケモロスミはすぐに察した。


「どうやらこの国には、いろいろと複雑な事情がおありのようですな」


 ため息っぽく、タケモロスミは目を伏せて言った。


「俺はこの国は初めてですけどね、海路かいろこの国に入った時、実はただならぬ神秘を感じたんですよ。まさしく神の国というか、そんな神気が漂っているような気さえして身が浄められるような思いだったんですよ。でもねえ、内実はなんかもっと、ドロドロしたものがあるようですね」


 そんなタケモロスミの言葉は、明らかにウガツクヌに不快の念を感じさせたようだった。ウガツクヌは口をつぐんでしまっている。


「しかしケサリまで殺されたとなると、あてがはずれた。そうなった以上考えられるのは、やはりお父上を殺したのはケサリで、誰かが仇を討ったのか。もしくはお父上とケサリの両方を亡き者にする必要のある、そんな別の存在があったのか」

 タケモロスミのその言葉には答えず、少し間をおいてからウガツクヌは下膨れの顔をようやく上げた。


「勅使殿。あなたへの疑いは晴れたというわけではなあことも、忘れんどいてごせ」

 先程のタケモロスミの発言よほどカチンときていたらしく、トゲのある言葉を吐いて、ウガツクヌは対座した席を立とうとした。その一度は立ちかけたウガツクヌをまた元の座に座らせるのに充分な言葉を、タケモロスミは言った。


「俺は今から、宮山へ行ってみようと思う」


「え? 宮山へ? いけん! それは絶対にいけんわ!」


「いいじゃないですか。俺はどうせ大倭の人間だし、あなたに言わせれば、馬に乗ってやって来た得体の知れない部族なんでしょう。あなたのご先祖のあめ菩比ホヒのみことを遣わした邪馬台やまと巫女みことも、何らつながりはありませんしね。こんな俺が祟られようと神の怒りに触れようと、どうなたっていいじゃありませんか。俺は自分が大倭の勅使であるという使命を考える時、俺自身が国造殺しの疑いを持たれているってことに耐えられない。意地でも真実をつきとめたい。そう思うんです。だからどうしても、宮山へ行ってみる必要がある」


「いけんですわ。やめたがええ。悪いこと言わんですけん。わしは出雲の国造家のはしくれで、これでも一応は神を斎き祀るみ役の者ですけんね。そげなことは許しとうはなあですが!」


「神祀りの者すら入れないのか」


「ええ、悔しいですけどね。今は留守しちょう出雲フルネだけが入れる、そげな山ですけん」


「そのフルネが入れるのなら、同じ人間である俺が入れないわけがないじゃないか」


 寄りすがるようにしてとめるウガツクヌを、タケモロスミは振り払って部屋を出て行った。


 従者もつけず単身のタケモロスミは、神坐の森の入口の石段の下を横切った。道が登り斜面になる。

 それが急勾配になると、いよいよ宮山の入口だ。肩で息をしてしまうような坂道はほとんど獣道で、右に左にと激しくカーブをしながら登っていく。右手は杉の木の林で、左は熊笹の生い茂る斜面がほとんど垂直に、道まで落ち込んでいる。

 すぐにパッと視界は開け、やや平らな場所に出た。

 山の頂上と思しき峰は、まだ向こうに見えている。山といってもそれほど本格的な山ではなく、ちょうど大倭の天の香具山程度の山だ。だから頂上まで登って降りてきても、昼前には意宇の里に戻れそうだ。

 土が赤いと、タケモロスミは思った。山の麓までは大山だいせんの火山灰土らしく、土は黒かった。山上の赤土の斜面の右下には谷間が広がり、麓の池、背後の神南備山、はるか遠くには神路しんじの海と北山山脈などの風景が立体的に、そしてすべてがひとつの視界の中に展開する。

 その平らな場所を横切って、頂上のさらなる登り口へとタケモロスミが歩を進めようとした時だった。

 ものすごい圧力が前方から襲ってきた。何かに押し返されるようだ。目をこらして見ても、自分の前にあるのは空間だけだった。まるで突風の中を無理に前進する時のように、圧力を全身に感じながらもタケモロスミは歩いた。それはまた、深海で水圧に耐えつつ泳ぐようでもあった。

 そうして小さな峠を越えた時に、彼の目におびただしい数の巨石群が飛びこんできた。目に見えない圧力は、ここから来ていたらしい。

 巨石は別に規則的に並んでいるわけではなく、木立ちの間に固まってころがっているだけだ。範囲も決して広くはない。広くはないがたしかに、ものすごい霊力がある。

 それに見とれているうちに日が翳ってきたのを、タケモロスミは感じた。空を見上げると、いつの間にか雲が立ちこめている。山へ登る前に、あんなにも快晴だったのだ。


 しまったと彼は思った。

 大倭を出発する前にこの土地をよく知っている仲間が、向うへ行ったら乾飯かれいい忘れてもみの忘れるなと言っていたのを思い出した。

 ところがこの妖雲は、単なる天候の変調ではなさそうだ。突然あたりに霧が立ちこめはじめ、一寸先ほども見えない状態になっていったのである。

 タケモロスミはなすすべを知らず、ただ立ちすくんでいた。ウガツクヌの忠告を聞いておけばよかったかもしれないという思いが、瞬時彼の頭の中をよぎったのも事実である。


 しかし次の瞬間にも、何も見えないはずの眼前にはっきりと、いるはずもない人影を彼は認めていた。しかもまるでそのあたりだけ霧が晴れているように、人影は次第に輪郭を明確にさせつつあった。

 やせた、背の高い男だった。鼻が高く、その赤ら顔は異国的で、さらに気品というものさえ感じさせた。

 恰好いでたちはタケモロスミと変わらず、頭髪もみずらを結っている。表情は厳しい。しかしわずかに笑みが含まれていることを、タケモロスミは感じていた。


 タケモロスミは濃い霧の中で、もう一度その男の姿を凝視した。そして思い切って、語りかけてみた。


「あの、あなたは……? ここは、誰も入れないはずでは?」


 男の表情が変わった。柔和さが増したのである。


「私はウマシカラヒサといいます。あなたのおいでをお待ちしておりました」

 金属を叩いた時に発するような、鈍い声調だった。


「俺がここに来るのを? なぜそれを? 誰から聞いたのですか?」


「誰から聞いてはおりませんよ、タケモロスミ殿」


「えっ!」


 なんと名前まで知っている。タケモロスミはあまりの不審さに、首を横に傾けた。


「あなたはいったい…… 国造家のゆかりの方ですか? それとも出雲臣いずものおみの?」


「いえ、私はそのどちらでもありません。私の祖先は海を渡って、この国へやって来たのです。ちょうどこのクナト国と、まだ筑紫にあって女王()巫女みこが治めていた邪馬台やまととは、一大敵国で争っていた頃でしたけどね。私の先祖は、はじめは侵略者として受け入れてはもらえませんでしたけど、山の民の間では熱狂的に迎えられたのですよ」


 容貌は自分でも言っているように、たしかに大陸系だ。しかしあきらかに韓人、漢人とも違う異人種の要素が、この男には混ざっている。


「ま、私の家に行かれませんか」


 ウマシカラヒサ(甘美韓日狭)は、さっと右手を挙げた。とたんに霧が晴れていく。そればかりか雨もやみ、彼ら二人の頭上にだけぽっかりと、雲の割れ目ができた。

 タケモロスミが呆気にとられているとウマシカラヒサはくるりと背を向け、巨石群の方へと峠道を下りはじめた。タケモロスミはあわててそれを追う。巨石群のまわりには鬱葱と木々が茂り、そのすきまから向こうの峰が姿をのぞかせていた。峰は三つ。どれも同じ大きさだ。きれいに椀を伏せたように、三つの丸型の山が並んでいた。どの峰も熊笹で覆われており、樹木はなかった。


「あの三つの山は、向かって右が火の神様、左が水の神様、そして真ん中が天地創造の神様のお姿なんですよ」


 ウマシカラヒサが説明をしてくれる。自然の造形とはいえ、こうまでも幾何学的に配置されていると、タケモロスミは思わずそこに妙を感じ、ウマシカラヒサの言うこともあながち嘘ではないと思ってしまう。

 ふとウマシカラヒサの気配がないことに気がついた。ほんの一瞬、三つの山の方に視線をそらしたすきにである。置いていかれるほど、タケモロスミは足を止めたわけではない。たった今、山の説明を聞いたばかりではないか。

 それが忽如として、ウマシカラヒサの姿はかき消えてしまっていた。

 慌てて立ち止まり、タケモロスミはあたりを見まわした。彼を取り囲む木立ちの中にも、まったく人影はなかった。


「こちらですよ」


 遠くで声がする。それも上のほうだ。巨石群のある森はそのまま傾斜となって、上へと続いている。声はその上からのようだ。

 しかしほんの今までそばにいた人の声が、遥か遠くから聞こえてくるということがいったいどういうことなのか、タケモロスミは全く理解できずにいた。

 声のするあたりからは一本の清水が斜面を落ち、今彼が立っているすぐ脇を小さな流れとなって、下の方へと落ちていっていた。

 とにかく彼は登ってみることにした。清水の流れに沿って、足場を求めつつも彼は斜面を登った。さほど急でもないので、すぐに登りつめることはできたが、そこはまだ頂上ではなかった。

 少し平らにはなっているが、頂上はまだ上だった。左の方からは、先ほどの樹木のない三つの山が間近かに迫っている。いちばん手前の山の裾野と、右手の別の峰との間の谷間は、ゆるやかな三角形の登り斜面だ。その別の峰は森で覆われている普通の山だった。谷間には草が茂ってはいるが木は二、三本あるだけで、清水はその頂点あたりから涌いている。

 谷間に高床式の庵があった。その前にウマシカラヒサが立って、手招きをしていた。


「あなたは妖術を使うのですか」


 小走りに駆け寄ったタケモロスミは、目をむいて言った。ウマシカラヒサはニッコリほほ笑んだだけでそれには答えず、近くの木の切り株を座にとタケモロスミに勧めた。

 もうすっかり晴れて、空は青空になっていた。

 またここも実に眺めがよい。意宇の里はもちろん、神路の海、中の海、北山連山などが一大パノラマだ。

 斜面を登ってきた時は、タケモロスミは汗だくだった。しかしその汗も、下から吹き上げてくる風の涼でひいていっていた。

 しばらく景色に見とれたあと、タケモロスミはわれにかえって、隣に座っているウマシカラヒサの横顔を見た。


「あなたはもしや、俺がいちばん気にしている事件について、何かご存じなのでは?」


「ん?」


 ゆっくりとウマシカラヒサが、こちらを見る。


「国造のイヒイリネが殺された。しかもこの宮山の中でだと俺は思うんです。あなたそのことについて、何かご存じなのではないですか?」


「いいえ」


 首を横にふるウマシカラヒサの表情には、はっきりと笑みが含まれていた。


「嘘だ。現にあなたはこの山の中にいる。この山は出雲臣フルネしか入れないと聞いていたけど、現にあなたがこうして住んでいる。まずそのことからしてどういうことなのかと思ってしまいますしね。そんなあなたが、この山で起こった事件を知らないわけないじゃないですか」


 うなずくだけのウマシカラヒサをタケモロスミはしばらく黙って見つめていたが、やがて大きく息を吐いた。


「そうか。失礼だけど、この山に入ったら祟りがあるというのは、あなたの妖術のせいだったんですね。フルネだけが入れるっていうのも、あなたとフルネが懇意だからでしょう」


「よくもまあそうポンポン思いつきますねえ。とんでもない! 私は立場上、出雲臣家と国造家の板ばさみの中で、育ってきたんですよ」


「ではなぜあなたは、この山に入れるのですか? この山が祟りの山だというのは、どういうことなのですか」


「ここは昔から、クナトの大社おおやしろとともにクナトの大神を斎き祀る霊山なのですよ。この山の風は、麓の里とは違うのです」


 言っていることがわからない。ウマシカラヒサは、この山の空間は次元が異なるということを言いたかったのだろう。しかしその選んだ語句では、タケモロスミには真意は伝わらなかったようだ。


「霊山とは?」


「神様がいらっしゃる山なのです」


 たしかに一歩山に足を踏み入れて以来、神気みなぎる地ということをタケモロスミも実感はしていた。


出雲臣いずものおみの一族、つまり出雲神族は古来からこの山のクナトの大神を祭祀してきましたからね、フルネも祟りを受けずに入れるのですよ。ところが大倭の天孫族の天の菩比ほひの流れを汲む国造家はそうはいかない。入ればたちまち祟りを受ける」


「では、あなたは?」


「私の祖先も、この山とは因縁があるからですよ。私の先祖がはじめてこの国に渡ってきた時、山の民のクズシリカミであったオオヤマツミ様のお導きで、この地で神を斎き祀り、そして…」


 ウマシカラヒサは背後の、小さな庵を指さして言った。


「ここに居を構えたんですよ、私の先祖は。その関係で私も妻と、ここで暮らしているんです」


「奥さんがいらしゃる?」


「ええ。妻は今冬の仕度のため、木の実の採集に出掛けてますけどね」


「木の実?」


「私たちは木の実と、山の獣の肉で暮らしていますから」


「そんな、今の時代に、そんなまだ蛮族のようなことをしているのですか」


「蛮族という言葉はよくありませんね。今でも山の民は狩猟生活をしていますけど、魂の重さは農耕民も、あなたの大王おおきみ様のような騎馬民も同じでしょう。私の先祖は遊牧民でしたけど、この国に来てから山の民を横穴生活からセブリという住居生活へと導いたんですよ。つまり穴居抜けです。それに出雲八重(やえ)がきという法をも定めて、妻込つまごめという略奪結婚も禁止したんです。それまでクナトの国と呼ばれていたこの国を、はじめて出雲とづけたのも私の先祖です」


「あなたのご先祖って…? みんなはあなたのような方が、ここに住んでいることを知っているのですか?」


「いいえ、私はもっと西の、杵築きつきの南の須佐すさという所に住んでいることになっています。そこが私と五十猛いそたけ族の本拠地ですから」


「須佐? あなたのご先祖って、あのもしかして…」


「ええ。でも同じスサでも、私のご先祖は、本来はずっとずっと西、魏や蜀の国より西のメソポタミやという土地の、バルチヤという国のスサの出身なんです。大昔はその地方の王だった家系なので、私の先祖はこの国でもスサの王と名乗っていましたけどね」


「やっぱり」


 話には聞いたことがある。かつて築紫の大倭(邪馬台)時代に女王の弟として政治を補佐していたが、追放されてこの出雲に至った者だ。ウマシカラヒサはその子孫だったのだ。

 しばらくの沈黙のあと、急にタケモロスミは立ち上がった。ウマシカラヒサの前に、仁王立ちになった。


「これでわかった。イヒイリネを殺したのは、あなただ!」


「突然、何を言いますか」


 依然落ち着いて座ったまま、あわてる様子もなく、ウマシカラヒサはタケモロスミをほほ笑んで見上げていた。

 そんなウマシカラヒサを見おろして、タケモロスミは怒号を続けた。


「あなたは出雲臣でもなく、国造家でもない。だから神宝大切さに国造を殺すこともできたし、出雲臣家の長老ケサリをも殺した。そして次は俺だろう。大倭に親密な国造家とも違って、大倭とも無縁だしな。これで辻つまがあう」


 言い終わらぬうちに、タケモロスミは腰の剣を抜いていた。

 だがその瞬間、彼の全身は見えない手でわしづかみされたように、身動きひとつできなくなった。額に油のような汗がにじむ。


「おのれッ! また妖術を使うか。卑怯だぞッ!」


「あなたとはゆっくり話がしたい。しかし今日のところはお帰りください。ただ、私はあなたが言うようにイヒイリネを殺してはいないことだけは、はっきりと言っておきます。それに私は、本当の犯人を知っています。それは、今は言えません」


 その時タケモロスミは全身が雷に打たれたような衝撃にみまわれた。

 自分の頭や肩を激しく叩いているのが豪雨だということに気づくのに、しばらく時間がかかった。

 全身がずぶ濡れになり、われに還って空を見上げた。図太い雨の束が真っ暗な曇天から、しきりに落ちてきては大地をうがっている。

 今自分が立っているのは、初めてウマシカラヒサに会った場所だ。そこまで、瞬時に移動していたのである。

 空に閃光が光る。稲妻とともに、雷鳴が山全体に響きわたる。まだ昼前のはずなのに、さっきまでの晴天が嘘のように周りは夕刻のように薄暗い。

 タケモロスミは気味悪くなり、とにかく山から降りようと豪雨の中を走った。雨滴が激しく顔にあたる。地面はほとんど水にたまりで、茶色い泥水が流れとなってしぶきをあげ、山の下へと向っていた。

 また空に稲妻とともに、雷鳴が轟く。

 その時背後から、人が飛びかかってきた。稲妻とほとんど同時だった。

 とっさにタケモロスミは剣を抜く。それに別の剣が、ものすごい力でぶつかる。瞬間彼の頭の中を、山の神の祟りという言葉が飛来した。

 金属同士がぶつかりあう音が、豪雨の爆音の中に響く。いつしか激しい鍔ぜリあいとなっていた。

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