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桃紅の約束 〜終

ドンドンドン


 地下から物凄い勢いで駆け上がってきた黒い其れ

 

「あれは、まさか…」


 黒鬼だった

 地下から解放された黒鬼が、辺りを見回していた

 抑も張り詰めた緊張感が、更に張り詰める


 後を追うようにして走ってきたのは綾や勝俊、元門下生達


 領主は、傷口に手を当てながら、何事もなかったかのように口を開く


「綾か

具教は未だ生きておるぞ」


 事態を把握するのに未だ時間がかかっているのか、混乱したような複雑な表情をする綾

 傷つき、地面に膝をつく領主と、紫の光を纏う桃、黒鬼を交互に見ている 


 黒鬼が領主を見つめる


 領主は焦点の定まっていない目で、桃と才蔵の影を探した


「才蔵、わしは最初から気付いておった…

 お前がわしの息子だとな

 思考、剣の腕、全て、見事だったぞ」


 領主が口から赤い血を吐きながら話し続ける

 

「葛葉には随分と惨いことをしたかもしれんな

 あれも、素晴らしい女性だった」


 才蔵の胸に込み上げてくる何か

 あれほど憎んでいた筈の男の言葉なのに、僅かに視界が滲んでくる

 

「な、何を今更言っていやが…る」


「桃、お前も此処までの働き、見事だった」

 

 桃は歯を食いしばる

 黒鬼は未だ、領主を見ている

 領主の胸の出血が酷い


「大駒を持っていながら、王が歩に負けるとは

 どこで差し間違えたのか…」


 領主は手に持っていた金棒を落としてよろよろと立ち上がった

 其れを待っていたかのように、黒鬼が領主の下へ駆け出し、領主を抱き抱える

 

「桃、才蔵、違う形で逢えていたらと思う…

 かぐや、お前にもう一度逢いたかった」


 領主は黒鬼に抱き抱えられたまま、最後にそう零した

 そして、黒鬼は城を出て、闇へと消えて行った



 誰も動かなかった

 いや、動けなかったと言った方が正しい


 黒鬼に抱かれ、ゆっくりと去っていく領主の姿を見ていることしか出来なかった

 あれほど多くの命を弄び、貪り、蹂躙し続けた男の末路


 其れは、自らが追い求めた鬼に連れ去られることだった

 ただ、領主は自らの運命を受け入れているようにも見えた


「終わった、のか…」


 与一の口から零れ出た言葉

 

「あぁ、終わったんだ

 …いや、始まりかもしれねぇけど」


 小太郎が其れに答える


「取り敢えず外に」


 雷切を鞘に納めながら、ぎこちない足取りで外に出た桃

 次いだのは、駆け出してきた綾


 二人の視界に飛び込んできたのは玄信だった

 厚い雲は消え、代わりに顔を出し始めた幻想的な丸い月が玄信の顔を照らしていた

 玄信は腹部から流れる血を右手で押さえながら駆けてきていた

 自身を睨みつける綾の視線に気付かない振りをして、玄信が口を開く


「桃、無事か?

 って、おい、今の!?」


 玄信だけじゃない

 天守閣前にいた全ての者たちに見えていた

 黒鬼に抱かれて、闇に消えていく領主の姿


「終わったの…全て」

 

「そうか、なら…良かった」


 安心したのか

 そう言って座り込んだまま動かなくなった玄信


スースー


 寝息が聴こえる

 良く見てみれば、身体中傷だらけで、袴はぼろぼろ

 腹部の怪我は酷いのだろう

 巻かれた包帯が意味をなさないくらい、真っ赤に染まっている

 こんな状態でも駆けつけようとしてくれたんだ…


「ありがとう、本当に」


 桃は静かに微笑んで玄信の肩に手をやった

 其の光景を横目で見ながら、綾は具教を探した

 

 群衆は既にして戦いを終えていた

 傷ついて倒れる者、介抱する者

 武士だけじゃなく、山賊の姿も多い


 何故、山賊が此処に…?


『具教が殺された』

『具教は生きているぞ』


 領主の言葉が脳を支配する


 …先生、どうか無事でいて


 急に立ち止まった綾


「せ…んせい?」


 綾の目の前には、横たわる具教の姿があった

 肩から大量に出血している

 身体にも傷が見える


 先生に此処までの傷を負わせるなんて

 其れより…


「先生っ!!!」


 堪らず叫んだ綾

 傍らにいた女が綾に声を掛ける


「貴方が綾さん

 貴方の名前を呼んでたよ」


「呼んでたって、なんで過去形なの….」


 綾の視界が一瞬、墨を落としたように滲む

 心臓の高鳴りは収まりそうにない


「ごめんなさい

 生きてるよ、呼吸してる

 応急処置は終えたよ…」


「御前!無事で何よりだ!」


 後ろから声を掛けたのは与一

 具教に手当を施していたのは御前だった

 

「兄様も、良かった」

 

 目に泪を浮かべる御前

 其の両手は血に塗れていて、其れだけで多くの負傷者を手当したことが伺えた

 

 綾は具教の胸に泣きつく

 微かだが確かに、鼓動を感じる

 

 先生の静かだけど大きくて優しい鼓動


「生きてる…

 生きてる

 先生、先生っ」


 綾は子供のように泣いた

 暫くの間、静かになった辺りに、綾が具教の名を呼ぶ声だけが響き渡った


 世界は静かに彼女が泣き止むのを待った


 そして


「綾…」


 目を覚ました具教


「先生…生きてる

 私達、生きてるよ」


 綾が絞り出したように言う


「…そうだな

 綾、もう一度逢えて良かった」


 具教が不器用に笑う


「もう、離れないから…」


「そうだな…

 これからは、これからも一緒だ…

もっと、話をしよう」


 傷の痛みで話しづらいのか、それとも口数の少ない男の元々の話し方なのか

 所々、ぎこちなく喋るから、綾には其れが可笑しくて今度はくすくすと笑う


「…何か変なこと言ったか?」

 

 不思議そうに綾を見る具教


「ううん、違うの

 なんだか可笑しくて

 うん、私も沢山話をしたい」


 綾は可愛らしく微笑んで具教に言った

 そんな綾を、具教は左腕で抱きしめた

 


 天守閣前に出た小太郎は、思いがけない人物の背中を見て駆け出していた


「じっちゃん!!」


 小太郎が声を見つけたのは、申の村の村老であり、小太郎の師、半蔵だった

 半蔵は一瞬、安堵したように優しい顔になったが、直ぐに険しい顔に戻った


「鶴姫…」


 半蔵の目の前に現われたのは、鶴姫だった

 鶴姫は半蔵を見つめながら、何か言葉を待っているようだった

 さっきまでとは異なる重たい空気を察して、小太郎は口をつぐんだ


「あの時…」


 半蔵が其の重たい口を開き始めた


 あの時…

 其れは先程の鶴姫の告白にあった

『私が申の村の民を殺して村を出ようとしたときに、半蔵は止めなかった』

の時のことだろう


 小太郎は静かに見守った


「わしがお前を止めていれば、お前は罪を重ねずに済んだのだろう

 済まなかった、わしは

 取り返しのつかんことを…」


 膝から崩れ落ちた半蔵

 泣いているのだろうか、時折肩を震わせている

 半蔵の胸にささっていた大きなとげ

 其れに今、半蔵自らが触れている


 小太郎は続いて鶴姫を見た

 鶴姫は、意外にもほんの少し微笑んでいるような、優しい表情だった

 そして、口を開いた


「もう、良いんだ

 謝るのは、償うのは私の方だろう」


 半蔵の肩に優しく手を触れた鶴姫

 漸く顔を上げる半蔵


 顔に刻まれた無数の皺

 其れは此れまでの人生が一筋縄でなかったことをうかがい知るには充分だった

 其の皺に、半蔵の泪が流れて潤っていく

 

 申の村で起きた惨殺事件

 実行者は鶴姫

 然し、其の鶴姫の心を殺したのは村民


 鶴姫が去った後の村の再建

 悲しみと憎しみの整理、昇華

 村老になった後に起きた鬼の刻

 再び訪れた悲劇

二度目の地獄からの再建

 誰からも信頼され、村老に選ばれて村を善導してきた半蔵だったが、ここまでの道のりは、決して容易ではなかった

 

 鶴姫が思うよりずっと、半蔵は誠実で勇敢だった

 少なくとも、あの時鶴姫が思った臆病者等ではなかった

 

 今になってわかる

 過ちを犯したのは、謝らなければならないのは私の方だと


「今の私の気持ちを表現できる言葉を私は知らない

 だからこれからの行動で示そう

 半蔵様、謝るのは私のほう

 本当に、申し訳なかった

 長い間、貴方を

村を、多くの人を苦しめた…」


 其の瞬間、鶴姫と半蔵の胸にささっていたとげが、ふっと消えた

 同時に夜空に駆けた流れ星

 其れは二人のとげが昇華した証だったのかもしれない

 小太郎は優しく微笑みながら、二人を抱きしめる

 そんな三人を、後ろから梅喧が抱きしめる


 --あの時

 半蔵があの時、鶴姫を止めなかったのは、其処に楓がいたからだった

 鶴姫を止めようと外に出てきた楓を制した半蔵

 鶴姫に楓を会わせたら楓が殺される

 そう判断した

 血まみれの鶴姫を、半蔵は止めたかった

 武力を以てしてでも止めなければならないと思った

 然し、出来なかった

 暴力に怯え、孤独に震えていた鶴姫を、楓の目の前で完璧に止める方法が、当時の半蔵に思い浮かばなかったから

 結局、声を掛けることすら出来ずに、鶴姫の背を見送った

 鶴姫の目に映った臆病者の半蔵

 其れは、何をどう守るかを瞬時に決断出来なかった勇敢な男の未熟な姿だった

 其の後、半蔵は何事においても懸命になって動き、考え、働いた

 

 半蔵が其の事実を鶴姫に伝えることになるのは、もう少し後のことになる

 然し、其の時にはきっと、今よりももう少し穏やかに、話せるだろう

 先程よりも輝きを増した月は、小太郎達を優しく照らしていた


 


 才蔵は漸く重たい腰を上げた

 眠りの誘惑に身を任せそうになったが、胸の奥の自分が、其れに反対した

 自分には未だ、やることがある

 

「やっぱり俺が適任だろうな…」


 やれやれと言った顔で呟く才蔵

 折れた村正の破片を拾い集めて、外に出る


 外に出た才蔵の姿を、桃、与一、小太郎、鶴姫、梅喧、綾のほか、其の場にいた多くの者達が目で追いかける

 ややあって、才蔵が話し始めた


「見ての通りだ

 領主は、鬼と消えた

 もう、お前達を縛るものは何もない」


 其れは、城の武士に向けられた言葉だった

 光政、勝俊、勘介らが改心したことによって、既に多くの武士が反旗を翻しているところ、才蔵の言葉は、残りの武士達の進退を決定づけるものとなった


 次の瞬間、才蔵が鞘から村正を抜き出した

 淡く柔らかな紅の光が、夕闇の帳をそっと裂いた

 其れは怒りではなく、希望の色に見えた

 人々の心に宿る、赦しと再生の色でもあった

 暫く目を奪われる群衆

 此れは、見晴らしの丘で桃がとった行動と同じ

 

「刀はもう、人の命を奪うための道具じゃない

 此れからは護るために

 未来を切り拓くために使おう」


 折れた村正を天高く掲げ、叫んだ才蔵

 最初は戸惑っていた群衆達

 次第に才蔵に向かって賛同の声を上げ始める


 才蔵は数年後、誰もが認める立派な領主になる

 桃はそう確信して、微笑みながら空を見上げた


 西の空には、夕闇を透かして幾つもの星が瞬いていた

 其れはまるで、此の世の痛みを見守るかのように、静かに、優しく

 桃は確かに感じた


 希望は、新しい未来は

•••此処から始まるのだ、と




 桃と紅の剣


 終之章 完


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