刀の神と光の子 〜弐
「親父。あんたが死んだ時、俺も死んだ。
俺はいつ死んだって良いが、あいつらにゃ未来があんだろうよ」
門下生を思って呟く
何の罪も無い者が命を落とす
戦場なら仕方の無いこと
殺せば殺しただけ英雄になるから
でも違う、此処は戦場ではない
そして、門下生達には何の罪もない
玄信の頬を伝う一筋の泪
藤原道場は玄信の全てだった
食う、寝る、遊ぶ、鍛える
幼い頃の父との思い出
父との突然の別れ
門下生達との思い出
本当に厳しい父親だった
しかし、だからこそ、今の自分がいる
玄信にとっての総て
其れが藤原道場
「断れば全て消すんだろう。其れが貴様のやり方」
領主の顔を思い浮かべる
移住しなければ、恐らく道場も焼き尽くされる
玄信は、武士との話し合いの中で領主の思考を詮索した
其の結果、移住する苦渋の決断をした
領主の下命を遂行し、復命の為帰城した武士
安堵感に達成感、その足取りは軽かった
一方、全てを背負い、雉に移住する決意をした玄信
二人の気持ちは対極だった
そして玄信は、荷造りを始めた
其の日の空は、雲一つなく晴れているのに何故か暗い
そんな不思議な空だった
其の出逢いは必然だったのかもしれない
人は其れを運命と呼ぶ
遺伝子が規則正しく、複雑に絡み合う様に
歯車は確実に噛み合い、道は開かれる
玄信が雉の村に着いた時、村は玄信を迎え入れる体制として十分ではなかった
領主直轄の戌の村から突然来た男、玄信
村人はどう接して良いかわからなかったのだ
雉の村人は、申の村人と友好関係にあった
其の申の村が鬼に攻撃された際、領主は戌の村の武士を派遣しなかった
言わば友を見殺しにされた様なもの
直接口に出さないものの、戌の村の武士であった玄信の移住を快く思わない者は多かった
中でも特に警戒していたのは桃の祖父母である翁と嫗だった
「桃を城に連れ戻そうとしている」
二人はそう思っていた
しかも、玄信が住むことになったのは、桃達の住む家の隣
その空き家に玄信が住むことになった
翁達の心配は尽きなかった
そんな村人の気持ちを痛いほどわかっていた玄信
逆恨みをするような下衆な男ではない
だからこそ、村人に対する言葉遣いや態度にも気を払っていた
其々の思いが交錯する中、一ヶ月が過ぎた
玄信は口数の少ない男だったが、村人達の農作業や狩猟を良く手伝った
また、自分から申の村を救わなかったことへの言い訳をする事はなかった
一所懸命働いた
玄信が雉の村に来てから、雉の村に一人の武士が現れた
武士は言った
「鬼退治を始めることになった。毎年一人、村から精鋭を出すように。」
実に下らない
無益な殺生。いや、殺されるのは此方の方だ
止めさせたい
強い思いが玄信を包む
歯を食い縛り、拳を強く握る
そうか、俺が行けばいい
「俺が行く」
玄信はその逞ましい右腕を挙げて武士に近付いた
雉の村人は唖然として玄信を見つめる
申を見殺しにした戌の武士がどうして
口には出さないが、皆そう思っていた
未だ打ち解けてない
其れでも雉の村、人を気に入っていた玄信
「人の良さは村の風と匂いでわかるもんだ。あとは飯だ。
目は見るためじゃなく、抜く為にあんだ。其れが見抜くだ。
まぁ、まだお前にはわからんな」
幼い頃、玄信が父である一刀斎から良く言われた言葉
玄信は雉の村の風、匂い、飯が好きになっていた
何しろ、雉の村人達には何の罪もない
領主のふざけた思い付きで、人が死ぬのは耐えられなかった
玄信からの申し出を受けた武士が馬上から一喝する
「たわけ者がっ!貴様は戌の武士じゃろう!私は雉の村から、と言ったのだ。」
武士は間合いに入ってきた玄信に耳打ちする
「言う事を聞かぬなら雉を潰す。領主様は新しい町を次々に手に入れている。
村人を出さぬなら、もうこの村に用はないなぁ」
玄信は眉をピクリとさせた後、武士が着ていた甲冑の膝小僧の隙間に手を差し入れ、力を入れる
突然のことで武士の動きが止まり、馬上から引き摺り降ろされそうになる
更に玄信は武士が下げている刀の柄に手を伸ばす
其れは一瞬とも言える時間の流れ
蛇口を止めた後、残りの水滴が地面に落ちるまでの刹那とすらとれる時間
「も、門下生と、どど、道場を燃やすぞ」
動きを止めた玄信
顔が曇る
体勢を整える武士、そして低い声で言う
「今の無礼は許してやろう。しかし忘れるな。
貴様は捕虜の身だという事を。父が父なら、子も子だなぁ。」
こいつ、殺してしまおうか
尊敬する父の悪口だけは許せない玄信は武士を睨み付ける
でも手は出さない
門下生も道場も、そして雉の村も失いたくはない
武士は踵を返し、捨て台詞を吐いた
「貴様は桃花様だけをお護りしていれば良いのだ」
玄信は思考を巡らせる
桃花
隣の家に住む桃と云う名の女の子
雉の村で桃と名の付く者は確かその子一人
「まさかっっっ!?」
六年前突然失踪した領主の妾
戌の村でも美しいと評判になっていた
名はかぐやだったか
朧げな記憶からかぐやの顔を復元していく玄信
かぐやの顔が桃に重なる
桃
まだ幼いながら端整な顔立ち
澄んだ瞳、絹の糸のように輝く美しい黒髪
そうか、桃はかぐやの娘、か
今まで気付かなかったのが不思議なくらいだった
桃はかぐやの美しさを確かに受け継いでいた
同時に気付く
「領主、貴様は何て鬼畜な野郎なんだ」
桃はかぐやの子
ならば父は領主
自分の子を育てるなら直ぐにでも引き取れば良い
しかし其れをしない
領主はかぐやが去った事を悔やんでいたという噂があった
まだ未練がある
かぐやの美しさを受け継ぐ桃を外で育てさせ、そして、成長した後にまた妾として囲うつもりか
玄信は怒りに震えた
父が殺そうとした男はやはり屑だった
父は間違っていなかった
すれば、あとは父の果たせなかった遺志を継ぐだけ
総てを悟った玄信は、新たな決意を胸に
村を立ち去る武士の背中を見つめていた
武士が去った後、雉の村人は玄信の元に駆け寄った
「今までごめんなぁ。」
「すいませんでした!」
「ありがとうございました!」
其々が思いの丈を玄信にぶつける
中には土下座をしたり、泪を流す者までいる
比較的穏やかな性格の者が多いと言われる雉の村
しかし、申の村が鬼に襲撃された際に戌の武士が助けに来なかった事を恨んでいた者は多かった
戌の村の一武士である玄信
恨みのはけ口を一手に引き受けた形となっていた
実は其れも領主の狙い
剣豪といえども、人の精神はそもそも丈夫ではない
玄信を道場や門下生から切り離し、雉の村で孤立させる
領主は玄信も始末したいと思っていた
しかし出来なかった
玄信には人を惹きつける魅力があり、また人を統べる力もあった
玄信を殺せば藤原道場門下生を始め、多くの武士が領主に反旗を翻す
其れは避けたかった
そして思いついたのが派遣
雉の村に鬼が攻めてきた時の用心棒という大義名分を背負わせた
無論、一武士が行った所で村を守れるわけなどない
鬼は規格外の力を持っている
叶うはずがない
そんなことは誰もが分かっていた
しかし、領主の狙いは雉の村に来た武士と玄信との会話で意図せぬ方へと動いた
玄信は其の会話、時間にすればたった二、三分の間で雉の村民の心を掴んだ
玄信の人を惹きつける魅力は本物であった
最初に玄信の右手に触れたのは桃の祖父である翁だった
「すまなかった。お前さんを誤解していたようじゃ。老とるの無礼、許してくれ」
泪を浮かべて謝罪する翁
桃を奪い返されるくらいならと、寝込みを襲って殺そうかとも考えた相手
だから桃を近づけない様にしたし、此れ迄玄信を殆ど無視していた
翁にも罪はないだろう
最愛の娘は領主の妾となり、死んだ
遅くして出来た、本当に大切だった娘
後悔しても仕切れない
あの時かぐやを止めていたらと
その思いは報われない
誰でも過去は変えられることが出来ないのだから
だからこそ、孫である桃を愛そう
かぐやが愛せなかった分まで深く
絶対に桃を守り抜くと決めていた翁
其の両の眼に、玄信は敵にしか見えていなかった
玄信は翁の言葉を受けて、本当に優しく微笑んだ
父が死んでから、あまり笑わなくなっていた無愛想な男
其の男が微笑み、今度は力強く翁の老いた右手を包み込む様に握った
そして言った
「謝るのは貴方達ではない。私の方だ。温かい言葉、感謝する」