鬼の子
桃太郎が入れられた桶は穏やかな流れの中、三時間後、雉の村に辿りついた
桶を見つけたのは、歳老いた男だった
「何ということだ。赤子が桶に。
ん、何々。桃太郎。。。!
かぐやの子?!」
初老の男、翁は赤子を拾い上げ、手拭いに書かれた血文字を読み上げた
そして、文字と赤子の顔を見比べた
赤子の性別は女、しかし桃太郎という名、血文字
「。。。。。こ、これは」
翁は赤子を抱き締めていた
そして、今までに出したことのない声を出して泣いた
嗚咽、泪が止まらない
激しい頭痛
目眩がする
芝狩りの帰りに汗を流すためにたまたま寄った下流
そこで見つけた赤子と桶
全て悟ったのだろうか
「ばあさんに伝えなければ。そして村の皆にも」
翁は走った
その子はかぐやが赤子だった頃によく似ていた
血文字は、かぐやの字体
かぐやから、城での話しはいくらか聞いていた
かぐやが男の子の出産を望んでいたことも
その理由も
だからこそわかった
女の子に桃太郎と名付けた理由も
文字が血で書かれた意味も
当たり前だ
かぐやは自分の娘なのだから
翁は走った
娘が名付けた「桃太郎」という名の女の子、娘の形見となる手拭い、桶を大事に抱いて
嫗は晩御飯の準備をしていた
今日は翁の誕生日、腕によりをかけてご馳走を用意していた
最も、最近は歳を重ねることを翁が酷く嫌がっていたので、誕生日を祝うという感じではないが
本来なら娘のかぐやも揃って家族三人揃ってお祝いをしたいところだった
しかし、かぐやからの手紙によればかぐやは出産したばかり
性別はわからないが、かぐやに似て、綺麗な顔立ちをした赤子に違いない
「早く逢いたいねぇ。」
と嫗が呟いた瞬間だった
玄関戸が勢いよく開いた
「はぁっはぁ」
戸を開けたのは翁だった
「爺さんや、そんなに焦ってどうし......そ、その赤ん坊は?」
嫗は恐る恐る問う
翁はまだ泣いている
嫗は結婚してからというもの、翁の泪なんて見たことがなかった
いや、一度だけあったか
かぐやが産まれた日のこと
難産だった
午前零時からつわりが始まり、結局出産したのは翌日の午前零時過ぎになっていた
翁は一日中、嫗の手を握っていた
普段は寡黙で、殆ど口など聞かず、言わば堅物という言葉がぴったりの男だった
その翁が、かぐやが産まれた日に流した泪
嫗はその光景を思い出していた
翁は泣きながら
「こんな雲一つねぇ夜に、しかも月の輝く夜に産まれるなんざぁ、名前はもう決まったようなもんだぁな。
おう、おっかぁ。良く頑張ってくれたな。この赤ん坊、大事に大事に育てようなぁ。」
と空に呟くように言った
嫗はその泪と言葉を宝物のように心に仕舞っていた
それを何故か今、思い出したのだ
「かぐやの子じゃぁ。桃太郎じゃって。女の子なのにのぅ。血ぃで桃太郎と書かれておった。かぐやの字ぃじゃ。
ばぁさん、かぐやは死んだんじゃ。こん子、わしらに託してよぉ」
翁の言葉で嫗は我に返った
同時に心臓が激しく動く
動悸、呼吸が苦しい
年老いてはいるが、耳は遠くない
翁の声は聞こえていた
はっきりと
しかし、脳が拒否反応を起こしている
理解しようとしない
目の前には泪を流す翁
着物の切れ端に包まれたかぐやの面影を残す赤子
桃太郎と血で書かれた手拭い
「ばぁさんしっかりしろ。
かぐやからの手紙に書いてあったじゃろぉ。
かぐやの子は女の子じゃった。
かぐやは怖くなってこん子と逃げ出したんじゃろうて。
赦せんのぅ。赦せんのぅ。」
翁はそうはっきりと言った
「こん子は、かぐやが生命を懸けて連れてきた子じゃぁて。」
翁は嫗の肩を何度も叩き、そう叫んだ
結局その日、翁と嫗は眠れなかった
桃太郎の養育のことについて一晩中話し合ったからだ
まず難題となったのは、母乳
当時、粉ミルクという概念がなかったため、母親の死亡等で母乳を飲むことが出来ずに餓死した乳児は多かった
嫗が母乳を出すことは出来ない
しかし幸いにして翁の家は米農家
考えた末、桃太郎に飲ませることにしたのは米の研ぎ汁だった
この時代、知識がなければ母乳なしで赤子を育てるのは難しかった
最も、人脈や金があれば、母乳の出る女性に協力をもらい、乳母として赤子に授乳させたりすることも可能なのだが
他には重湯(お粥の上澄みなど)をあげることもあったらしいが、翁らにが米があった
だから米の研ぎ汁を与え、育てることにした
しかも幸運なことに、近所の若夫婦に丁度出生1ヶ月くらいの男の子がいた
その母親から母乳をもらうことの了解を得ることもできた
翁らは村人全てに、桃太郎のことを話さなければならないと感じていた
七番目の妾の子だとしても、領主は必ず桃太郎を探しに来る
でなければかぐやが生命を懸けて子を連れて逃げてきた意味がわからないから
桃太郎に危険が迫っている、そう感じてかぐやが桃太郎を連れ出したのだろう
まず、母乳をわけてもらうことになった若夫婦に事情を話した
若夫婦は気持ちの良い性格で
「何でも協力します。もし、領主が来たら、うちの子供と双子ということにしてはどうでしょうか」
と提案までしてくれた。
家も近い、子の月齢も近い
その提案は正に名案だった
若夫婦が赤子2人を育てるのは難しい
だからその夫婦が翁らに子育てを頼んだとすれば、それらしい答えになる
幸いにして当時、戸籍制度の運用はなかった
わが国の戸籍の起源は古く、制度として全国的に統一して実施されたのは、孝徳天皇の大化元年(六四五年)の詔勅以後であるといわれているが、その当時は単なる国勢調査であって、現代のような戸籍簿を作成したものではなかった
また、天正十九年(一五九一年)、豊臣秀吉が朝鮮出兵に先立ち、戸口調査令を出して、全国六十六カ国の人数調べを行なっている
それは、村ごとに家族人数・男女・老若等を書き上げたもので、これらの戸口調査は、現在の戸籍とは性質を異にし、主として軍用徴兵を目的としていたものであった
よって、居住実態を把握するための戸籍制度の運用はないに等しかった
次の日、翁は村民全てに桃太郎のことを話した
外向きは男の子として育てるが、きちんと女の子として見てあげてほしいこと
桃太郎という名前はかぐやが付けたもので、大切にしたいが、本人のことは
「桃」
と呼んであげてほしいこと
桃には両親がいない分、農民全ての愛を注いであげてほしいということ
翁は泪ながらに訴えた
生前、かぐやは村民から大変好かれていた
美しい容姿に相まって、素直で優しい性格
だから、かぐやが領主の元へ行くのも反対した
しかし、自分が妾になることで、年貢を軽減させるという目的を持った彼女の意志は固かった
そんなかぐやの娘
愛さないわけがない
村民は
「皆で桃を育てよう
それがかぐやへの感謝、償いなのだ」
と、そう心に刻んだ
天正一七年(一五八九年)
「桃」と呼ばれた女の子(桃太郎)は、六歳になっていた
翁が桃を拾い上げてから、領主は一度遣いを出してかぐやの子を探しに来たことがあった
しかし、若夫婦の名案が功を奏し、桃が気づかれることはなかった
それもそうだろう、守護大名であった町の領主が、たかが妾、それも七番目の女の子供に固執していると周知されれば、その大名の権威は失墜し、阿呆と称されることとなり、最悪の場合、他国からの侵略や下克上の危機に遭うことになる
領主もそこまで馬鹿ではなかった
また、村総出でかぐやの遺体を探して回ったが、結局見つからなかった
翁や嫗はかぐやの死を受け入れていたが、中にはまだ生きているのではと考え、領主に対する反逆心を燃やす者もいた
しかし、領主はかぐやを失ってからも雉の村に対する年貢の取り立てを以前のように厳しいものに戻すことはしなかった
一揆を恐れたからであるが、村民の中には領主にも人の心があるなどと勘違いする者もいた
結局それが功を奏し、一揆は起きなかった
一揆とは、何らかの理由により心を共にした共同体が心と行動を一つにして目的を達するため、既成の支配体制に対する武力行使を含む抵抗運動のこと
南北朝時代から室町時代には、関東地方で武蔵七党など中小武士団による白旗一揆、平一揆などの国人一揆が盛んに結ばれた
やがて同属集団である国人一揆から地域集団である国一揆へと主体が移り変わった
国一揆は山城の国一揆、伊賀惣国一揆、甲賀郡中惣など畿内に集中し、農民、僧侶等が大名階級以上の人間を次々と滅ぼす非常に恐ろしいものだった
その為、江戸時代入ると幕府が一揆を禁ずるなどの措置をとるほどであった
雉の村は農民の村であるが、弓術や医術に長けるものが多いため、身分は低いものの、力はあると領主は判断していた
領主は狡猾な男だった
そして、非情な男でもあった
領主はかぐややかぐやと戦い死んだ二番目の妾(朝日)について言及することをしなかった
ただ以前に増して女遊びは激しさを増し、逆らうものを次々と処刑するなど、その暴君ぶりは目を見張るものとなった
桃は素直な子供に育っていた
自分が桃太郎という名を持つ女の子であることを良く理解していた
両親がいない理由はわからなかった
翁からは、川から流れてきた大きな桃に入っていたと聞かされることもあった
村の人々も協力的で、桃のことを自分の子のように愛し、優しく接した
また、赤子だった桃への授乳を協力してくれた若夫婦の息子の与一は、桃とまるで本物の双子のように仲睦まじく遊んだ
与一には御前なる四歳の妹もおり、御前は自分を可愛がってくれる桃を
「姉しゃま、姉しゃま」
と呼んで慕っていた
雉の村では幼い頃から狩猟の為、弓術を教え込まれた
与一は幼いながらも弓術の名手であり、それ以外は何でも卒なくこなすことの出来ていた桃にも優しく弓の構え方等を教えていた
「桃は下手くそぅだなぁ。弓以外は何でも出来るのに不思議だね」
与一は爽やかに笑いながら言う
桃は
「うん、どうしてかな。
でも、出来るようになるまで、一所懸命やる」
と返した
平和な日々が続いていた
そう、あの日までは
その日は良く晴れた日だった
雲一つない真っ青な空
春が訪れた雉の村に、騒がしい男が馬を走らせてやってきた
「至急、子を連れて戌の村へ集まれ。
病の者を除いて全員だ。早くしろ」
男は偉そうに言った
馬に乗っている
戌の村の武士なのだろう
領主直轄の者だ
これは従わなければならない
村の若者が恐る恐る尋ねた
「な、何があったんですかぃ?」
武士は若者を睨みつけ言った
「あぁ!?つべこべ言わず来い。
これは大名様の命令ぞ。従わなければ殺す。来ればわかる」
そう言いながら背を向け走り去った武士の男
まだ朝だが、これから支度をして戌の村に向かわなければならなくなった
馬など持たぬ雉の村民達、戌の村までは歩いて三時間程
牛の正刻(一二時)までには着かなければならない
期限は示されていなかったが、戻る時間を考えればその頃に着いていなければ
子や年寄りも連れて行く、大変な重労働だ
怪我人や病人を除いた村民全てで戌の村へ向かう
子供達は勿論、殆どの者が戌の村へ行くのは初めてだった
そして、道中は特に何も起きず、戌の村へ着いた
村は要塞と呼べるようなものだった
村の周りは加工した木で囲われており、容易に侵入できそうにない
流石は武士の村
入り口には大きな門
門の横には門兵が二人
どちらも甲冑を見に纏い、槍を持ってこちらを見ている
甲冑を着ていても、屈強な身体であることがわかる
また、門の両脇には見張り台が設置され、門兵が弓を構えながらこちらを見ていた
緊張した時間が流れる
その時、大きな門が開かれた
門の中にいたのは、先程雉の村に参集の報らせ伝えに来た無愛想な武士だった
武士は
「遅かったな。まぁいい。入れ」
と無表情で言った
翁達雉の村民はその武士に続いて、開かれた大きな門の中、戌の村に足を踏み入れた
入り口の大きな門
高さは十尺(三米少し)近くあるだろうか
開閉は内側から十人の男が綱を操作することで行っていた
また、門自体も頑丈で、何百枚という木を貼り付けた上、更に所々鉄で補強されている
これでは門が開かなければ外側から攻め込むのは難儀だろう
更に門の両脇には見張り台、中には弓兵
外周は石垣が積まれ、弓矢や火に対する攻撃に耐えられる様な造りになっていた
石垣は所々に穴が開けられ、弓を持った武士が外周を見ていた
「なぜここまで厳重にするのじゃ」
翁は首を傾げた
この時代、他国を侵略するために相手の村を襲撃して国力や士気を削ぎ落とし、その後、城を攻めるという兵法もあるにはあった
しかし、攻め落とした際に、国の力となる村を潰してしまったのでは、侵略する方のメリットにならない
また、非戦闘員への攻撃は反道徳的で、侵略する方の士気も上がらない
従って、村自体が武装したり、守備を強化する必要性は高くはないのだ(領主への反乱、村一揆等の場合を除くが)
だからこそ、翁は首を傾げた
翁が考え込んでいる内にも無愛想な武士はどんどん先へと進んで行った
進むと言っても、住居が建ち並ぶ道を右往左往しているようにも見える
もう、30分近くは歩いている
翁はハッとした
雉の村民は狩猟をする
そのため、森等での狩猟の際に迷わぬよう空間把握能力が著しく高い
一度通った道は覚えている
しかし、先程から同じ様な道を行ったり来たり、これでは雉の村民も方向感覚が掴めない
「内部の造りを理解させんようにしとるのか。
用心深いのぅ。この村は、強い」
翁はそう呟いた
それから暫くして武士が言った
「着いたぞ」
唖然とした
どうして今まで気づかなかったのか
目の前には大きな広場
現代で言う小学校の校庭位の広さの広場が目の前にあった
広場には既に申の村民、戌の村民が円を描くようにして集合していた
雉の村民は最後に到着したので、群衆の集まる円の中心に何があるのか、確認することが出来なかった
広場に集まった人々は、不安と期待が入り混じった様な異様な緊張感に包まれていた
その時、雉の村民の内、背が高かった与一の父親が叫んだ
「な、なんだぁ。ありゃぁ。。。。」
円の中心部には布に覆われた物体があり、その布を甲冑を纏った武士が取り払ったのだ
そこにあったのは「磔台」だった
そして、そこに張り付けられていたのは
"全身が火傷を負ったように赤く、額に小さな角を生やした人型の物体"だった
その物体は割と小柄で、桃や与一ら六歳の子供と同じ位の背丈に見えた
良く見ると物体は少し動いており、眼からは血のような赤い液体が流れていた
「生きて.......る?」
誰かが言った
全身が赤く、角が生えている以外は人間と全く同じだった
「お、鬼!?それも子供?」
と与一の父が言った
鬼
鬼の語はおぬ(隠)が転じたもので、元来は姿の見えないもの、この世ならざるものであることを意味した
そこから人の力を超えたものの意となり、後に、人に災いをもたらすものとして今日まで伝えられてきた
平安時代に都の中を歩いてゆくとされた鬼の化け物行列を描いた百鬼夜行では、目撃すると死んだり病気になるなどと恐れられていた
翁等村の年寄りも実際に鬼を見たことはない
しかし、代々「鬼は怖いもの、悪いもの」と教えられてきていた
その為、与一の父親の発言は桃を始めとした村の子供達を震え上がらせるのに充分過ぎるほどだった
その時、磔台の隣に立っていた武士が大声で叫んだ
「お殿様の御成りじゃぁぁっ!頭が高いぃぃぃっ。
ひれ伏せいっっ!!」
広場にいた村民全てが跪く
同時に村の奥から真紅の甲冑を身に纏い、殿と呼ばれた偉そうな男が白馬に跨って駆けてきた
国や町を治める者や戦の際の大将は通常群衆の場に顔を出すことはない
理由は狙われるから
漫画や映画では、大将自ら先陣を切り、兵が後ろから続く様が描かれることが多い
あれは嘘
戦で狙うはその軍の将
対象を落とせば勝ちも同然
だから、大将が先陣を切ることはないし、負けが濃厚な場合には手練れの兵を連れて逃げる
戦に個の武は勇躍しない
恐るゝは将の影響力、軍略である
いや、戦の時だけではない
この様に群衆の前に出る時も、大将は前には出ない
しかし、申、雉の村民は戌の村に入る際、身体検査を受け、武器となるもの全てを没収されている
危険はない
そう判断したのだろう
町の主が、民の前に、しかも手を伸ばせば届く位置まで出てきた
よっぽど大事な話しをするに違いない
民はそう思った
翁と嫗を始めとした、雉の村民の内、かぐやの最期を知る者らは両手を強く握り、唇を強く噛み締めた
桃はその光景を見逃さなかった
「じぃや、ばぁや。皆、どうしたんだろう」
私語が許される雰囲気でないことは、六歳の桃にも充分理解できた
だから聞かなかった
いや、聞けなかった
翁と嫗は頭を地面につけたまま、泣いていた
肩を震わせながら泪を流し、唇を噛んでいた
桃はその光景を忘れてはならないと、無意識に判断していた
偉そうな男は、かつてかぐやを妾にした町の守護大名であり領主
つまり、桃の父親であった
桃は自分の父親が誰か聞かされていない
だから、領主のことは
「じぃや、ばぁやが嫌う男なんだ」
という認識程度にしか映らなかった
領主は、耳障りとも取れる、成人男性にしてはかなり甲高い声で話し始めた
「皆の者、心して聞くがよい。これは鬼の子じゃ。
勇敢な旅人が鬼が住む島を発見した。
そこから恐ろしくて醜い、悪い鬼の子を捕まえてきたのじゃ。鬼は人間を滅ぼすぞ」
領主は静かに、そしてひどく得意げに続けた
「鬼は存在しておる。
決して言い伝えや迷信などではないぃっ!
滅ぼされる前に、鬼を根絶やしにしなければ、我々に明日はないのじゃぁ!子を前に通せいぃっ!!!
子に鬼を退治する力と勇気をつけさせようぞっ!」
そうして、桃ら雉の村民だけでなく、その場にいた成人に満たない者らが円の中心部に連れられた
「これは、公開処刑......」
与一の父親は言葉を飲み込んだ
下手なことを言えば殺される
領主の暴君ぶりの噂は雉の村にも届いていた
公開処刑とは、見せしめなどの為に公開で行われる処刑であり、さらし台のように、公開されることそのものが罰となる場合もある
日本の江戸時代以前の死刑は、身分が高い者の切腹などを除き、ほとんどが公開で行われた
特に戦国時代から安土桃山時代にかけてさかんに行われ、豊臣秀吉による甥の豊臣秀次の妻子の斬首刑や、石川五右衛門の釜煎(いわゆる釜ゆで)などは有名である
それまでの死刑を引き継いだ江戸時代の刑罰では、磔の他、火罪(火あぶり)などが公開で行われ、獄門のように斬首刑後の頭部を公開する刑も行われた
桃は円の中心、磔台にいる"鬼の子"を恐る恐る見ていた
鬼の子と呼ばれた其れは、磔台に両足を、両手は後ろ手に縛られ、縦一文字の様な姿勢になっていた
首はだらんとうな垂れており、桃らが近付く足音を立てる度にビクッと身体を震わせ、顔を上げた
「君は、泣いているの?」
桃は誰にも聞こえないような声で呟いた
鬼の子は何も答えない
いや、何か答えているなもしれない
明らかに日本語ではない何か別の言語で呟いている
そして、泣いていた
歳の頃は桃と同じくらいだろうか、しかし顔の幼さの割に身体は大きい
鬼は成人の人間よりも一回り大きい
そう伝えられてきた
だから鬼の子も身体が大きいのだろうか
それにしても何故、鬼の子がこんなところに
桃は思考を巡らせていた
その時、領主の耳障りな甲高い声が響いた
「古来から最恐と言われた鬼ぃぃぃっ!
しかし、余の前では無力じゃぁっ!
そして、未来を担う子供達ぃぃぃっ!!
我々人間は鬼などには決して負けることはないのじゃっ!
石を持ていィィ!貴様らも鬼を倒す勇気と強さを持つのじゃァァっ!!」
桃は全身に寒気が立つのがわかった
翁は
「あやつ、下衆の極みじゃ。わしゃあ、なんて男の所に大事な娘を。。。」
と身体を震わせていた
翁の半歩後ろにいた嫗は、翁の心中を察し翁の肩に手を置き、翁を制した
最初に地面の石を拾ったのは戌の村の子供だった
領主の命は絶対
民の殆どが武士である戌の村で育った子供
教育だけではない
身体の奥底に刻まれたDNAが反応しているのだろう
指揮官の指揮に従わなければ、部隊は壊滅する
そして、敗北、死
次々に鬼の子に向かって石を投げ始める子供達
集団心理
それ程怖いものはない
石を投げる子供が増え大数になるにつれ、投げない子供が少数になっていく
投げるは正義、投げぬは悪
戌の子供達に続いて、申、雉の村の子供達までもが石を投げ始める
石が身体に当たるたびに、鬼の子は苦痛の表情を浮かべる
「.....また、目から血。違う、やっぱり泣いてる」
石を持ったまま立ち尽くしていた桃はそう呟いた
鬼の子の目から流れていたものは、人間と同じ泪だった
皮膚が赤いから、血に見えただけ
「君は何も悪いことをしてない。泪も流す。私たちと同じ
どうして、何故こんな酷いことを」
桃は石を地面に強く投げつけた
ひどく歯痒い
鬼は悪と教えられてきた
でもこれではただの弱い者いじめ
瞬間、後ろから聞き慣れた声がした
「桃っ!殺されるぞ。演技でも良い。
石を当てなきゃ良いんだ。
あれは俺らが教わってきた鬼となんか違う。
こんなの可哀想だよな。
でも、やる振りをしなきゃ、武士たちに切られるぞ」
声の主は与一だった
与一も違和感に気付いていた
桃は小さく頷き、石を拾っては軽く前へ投げる
しかし、領主は二人の子供の行動に気付いた
そして嬉しそうに言った
「みぃ~つけた」
領主は残虐非道かつ傍若無人な男であった
しかし、守護大名という肩書きは伊達ではない
そもそも守護大名というのは、軍事・警察権能だけでなく、経済的権能をも獲得し、一国内に領域的・一円的な支配を強化していった室町時代の守護を表す日本史上の概念である
15世紀後期 - 16世紀初頭ごろに一部戦国大名となるものもあった
応仁の乱の前後から、守護大名同士の紛争が目立って増加した
これらの動きは、一方では守護大名の権威の低下を招いたが、また一方で守護大名による国人への支配強化へとつながっていった
そして、1493年(明応2年)の明応の政変前後を契機として、低下した権威の復活に失敗した守護大名は、守護代・国人などにその地位を奪われて没落し、逆に国人支配の強化に成功した守護大名は、領国支配を一層強めていった
そう、この領主とて例外ではなく、先代が国人支配の強化に成功した守護大名であった
この領主は幼い頃から何不自由なく、欲しいものは欲しいだけ与えられてきた
その反動がこの性格
一言で言えば、屑
自分以外の者を認めない
そもそも人として扱わない
しかし、頭脳は明晰
甲高い声を除けば、その顔立ちは整っていると言える
だからこそ桃の母であるかぐやと刺し違えた二番目の妾、朝日の様に領主に心酔する女も絶えなかった
事実、かぐやが死んだ後、領主の妾は十人にまで増えていた
それでもこの男の欲望は止まらない
神秘的な美しさを持っていたかぐや
その血を引き継いだ娘である桃
探したくても探せなかった
妾の子だったから
でも、見つけ出してまた自分の物にしたい
この男の目的は現代で言えば近親相姦
禁戒を守る気などない
交れればいい
異性を性欲の対象としか見ない
それが例え、自分の子供だとしても
そんな鬼畜と呼べる男の眼に今、桃が映っていた
真実を見抜く曇りのない大きな眼
少し厚めで紅く色付いた唇
透き通る肌
男児の格好をしているが間違いない
あれはかぐやの血を引いた娘
しかし、まだ幼子
「女は好きだが、子供には興味はない。
敢えて気付かぬ振りをして、成長を待とう。」
領主は誰にも聞こえない声で呟いた
そんな恐ろしい事を領主が考えているとはつゆ知らず、桃は子供に石を投げ続けられる鬼の子を見ながら泪を流していた
「私は無力だね。君を助ける事が出来ない。
これじゃ他の子達と一緒。」
桃がそう呟いた時、鬼の子が桃太郎を見た
時間が止まる
刹那
桃は動けない
鬼の子の口が動く
「タスケテ......」
「助けて??そう言ったの?」
桃は大声で叫びながら鬼の子に近づく
与一が引き留める
「馬鹿野郎!何やってんだ」
与一らの背後には刀を構えた武士が接近する
その直後
「死んで...る」
桃は力無く言った
先程まで石を当てられる度に動いていた身体はもう動かない
頭はうな垂れたまま
口からは大量の出血
鬼の子は死んでいた
誰の目から見てもそれは明らかだった
領主が叫ぶ
「やめいっぃ!子達よ!鬼に勝ったのじゃぁぁぁ!
もう恐れることはない!鬼を倒す力と勇気を我々は持っている。今日という日を忘れるなぁぁぁ!」
歓喜に沸く広場
純粋無垢
疑う事を知らない子供達
雉の村を除けば、そもそも領主に対する反感等微塵もない村の子達
領主が放つ言葉は神の御告げと同等の重みがあり、絶対に正しいと信じて止まない
鬼に打ち勝つ力を得られたと本気で思い込んでいる
しかし、雉の村はかぐやを失った悲しみを持っている
死の真実も知っている
領主に対する忠誠心は薄い
そこで育った桃と与一らは喜ばない
寧ろ真逆
桃は地面に倒れ伏していた
「助けてと言った。あの子は私に。でも私は見殺しにした。
殺したんだ私は、あの子を。石を投げなくても同じだよね」
桃は泣いていた
与一は落ち着きながら言った
「桃、立て。武士達が俺らを見てる。
領主の野郎もさっきからチラチラ見てる。
変な行動すりゃあお仕置きをもらう。
自分を責めんな。悪いんはあいつ。領主の野郎だ。
いつか必ず、今日の事を後悔させよう」
与一は桃の身体を起こして桃の服に付いた砂を払った
桃は小さく頷きながら与一に寄り添った
第六感、虫の知らせとも云う
「何だろう、何か良くない事が起こる気がする。怖い
与一、怖いよ」
桃は誰にも聞こえない声でそう呟いた
第二章 完