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葛の花、紅き刃に咲く 〜柒



 静寂が支配する天守前

 先ほどまではなかった雲が、桃の不安を煽らせていた


「与一、小太郎」


 死地に置いてきた仲間のことが頭から離れない

 自分の選択は正しかったのか

 仲間の死期を早めただけじゃないか


 そんな葛藤に、黒い雲は味方をしてくれなかった


「桃、大丈夫だ

 今は、前に進もう」


 1人じゃない

 其れだけが救いだった

 此れまでもそう

 1人じゃ何もできなかった

 仲間がいてくれた

 家族が、友が、師が

 愛する者が自分のすぐそばにいてくれた

 其れがどれだけ有難いことか

 どれほど幸せなことか


 下らない見栄からくる意味のない争い

 強奪、略奪

 罪のない人が、簡単に死んでいく戦争

 戦国時代と言えば聴こえは良い

 然し、目の前で痛みに咽び泣き生き絶えていく若者達

 地獄としか言いようがない

 其々の正義を主張するだけの争いに武器は要らない

 私の声は小さいかもしれない

 遠くまでは届かないかもしれない

 けど、まずは私の手の届く範囲でいい

一歩、また一歩

 向かい風でも、登り坂でも

 私は進み続ける


 桃の顔つきが変わった

 其れを玄信は見逃さなかった


「其れでこそ大将だ

 行くぞ」


 力強く頷いた桃と共に走り出した玄信


 ぼつり、ぽつりと降り始めた雨



 2人が足を止めたのは、雨のせいではなかった


「藤原ぁぁぁあ!

 玄信!」


 大きな黒い影

 まるで雨が其の厳つい体を避けているようにすら見える


「龍王、具教」


 大駒部隊最強の男、其の名は具教といった


 長く黒い髪が雨に濡れ、肩に重く掛かる

 荒れ狂う嵐の前を予感させる程に静かな漆黒の瞳

眉間に刻まれた一本の深い皺

日々陽に晒され続けた様な焼けた肌

無造作に伸びた無精髭

肩口からは五月蝿いほどに主張する丸太の様な両腕

 

 見比べると玄信が小さくすら見える


 具教はその場に腕を組んで仁王立ちをしている

 其の腕にあるのは無数の刀傷と焼印

全身からほど走る威圧感

 最早其れ自体が暴力と呼べるほど、唯ならぬ迫力だった

 

 肩と胸だけを覆っている黒革の簡素な胸当て

 質の良さそうな黒い袴には無数の泥が付着している

 両手首に付けられた籠手、足首の脛当ては、銀が劣化して深淵の黒が混ざっていた

 足元には革の足袋

 徹底的に動き易さを重視した装束だった


 左肩から右腰に掛けて這う黒い綱

 大太刀を背負うためのものだ

 右太腿の辺りから覗く鞘は、禍々しい程に血錆と黒が共鳴していた


 刀を交えずとも分かる

 此の男の強さは尋常ではない

 

「桃、先に行け

 止めないな、具教?」


 玄信の問いに、具教は目を瞑ることで答えて見せた


「必ず、追いかける」


 胸騒ぎがした

 ほんの少し、本当に少しだけ

 玄信の呼吸が荒い気がしたから

 

 必ず、とか

 絶対、とか

 本気の場面では、逆に不安になってしまう


 誰1人失わずに帰ろう

 大丈夫

 玄信は約束を守る人

 全員に、生きて帰る理由がある


 桃は左腰に下げた雷切の柄を、玄信の左腰に下げられた兼重の柄にコツンと当てた

 そして、開いた右手の人差し指と中指を自分の両眼に近づけた後、其の指を玄信の両眼に近づけた


『心眼の護り』


 咄嗟に出た行動だった

 だが玄信は其の意味を理解した


「生きて、一緒に帰ろう」


 其れは不器用な男の笑顔だった

 

 玄信は懐から取り出した手拭いをゆっくりと、まるで手の感触でも確かめる様に額に巻き付けた

 続けて袴の裾をたくし上げて、時折具教に目をやりながら紐で結んだ


 ふぅ

と一息ついてから、今度は袴の両側にある紐を持ち上げ、前で交差させる

それから後ろに持っていった紐を、再び前で交差させて結んだ

 結び目が解けない様、何度かきつく締め直す


 雨に濡れた風が玄信と具教の間を駆け抜けた

 玄信の額に巻き付けられた手拭いが、まるで狼煙の様に激しくたなびいた


 桃は玄信の後ろ姿を暫く見つめていた

 其の姿は最早雉の村で見せた師の姿ではなく、戦国の世を駆け抜けてきた本物の武人、藤原玄信だった


 正に後ろ髪を引かれる思いで、桃は天守へと駆け出した






「貴様と刀を交えてみたかった

 藤原一刀斎の息子、二刀流の玄信」


 具教が其の太い腕を後方にやり、日本刀の柄を握った

 たった其れだけで、空気の揺れを感じる


 具教

 剣術は超が付くほど達者で、名うての武士に真剣勝負を挑んで勝ち続け、最強の剣豪の名を欲しいままにした男

 賞金稼ぎをしながら流浪していたとも聞く

 其の素性を知る者は少ない

 唯、相対してみてわかる

 噂に寸分も違わぬ猛者だということ

 其れに、奴が持つ大太刀…


 玄信は、具教が背負う其の大太刀に視線を移す


 具教は不敵な笑みを浮かべながら刀を引き抜く 

 其の瞬間、雨は激しさを増し、まるで天地が割れるような地鳴りがした


 具教が持つ日本刀


 …童子切安綱


 其れは酒呑童子と云う鬼を、壺ごと真っ二つにしたとの逸話を持つ妖刀だった

 紫に妖しく光る刀身は、見る角度によって濃淡が激しく変わる

 

 具教が童子切安綱を身体の正中線で構えて目を瞑る

 刹那、周囲の景色が、空間が歪んだ


 具教は目を開けない

 数秒、数十秒

 大粒の雨が降り付ける中、玄信は右手を兼重の柄に添えたまま具教を睨み付けていた

 遠くの方で聴こえる破裂音


 与一、光政、小太郎は無事だろうか

 桃は…


 無闇に動けば相手の思う壺

 玄信は自ら動こうとしない


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