刀の神と光の子 〜壱
「お前は、なぜ刀を学ぼうとする?」
「私は、私は…強くなりたい。
それでね、知りたいの。
真実を」
刀の神と呼ばれた男と小さな希望の光は今、一つの目的へと向かい、歩き始めた。
申の村が鬼に襲われたその日、死者は実に百五十人を超えた
生き残った者は数十人だった
しかし、其れはまさに虫の息と呼べる者を含んだ数字だった
数日後、酷い怪我が原因でまた数人の命が消えた
申の村は素破(現代で云う忍者)の村だった
しかし、表向きは商人の村
客商売を生業とする彼ら、普段の性格は底抜けに明るい
活気溢れた村は一転、深い悲しみに包まれていた
半蔵(申の村の村老)は戌の村と同じ様に、雉の村にも遣いを出していた
しかし、申の村に援軍が送られることはなかった
遣いは村を出て直ぐのところで死んでいた
死体の状況から見て、鬼に殺されたのは疑いようがなかった
これだけ多くの人間が死んだのに、鬼の死体は一体も発見されなかった
怪我を負わせただけで、一体も殺すことが出来なかったのだろうか
あるいは、鬼が持ち帰ったのか
赤鬼に襲われながらも楓(小太郎の母)の所まで辿り着けた道助(小太郎の父)も赤鬼を倒せたわけではなかった
赤鬼の一瞬の隙をつき、忍者刀とその鞘を両眼に突き刺せただけ
手甲鉤を得意とする道助
其の道助に楓が渡したのは、自身が愛用していた忍者刀
手甲鉤の狭い間合いは不利だ
死地において瞬時にそう判断した楓の機転は素晴らしかった
手甲鉤を使っていたら、道助は楓のところにたどり着けなかっただろう
赤鬼にとって狭い家の中での戦闘
其の巨体は逆に不利となった
其れでも道助は赤鬼を殺すことが出来なかった
鬼の力は絶大だった
小太郎は道助が赤鬼に突き刺した忍者刀を引きずりながら一度家に戻った
そして、道助が愛用した手甲鉤を取り出した
こんなに泣いたことは今までない
道助の帰りが遅かったことで泣いたり、赤ちゃんが出来たことを聞いて嬉し泣きしたりした
でも、そんなのとは比べ物にならない
息をするのも苦しいし、頭も痛い
泪なのか鼻水なのか、でもどうでもいい
小太郎は手甲鉤を両手で抱きかかえる
生まれ育った家は、数時間前とは全く異なっていた
道助のものだろうか
布団には夥しい量の血痕
其れは楓が好きだった赤色よりももっとどす黒く、お世辞にも綺麗と言えるような色ではなかった
家族三人で川の字を描いて寝ていた布団
再び何かが込み上げてくる
小太郎はその場で嘔吐した
家具もところどころひしゃげている
楓が編み物をするために座っていた椅子はもう原型を留めていない
楓の優しい微笑みが脳裏を過る
道助の豪快な笑い声が空耳のように聴こえてくる
「おっとぉ、おっかぁ。。。。。。」
何度名前を読んでも、振り返っても、もうそこに家族の姿はない
小太郎の名前を優しく呼ぶ声はもう、聴こえない
小太郎は手甲鉤と忍者刀を抱きしめてうずくまった
十数分経っただろうか
小太郎は手甲鉤を抱きかかえ、忍者刀を引きずりながら家を出て半蔵の家の戸を叩いた
「おいらを、おいらを強くして下さい。う、何でもじまず。
うっ。もう誰も殺させない。鬼を倒せるち、力をつけでぐだざい。」
と、泪を流しながら何度も何度も繰り返した
半蔵や半蔵に意見した当時十歳の少年、年配の女達が中心となり、村は少しずつ再建してゆくことになる
其れは牛歩よりも歩幅の狭いもの
本当に少しずつ
村人達の悲しみは深い
節哀順変
雉の村
申の村が鬼に襲われたことを知ったのは、昼を過ぎたころだった
戌の村から現れた武士は
「申の村は壊滅状態である。鬼が現れた。再建には時間が掛かる。
この村もいつ鬼に襲われるかわからん。各自、細心の注意を払うように」
とだけ言って帰った
雉の村も悲しみに包まれた
申の村とは友好関係にあるからだ
実際、仕事や結婚の関係で雉の村から申の村に行った者もいる
桃は、申の村が襲われた夜
何故か眠れなかった
酷い胸騒ぎがして、泪が止まらなかった
「申の村人達の痛みや悲しみ、怒りの泪だったんだね。
私の心には届いたんだ。あの時の鬼の子の仇を取りに来たのかな。
じゃあ、此処にも来るのかな」
領主の城
「殿、何故申の村に援軍を出されなかったのでしょうか。
殿の決断に不満は有りませんが、気に成りました」
甲冑を纏った女が領主に問う
「鶴姫よ。本当はわかっているのであろう。善人ぶるのは貴様の得意技じゃのう。」
領主は嬉しそうに笑みを零す
「ふふふ。貴方も悪いお方ね」
鶴姫と呼ばれた女
体格は男と見紛う程大きいが、其れに不釣り合いと言えるくらいの美貌
大きな薙刀を簡単そうに左手に持ち替え、壁に立てかけた
鶴姫が纏う甲冑は、糸裾素懸威胴丸と呼ばれるもの
真紅に染められた其れは、鶴姫の美しさと妖艶さを一層引き立てている
鶴姫は領主の一番目の妾であり、領主直轄部隊の大駒、飛車の地位に在る女だった
「報告によれば申の村を襲った鬼は数十体。
並の人間が行った所で、結果は変わらなかっただろう。命を賭けて守る価値もない」
不気味な紫の鞘に収められた大太刀、童子切安綱を撫でながら具教が言った
「大駒隊の最高幹部、龍王様ともあろうお方が、そんな弱気でどうすんだかね。
先が思い遣られるぜ」
鎖鎌を振り回しながら具教を牽制した男
名は梅喧と云う
大駒の角行の地位にある男
梅喧がそう言い放った直後、童子切安綱を握る手に力を込めた具教
張り詰めた雰囲気が辺りを包む
「まぁまぁ。僕らが喧嘩をしても始まらないじゃない。
こうして大駒が揃ったんですから、仲良くしてほしいな。
僕たちの目的は天下統一でしょう。ねぇ、殿様」
具教、梅喧をいなした幼い少年
笹の葉を口に咥え、不敵な笑みを浮かべている
年の頃は桃と同じ位にすら見える
其の少年の名は才蔵
まさに美少年
竜馬不在の大駒隊
次期竜馬と噂され、非常に幼い見た目に反して、様々な武器を使いこなす上、軽い身のこなしで相手の一撃を躱す能力に長けていた
具教や梅喧とは異なり、当然だが見た目は腕の立つ武士に見えない
しかし、一言で荒ぶる具教らを抑え込んだ
具教も才蔵に隠された力を見抜いたのだろう
反論することもなく、黙り込んだ
才蔵は続けた
「しかし、このまま鬼を放っておいたら町は滅んじゃうでしょ。
いっそ、大駒を向けて鬼を先に潰したほうが・・・」
「いや待て。具教の話を信ずれば、主らを以ってしても鬼を殲滅するのは容易ではない筈。
復讐に燃え滾る申共、狩りの腕を持つ雉達。
其処に戌を加え、鬼ヶ島への遣いを出そう。そして奴らの動きを見る」
領主は低い声で才蔵の問いかけに答えた
「生贄みたいで面白そうだぜ。ひゃは。」
少しの沈黙の後、口を開いたのは梅喧だった
「して、殿。桃花様は如何しますか?
早急に城に連れ戻さねば、雉の村とて安全な場所ではありますまい」
鶴姫が領主に問うた
桃花とは桃のこと
領主は既にして桃の正体に気付いていた
愛して愛して逃げられた七番目の妾だったかぐや
その美しさは、決して言葉では表現出来ない
其のかぐやと交わい出来た娘
美しくならないわけがない
「死んだと思っていたが、まさか雉で男の名を付けられていようとは。
しかし、あの眼。かぐやの眼じゃ。美しい」
領主はまるで恋人を想う若者の様に感情を込めて呟いた
かぐやとの娘は桃太郎と名付けられていた
しかしその名で呼ぶつもりはない
だから敢えて桃花と名付けて呼ぶことにしていた
大駒達にだけは桃花のことを話していた
「直ぐに連れ戻しはせん。其れこそ雉共の一揆を引き起こす引き金に成りかねんからな。
何しろ、成長を近くで見るよりも、熟れるまで姿を見んで、我慢して戴いた方が何倍も美味いじゃろう。
あぁ、堪らんのう。かぐやとまた交わえるようじゃ」
領主は悦に浸った嫌らしい顔でそう言った
鶴姫は些か怪訝そうな表情をした
領主は構わず続けた
「玄信を用心棒として雉に飛ばせ。
あの男は城の近くに置いとかんほうが良いじゃろう。
其れに、あやつが雉に居れば鬼の襲来時、主らを派遣するまでの時間稼ぎにもなろう」
「成る程。其れは良い判断ですね。玄信を戌に置いとくのは、危険ですしね」
才蔵は相槌を打って近くの武士を呼び寄せた
「聞こえましたね。直ぐに玄信を雉に飛ばして下さい。
殿様の命令ですから。・・・しくじるなよ」
いつの間にか才蔵の手に握られていた脇差
その切っ先は、武士の喉元に当てられていた
速い
部屋にいる誰もが感じた思いだった
才蔵。未だ幼いが、将来侮れん男だ
具教は心の中で呟いた
武士は唯頷き、逃げるように部屋を後にした
戌の村
「一っ、二っ、三、四っっ!」
激しく前後する木刀
門下生達の荒々しい息使い
此処は「藤原道場」
若者達が汗を流しながら、木刀を振っている
彼らの視線の先で腕を組んで険しい顔をする男
彼の名は玄信
先程領主らの話し合いに出てきた男
藤原道場を開いたのは先代
玄信の父である一刀斎という名の剣豪
しかし、一刀斎は若くして此の世を去った
以降、玄信が其の跡を継いでいる
幼い頃から父に鍛えられてきた玄信の剣の腕前は、他を圧倒するものであった
黒い長髪を後ろで結い、無精髭を生やした玄信
筋骨隆々の上、長身も手伝ってか、二十五歳には見えない
そんな男が、重々しく口を開いた
「やめぇ~い!!」
門下生達は、其れまで激しく動いていたのが嘘のように、ピタリと動きを止める
そして、柔らかく流れ落ちる滝の様に、ゆっくりと木刀を前に構えて座り、木刀を鞘の位置に動かす
門下生達は眼の前を強く睨みつけたまま立ち上がり、五歩後ろへ下がった
其々が一糸乱れぬ統制された動き
此処まで訓練されていれば、戦場で多勢を相手にしても、勝利の美酒に酔うことが出来るかもしれない
そう思わざるを得ない部隊だった
パチ、パチ、パチ
道場の入口から聞こえた拍手の音
「貴様、何用だ。」
入口から姿を現した武士に玄信が問う
其の武士は、玄信を雉の村に飛ばす様にと才蔵から命を受けた男だった
武士は玄信の問いに答えた
「忙しいところすまねぇな、玄信殿。領主様からの命だ。雉の村に移住されたい」
時が止まる
門下生の一人が木刀を強く握り、我慢出来ぬといった顔で口を開いた
「貴様ぁっ。何を荒唐無稽にっ!」
玄信が門下生を優しく制す
「良かろう。話しを聞こうか」
玄信が武士に近づく
武士は玄信の迫力に押され、先程から脂汗が止まらない
なんじゃ、こいつ。やはり只者では無い
して、この統率の取れた部隊
そりゃぁ領主様も近くに置いておきたく無いわけだ
武士は凄まじい武気を放ちながら近づく玄信を見て、そう思った
その後、門下生達を全て帰した玄信は、武士の話を聞いた
そして、雉の村に移住する旨を武士に告げ、武士を帰した
「此れで正しかったのか、親父。俺はあんたみたいにしくじりたくはねぇんだ。
少し、道場畳むからな」
玄信は道場に掲げられている絵を見ながら呟いた
其れは玄信の父、一刀斎が厳しくも穏やかな表情で描かれていた絵だった
領主の力は絶対的
玄信が雉の村に移住することを拒めば、当然派遣された武士は殺される
そして、門下生達も殺される
自分が命を狙われるのなら良い
返り討ちにするか、殺されるだけ
「親父。あんたが死んだ時、俺も死んだ。
俺はいつ死んだって良いが、あいつらにゃ未来があんだろうよ」
門下生を思って呟く
何の罪も無い者が命を落とす
戦場なら仕方の無いこと
殺せば殺しただけ英雄になるから
でも違う、此処は戦場ではない
そして、門下生達には何の罪もない
玄信の頬を伝う一筋の泪
藤原道場は玄信の全てだった
食う、寝る、遊ぶ、鍛える
幼い頃の父との思い出
父との突然の別れ
門下生達との思い出
本当に厳しい父親だった
しかし、だからこそ、今の自分がいる
玄信にとっての総て
其れが藤原道場
「断れば全て消すんだろう。其れが貴様のやり方」
領主の顔を思い浮かべる
移住しなければ、恐らく道場も焼き尽くされる
玄信は、武士との話し合いの中で領主の思考を詮索した
其の結果、移住する苦渋の決断をした
領主の下命を遂行し、復命の為帰城した武士
安堵感に達成感、その足取りは軽かった
一方、全てを背負い、雉に移住する決意をした玄信
二人の気持ちは対極だった
そして玄信は、荷造りを始めた
其の日の空は、雲一つなく晴れているのに何故か暗い
そんな不思議な空だった
其の出逢いは必然だったのかもしれない
人は其れを運命と呼ぶ
遺伝子が規則正しく、複雑に絡み合う様に
歯車は確実に噛み合い、道は開かれる