戮力一心 〜参
「準備は、良いか」
そう言って三和土に置かれていた四つの風呂敷を両手に持った玄信
美鈴は、子供達の手を引いて草履を履く
外では先ほど倒した武士達が未だ倒れていた
玄信は光政の肩をトントンと優しく何度か叩きながら名前を呼んだ
美鈴は怪訝そうな顔をして玄信を見つめる
「心配要りません
此奴は俺の、藤原道場の門下生で金時の友だった男
必ず、俺達の力になってくれる」
「でも、先程子供達を怖がらせました」
「其れが領主の命令だった
どんなに間違った命令でも、其れに従わなければならない
此奴にも護るべき者達がいて、従わざるを得なかっただけ
従わなければ…」
「そんなの…間違ってる」
夜のそよ風が心地良かった
月明りが、美鈴の顔を一層と幻想的なものにさせていた
「だから俺は、俺達は明後日、領主の元へ行きます
其れには、此奴、光政の力も必要
其処で何が出来るか未だわからない
唯、何かを変える力を持った希望の光がいる
とてつもなく大きな夢と、其れを叶える力を持った子が
俺は其れに掛けてみたい」
「希望の光…」
「悲しい運命を背負った私の教え子、仲間です」
「そうなんですね、貴方の周りには素敵な仲間が沢山」
「有難い事だ」
玄信は優しく笑った
厳つい男の不器用な笑顔につられて、美鈴の緊張も解けていく
目を覚ました光政は、美鈴を見るなり頭を下げ、そのまま土下座をした
「もう、良いんです」
美鈴の反応は、光政の予想外なものだった
そんな光政に頭を上げるように促した美鈴
「玄信様から聞きました
始まりが間違っていただけのこと、貴方は従わざるを得なかった
貴方にも大切な家族がいるのでしょう」
美鈴はそう言って光政の肩にそっと手を置いた
「でも此れから先は、正しい道を歩んで行きましょう
其れが例え、いばらの道だったとしても」
美鈴の言葉は、まるで鬼ヶ島での金時の行動を肯定するかのようだった
家族を置いて死んだ金時
それでも其の生き様は間違っていなかったと、美鈴は心の底から思っている
「…有難う御座います」
光政はもう一度深々と頭を下げて言った
次に口を開いたのは玄信
「光政、俺は明後日、領主の元に行く」
「しょ、正気ですか!?
大量の兵士、其れに才蔵、具教、鶴姫ら大駒部隊もいる
流石に師範の力を以てしても…」
光政の危惧は正しかった
現実世界に、一騎当千の猛将等存在しない
互いに極限まで鍛え抜いているから
多勢に無勢
一人で、十人倒せれば良いほう
数には勝てない
まぐれは其処まで続かない
「おいおい、俺一人じゃねぇよ
心眼を持った弟子に弓の名手や素破のガキが俺の仲間だ
其処で、お前の力を借りたい」
「心眼…」
「とは言え、俺は戦争をしに行くわけじゃないんだ
もう殺し合いは充分だろう
まぁ、多少の戦いは避けられんだろうがな」
「戦争なしで、何が変わるのですか?」
「わからんな、何も変わらないかもしれんな
然しな、大事なのは何が変わるかではなく、何をするかだと今は思ってる」
此れだよ
此れなんだ
ずっと待ち続けていたのは
思慮深さではなく、行動力
理屈では説明出来ない頼りがい
師範、貴方だったから藤原道場を守ってこれたんだ
貴方の背中には全然追いつけていなかった
光政は平身低頭の姿勢で言った
「師範、私の力も役に立ててください…」
其の言葉を聞いて玄信は笑顔になった
そして、急にまた険しくなる
「お前が城に戻らなかったら、領主がきっと怪しむだろうな
俺と再会して反旗した
奴が考えそうなことだ
だから光政、家族を連れて勝俊の家に来い
勝俊には、多少話してある
お前らが来ることも、話せば直ぐにわかってくれるだろうさ」
光政は玄信の言葉にハッとする
此の人は其処まで先のことを見越していた
敵わない訳だ…
「いいか、勝俊の家で落ち合おう」
そう言って玄信は美鈴と子供達を連れて暗闇へと消えて行った
光政は暫く其の後ろ姿を見て動くことが出来なかった
師範が去って十年
あれから私も様々なことを経験した
私なりの地獄を見て、強くなったと思っていた
成長したと思っていた
貴方と肩を並べた
いや、貴方を越えたとも思った
然し此れでは肩を並べたどころか、あの時よりもずっと差がある様に感じる
光政は夜空を見上げる
幾つかの星が瞬いている
夜半だというのに、酒場からの声は未だ聴こえていた
上を向いたまま静かに笑った光政
こんな時間まで外で酒を飲める村は此の村くらいだ
活気溢れる村に見えるかもしれない
此処の暮らしは、羨望されるかもしれない
然し全てまやかしだ
他の村から厳しく年貢を取り立て、飢饉に喘ぐ人達に気付かないふりをしながら楽しく酒を飲み、米を食っているだけ
何もしてくれなかったと師範を責めるのは間違っていた
自分が何も出来ないから、他人に何かしてくれと強請る
責任転嫁甚だしい
此れからは、唯信じる道を進もう
例え其れがいばらの道でも…
光政は道に倒れている武士を優しく起こし
「後は好きに生きろ」
そう声を掛けて、暗闇に消えて行った
玄信達は勝俊の家に来ていた
家にいた勝俊の母親とは、本当に久し振りの再会だった
母親は、玄信達の避難を快く受け入れてくれた
昔話に花が咲いた
…翌日
空が徐々に明るくなってきた、いわゆる東雲にも関わらず、勝俊の家の中で忙しく動く二つの影があった
勝俊の母と、美鈴だった
手際良く、朝食の支度をしていた
当時の台所には炊飯器や冷蔵庫等といった電化製品はない
其の為、朝食の際に一日分の米(当時は玄米、其処に稗や粟等を加えてかさ増しした、いわゆる雑穀米)を竈で炊く必要があった
一日分と言っても当時の食事回数は朝と昼の二回が主流であった
現代の様に夕食をしっかりととる習慣が出来たのは、実は江戸時代以降と云われている
味噌汁だろうか
家の中に食欲を誘う味噌の香りが立ち込めている
「起こしちゃったかい
そろそろ勝俊が腹を空かせて帰ってくる時間だから」
玄信に声を掛けたのは勝俊の母親
名は『菊』と云う
「いやぁ、其れにしても良い娘だね
綺麗で気立ても良くて料理の手際も良い
未亡人にしておくのは勿体ないね
ねぇ、玄さん」
菊が意地悪っぽく言った
返答に困る玄信
からかいにも似た此の手の話題は、玄信の苦手とするところだった
其の玄信が部屋の奥で寝ている光政の姿に気付く
光政は妻と思われる女性と、小さな男の子と三人で川の字になって床で寝ていた
「光政達も来たんですね
全く気付かなかった」
鬼ヶ島での才蔵との死闘の後、戌の村に戻って光政ら武士達と闘い
玄信は精も根も尽き果てた状態だった
安心したのだろう
聞けば菊と話している最中に眠りについたそう
「玄信様、お米が炊けたので御飯にしますか?」
割烹着姿の美鈴が玄信に優しく微笑んだ
よく似合っていると、玄信は思った
炊きたての米と、味噌汁の良い香りで丁度家の中にいた全員が目を覚ましていた
玄信は力強く頷いた
「お魚が入っていなくて申し訳ないんだけどね」
菊がそう言いながら米をよそっていく
雑穀米、芋と野草が入った味噌汁、大根の漬物
質素倹約が求められていた時代
米と漬物があるだけでも豪華だった
「うん、美味い!
懐かしい味だ」
両親を亡くした後、玄信が一人で藤原道場を切り盛りしていた時、菊はおむすびと味噌汁を良く拵えてくれた
当時と変わらない味だった
未だ帰宅しない勝俊を除き、皆で朝食をとった
暫くした後、戸がゆっくりと開いた
勝俊だった
夜を徹しての勤務、嘸かし疲れたのだろう
其れにしても真っ青な顔をしている
其の勝俊が口を開いた
「雉の村が、燃えた…」
「なんだと!?」
玄信と光政が同時に大きな声を上げた
勝俊の形相に、怖がる子供達
美鈴や光政の妻が其々の子供達の手を握る
「御屋形様の命令で数十人の武士が雉へ行った
暫くして、雉の村の空が紅くなった
夕立の後だったから、そんな筈はないって思ったけど
まさかと思って帰ってきた仲間達に聞いたら、燃やした、と
命令で
こんなことって…」
勝俊が床に頭を押し付けて言った
食事が終わっていて良かった
始まる前だったら喉を通らなかった
寒心に堪えない
桃達は無事だろうか…
「勝俊、領主の命令で武士が雉に行ったのはどのくらいだった?」
「白昼だったと思います
黄昏時には間違いなく雉に着いていたかと
師範が戻られる少し前に戻ってきました」
そうすると、俺達が鬼ヶ島から戻って来る前に雉は襲われていたことになる
「玄信様…」
美鈴が玄信を気遣う
額に浮かんでいた汗を拭った玄信
既にして美鈴の声も聴こえていない
火計、焼き討ちとも言うが、まさか自分の領土に火を放つとは…
確かに此の国は大きくなった
最早雉の村の生産力は国にとって必須ではなくなったとも言えるが
其れでも農業に強い村を潰すのは国力低下を招く一因
他の国から同情でも誘う気か…
わからん、領主の考えにはついていけない
然し、やはり此のまま好き勝手にさせておくわけにはいかない
再会の約束は明日の朝、此の村
桃なら大丈夫、与一も小太郎もついてる
今は下手に動くよりも、明日を待つのが吉か
「玄信様、大丈夫ですか
顔色が優れませんが」
再び美鈴が玄信を心配して声を掛けた
「あぁ、大丈夫だ
昨日話した仲間のことが少し気になって」
「明日は…?」
「気持ちは変わりません
そこで…」
玄信は美鈴との会話を打ち切り、勝俊と光政を交互に見つめた
「勝俊、光政、頼みがある」
真剣な表情だった
光政は前のめりになって口を開いた
「何であろうが、私は貴方の力になります
何なりと言ってください」
既に覚悟を決めていた光政
対照的だったのは勝俊
未だ玄信の考えが読めていない
不安が其の心の大半を占めている様だった
玄信は一呼吸置き、明日仲間と共に領主の元へ行く計画があることを勝俊に打ち明けた
勝俊、菊は驚きを隠せなかった
誰も口に出さなかったが、其れは聴こえの良い下剋上
少しの沈黙の後、玄信が口を開く
「唯、戦争をしに行くわけではない」
「勝俊、行ってきなさい」
玄信に替わって口を開いたのは菊だった
菊は勝俊の米をよそいながら続けた
「あんたのお陰で良い暮らしをさせてもらったけどね
此れからは唯、戦いに明け暮れる時代じゃあないと私も思うよ」
「母上…」
「十年前だったかね、鬼の子に石を投げ付けさせて殺したことがあったでしょう
あんな酷いことはない、惨いことだよ
鬼の子は何にもしていなかったんだからね
御殿様のお考えなんて私にはわからない
だけどね、あんな酷いことが出来る人はこれから先もずっと同じようなことを繰り返していくんだよ」
菊は拳を強く握りしめ、美鈴と其の子供達を見ながら言った
「家族を切り裂くことに何の戸惑いも感じないような人は、上に立つべきじゃないんだろうね」
「菊さん…」
美鈴のやり場のない思いを代弁した菊
「さぁ、あんたがあれこれ悩んだって仕様がないんだ
疲れただろう、先ずはお食べ」
そう言って菊は、勝俊に米と味噌汁、漬物を差し出した
どっしりと腰を下ろして食事を頬張っていく勝俊
「美味い、美味いなぁ、母ちゃん…」
不思議と泪が溢れ出てくる
勝俊は泣く気などなかった
然し、領主のいる城へ行くと言った玄信
母である菊は、玄信に着いていけと言った
『あんたには良い暮らしをさせてもらった』
母も覚悟しているんだろう
領主と勝俊は雇い主と雇われ人の関係
当然だが、玄信と領主の関係は芳しくない
そんな玄信と共に自分が城へ行くということは…
おらにも覚悟が必要なんだな
こうして母ちゃんの手料理を何の心配もなく食えるのも貴重なのかもしれない
そう思うとなんだか泣けてくる…
勝俊は突然立ち上がり、自分の袋の中から矢立と呼ばれる筆記具を取り出した
矢立とは、角材状の本体に墨壺と筆の収納部を設け、其の上に可動式の蓋を取り付けたもの
勝俊は矢立に入った筆を取り出し、部屋の奥に置かれた和紙に何やら文字を書き始めた
『露の身の 消えても消えぬ置き所 草葉のほかに又もありけり』
勝俊が書き上げた歌が其れ
「勝俊、歌を詠むのか?」
一番驚いたのは玄信だった
少年時代、藤原道場で熱心に剣を振るっていた勝俊
止まれと言わなければずっと動いているくらい活発で、歌を嗜む様な性格ではなかった
そんな勝俊が歌を詠んだ
草葉の露と消えようと、消えない身の置き所が他にあるなどと、現実離れした歌だった
驚かずにはいられなかった
「此の乱世、嘆いても良くならない
せめて後世に残すものくらいは美しくあって欲しい
だからおら、歌を詠むようになったんです」
「そうか、心を熱くするものがあるってのは良いもんだ」
「そうです
誰も争いなんて望んでない
戦うなんてのは、武道で充分なんです
山に篭って歌を詠んだり刀を振ったりなんて生活が出来たらな、なんて思いますけど
母ちゃんもいますから」
「勝俊、母さんを見くびるんじゃあないよ
あんたにはあんたの人生があるんだ
あんたの好きなように生きな
もう十分孝行してもらった」
「母ちゃん、有難う
おら、師範と行くよ」
勝俊の言葉に満足そうに菊が微笑んだ
玄信も大きく頷いた
其の後、玄信、勝俊、光政の三人で作戦会議が開かれた
美鈴、光政の妻らは始めこそ心配そうな表情をして見守っていたが、男達の真剣な表情を見て、其々が子供の世話にうつっていった
菊は息子の逞しい横顔を眺めて複雑な表情を浮かべながらも家事をこなしていった