葛の花、紅き刃に咲く 〜壱
桃達は、城の入口に当たる大手二の門の前に立って、再び城を見上げた。
無意識に目に入ったのは城の上方にある太陽
鮮やかな光が放たれる
然し、其れを以てしても照らしきれぬ闇の衣を纏った天守
突き刺すような意志を瞳に宿したのは、桃だった
わかる
ここにいる
あいつがいる
民の悲しみも、苦しみも
母の無念も全部…
今日、全てを終わらせる
そして、夜明けのように新たな時代を切り拓く
桃は鉢巻をもう一度強く結び直して、門をくぐり抜けた
桃の後を追うようにして駆け出したのは玄信
…いつもならいるはずの門番がいない
有難い歓迎じゃないか
此の大手二の門は高麗門形式で建てられており、土台の石垣も大きく、綺麗な四角の石で組まれている
なんて立派な城なんだ
どれだけの人間と時間が、此処につぎ込まれたんだ
小太郎が、門と石垣の荘厳さに辟易とした
豪華であればあるほど、其処に人と時間が注がれたという証
門をくぐると其処は小さな広場になっていた
桃達の集団は、其の全てが門を抜け、此の広場にたどり着いていた
門を抜けた正面の石垣には、大きな鏡石が二つ置かれていた
其の石は子供の身体ほどの大きさであった
綺麗に磨かれ、其々が辺りの景色を見事に映していた
詳しくないものが見ても判る
此の石には相当な財が注がれていると
当時、城の入口は権力の象徴や城主の威厳を示す重要な場所であった
其の場所に置かれる鏡石も同論
其れが立派であれば立派であるほど、城主の力、財力を誇示することが出来た
「大した趣味をしていやがる
右手が男石、左手が女石だったかな
こんな石ごときに、一体いくらの財を注いだんだ?」
悔しそうに玄信が言った
領主が納める村の殆どは飢饉に喘いでいた
厳しい年貢の取り立てが原因だった
民達の云わば血税が、城の見栄と化していた
其の時だった
ドンっ!!!
大きな音が鳴った
「太鼓っ!?」
桃が辺りを見回しながら叫んだ
音は止まらなかった
ドンドンドンドンドドドドドドンっ!!!
太鼓の音が鳴り響き続ける
「皆、一旦二の門の外へ
嫌な気配がする!!!」
与一が太鼓の音を縫って大きく叫んだ
其れは桃達以外の武器を持たぬ集団に向けられた言葉
集団は与一の鬼気迫る言葉を受け、二の門から城の外へ出た
其の直後、二の門が閉められた
「虎口だからな
此処で全滅させる気か」
玄信がそう呟いた後、何かに気付いたように焦った表情になった
「与一、光政!
此処はお前たちに任せた
俺は小太郎と、桃を天守へ運ぶ!」
突然の玄信の叫び声
太鼓の音は未だ鳴り響いている
心の臓まで揺さぶる程の重低音
抑も心臓の鼓動がいつもに増して早い
桃は大丈夫だろうか
いや玄信様がついてる
僕を此処に残す理由、其れは…
与一が思考を巡らす
城の構造を熟知しない与一
其のことが普段の回転の早さを邪魔する
玄信が言った虎口
虎口とは城の出入口のこと
城での攻防があるとき、最初に敵味方が争う場所となるのは言わずもがな出入口、虎口となる
城、兵を守るためにも強い施設にしなければならない場所であった
領主の城が用いていたのは、桝形虎口と呼ばれる種類のもの
虎口の前面に方形の空いた場所を設けることで、直角に曲がらないと門へ入れない構造になっている
敵が最初の出入口である二の門をくぐった後、二の門と直角に曲がった先の一の門を閉じてしまえば、敵を完全に閉じ込めることが出来る
八方塞がりの状態を作った上で、石垣の上から矢等によって遠距離攻撃をすれば城を守る側の防御力、攻撃力は格段に上がる
ドンドドドドン!!
繰り返し叩かれる太鼓の音で平常心を失いそうになる
与一を残す、何故?
石垣の上から聴こえてくる太鼓の音は何重にも折り重なっている
桃の思考回路は停止寸前だった
然し立ち止まっている暇等ない
考えるのは後、今は玄信の言葉を信じて進むしかない
与一は大丈夫
そして玄信の後を追って走り出した桃
其の頃、与一も玄信の言葉の意味を理解していた
「玄信様、桃を頼みます
直ぐに追いかけます」
与一が玄信に向かって叫ぶ
桃との楽しい日々が走馬燈のように脳裏を逆再生しながら駆け巡る
さっきまで鳴り響いていた太鼓の音はもう聴こえない
と思った瞬間、物凄い速さで順再生を始める
聴こえないと思っていた太鼓は、耳をつんざくような大音量で鳴り響いていた
桃との日々に想いを馳せるあまり、五感の全てが鈍感になっていただけだった
「桃、絶対に死ぬな
約束だ!」
桃の背中に向けて叫んだ与一
振り向かないまでも、桃が頷いたのはわかった
心で通じ合っている
言葉は必要な分だけで足りる
後は、空気や匂い、雰囲気が伝えてくれる
桃は大丈夫
後は僕が此処を死守するだけだ
与一が、父総士から与えられた弓を構える
与一の弓
其の大柄な出で立ちは射る者の望むがままの射程を叶えてくれる
然し、其れは弓を引く力、技術があればの話
総士との特訓の日々
桃を護り抜くと決めた其の日から訓練を止めたことなどない
与一には、其の弓を扱えるだけの全てが備わっていた
玄信、桃、小太郎は一の門に向かって駆けている
門はゆっくりと閉まり始めていた
死地に立つ者としては不釣り合いな程に穏やかで、清々しい笑みを浮かべて三人の背中を見送った光政
間に合うのかな
いや、間に合わせなきゃ
急に駆け出したから体がついてこない
其れに大音量の太鼓が、走るリズムを邪魔する
一つ一つ鳴るたびに心臓が驚いて呼吸が乱れる
それでも、私は此処を越えなきゃ
「間に合えぇぇぇ!!」
桃が叫びながら走る
門が閉まり切る直前に三人は一の門を抜けた
間一髪だった
はぁ、はぁ
急いで呼吸を整えようとする桃
さっきまで大丈夫だと確信していたはずなのに、門が閉じられた途端、与一が心配になる
太鼓の音はもう聴こえない
「はぁ、はぁ、大丈夫だ桃
与一は強く賢い」
「うん、わかってる
だけど…」
「それに、光政もいる
あいつは藤原道場最強の門下生だ」
玄信が桃にそう声を掛ける
無言で頷く桃
次いで、不安そうにしていた小太郎が口を開く
「でもよぉ、なんだって与一とあのお侍さんを残したんだ?」
「今にわかる
虎口と呼ばれる二の門から一の門までが正に一番の鬼門
与一達はこれから、弓兵からの集中射撃を浴びることになるだろう」
「そんな!だったら私達も一緒に戦わなきゃ…」
途中まで言いかけて言葉を飲み込む桃
城での戦法は玄信の方がよっぽど詳しい
城だけではなく、戦に関しては殆ど素人と言っていい桃
類まれな身体能力に心眼、持って生まれた天賦の才
然し其れは時にして圧倒的な経験値に負ける時がある
桃も其れを悟ったのだろう
桃は其れ以上何も言わなかった
「お前らの気持ちもわかる
だが、八方を塞がれ、遠方からの攻撃に対応できる人物
其れは弓の名手である与一をおいて他にない」
自信を持って言い放った玄信だったが、此処でやや表情が暗くなったのを桃は見逃さなかった
「光政様を残したのは苦渋の決断だったんだね」
「…。
恐らくあそこには五十弱の弓兵が隠れているはず
与一でも其の数は相手に出来ない」
玄信は一旦深く息を吸い込んで再び口を開く
「兵の中には領主のやり方に不満を抱く者もいる
光政が立ち上がったと知れば、何人かは次いで反旗してくれるはず
唯、此れは希望的観測
甘い考えかもしれないが…」
三人が抜けた一の門の先は急勾配の坂だった
其の坂を登りながら玄信は再び口ごもった
進行方向からふと目を外せば、美しい緑が広がっていた
崖の部分にびっしりと植えられた樹木は、気持ちを落ち着かせるのに一役買っていた
「私達は進むしかないんだね
大丈夫、光政様も玄信様の決断を支持していた
信じよう、二人を」
息を整えながらそう言った桃
小太郎は其れに強く頷く
与一と共に桃を残して入れば、心眼の能力で弓を避けつつ、与一の弓で兵を倒せる
血路を切り拓いていたかもしれない
しかし、此の先にいるのは、大駒部隊
領主の一番目の妾であり、薙刀を振り回す女将、鶴姫
一騎当千と謳われる北畠具教
そして、桃のように心眼を持つ才蔵
最低でも此の三人を倒さなければ、領主の元に辿り着けない
桃の心眼は最後まで残しておきたい
出来れば対多数の接近戦に強い小太郎を与一と組ませて、俺、光政、桃の三人で大駒と当たりたかったが
あの場に小太郎を残していたら無駄死になるのは考えるに容易かった
非情に思えた玄信の決断は最善だった
だからこそ、其れに異を唱える者等いない
桃は、坂を上りながら何度も一の門を振り返った