地獄 〜壱
阿鼻叫喚、無間地獄
その光景をありのまま表す言葉を人々は知らなかった
だから歴史にも残らない
悲鳴、泣き叫ぶ声
赤い波にのまれ
人々が次々に死んでゆく
死屍累々
絶望、残された人々は
一生忘れぬ傷を負うこととなる
鬼の子の公開処刑のあと、雉の村や申の村の人々は其々の村へと帰って行った
気付けば長いこと何も食べてない
「お腹空いた。今日は凄く嫌な日。」
桃(かぐやの娘。桃太郎)はそう呟いた
「これをお食べ」
桃が振り返った先には笑顔の嫗がいた
嫗は小さな風呂敷の中に包んであった団子を桃太郎に差し出した
途端、桃太郎の顔に元気が戻った
「わぁ、十団子。おばぁ、ありがとう」
十団子とは和菓子の一種で、団子またはそれに類するものを紐や串でつなげたもの
言い伝えでは昔、宇津の谷峠に旅人を食べてしまう鬼がおり、地蔵菩薩が旅僧に姿を変え、鬼と対決した
旅僧は人間の姿に化けた鬼に本体を表すように言い、今度は小さな物に変化するように言った
すると鬼は小さな玉となって旅僧の手のひらに乗り、 旅僧が杖でその玉を砕き、十粒に砕かれた鬼を飲み込んだ
その後、鬼の災いもなくなり、道中守護のために「十団子」が作られたという
嫗は桃が幼い頃からこの話を聞かせて、小さくした団子を糸で貫き数珠球のようにしたもの、正に十団子を食べさせていた
またその時嫗は桃に
「地蔵菩薩の教えで作ったんだよ。万病が癒える。鬼の災いから逃れることが出来るんだよ」
と話していた
幼い子はこうした神話じみた話が好きだ
桃も例外ではなく、嫗がするその話が大好きだった
また、嫗の作る十団子は黍を粉にしてこしらえた団子で、その苦さと甘さの絶妙な味わいが桃は大好きだった
幼い頃から嬉しい時や悲しい時、節目の時にはいつも、嫗がこしらえてくれた十団子
真実はわからない
ただおとぎ話の桃太郎の「きびだんご(黍団子若しくは吉備団子と表記されることが多い)」は、十団子であったという説もある
そんな十団子を嫗が桃に渡したのだ
桃はさっきまでの暗い顔が嘘のように明るくなり、無心で団子を頬張った
十団子の言い伝え、鬼の災いから自分や家族、村の仲間が護られますようにと願いを込めながら
公開処刑が行われた夜
其々の村の色は、明確に分かれていた
領主に忠誠を誓う戌の村民
子供だけでなく、大人、武士の多くが鬼の子の公開処刑に対し手応えを感じていた
賑やかな夜だった
申の村、商人が多く暮らす村
公開処刑に対し賛否両論だったようだ
しかし、冷静で賢い者が多く住むこの村、普段とさほど変わることのない、穏やかな夜だった
雉の村
翁や嫗、桃、与一やその両親(乳児だった桃に乳を与えていた若夫婦)を始め、殆どの者がかぐやを失った痛みを未だ抱えている
其れは同時に、領主に対する反感となり、今回の公開処刑でその感情を更に大きくしていた
農業や薬の知識に長ける者が多く、優しく穏やかな者が多く住む村
子供達も、鬼の子を自らの手で殺したことに罪悪感を抱いていた
悲しみに打ちひしがれた、静かな夜だった
一方、領主の住む城では盛大な宴が催された
領主は公開処刑で死んだ鬼の子の肉を喰らっていた
鬼とは言え、その姿は人間とそうは変わらない
人が、人型の鬼の子を喰らう姿は、さながら地獄絵図そのものだった
領主に忠誠を誓い、その全てを捧げていた武士達も、その姿には戸惑いを隠せずにいた
そして、口を揃えて言った
「本当に恐ろしいお方だ...」
領主は裸にした妾の上に鬼の肉を置き、酒をかけた
そして、妾の身体にかぶりつく
領主の歯は、妾の身体に少しだけ食い込む
妾は小さく身体を震わせる
領主は悦に浸った
「あぁぁぁ。うめぇぇ。最高だ。
俺は喰うぞ。鬼もお前達も。
今夜は全員俺の部屋に来い。全員で俺を満足させるのじゃ」
領主は、鬼の子を捕らえた男を城に招待していた
その男の名は具教と言った
具教は今で言う賞金稼ぎ
幼い頃から剣術を学び、命を懸けた闘いに魅せられ、これまでに何百人もの命を奪ってきた男
領主は具教に問うた
「具教よ。どうやって鬼の住む島を見つけた?そろそろ教えてはくれぬか?」
具教は恐ろしく低い声で答えた
「申の村から東へ。宵に揺られる鬼火を見た。
其処が鬼が棲む島。」
領主は笑った
「そうか。クックック、鬼が棲む島。鬼ヶ島じゃのぅ。
して、貴様のその腕の傷はどうした?」
具教は顔を歪める
「鬼を甘く見ない方が良い。」
領主はまた楽しそうに笑った
「ははは。気に入った。具教よ。
貴様が捕らえた鬼の子の首は、帝に献上しようぞ。
俺はまだまだ安泰だ。して具教よ、俺の大駒に成らぬか?」
周りにいた武士や妾がその発言に肝を抜かれた
大駒
将棋で言う「飛車」と「角行」のこと
領主は幼い頃から将棋を指していた
その為領主は自軍の武士を将棋の駒に例えていた
領主は「玉将」
次いで、信頼の置ける順に
「飛車」「角行」「金将」「銀将」
そう位置付けていた
その信頼の置ける立場である大駒に具教を置こうというのだ
得体の知れない男である具教に
だからこそ、周りの武士は肝を抜かれていた
囲碁の碁盤が正倉院の宝物殿に納められており、囲碁の伝来が奈良時代前後とされているが、将棋がいつ日本に伝わったのかは明らかにされていない
吉備真備が唐に渡来したときに将棋を伝えたなどといわれているが、江戸時代初めに将棋の権威付けのために創作された説であると考えられている
しかし、この時代
領主は既に将棋を指し、名手と呼ばれるまでになっていた
具教はこう答えた
「光栄の極み。しかし、私は流浪の民。
左様の身分には値しない存在」
領主は顔を歪める
「そうか。貴様が大駒の一つに成るのならば、宝刀を授けようぞ。それでも断ろうというか」
そう言って、近くの者を呼び寄せた
領主に呼ばれた者が持ってきたもの
それは三尺弱の大太刀と呼べる刀
鞘は紫で、見るからに禍々しいものだった
「其れは童子切安綱と呼ばれる妖刀じゃ。
酒呑童子と呼ばれた鬼の首を落としたとされるが、何分気味が悪くてな。鬼の子を捕らえた貴様にこそ相応しい。
貴様が大駒に成るのなら、この刀を授けようぞ」
領主の言葉を聞いた途端、目の色を変えた具教
この男は日本刀に魅せられた男
人を斬っては金を稼ぎ、刀に金を費やしてきた男
大柄な具教には、その刀も幾分小さく見える
具教が童子切安綱を鞘から抜く
その場にいた者全ての息が止まる
刀が妖しく光り、同時に何処からか入ってきた風
裸の妾に乗せられた鬼の肉が床に吹き飛ばされる
具教は横風に堪えながらも刀を掴んだまま離さない
そして叫んだ
「これぞ。これぞ求めていた刀ぞ。
大駒か、私の剣技にこの刀。鬼に金棒とはこの事ぞ。
殿ぉぉぉ!!私を龍王として迎え入れられたいぃぃっ」
龍王
将棋の大駒である「飛車」が成った事実上最強の駒
本来ならば一笑に付される発言
それは事実上の最高幹部を意味する言葉だから
領主は首を縦に振った
「よかろう。安綱も貴様を選んだ。
今日から貴様は我が軍の龍王ぞ」
周りにいた武士達は具教の恐ろしさに声が出ない
あの妖刀を抜き、高々に掲げ、領主に物を申した男
後にこの男は領主直轄大駒隊隊長として、この時代を暗躍することになる
•••申の村
鬼の子の公開処刑が行われた次の日、この村では普段とほぼ変わらぬ時間が流れていた
三つの村で1番海に近い村
その為様々な物が国内外から流れてくる
必然的に商業は盛んになり、いつしか商人が多く住む村と呼ばれるようになっていた
そんな村に小太郎と呼ばれる男の子がいた
この男の子は、桃や与一よりも一つ歳下、与一の妹の御前よりも一つ歳上の五歳になったばかりだった
小太郎は物を隠したり、投げて壊したりするのが得意で、彼がそんな悪戯をする度に村の大人達は困っていた
しかし、子供らしいといえば子供らしい
そして人一倍人懐っこい小太郎は、村の問題児兼人気者だった
昨日の公開処刑では、物投げの特技を活かし、鬼の子に対して周りの子供と比較にならない位の石を投げつけ、命中させていた
小太郎は自慢げに言っていた
「おいらがやっつけたんだぜ!
もう鬼なんて恐くない!かかってこーい」
周りの子供達から歓声が上がる
「確かに小太郎の石ぁ、良く当たってた!
流石村一番の物投げ名人だな」
小太郎は泥んこになりながら村を駆け回り、人を見つけては
「鬼の子をやっつけたのはおいらだ!」
と自慢をして回った
村老は小太郎を見つけると
「こらぁたわけぇ!鬼とは言え、命を奪った事を、そう易々と言い触らすでないっ!」
と怒鳴った
領主は、村に長を置く事を嫌がった
一揆の際に指導者となるのを恐れたから
その為、村で権力或いは存在感のある老人の事を「村老」と呼んでいたのだ
そんな村老の注意にも小太郎は
「はいはーい」
と素っ気ない返事をするだけであった
普段とそう変わらない
いつも通りの1日だった
そう、あの時間までは
日が暮れ、小太郎は家に帰った
母親は妊娠中で、小太郎は母のお腹の事をひどく可愛がっていた
「何にしようかな〜、名前。男の子だったらおいらの子分。
女の子でもおいらの子分。楽しみだなぁ。」
小太郎は母の腹を撫でながら、毎日の様にそう呟いていた
小太郎の母は病弱だがいつも優しく、腹を撫でる小太郎を抱き締めては
「子分は駄目だよ小太郎。
母は小太郎に優しい兄様になってほしいんだよ」
そう言っていた
小太郎は少し照れながら
「わ、わかっとるわい。優しい子じゃったら優しくするわい」
と返した
小太郎の父は商人として忙しく働いていた
その為留守にすることも多かったが、その日久しぶりに帰宅した
「只今ぁ〜」
父の帰宅に小太郎も母も喜ぶ
父は仕事の疲れなど感じさせない様に、仕事で回った町の話を、面白おかしくしてくれる
小太郎は父のことも大好きだった
この日も夜、小太郎が寝るまで、父は布団に入り話をしてくれた
小太郎は寝る直前に言った
「おとう。明日もまたその話聞かしてな。楽しみだなぁ。
うん、おやすみ」
「良いぞぉ。まだまだ話足りないからなぁ。たっくさん話をしようなぁ」
父は優しい笑みで言った
幸せな家族
夜が更けていく
村の全ての人間は、明日への希望を胸に抱き、目を閉じて眠った
ゴォーン
ゴォーン
ゴォーーーーーーン
小太郎は両親に起こされた
頭がぼーっとする
しかし、何かがいつもと違う
外はまだ暗く、朝じゃない
起こされたことなんか今まで一度もなかった
次第にはっきりしていく意識
今まで見たことない父親の真剣な顔
今まで感じたことない母親の焦る顔
ゴォーン
遠くで聞こえる音
何だろう、この音
ゴォーーン
次第に大きくなっていく
胸騒ぎがする
両親が慌てる姿
只事じゃない
ゴォーーーン
音はどんどん近づいてくる
酷く耳障りな金属を叩く様な音
「ど、どうしたら良いのっ。な、何なの」
母親の叫び声
「とりあえず、村老の所へっ。其処に濠がある。
お前と小太郎をっ!?」