桃紅の約束 〜弍
玄信も目を瞑った
其の瞬間、兼重と金時の脇差から透明な湯気が立ちのぼる
湯気が玄信の身体を包み込む
同時に、童子切安綱から放たれたのは妖しい紫の光
此れまでの光とは其の量、質が明らかに異なる
「…参る
一之太刀」
具教が静かに呟いた其の瞬間、重く、そして静かに
空気が軋み、大地が裂けるように張り詰めた
具教が紫の光をまといながら玄信目掛けて一閃する
漸く目を開いた玄信
「一天流奥義…空蝉」
次の瞬間、玄信が陽炎のように揺らいだ
閃光となって消えた具教
目に見えぬ速さで童子切安綱を玄信へと見舞う
疾風の如く放たれた一つの太刀
確実に、玄信の胸元を捉えていく
大地を真っ二つにするほどの威力
其れは避けることなど赦されぬ、運命の刃
シュン
「……!」
然し、其の一撃は空を切った
確実に捉えたつもりだった
外すことなど、躱されることなどなかった
全くの想定外
玄信のように見えた其れ
虚像---空蝉
陽炎のように揺らいでいた玄信の姿が、斬られた途端に霧のように搔き消えた
具教が残像の中から玄信を探す
其れは刹那の瞬間
お互いに極限まで鍛え抜いた二人
童子切安綱が放つ光が、玄信の作り出す陽炎を吹き飛ばしていく
次第に見え始める玄信の本体
「其処かぁぁぁ!」
一之太刀
其れは光の如き速さで放たれる二連撃が正体
目に見えるより速く、気付かぬうちに二振りを見舞う必殺の技
具教は其の二撃目を、玄信に放った
ガキィィィン
鋼と鋼が交わるけたたましい雷鳴の如き金属音が辺りを支配した
童子切安綱と、兼重、金時の脇差がぶつかる
「なにっ!!」
驚愕の声を上げたのは具教
一撃目を躱されたとて、二撃目まで見破られたことなどなかった
「実に弱い技だと思っていたが、空蝉…
お前の奥義を躱せるとは
次は俺の番だ
二天流奥義、飛燕双斬」
玄信は、腰を低く落として大地を蹴り上げ、上空へ縮地を繰り出した
そして、其の勢いを活かして身体を捻り、勢いを増して具教目掛け兼重と金時の脇差を十字に交差しながら振り下ろした
斬撃の軌跡が、張り詰めた空気を切り裂いていく
具教は、身を翻しながら、童子切安綱で玄信の一撃を迎え撃った
次の瞬間だった
パリィィィン!
再び響いた金属音の後に聴こえたのは、鋼にヒビが入る音
童子切安綱の中心から、斜めに亀裂が入ったのだ
其れはまるで童子切安綱が悲鳴をあげたかのようだった
切ない鳴き声が世界を支配する
「なっ!!!」
驚愕の声を上げたのは具教
玄信は其のまま斬撃の勢いを緩めない
具教の右肩に、玄信が放った二本の刃が滑り込む
ズバァァン
「ぐっ」
苦痛に顔を歪める具教
其の巨躯を震わせながら童子切安綱を地面に落とす
カラン、カラン
刹那、着地した玄信が兼重を峰打ちに持ち替え、具教の後頭部に一撃を放った
ゴォン
静寂の中、鐘のような音が山々にまで響き渡る
具教はなおも立っていた
玄信が、肩で息をしながら静かに言った
「よぉ、具教…」
「…」
「お前さ、其の刀に振り回されすぎだったんじゃねぇか
刀の殺気が、邪魔してたんだよ
お前の純粋な強さってのを」
具教は唯一点を見つめたまま何も応えない
「今度やるときは、木刀でやるか?
其のほうが今より強いんじゃねぇか
…ま、次も俺が勝つけど…な」
玄信がにやりと笑いながら言った
具教は何も応えない
然し、ほんの一瞬、具教の唇がかすかに震えた
其れは笑みだったのか、それともただ痛みに顔を歪めただけなのか
だが玄信には、其れが赦しに思えた
そして、ゆっくりと、前から地面に倒れこんでいく具教
其の瞬間、玄信の剣は、父一刀斎の伝説を超えた
玄信は倒れた具教に背を向けながら、両の刀を鞘に静かに納める
勝った
遂に俺は親父を超えた…
然し、其の代償は大きかった
玄信の身体から力が抜け、其のまま仰向けにして倒れこんだ
袴は真っ赤に染まり、左手の指は全て折れている
満身創痍…
「…桃…」
玄信が力なく空を見上げる
微かな声
此の男が発するにはあまりにも弱々しい声だった
「堪えた
ちょっと、休ませてくれ」
そう言って、玄信は金時の脇差を鞘のまま腰から抜き出して胸の上に置いた
…だめだ、もう身体が動かねぇ
金時
わりぃ、一旦休憩だ
玄信は、仰向けのまま、薄く微笑んだ
そして其の意識は、そっと闇に沈んでいった
…「俺には二人の母がいる
其の二人が、お前を止めろって言ってるよ」
わかってるよ、母さん達
復讐じゃない
桃と一緒だから、もう大丈夫
才蔵は村正を両手で握り直して領主の下へ向かっていった
村正の刀身は、綺麗で淡い紅に染まり、優しい光が才蔵を包み込んでいた
「稚拙…此のド阿呆めが」
次の瞬間、領主が金棒を振り回す
其れは正に目にも止まらぬ速さだった
才蔵の縮地を超える光速の動き
途端、進路が断たれる才蔵、目前に迫る金棒を避けきれず弾き飛ばされる
視えていたのに…
才蔵の悔しそうな顔を見て領主が不気味に笑う
「心眼に頼り切っているからそうなる
宝の持ち腐れだな
才蔵」
壁に叩きつけられた才蔵
直ぐに立ち上がる
「桃、並の速度じゃやられる」
俺の縮地をもってしても届かなかった
縮地のできない桃の刀も届かない
なら二人で
「うん
雷切、行くよ」
桃が青白い光を纏って領主目掛けて駆け出した
同時に、才蔵がやや離れた場所から縮地で駆け出す
「鬼の力を手にしたわしにはもう、造作もない」
領主はそう言うと、金棒を持って身体を高速回転させ、桃と才蔵をはたいた
弾き飛ばされる桃と才蔵
なんて速さ…
先程才蔵につけられた桃の腰の傷から血が流れる
心眼で視えているのに、速すぎて避けられない
「っ!」
才蔵が桃の下に駆け寄る
「桃、大丈夫か」
「うん
けど、どうすれば…」
桃はそう言って、緩んだ鉢巻を巻きなおした
「圧倒的な力の前ではどんなものも無になる
どれだけあがこうが無駄なこと」
今度は領主の方から向かってきた
縮地のような速度で、桃へと駆け寄り、金棒を振りかぶる
桃の心眼には視えていた
右へ跳んで躱した桃
然し、領主は其の長い手を伸ばして、桃の袴を掴んだ
「しまった!」
桃が叫んだ
才蔵は其れを見て、縮地で駆け出す
畜生、間に合わないか
此のまま振り回されて地面に叩きつけられたら、怪我じゃ済まない
ニヤリと微笑んだのは領主
其の瞬間だった
ヒュンっ!ガン!
領主が顔を歪めて桃の袴を離した
領主の甲冑、其の右肩には矢が突き刺さっていた
あの矢は…
「桃から離れろぉ!」
そう怒声を飛ばしたのは与一だった
閉じていた目を開いて、領主を睨みつける
「与一ぃ!!
無事だったんだね」
与一と桃が手を取り合う
直後、桃の異変に気付いた与一
「桃、怪我してる
これを塗って」
与一は懐から蒲黄を取り出して桃に渡した
蒲黄とは、がまの花粉
当時、止血薬として使われていた
「それ、と」
与一が才蔵を見つめる
「詳しい話は後だ
共闘する」
才蔵がぶっきらぼうに与一に言った
与一はそれ以上何も追及せず、今度は領主を見た
「すごい姿だね
まるで…」
…鬼のようだった
誰が見ても以前の姿とはほど遠く、最早人の其れではなくなっていた




