葛の花、紅き刃に咲く 〜伍
ガキィィィン
其れは手甲鉤と薙刀が激しくぶつかった音
「手甲鉤使いか
此の薙刀の斬撃に良く合わせたな」
雨粒が石畳を叩きつける音は、通常の会話程度の声なら充分かき消されるほどだった
然し、鶴姫の低い声は悲しげに聞こえる雨音を飲み込みながら、小太郎の耳に届いていた
右手が痺れる
此の女、相当な力だ
「此れは父ちゃん、道太郎のだ」
「道太郎…
あの悪戯好きのか」
小太郎は戸惑っていた
大駒部隊飛車である鶴姫が、自分の父親まで知っているような口を聞いたから
然し、ゆっくり考察している暇はなかった
鶴姫は自分の身の丈程もある重い薙刀を軽々と振りかぶって、小太郎を裂くように振り下ろしてきた
寸での所でと真横に転がりながら其の斬撃を躱す小太郎
鶴姫の薙刀は石畳にめり込み、まるで土の地面のように簡単に切り裂いた
殺しにきてやがる…
抑も此れが訓練や遊びでないことは、初めからわかっていた
其れでもこうして激しい殺意の籠った一撃を目の当たりにすると、嫌というほど実感させられる
生きるか死ぬかの、本気の戦い、殺し合いなんだと
すると、さっきまで普通に出来ていた筈の呼吸が、急に難しく感じた
何億、何兆回、いやもっと多く
自然に繰り返していたはずの、吸って吐くだけの単純な動作なのに
肺が、脳が、酸素を求めている
体中から悲鳴が聴こえるよう
そんな小太郎のことなど気にする訳もなく、鶴姫は無情にも振り下ろした薙刀を持ち上げて、無言のまま水平に薙刀を振るった
叩きつける雨よりももっと肌へと伝わる、鶴姫の殺意
其の全てが小太郎へと向けられていた
間一髪のところでしゃがみ、薙刀を躱す小太郎
薙刀の重さで、ほんの一瞬だが鶴姫が体勢を崩した
『しっかりしろ小太郎、こんな所で死ぬんじゃねぇぞ
いつも通りやれば良いだけだ』
道太郎の声が聴こえた気がした
地鳴りの様な低い声なのに、子供を怖がらせないようにいつも無理して高い声を出そうとしていた父
たまに裏返った時は、堪らず母も大笑いした
幸せな家族だった
轟く雷鳴と、手甲鉤に当たる大粒の雨から鳴る音が、小太郎に優しく語りかける父の声に聴こえた
不思議な感覚だった
さっきまで出来損なっていた呼吸が、嘘のように自然に出来る
正に身体中が息を吹き返した
止まりかけていた思考が、最速で回転を始める
父ちゃん、ありがとう…
此処でおいらが踏ん張らねぇと、二人が命を懸けて護ってくれた意味がねぇやな
小太郎はしゃがんだ体勢のまま、先程忍具袋から取り出した小さな丸い玉を手甲鉤に素早く擦り付けた
プシュッ
玉から黒い煙が勢いよく立ち込める
ボン!
鋭く爆ぜる音と共に、視界が黒い煙幕に包まれた
「懐かしいな、遁術か
忌々しい」
鶴姫は立ち込めた煙の中、無造作に薙刀を振るって煙を払った
「なんかさ、よく分かんないけど
何をそんなに憎んでんだっ」
「其処か!」
声のした方に薙刀を振るった鶴姫
然し、其れは空を切る
小太郎の忍装束は黒
対する鶴姫が纏う甲冑、紺糸裾素懸威胴丸は深紅
小太郎が投げた煙玉は黒色の煙を吐き出していた
小太郎が煙に身を隠し、鶴姫を浮かび上がらせるには好都合だった
其れに加え、体格差
鶴姫よりもふた回り程小さな小太郎が、煙で姿を消したのは良策だった
鶴姫は何かの気配に反応して、薙刀を後ろに振るった
ガキィィィン!
辺りに響き渡るけたたましい金属音
薙刀と手甲鉤が激しくぶつかり合った音
「くそぅ、やっぱはえぇ
でも…」
小太郎は重なり合う刃を器用に滑らせながら鶴姫の間合いに入り、先程鶴姫が割った石畳の破片を左手で掴む
「石遁」
そう言って小太郎は鶴姫の顔面目掛けて破片を投げた
「からの、影縫い」
小太郎は迅速とも言える動きで鶴姫の背後に回り込み、鶴姫の膝裏に右足で蹴りを入れる
ほんの少し体勢を崩す鶴姫
さらに小太郎は手甲鉤を地面に叩きつけた
飛び散る火花
懐から取り出していた玉を、其の火花目掛けて落としながら、手甲鉤を目にもとまらぬ速さで上方へと振り上げた
パパパーン!
「沙羅双樹」
小太郎が投げた玉は爆竹だった
崩れた姿勢の鶴姫、加えて爆竹の音と光が追撃する
油断した鶴姫
小太郎の手甲鉤が、鶴姫の纏う深紅の甲冑に、三本の傷を付けていく
戦場では一瞬の油断が命取りになる
相手の意表をついて逃げるのが目的の遁術
其れを戦闘用に流用した小太郎
其の効果は抜群だった
煙玉の煙は雨によって、小太郎の予想よりも遥かに早く消え失せていた
代わりに霧雨
煙雨…
二の丸は先程とは打って変わって幻想的な風景に包まれた
此の頃になると、漸く互いの表情が見えるようになっていた
鶴姫は甲冑に付いた傷を、何とも言わぬ表情でなぞり始める
小太郎は肩で息をしながら後ずさり、薙刀の間合いから離れ始めた
「遁術と体術の組み合わせ、咄嗟の機転
楓譲りか、道太郎か
此の甲冑に傷を付けたのは小僧、お前が初めてだよ」
「今のは父ちゃんの技さ
半蔵の爺さんに教えてもらったけどな」
鶴姫は小太郎の言葉を聞いて、ピクリと眉を動かした
其の瞬間を、小太郎は逃さなかった
「知ってるんだな、村老のことも…
鶴姫、一体お前は何者なんだよ」
「良いだろう、教えてやろう、私の忌まわしき過去を」
鶴姫は薙刀を静かに下ろして、語り始めた
「私はお前と同じ、申の村の出身だ」
其の告白に、小太郎は驚きを隠せない
「な、何だって
じゃあ何故今こんなことを…?」
「何も知らないんだな
教えるはずもないか
半蔵、あんな何も出来ない男が村老とは、腐った村だ」
小太郎の眉間に皺が寄る
「おい、今の言葉は取り消せ」
「私はな、殺されたんだよ
申の村とその民にな」
「どういうことだよ?」
「私は生まれた時から、人一倍身体が大きかった
同年代の者らとは比較にならない程な
力も強く、声も低い
女である私に、其れらの要素は酷く不釣り合いだったんだろう
其れは其れは気色悪がられたよ」
「…」
鶴姫は表情を変えずに話し続けた
「異端児扱いだ
鬼
そうも呼ばれた
親はそんな私を庇わなかった
それどころか、笑えば怒鳴られ、泣けば叩かれた
私が声を発すれば、耳を塞いで無視をした
地獄だったよ
悲しくて悲しくて気が狂いそうだった
ある時気付いたんだ
感情は、邪魔なんだと
喜怒哀楽など、私にとって不必要この上ないもの
耐えるだけ
怒り、痛み、空腹と寒さ
孤独だったかな、一番辛かったのは
其の中で、楓だけ
楓だけだったんだ
そんな私に声を掛けてくれたのは」
一瞬、本当に一瞬だけ
鶴姫の口角が上がったような気がした
「優しくされたことのない私に、楓は気さくに声を掛けた
私は一人じゃないと思えた
嬉しかった、様な気がするよ
だけど」
今度は鶴姫の表情が険しくなった
至近距離で、目を逸らさずに見ていなければきっと気付けなかっただろう
「同時に思ったよ
優しくされたら、また孤独が辛くなる
だから、私は楓を自分から遠ざけた
話しかけてくるな、私は鬼の子だって
其れでも楓はしつこく話しかけたきたよ
迷惑な程にな」
「母ちゃんは、誰にだって優しいんだ
誰に対しても分け隔てなく
人は一人じゃ生きていけねぇって、母ちゃん言ってた
優しさと愛なんだって、其れで人を繋ぐんだって」
「優しさなんかじゃない
心底鬱陶しかった
話しかけられるたびに虫唾が走った
私は楓を何度も引っ叩いた
叩く方も痛いなんて、其の時初めて知ったよ
皆は『楓に何をした!?』と怒鳴った
訳がわからなくて、頭がおかしくなりそうになりながら、泣きながら謝った」
「其れでも母ちゃんは絶対に見捨てたりしないはずだ」




