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葛の花、紅き刃に咲く 〜拾

 才蔵は裂帛の気合で、執拗に刀を振るう

 

 心眼がなければ、玄信から剣術を教わっていなければとっくに死んでいた

 数秒、数手先を先読みして反応するだけ

 防戦一方、此のままじゃ…


「…御免

 御免なさい…」


 桃の口から絞り出すようにして出た言葉

 才蔵の動きが一瞬、ほんの一瞬だけ止まる

 

「お前に謝られる筋など、ないわ!」


 才蔵が怒りの籠った一撃を振り下ろした

 雷切を上方に構えた桃を見て、才蔵は村正を手から離し、素早い動きで屈みながら足払いを放った

 反応が遅れて転倒する桃

 才蔵は宙に浮いた村正の柄を上手に掴む


「お前の顔を見ていると、虫唾が走るんだよ

 あいつはお前のことばかり

 あの女もお前だけ

 俺がどれだけの地獄を味わされたか

 お前には想像すら出来ないだろう

 ぬるま湯で育ったお前には…」


 才蔵は仰向けになった桃を見下しながら言い終えると、村正を桃目掛けて突き刺した

 

「っ!」


 苦痛に顔を歪める桃

 心眼の力で、身体を捻じり致命傷は避けたものの、村正は桃の鎖帷子を突き破り、左腰を掠めていた


 桃は其のまま横転して立ち上がり、傷口を押さえた


「大丈夫、かすり傷…」


 才蔵は村正についた桃の血を、舌でペロリと舐めると、再び桃を睨みつけた


「俺の痛みは、全然こんなものじゃない」


「私には謝ることしか、出来ない

 才蔵、手を取り合って、歩み寄ろう

 悲しいのは、ううん、憎しみとか復讐とか、もうそんなのは充分」


 村正は桃の血を吸って、紅黒く歪んだ光を発した

 外で聴こえる鴉の鳴き声が、大広間内に響き渡った


「其れはお前の都合だろう

 俺はお前を殺さないと気が済まないんだよ」


「才蔵、ごめん

 辛かったよね、痛かったよね、寂しかったよね

 でも、逢えて嬉しいんだ」


 本心だった

 物心つく前にかぐやと生き別れた桃

 母を思い出させてくれたのは翁や媼、雉の村民の話だけ

 かぐやから産まれた子、自分の兄妹の存在

 其れはかぐやが生きた証を幾らか立体的にしてくれるようなもの

 一緒に母の話がしたい

 逢いたくて逢いたくても、もう決して逢えない人

 話すことも聞くことも、頭を撫でてもらうことも出来ない

 だけど、母は確かに存在した

 そんな母の話を一緒にしたい

 桃はそう思った


「わかったような口を聞くな」


 才蔵が恫喝する

 張り詰めた空気

 まるで氷の中にいるように尖った酸素が、桃の肺にちくりと刺さる


「あの日かぐやは、お前を、お前だけを連れて城を逃げ出した

 そして、追いかけてきた妾と刺し違えて死んだ

 俺はお前と別の部屋にいたらしい

 赤子だ、一人連れてくのも二人連れてくのも造作ないはず

 だがあの女はお前を、お前だけを選んだ

 其の瞬間に、俺の運命が決まった

 呪われた運命がな」


 昼前だというのに外は薄暗い

 重たい空気と左腰から滲む血

 時折吹きぬける風

 其の所為で松明が揺らぎ、無機質な才蔵の表情を豊かに照らす

 

「あいつは、見捨てられた俺を殺すように言ったそうだ」


 あいつ…

 きっと、領主のことだろう

  

「妾の子、其れに男の赤子なんか、あいつにとって何の価値もない存在

 妊娠することの出来なかった一人の妾、其の女が俺を引き取った」


「其れが、貴方の育ての母親」


葛葉くずは

 俺を育てた女の名だ」


「葛葉、綺麗な名前」


「物心ついた時から、俺はあいつの悪口ばかり聞かされたよ

 出生の真相もな

 幼い俺には衝撃的だった

 ”貴方は産みの母親に捨てられた可哀想な子供、私と一緒”

 其れが葛葉の口癖だった」


 いつの間にか、村正に蔓延っていた紅い光は刀身の中に消えていた


「笑うことも、楽しいことも此れといってなかった

 愛されている実感も、幸せだと思える瞬間も俺にはなかった

 葛葉の辛辣な愚痴を唯ひたすら聞かされる毎日

 俺も段々わかってきたよ

 俺を置いていったかぐやと、其のかぐやが連れて行ったお前、鬼畜な領主

 此の三人に対する憎しみの深さに」


 才蔵が村正を見つめると、先程まで消えていた紅い光が少しずつ漏れだした


「段々と壊れていったんだよ

 葛葉が病に伏せ、日に日に弱っていく中、あいつは手を差し伸べなかった

 俺は唯見守ることしかできなかった

 お前も俺を置いて逝くのか、そう思って葛葉に対して苛立ちすら覚えた」


 村正から滲みだした光が刃先から地面へと少しずつ落ちていく

 まるで、村正が紅い泪を流しているようだった

 一滴、一滴、地面へと零れていく


「葛葉が逝った日、晴天だった朝と打って変わって、土砂降りの夜だった

 其れまで俺に微笑むことのなかった女が、俺を見て笑顔を見せた

 病気で苦しかったんだろう、ほんの一瞬だったがな

 其れから泣き出して、俺に”御免ね、御免ね”と何度も謝った

 俺は其れが酷く耳障りで、止めろと言った

 だけど葛葉は止めなかった

 声にならない声で、何度も何度も謝った」


 才蔵の表情が見えない

 松明が意思を持って、悪戯をしているかの様に、才蔵の表情を上手く隠して見せるから


「”貴方は光、御免ね、御免ね”

 そう言って、俺の腕の中で死んだ

 いよいよ俺は一人になった

 領主にとって葛葉は数いる妾のうちの一人

 あいつは泪の一つも流さず、花の一輪も寄越さなかった

 お前と、領主を殺そう…

 其れだけを思って俺は剣を振るい続けた」


「貴方は光…

 才蔵、愛されていたんだね

 葛葉様に、お母様に」


 才蔵の黒点の様な瞳が桃を捉えて離さない


 桃の声は、乾いた大地に優しく花粉を届ける風の様だった

 其れは冷たい鋼の刃をすり抜け、誰にも届かないはずの場所に、そっと触れた


「愛されていた、だと

 そんなもの俺は知らない」


 雷切からは、再び青白い光が漏れ出していた

 才蔵は一瞬、其の美しい輝きに目を奪われた


「本当に幸せになって欲しいと思える人

 自分の生きる希望になる人

 幸せな将来を、人生を生きて欲しいと心から想える人

 自分以外の誰かをそう想えたとき、其の人が光になるんだよ」


 今度は雷切の光が、ちらりと才蔵を見る

 才蔵は俯いたまま顔を上げない


「かぐやがお前を選んだなら、かぐやにとってお前は光

 双子のお前が光なら、俺は闇

 光になることなど有り得ない」


「違うよ才蔵

 産まれた環境じゃない

 育ってきた場所じゃない

 歩んできた道でもない

 光は、其の人にとっての希望

 例え暗闇でも、地獄でも

 必ずあるんだよ、光」


 桃の言葉は、まるで此れまでの人生をひとまとめにしたようだった


 かぐやが赤子の桃を連れて逃げたこと

 かぐやを失った翁と媼が桃に出逢ったこと

 道助と楓が鬼の刻において、命懸けで小太郎を護ったこと

 金時が鬼ヶ島で自分の意志を貫いて才蔵に立ち向かったこと

 梅喧が幼少時、弟妹を養うために盗みを繰り返したこと

 両親を、道場を失った玄信が桃を鍛えたこと

 勝俊の母である菊が、勝俊の背中を押したこと

 光政が矢の雨の中から、与一を護ったこと

 感情を失っていた鶴姫が、小太郎との戦いで其れを取り戻したこと

 

 其の全てに、”光”の存在があった

 最早、松明の悪戯は通用しない

 其れほど迄に、雷切が放つまばゆい光が、大広間中を照らし出していた


 才蔵が纏う漆黒の袴、其の胸元に銀糸で編まれた家紋が柔らかく光りだしていた

 雷切の光を受けてなのかは分からない

 透明で柔らかな紅の光を桃が優しく見つめる


「其れは葛の花だね

 葛葉様も、”そうだよ、才蔵”って言ってくれてるのかな」


 才蔵の瞳から流れ出た一筋の雫

 其れは頬の膨らみを通って、葛の花を象った家紋へと落ちる

 泪…

 雫の正体は、純粋な泪だった


『泣いてもいいのよ、才蔵』


 其れは才蔵が未だ幼い頃

 葛葉が才蔵に掛けた言葉だった

 不意に其の情景を思い出した才蔵


 其の瞬間、才蔵の脳裏に駆け巡ったのは葛葉が掛けてくれた優しい言葉達


 今の今迄気付くことが出来なかった

 いや、忘れていただけ

 出生の呪いと領主に対する殺意でかき消され、葛葉が掛けてくれた優しい言の葉、思い出に蓋をしていた

 

 今になって漸くわかる

 何故葛葉が、母が最期に何度も”御免ね”と言ったのか


 上手く愛を伝えられなかったから

 葛葉が想うよりもずっと、才蔵は憎しみを養分にして育ってしまった

 




 …葛葉

 優しい女性だった

 彼女もまた、本来なら領主の妾に不相応なほど強くて賢く、美しかった

 貧しい村に産まれ、村の為に領主の妾になることを選んだ

 其の境遇はかぐやと似通っていた


 かぐやとも仲を深めたが、領主の寵愛を一身に受けるかぐやに心を許しきれなかった

 葛葉は或る日、医師から宣告される

 自分には子供が産めない、ということを

 村では子供の面倒をよく見ていた葛葉

 自分の子供を持つことを切望していた

 子供が出来ればきっと、領主も自分の方を向いてくれるだろう

 そんな淡い期待も抱いていた


 そんな中、かぐやの妊娠がわかった

 面白くなかった

 自分が望むもの、其の全てをかぐやが手にしたような感覚すらした

 其のうち、かぐやは双子を出産した

 然し、出産時かぐやは意識喪失状態にあり、自分の子供を認識出来なかった


 葛葉にふと、悪い考えが浮かんだ


 其れは唯真っすぐに生きてきた彼女の、たった一度の悪魔の考えだった


 かぐやの出産に立ち会った葛葉は、産まれたばかりの才蔵を取り上げて別室に置き、連れ帰った

 数日後、目を覚ましたかぐやに、子の性別は知らされなかった

 かぐやが女の子を産みたくないと言っていたことを、領主が知っていたからだった

 領主はかぐやが産んだ女子、桃だけを育てるように召使たちに命令していた

 産まれたのが双子だということは当然に報告していたが、『男はどうとでもしろ』と、全く興味を示さなかった

 其れは葛葉にとって好都合でもあった

 自分の子を持てる、葛葉の胸が高鳴った

 

 双子を出産して一か月経った頃、かぐやが城中をくまなく探し回った

 葛葉と数人の女が桃の世話を見ていた時、かぐやが血相を変えて飛び込んできた


『私の子を、領主様が連れてこいと…』


 直ぐに嘘だとわかった

 領主から『かぐやと子を会わせるな』と言われていたからだった

 でも葛葉にとって其の状況は、むしろ好都合だった


 ”領主の寵愛するかぐやと子が消えれば、私が領主に愛してもらえる

そうなれば私の村を救える”


 行動の是非弁別を考える間もなく葛葉は、かぐやに赤子の桃を渡していた

 すると、かぐやは直ぐに城を飛び出した

 二番目の妾、朝日も、かぐやの後を追うようにして飛び出して行った

 結局其の二人が刺し違えて死んだことは、直ぐに知らされた

 とんでもないことをしてしまったのだと、葛葉は其の時初めて気付いた

 此れからは、才蔵に愛を沢山注いで育てていこう

 其れがかぐやの弔いになる

 そう思っていた


 然し、現実はそう甘くなかった

 かぐやを失ったことで、領主は其れまでよりも暴君さを増し、葛葉を始め他の妾に対しても激しい暴力を振るうようになった

 身体と心を確実に削り取る領主の言動

 日に日に、葛葉の心は壊れていった


 『あの女さえ現れなければ』

 『色気違いの領主がもっとまともだったら』


 明るく強かった葛葉の口から、憎しみの言葉が増えていった


 其れでも才蔵は、葛葉にとっての希望だった

 才蔵は器用で賢く、葛葉のことをいつも一番に考えてくれた

 然し、其れはかぐやの他者に対する思いやりと重なった

 また、時を追うごとに、其の表情にかぐやの面影も重なっていった

 優しく出来る日と、そう出来ない日

 あれだけ好きだった葛の花

 一番大切にしていた紅い花さえも

 手入れの出来ない日々が続いた

 そして、病に伏せた


 葛葉が死期を完全に悟った時、才蔵に対する自責と後悔の念で一杯になっていた

 あんなに無邪気に笑っていた才蔵がこのところ笑わなくなったのも、自分の所為だとわかっていた

 誰よりも愛し、誰よりも想い、誰よりも幸せになってほしい存在、葛葉にとっての其れは、間違いなく才蔵だった

 其れだけは揺るがない事実

 最早領主のことなどどうでも良い、生まれ育った村よりも何よりも、才蔵が葛葉にとっての全てだった


 もっと一緒にいたい

 可愛らしい頭を撫でてあげたい

 笑顔を見せてあげたい

 いや、笑顔を見たい

 どうして私は、そんな才蔵を突き放してしまったのか


 最期の力を振り絞って見せた笑顔だった

 其れは、病に伏せながら、此れまでの自行を悔いた母、葛葉の懺悔の証でもあった

 頭を撫でようと、腕を伸ばすも届かない

 だから葛葉は言葉で想いを伝えようとした


『愛してる』

 

 其の五文字が、たった五文字が喉をつかえて出てこない

 本当に伝えたかったはずなのに、今更其れを伝えたところでどうなる

 混乱させてしまうかもしれない


 葛葉の頭の中で繰り返される自問自答

 才蔵を愛している、其れだけは揺るぎのない事実

 然し、言えなかった

 だから、ただ


『御免ね、御免ね』


 絞り出したのは懺悔の言葉だった


『貴方は私の光だから』


 次いで漸く出た言葉

 其れはもう、才蔵に届いたかすらわからなかった

 唯、才蔵を幸せに出来なくて、愛を伝えられなくて申し訳ない気持ちで一杯だった

 愛してるよりも、御免ねが先行したこと

 葛葉は叶わぬ贖罪を悔いながら、誰よりも愛する才蔵の腕の中で逝った



…才蔵の泪が村正に落ちる

 村正の刀身から溢れだす黒い湯気

 其の湯気を振り払うように、綺麗な淡い紅の光が、刀身を覆った

 其れは、母葛葉が愛でていた葛の花

 中でも最も大切にしていた紅い花びらを持つ一輪

 其の柔らかくて美しい紅色が、村正を覆っていた


「ねぇ、才蔵

 葛の花ってね、優しさ、癒し、それから隠された愛ってゆう花言葉があるんだよ

 葛葉様はね、貴方のことを愛していた

 不器用だけど、きっと真っすぐに

 其れはね、わかるの

 才蔵がそんなことないって言ったら、胸がジーンって痛いよ

 ねぇ、葛葉様…」


 桃の言葉に呼応するように、才蔵の胸の家紋が淡く光る


「優しさ、隠された愛

 葛葉が俺を…

 それなのに俺は」


 才蔵が左手で胸の葛の花に手を当てる


「あったかい…」


「母様、かぐやが何故貴方を連れていかなったのかはわからない

 だけど、貴方には、貴方を命懸けて産んでくれたお母様と、貴方を精一杯愛して育ててくれたお母様

 二人のお母様がいる

 命を生み出すことも、小さな命を守り育てることも、どちらもきっと物凄く大変で、沢山の愛が必要なことだと思うの

 だから貴方は闇なんかじゃない、光なんだよ」


 才蔵は葛の花に手を当てながら、大粒の泪を流した

 村正から、邪気が完全に消えて無くなった瞬間だった


「俺は、陽光を歩けるか?」


「此れまでに貴方が犯した罪は消えない

 だけど、生きていれば、其れを償うことが出来る

 ううん、償わなきゃいけない

 沢山の人を救おう

 そして、また貴方が誰かの希望の光になるんだよ

 兄妹で力を合わせていこう

 力を、貸してほしいんだ」


 桃の言葉に、才蔵の頬が緩む

 



 …其の時だった



パチ、パチ、パチ、パチ…


 聴こえてきた雑な拍手

 軽くなっていた筈の空気が、忘れていた重力を思い出したかのように重くなった


 酸素濃度が急に低下して息苦しい

 標高が高くなったようにすら感じる

 

 二人が音の出所を探る


カツ、カツっ


 冷たい石畳に響く高音


 暗闇の中から、現れた一人の男


 …領主

 

 雷切と村正から、青と紅の光が稲妻のようにほどばしる

 其れは、先程までの優しい光ではなかった

 桃と才蔵は隣に立って身構えた


 現れたのは、禍々しい甲冑を身にまとった領主だった

 これでもかという程に不気味に、愉快そうに微笑んでいる

 後方には、抜刀した十数人の武士



「御泪頂戴の壮大な茶番劇有難う

 糞下らないこと此の上なしの、面白くない話過ぎて、欠伸がとまらんかったわい」


 甲高い声が耳を突く

 

「貴様…」


 才蔵が顔を歪めて言った

 桃は、雷切を握る両手に力を込めた

 






 第九章 完




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